戦闘を終え、艦隊は帰投の針路を取っていた。戦闘の喧騒が去り、海に静寂が戻る。波は穏やかに揺れ、遠くで砲撃の余韻が泡となって弾けていた。
「……帰るわよ」
加賀さんの低い声が、高揚状態の艦隊の空気を引き締める。
「各員、被害状況を報告して」
「朝潮、無傷です!」
「響、問題ない」
「能代……軽微な損傷、行動に支障なし」
「雪風も元気ですよ!」
それぞれの声が無事を確認する。しかし、榛名だけ返答が遅れた。
「榛名さん……?」
能代さんが心配そうに振り返る。
「……すみません。大丈夫、です」
声はわずかに掠れていた。小破した艤装の痛みが身体に残っていた。こんなに痛かっただなんて、思っていなかった。
「今日は初陣だったんです、無理はしないでくださいね」
能代さんがそう言うと、雪風さんが榛名の近くに寄ってくる。
「でも、榛名さん、すごかったです! 最後にあの深海棲艦を仕留めたとき、かっこよかったですよ!」
「……そう、でしょうか」
「うん、хорошоだった」
雪風さんの言葉に続いたのは響さんだった。親指でグッドサインをくれる。そんな風に言われたことがなかったから、少し恥ずかしくなった。
「……ありがとうございます」
「帰ったら間宮さんの甘いものでも食べましょう。糖分は回復にいいし、気分も落ち着くから」
能代さんは柔らかく微笑んだ。
「そうですね……皆さんと、一緒に」
「ええ、そうしましょう。後で提督に間宮券をねだってみます!」
「流石に気分が高揚します」
帰投する艦隊の背後、海は闇に沈んでいく。戦いの余韻はまだどこかに漂っていたが、波は穏やかで、先ほどまでの激戦が嘘のように静まり返っている。だが、その静寂は、いつも不吉なものを運んでくる。
「……待って。何かおかしい」
能代さんの声が低く響く。周囲を見渡し、目を細める。
言いようもない悪寒が襲い、汗が一筋頬を流れる。
その瞬間、海の闇が揺らいだ。
遠方に、不規則な動きをする影が見えた。月光の下、まるで壊れた操り人形のように、蛇行しながら進む異形の影。
「深海棲艦……?いや、なんだろう……あの動き……」
能代さんの声に緊張が滲む。加賀さんも険しい表情で視線を向ける。
「重巡クラス……単艦。索敵に引っかからなかったことから考えて、水中から現れたようね」
敵はまるで迷い込んだ亡霊のように、こちらへと迫ってきた。その動きには、一切の理性が感じられない。
次の瞬間、轟音が夜を裂いた。敵が、何の前触れもなく砲撃を開始したのだ。
「回避!」
咄嗟に舵を切る。だが、敵の砲撃は異常だった。狙いを定めているわけでもないのに、次々と弾を乱射してくる。その砲撃は海面を引き裂き、無差別に炸裂する。
「おかしい……ただの深海棲艦じゃない」
朝潮さんが警戒の声を上げる。榛名も、その異様さに息を呑んだ。
「こっちの様子も見ずに、撃ち続けてる……!」
「提督!こちら能代!新たに敵艦と遭遇!これより戦闘に入ります!!」
「めちゃくちゃだよぉ!」
雪風さんが悲鳴を上げた。
確かに、それは「戦闘」と呼べるものではなかった。ただ、破壊することだけを目的とした、狂った砲撃。まるで何かに憑かれたような、異様なまでの執着。
砲声が、耳をつんざいた。
その姿は、通常の個体と比べても異質だった。体躯は大きく、装甲には無数の傷が刻まれ、ところどころが剥がれ落ちている。腐った体は、一部欠損しており、砲身は焦げ付き、歪んでいた。何より異常なのは、その砲身の数だった。まるで人工的に取り付けられたようで、そのちぐはぐな体はまるで、生きた屍のような姿だった。
だが、その目だけは爛々と光り、ただならぬ執念を孕んでいた。
「……やるしかないわね」
加賀さんが短く言った。逃げれる距離じゃない。それに、数ではこちらが優っている。撤退しながら戦えばかえって被害が増すだろう。加賀さんの言う通り、ここは迎え撃つしか選択肢がなかった。
榛名たちはとにかく撃ちまくった。だが、敵の進行はそれでも止まらなかった。
異形の敵影が、狂気の青い炎を宿したまま、こちらへと突き進んでくる。
「──アァ……アアァ……」
喉の奥から漏れ出る、怨嗟の声。
人語に近い。しかし、その意味は理解できなかった。言葉というよりも、叫び。呻き。哀れみを請うようでありながら、同時に深い憎悪を滲ませていた。
「……っ、くる!」
加賀さんの声が響くと同時に、敵は吠えた。
「──タス……ケ……テ、イヤ、オマエタチ……ユル……」
その言葉の途中で、無数の砲弾が降り注いだ。爆煙が視界を奪い、衝撃が海を震わせる。
「くっ……!」
榛名はとっさに回避行動を取ろうとした。しかし、次の瞬間、強烈な衝撃が艤装を直撃する。装甲が砕け、艤装が軋む。目の前がぐらりと歪み、意識が飛びそうになる。
「榛名さん、大丈夫!?」
能代さんの声が聞こえた。しかしその直後、能代さんもまた砲撃を受けていた。海面に倒れ込んだ彼女の左腕の装甲が剥がれ、艤装の一部が破損している。
『おい!状況はどうなっている!誰か応答しろ!』
提督の声が無線から聞こえてくる。ここまで焦った声は初めて聞いたな、とこんな状況なのにそんな呑気な感想が出た。
「提督!朝潮です!はぐれの重巡と会敵!こんな敵は初めてで──きゃあっ!」
敵の放った砲弾が朝潮さんの足元に着弾した。彼女は高く立ち上がった水柱に巻き込まれ、転倒しそうになった。
「榛名さん、回避行動をとってください! ここは私たちが──」
なんとか体勢を戻した朝潮さんが叫び、前へと躍り出た。
「……ちょっとやばいね」
響さんが低く呟く。いつの間にか彼女の艤装も大きく破損していた。敵は、一切の動揺も見せず、ただ執拗に砲撃を繰り返してくる。もはや理性を持っているとは思えなかった。
「加賀さん、どうします!?」
雪風さんが叫ぶ。
「……全力で退避よ。私が時間を稼ぐ」
加賀さんもすでに小破状態だった。彼女は大きく弓を引き、ありったけの艦載機を出撃させる。
榛名は動こうとしたが、脚に力が入らない。砲塔も沈黙し、戦闘不能だった。
榛名は……もう、戦えない……?
無線の向こうで、提督が必死に指示を出している。仲間たちは大破した榛名を庇いながら戦っていた。それなのに、立つ力も残っていなかった。悔しさが喉を締め付ける。
敵はなお、狂ったように怨嗟の声をあげ、この世の全てを破壊し尽くさんとするかのように暴れ回り、既に榛名たちの目の前まで接近していた。
その時、榛名は見た。
体の至る所から血を流し、腕や顔は掻きむしったかのように爪の跡が走っている。身体の一部が欠損しており、その姿は見るに耐えないほどにやつれ切っていた。
それでも青い炎を宿したその目は血走り、焦点を定めることを諦めたようだった。狂気と憤怒に彩られた瞳。
牙を剥き、黒く濁った波を蹴立てながら迫るその姿は、ただ破壊を欲する怪物のはずだった。
だが──榛名は見た。
滴る海水とは違う、一筋の涙が、その頬を伝うのを。その瞳の奥に微かに滲む哀しみを。
その瞬間──
「……コロシテェェェェェ!!!!!!!!!!」
敵の咆哮が海を戦慄かせた。ビリビリと電気が走ったかのように体に衝撃が走る。
あまりの恐怖に、榛名たちは一歩も動けなくなった。
その直後──
「──!」
何が起きたのか、誰もすぐには理解できなかった。敵は、こちらに向けていた砲口を、自分へと向けたのだ。
次の瞬間、轟音が襲う。爆炎がはじけ、青い血と肉片が飛び散り、敵の身体が崩れる。
「え……?」
朝潮さんが思わず声を漏らした。敵は、自害した。狂気の果てに自らを破壊し、今まさに沈もうとしている。
「な、なんで……」
雪風さんが目を見開く。
「……わからない」
響さんが呟いた。
榛名は、沈みゆくその姿をただ見つめることしかできなかった。
深海棲艦は、最後まで意味のわからない言葉を繰り返していた。
「オマエ……タチ……モ……」
それが何を意味するのかは、わからなかった。彼女の最後の涙がリフレインする。
ただ、沈んでいくその姿は、とても儚く、悲しいものに見えた。
後書きって何書けばいいんですかね...?