三日後
「出撃準備はできたか」
工廠の上の階から投げた俺の声に、艤装を装備した艦娘たちが顔を上げる。
昼時、哨戒に出ていた艦娘から、敵影を発見したと報告が上がってきた。前回の出撃から実に一ヶ月ぶりの出撃になる。俺は出撃メンバーを構成したのち、陸奥と大淀に仕事を任せ、工廠まで足を運んできた。工廠は久しぶりに活気に満ち溢れている。艤装の最終チェックを行う整備官らの指示の声が飛び交い、その横で妖精さんたちが所在なくふわふわと浮いていた。
「ええ、いつでも行けるわ」
加賀の声が工廠に響く。久しぶりの出撃でも、彼女は冷静に、その瞳に映る戦意は固かった。いつもの落ち着き払った姿勢のまま、弓を握りしめている。その肩には、加賀によく似た妖精さんが敬礼して立っている。
「よし。では再度、今作戦の概要を説明する」
俺の声は、どこか堅かった。今日、榛名を初めて実戦に投入するのだ。俺は提督として、彼女がどんな結果を残すのか見届ける必要があった。
「先ほど時刻1240に、哨戒に出ていた蒼龍から索敵機に敵影反応ありとの報告が出た。敵の深海棲艦は駆逐艦を中心とする水雷戦隊と予想される。詳しい艦種はわからないが、現状戦艦や空母が出現したという情報はない。出撃部隊は旗艦加賀、以下能代、榛名、響、朝潮、雪風とする。抜錨後、我が隊は南東90km先の列島群を抜け、ポイントαにて加賀に先行の艦載機を送らせる。その後会敵し、これを撃滅せよ。俺が無線通信で直接指揮を取る。尚、緊急の現場指揮は旗艦に一任する。以上。何か質問は」
「……」
特に無いようだ。俺は艦娘たちを鼓舞するために声を張り上げる。
「久しぶりの実戦だ!お前たちの力を疑ってはいないが、くれぐれも油断はしないように。必ず生きて帰ってこい!」
「もちろんです、司令官!」
雪風の元気な声が答える。雪風のいつも通りの明るさに、他の艦娘たちも少し笑顔を浮かべる。
「榛名、緊張しているか?」
榛名に声をかけると、彼女は少しだけ視線を伏せながらも、しっかりと答える。
「いえ、榛名は大丈夫です。戦場に立つのは初めてですが、しっかりと務めます!」
榛名は伏せた目をあげて俺を見る。少なくとも今は、その目に先日のような弱気な感情は無かった。
「よし、それなら行くぞ。暁の地平線に勝利を刻んでこい!総員、抜錨準備!」
能代が最後の確認を入れ、艦隊の空気は一層引き締まる。
「準備、整いました!」
「うむ、では加賀、頼んだぞ」
提督は加賀に視線を向ける。
「任せて」
加賀は短く応える。何かあった時、一番頼りになるヤツだ。戦闘に関して言えば、俺は加賀に全幅の信頼を置いている。
「艦隊、出撃!」
加賀が号令をかけると、艦隊は一斉に動き出す。海面に波紋が広がり、艦娘たちが力強く進んでいく。
指定されたポイントまで来た榛名たちは、少し減速した。加賀さんは背負った矢筒から矢をとり、弓を引いた。大きな弓をしならせながら狙いを定め、放った。瞬間、衝撃波が榛名たちの身体を揺らした。矢は艦載機に姿を変え、空を駆けた。
海の上は異常な静けさに包まれていた。風は穏やかで、雲ひとつない空が広がっている。波の音だけが遠くから耳に届き、この海の静寂を破るような音は何もなかった。艦隊が進行するたび、海面はその静寂を破るように水飛沫を上げた。榛名たちは、そのどこか不気味な海の上で言葉少なに周囲を見渡していた。耳に装着してある無線から前進せよと提督の指示が下る。
榛名は少し不安になって、加賀さんに尋ねる。
「あの、加賀さん。なんだか海の様子がおかしい気がするのですが……」
加賀さんは私をちらりと見て、また正面を向いた。
「敵が近いようね。全員、気を引き締めなさい」
加賀さんが警告したと同時に、波が少し荒くなった。先ほどのような穏やかな風もどこかに、いつの間にか平穏な海とは言えない様子になった。
そして、ついに対面した。薄明かりのように浮かび上がったのは、肌が不気味なほどに白い、人型のナニカだった。
「あれが……深海棲艦」
緊張で喉を鳴らす。
初めて見た敵は、資料で見たものよりずっと恐ろしかった。無線から提督の声がする。
『そうだ。私たちの敵だ。怖がってる暇はない。すぐに戦闘になる。構えろ』
そして、突如として海の中から新たな深海棲艦の艦影が姿を現し、その巨大な身を引きずって動き出した。潮の匂いと共に、空気が張り詰める。
「提督、敵旗艦は重巡リ級、加えて軽巡ト級に駆逐イ級とロ級が2隻ずつだったわ」
提督に敵艦種の報告をする加賀さんが後方に移動し、榛名たちは提督の指示で単縦陣を組む。
榛名の手元で、砲身が震える。目の前に現れた深海棲艦が、海面に波紋を作りながら接近してくる。それを迎え撃つべく、榛名は自らの動きを制御し、冷静に砲門を開く。
『ふむ、予想通りの構成だな──先制攻撃を仕掛ける。加賀は艦攻でダメージを与えつつ、タイミングを計って能代が先行しろ。響たち駆逐艦は敵の陽動と遊撃を行え。速度を活かし、なるべく引きつけろ。そして榛名』
「は、はい!」
『きみの火力はこの作戦の要だ。損傷した敵艦を集中して狙え。演習の通りやればいい。きみならできる』
「……はい!」
提督の命令が下り、榛名はその指示を受けて、しっかりと照準を合わせる。いつしか腕の震えは止まっていた。榛名のことを頼ってくれることが嬉しかった。提督が期待してくれるなら、せめて報いたいと思った。
目の前の敵艦は、まるで動く岩のように重々しく、しかしその体躯に見合わぬ異常に速い動きで迫ってくる。その圧倒的な存在感に、息が止まるような瞬間が一瞬だけあったが、榛名はすぐにその感覚を振り払い、冷静に目の前の敵艦に集中しようとする。
朝潮さんたちが敵の注意を引いてくれている。一体のイ級が能代さんの攻撃を受けて小破した。
『撃ちまくれ!』
提督の言葉を引き金に、榛名の砲門から一斉に砲弾が放たれ、敵艦らの装甲を叩き割る。その爆発音が響く中、加賀さんが空から攻撃し、雪風さんたちが機関部を調整し動力を全開にする。能代さんもその隙間を縫って、巧妙に砲撃を加えていく。
続いて撃った二発目の砲弾がイ級に命中すると、イ級は煙を立ち上らせながら海に沈んでいった。
「や、やった……」
初めて倒せた事実に高揚感を感じる。着任してから二ヶ月、今までさんざん練習してきた動きは、着実に体に染み付き始めていた。
しかし敵艦隊は少し後退したものの、仲間の撃沈を気にすることなく、さらに多くの砲撃を浴びせかけてくる。
「くっ、もう一発!」
榛名は再び狙いを定め、力を込めて砲撃した。発射された弾がロ級の体をかすめ、その背後で水柱が上がった。もう一度撃ち込み、敵艦に命中する。爆発音とともに、ロ級の体は激しく揺れ、次第にその動きが鈍くなっていき、沈んでいった。
「あとはあの重巡だけのようね」
加賀さんの冷静な声が響いた。戦況が有利に進んでいるようだった。他の駆逐艦と軽巡ト級はすでに能代さんたちが撃破したようだ。
リ級は海の底から唸るような声を出しながら、砲門に火を噴かせた。
「来るわ! 回避運動!」
能代さんが叫び、各艦が散開する。榛名もすぐさま舵を切り、迫りくる砲弾を避けた。轟音とともに水柱が上がる。炸裂した水飛沫が視界を覆い、一瞬、世界が揺れる。
榛名は大きく息を吸い、砲を構える。敵艦の姿を捉え、狙いを定める。鼓動が速まるのが分かる。だが、迷いはない。
「──撃て!」
砲撃。炎と衝撃が走る。稲妻のような轟音が海を震わせ、衝撃波が空を裂く。榛名の放った弾が重巡リ級の艦橋付近に被弾し、爆発が船体を揺らす。
「もう少し……!」
だが、敵も負けじと応戦する。再び飛来する砲弾の着弾の衝撃波に視界が揺れる。
「きゃあ!!」
どうやら被弾したらしい。片腕に鈍い痛みが走る。身体を確認するが、損害は軽微だった。
「これくらい、なら……!」
リ級を睨め付け、思いっきり砲弾を放つ。海面ギリギリを滑るように飛んだ弾は、リ級の正面に直撃した。爆煙が海を覆う。
「敵旗艦、大破! 撃沈確認!」
能代さんの声が響く。
榛名は胸の奥で沸き上がる何かを押さえ込み、ゆっくりと息を吐いた。初陣は勝利で終えれた。朝潮さんたちが笑顔で駆け寄ってきてくれた。口々に褒めてくれる。
『榛名、よくやった』
提督が無線越しに称えてくれる。その声に安堵した。榛名の心は期待に応えられた喜びと、戦いの高揚感が入り混じっていた。
壁掛け時計の秒針が静かに進む音だけが、執務室の中に響いていた。
机の上には戦況報告を記した書類が並び、俺はそのうちの一枚を手に取る。視線を走らせながら、指先で軽く紙の端をなぞった。無線を切って5分ほど。今頃、加賀たちは帰投の準備を始める頃だろうか。
「提督、そんな顔をしていたら、帰ってきたあの子たちに心配されるわよ?」
柔らかい声がかけられた。顔を上げると、陸奥がこちらを見つめている。
「……そんな顔をしていたか?」
「ええ、とても。あなた最近、お得意のポーカーフェイスが剥がれかけてるわよ」
揶揄うようでいて、その声音にはどこか優しさが滲んでいた。俺は軽く息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかる。
「初陣だからな。艦娘の初陣の生存率はどの艦種も総じて下がる傾向があるのは知ってるだろ」
「そうね……でも流石の指揮ね。どの采配も的確だった。ふふ、あの小さかった坊やがここまでの指揮が取れるなんて、お姉さん嬉しいぞっ」
陸奥は目を細め、指の腹で俺の頬をぐりぐりと押し込んだ。
「やめろ……煽てなくていい。作戦を遂行するのは提督の義務だ」
陸奥は指を離し、俺に微笑みかける。
「まあ心配してるのはわかるけど……でもちょっとスパルタじゃない?榛名を前に押し出す作戦なんて」
「心配なんてしてない。そのための加賀たちだ。戦闘とは何も一人でするものじゃない。万が一の保険も用意してあった」
「過保護なのね」
「揶揄うな。うちの艦娘の初陣はいつもあんなもんだろう。それに、全ての出撃は万全を尽くさなくてはならない」
あんな経験はもうゴメンだ。彼女が海の底へと沈んでいった、あの絶望は──
「……わかってるわよ。加賀にも既に伝えてるんでしょう?必要最低限の援護にしろって」
「戦闘の真の論理とは実戦でのみ会得できるものだ。初陣だからこそ、経験は必要だからな」
「そう……あなたがこの作戦で何をしたかったのかはわかってるつもりよ。でも……あなたは辛くない?」
陸奥はそっと目を伏せた。俺は間髪入れずに答える。
「辛くないさ」
「あなたは時々、言葉にすることを恐れるでしょ?」
違う。俺は心配されてほしくないんだ。俺はここの提督で、みんなの命を預かっている。榛名のことは忘れられないけど、立ち直らなきゃいけない。それに、言葉にできないこともある。
「でもね、提督──何年、私があなたのそばにいると思っているの?」
椅子に肘をついたまま、彼女は俺を覗き込むように微笑む。
「あなたが何を思っているか、すべてはわからないけれど。でも、その肩に乗るものくらいは、一緒に背負わせてほしいの」
俺は目を伏せ、わずかに苦笑した。
「……きみには敵わないな」
陸奥が得意げに肩をすくめる。そのとき、執務室の扉が軽く叩かれた。
「提督、大淀です。報告があります」
大淀の端正な声。俺は顔を上げる。
「どうした?」
扉が開かれ、彼女が静かに歩み寄る。その表情は、どこか硬い。
「先ほど、正体不明の敵影が確認されたとのことです。セレター軍港に停泊していた艦隊が迎撃に向かいましたが、返り討ちに会い、単艦相手に壊滅寸前まで追い込まれた、と」
「詳細を」
俺は立ち上がり、大淀から簡易的な報告書を受け取る。
「はい──ですが、少し奇妙な点が……」
大淀は慎重な口調で続ける。
「確認された敵影──深海棲艦の一隻が、通常の行動パターンとは明らかに異なるようです。まるで……」
一瞬、彼女の言葉が詰まる。
「暴走状態、のようで……」
陸奥と目を合わせる。嫌な予感がした。