あの日の海は、どこまでも静かだった。
艦隊が海域を進む中、ふと空気が重くなる。轟音が響き、爆風が吹き荒れ、海面は激しく揺れた。それは戦場の音、死者の声、そしてもう戻れない場所へと引き寄せられる音だった。
「提督…! 榛名は、まだ…!」
榛名の声が、砲火が鳴る無線の奥でかろうじて耳に届いた。数時間の間、彼女は無数の弾丸が飛び交う戦場で必死に戦い続けていたが、少しずつ体力を失い、動きが鈍くなっていった。痛みも、疲れも、覚悟していた。それでも、彼女は戦艦としての誇りを胸に、最後の瞬間まで全力で戦おうとしていた。彼女の隣ではまだ仲間達が戦っている。ここで引くわけにはいかなかった。
「榛名! お願いだ、離れろ! 今すぐそこから──!」
しかし、提督はそれを許さなかった。榛名が仲間を庇い砲撃を浴びて沈みそうになるのを感じた提督は、何も考えず、ただ彼女を助けなければならないという思いだけで立ち上がり、大淀の声を無視して司令室を飛び出した。艦隊の指揮を放り出し、榛名のもとへ駆けようと、待機していた艦娘らの制止を無視して小型ボートに乗り込む。
彼女の体はまるで泣いているように軋んでいた。海の中から何かが迫り、榛名はその進行を必死に防ごうとしていたが、最早力は尽きていた。深海棲艦らの怨嗟の声が響いた。
「頼む、榛名、耐えてくれ!」
提督の声が、寒々しい空の中、空虚に響く。榛名の体はもう限界だった。次の瞬間、砲弾が艦体に命中し、強烈な衝撃が広がった。体が海面に叩きつけられ、息を忘れそうになる。もう体は動かなかった。榛名は最後の力を振り絞り、自分の指揮官に、世界で誰より愛するあの人に言葉を紡いだ。
「提督…愛してます──」
愛しいあの人からもらった宝物を確かめる。一筋、涙が溢れた。ぼやけた目で薬指にはめたそれを見る。
呟いた最期の言葉が空に消えると同時に、榛名の艦体は海面へと沈んでいった。
味方の後方支援によって敵が一掃されていくのが見えた。あんなに暗く赤かった空が徐々に晴れていく。海面越しに見た最後の空は、青く澄んでいて、美しかった。
提督はただ立ち尽くした。無線から聞こえた彼女の言葉が信じられなかった。何も考えられなかった。今はただ、これが夢だと願った。夢なら覚めてほしかった。
遠く、どこかで誰かの声が聞こえた。
うるさい。放って置いてくれ。俺は、あいつを助けに行かなきゃ──
「提督!危ないっっ!!!!!!」
轟音、そして鋭い痛み。その刹那、提督の意識は絶たれた──