また、会えたら   作:teto_rinde

7 / 14
月明かりの下で

 夜のリンガ泊地は、昼間の喧騒とはまるで別の顔をしていた。艦娘たちの笑い声も、訓練の号令も、今はどこか遠く、波音にかき消されている。廊下に敷かれた絨毯が足音を吸い込み、燭台型の灯りが、揺らめく影を壁に映していた。

 俺は執務室を出て、夜の潮風を感じようと足を進める。金剛の言葉が胸の奥にこびりついていて、落ち着かなかった。榛名を避けているつもりはなかった。そう言い聞かせても、自分の態度が彼女にどう映っているかを考えると、言い訳にはならない気がした。

 ふと、廊下の先に人影が揺れる。長い黒髪が、灯りに照らされてゆらりと揺れた。

 

「……榛名?」

 

 声に出してから、後悔する。反射的に呼んでしまった。彼女は小さく肩を跳ねさせ、慌てて振り向く。

 

「あ、提督……! こ、こんばんは……!」

 

 夜気を孕んだ彼女の声が耳に届いた瞬間、俺の胸に鋭い痛みが走る。懐かしい声だった。記憶に染みついた、あの榛名の声音と寸分違わぬ響き。違うと分かっていても、どこかで受け入れられない自分がいる。

 

 俺はぎこちなく歩み寄った。目を合わせることができない。見てしまったら、どうしようもなくなる気がした。

 

「こんな遅くに、どうした?」

「あ……その、少し……夜の空気を吸いたくなって……」

 

 俺は答えず、並んで立ったまま、静かに夜の海を眺めた。以前の榛名も、眠れない日はよく夜風に当たっていた。

 遠く、波が小さく砕ける音が聞こえる。月光が水面を撫で、銀の道を描いていた。空には幾千もの星が瞬き、白く、冷たい光を降らせている。

 

「……さっき、金剛に怒られてしまってな」

 

 沈黙を破ると、榛名が驚いたようにこちらを向くのが分かった。だが、俺は相変わらず前を向いたまま、海を見つめる。

 

「きみが、ここに馴染めず不安になっているって」

「え……」

「多分、私のせいだろうな」

 

 榛名の手が、小さく震えながら胸元で握られる気配がする。

 

「提督として、きみともっと意思疎通をしておくべきだった……不安にさせるつもりはなかったんだ。すまない」

 

 そう言って俯くと、榛名が慌てて首を振る気配がした。

 

「い、いえっ! そんな、謝らないでください……! その……私が、勝手に考えすぎていただけで……」

 

 耳から届く声が、脳裏に染み込んでくる。

 あの時の戦場。無線越しに響いた最後の声。助けを求めるかのように呼ばれた自分の名。轟音。絶叫。鉄が砕ける音と、波間に沈む影。

 あの日から、夜の海が嫌いになった。星明かりに照らされた水面が、何もかもを飲み込んでしまいそうな気がして。

 

「あの、提督」

「なんだ」

「ひとつ、聞いてもよろしいでしょうか」

 

 榛名は喉の奥から絞り出すように声を発した。

 

「……ああ、なんだって聞く」

 

 そんな俺の言葉を聞いて、ぐっと喉を鳴らす音が聞こえた。大きく厚い雲が月光を遮って、俺と榛名の境界線を一層深く縁取っていく。

 

「榛名……ちゃんと、提督の、ここの役に立てているでしょうか?」

「何を言ってる」

「……だって、榛名、私はまだ、新しく建造されたばかりで……演習でも、皆さんに助けられてばかりで……」

 

 声が弱々しく揺れる。視線を向けられているのが分かったが、俺はやはり、彼女の顔を見ることができなかった。

 

「はぁ……榛名」

 

 俺は拳を開いては握りしめる。そうして薬指に嵌めたままの指輪を榛名に見られないように、ポケットに手を突っ込んだ。

 

「きみは自分には価値がないとおもていると思っているらしいが、それはとんだ思い違いだ」

「え……?」

「少なくとも私は、きみが……榛名がこのリンガ泊地に来てくれたことを、無駄だとは思っていない」

 

 榛名が小さく息を呑んだ気がした。俺はまだ彼女の顔を見れない。

 

「それに、建造されて2ヶ月なんだから、周りよりもできなくて当然だ。そこまで気に病まなくていい」

 

 それだけを告げると、彼女の気配がふっと静まった気がした。肌に纏わりつくかのような湿った夜の潮風が、俺と榛名の間を吹き抜けた。雲の狭間から月の光が漏れ出る。降り注いだ月光は、再び俺たちの影を伸ばした。

 

「……ありがとうございます」

 

 小さな声が、微かに震えていた。俺はただ、目を閉じ、生ぬるい夜気を肺に満たした。

 夜の海は、今日も何も言わず、ただ静かに波を寄せては帰っていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。