湯気の立つ白米の匂いが、ほんのりと鼻をくすぐる。照明の下で、木目のテーブルがほのかに温かみを帯びている。食堂はちょうど夕食の時間帯で賑わっており、奥の厨房では間宮や伊良湖、そして基地の炊事係の職員が忙しそうに立ち働いていた。
「いただきます!」
元気な掛け声がいくつも飛び交う中、榛名は目の前の金剛たちに目を向けた。テーブルには、榛名、金剛お姉さま、比叡お姉さま、霧島が座っている。
榛名は鈴谷さんたちと昼食をとったときのことを思い出していた。
今は金剛お姉さまたちがここに派遣された時の話を訊いている。最初は気にしなかったが、今こうして金剛お姉さまたちと食事をしていると、ふと気になることがあった。
「金剛お姉さま、提督っていつからここで提督をなさっているんですか?」
「ン?テートクは……うーん、と……確か、3年くらい前ネ」
金剛お姉さまは記憶が確かじゃないのか、首を傾げて難しい顔をした。金剛お姉さまの応えに続くように、霧島がメガネを正して答えた。
「そうですね、3年前の4月でした。あの頃、最年少で艦隊指揮を任されたって話題だったんですよ。それがどうかしたんですか?」
比叡お姉様も私の話が気になったのか視線を向けてきた。
「えっと、榛名は提督の人柄とか遍歴とか、全然知らないなって思ったんです。榛名が帰還した時、あんなに取り乱していらっしゃたので、過去に何かあったんじゃないかと……」
軽い気持ちで訊ねた。だが、金剛お姉さまの箸がぴたりと止まる。
「Hmm……そうネ……」
妙に考え込む表情だった。霧島も、比叡お姉さまも、何か言おうとして口をつぐむ。その沈黙に、榛名はかすかな違和感を覚えた。
「……えっと、まあ色々あったんデス! ね、比叡?」
「は、はい!」
比叡お姉さまが慌てたように笑って取り繕う。だが、その反応が逆に引っかかる。
すかさず霧島が比叡お姉様の言葉の後を追う。
「司令は海軍直下の帝国士官学校の卒業生だそうです。あそこは厳しい訓練もあったそうなので、きっと仲間を失った経験があったのでしょう。霧島の分析だと、おそらくそこでの辛い経験がフラッシュバックしたんだと思っています」
なるほど。確かにそれなら昨日の提督の態度にも合点がいく。誰も話そうとしないのは提督のことを思ってのことだったのだと知り、これ以上は聞かないほうがいいと反省した。
そのとき、食堂の入口がざわめいた。
「ほら、さっさと歩きなさいよ」
「わかった、わかったから……」
陸奥さんの声と、それに応じる男の人の声。榛名がそちらを見ると、提督が不機嫌そうに肩をすくめながら食堂へと入ってきた。陸奥さんはその提督の腕を掴んで体ごと引き摺っている。
「まったく……最近ちゃんと食べてないって鳳翔さんから聞いたわよ。缶詰ばっかりじゃ体に悪いでしょ」
「そんなことを言われても俺、書類仕事で忙しくてそんなに食べる時間がないんだよ。わかるだろ?」
「時間がないんじゃなくて、食べる気がないだけでしょ。はい、座る」
陸奥さんは容赦なく提督の肩を押し、席を探そうとした。だが、夕食時の食堂はどのテーブルもほぼ満席だ。
「……こっちしか空いてないわね」
案の定、陸奥が目を向けたのは榛名たちのテーブルだった。
「チョ、チョット陸奥!」
「いいじゃない、別に。ほら。ごめんなさいね、失礼するわよ」
金剛お姉さまが慌てたように手を振るが、陸奥さんは意に介さず、提督の肩をぐっと押して座らせた。提督はため息をつきながらも、観念したように腰を下ろす。
榛名の隣。
肩が触れ合うんじゃないかという距離に座られて、少し緊張する。
軍人らしく短く切り揃えた艶のある黒髪。端正な横顔に引き締まった首筋。思った以上にがっしりとした体つきと、昨夜仄かに感じた提督の香り──
榛名は意識しないようにぶんぶんと頭を振って気を正した。
「……すまない、お邪魔する」
「い、いえ……」
ぎこちない挨拶を交わしながら、榛名はちらりと提督を盗み見た。その左目には眼帯が覆われている。
この空気に耐えられなかったため、とりあえずなんでもいいと話題を持ちかける。
「その、提督……そのお怪我、どうされたんですか?」
気づけば、口をついていた。そして榛名は自分の軽率な言葉を恨んだ。突然怪我のことを聞くのは失礼だった。提督が一瞬、動きを止める。
「……まあ、昔な」
曖昧な返事。だが、榛名は質問を続けてしまった。興味が湧いてしまったのだ。
「それって……リンガに来る前の話、ですか?」
提督がこちらの方を向き、少しの間、榛名を見つめた。暗い、深い色を湛えた隻眼の瞳。表情が読み取れないその瞳は、見ているだけで吸い込まれそうな気がした。
「……ああ」
提督が視線を外し、小さく肯く。
榛名の胸の奥で、言葉にならない何かがざわついた。
「……すみません。無理に聞くつもりは……」
「いや、大丈夫だ」
なぜだろう。
その返事が、どうしようもなく──冷たく感じた。
「はい、ご飯持ってきたわよ。提督、食べなさい」
この雰囲気を払うように陸奥さんが定食を載せたトレーを持ってくる。メニューは榛名と同じ、揚げ豆腐定食だった。
「ったく、お前は俺の母親かよ」
ぼそっと提督が愚痴る。その小さな声を聞き逃さなかった陸奥さんが手の関節をポキポキと鳴らせた。
「何か?」
「いえ、なんでもないです。すみません」
提督は即座に謝り、陸奥さんははぁ、とため息をついた。
そのやり取りを見て、金剛お姉さまたちの間に緩やかな雰囲気が流れた。提督が食事を取るのを見守るような形になり、その状況に提督はちょっとソワソワと落ち着きがない。
「……なぁ、そんなに見られると食べづらいんだが」
「これも罰よ。嫌なら毎日ちゃんと食べることね」
提督は諦めたように肩をすくめた。そのタイミングで榛名は意を決して、もう一つの話題を切り出す。
「昨日の夜のことなんですが……その……ご心配をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした」
そう言いながら、私は少しだけ目を伏せた。あの夜、大破状態で帰投し、無事だったとはいえ、提督や仲間たちを不安にさせてしまったことは間違いない。
「いや……それはこっちこそ、悪かったな」
提督は、どこか居心地悪そうに答えた。多分、榛名に抱きついてしまったことを言ってるのだろう。
「い、いえ!榛名は大丈夫です!それに、別に嫌ではなかったので……」
「Hey!テートク!あれはいったいどういうことネ!ワタシのhugはいつも避けるくせに、不公平デース!」
再び醸し出した気まずい雰囲気を金剛お姉さまが振り払った。
「金剛、きみはいつもタックルしてくるだろう。流石の私もあれは避けなければ腰が危ない」
「乙女にTackleってひどいデース!あれはただのBurning Loveネ!」
金剛お姉さまが頬を膨らませて怒り、提督が苦笑する。霧島や比叡お姉さま、陸奥さんがそれを見て笑っていた。そんな光景に包まれて、榛名もいつの間にか笑みが溢れていた。さっきまでの鬱々とした気分はもうどこかに飛んでいってしまった。酷く単純だが、榛名はみんなが幸せそうに笑っていれば、それで良かったのかもしれない。