また、会えたら   作:teto_rinde

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叶わないと知っても

 夜の蒸し暑さはようやく和らぎ、朝の空気がほんのわずかに冷たさを帯びている。とはいえ、湿度は高く、今が暦の上で冬だろうが身体にまとわりつく熱気は消えない。リンガ泊地の朝は、いつもこうだ。

 俺は誰にも告げず、ひとり基地の裏手へ向かっていた。まだ陽が高くないせいか、兵舎からグラウンドに続く道を歩く者はほとんどいない。軍靴が土を踏みしめる音だけが響く。そうして道をはずれ、鬱蒼と茂る林の奥へ5分ほど進むと、やがて視界が開け、潮風の吹き抜ける高台に出た。

 

 そこには、一つの墓標がある。

 

 その前に、誰かが置いたのか、小さな白い花が供えられていた。潮風に煽られ、今にも散りそうなほど頼りない花だ。

 

「おはよう、榛名」

 

 独り言のように呟く。

 今、俺の声を聞いてくれる人は、もうここにはいない。それでも、無意識に口を開いてしまう。こうしてここに立つたび、何を話せばいいのか分からなくなる。とりあえず、いつものようにたわいも無いことを呟く。

 陸奥が最近お節介すぎるとか、このまえ時雨が勝手に山城のケーキを食べてしまい、一時間も怒られて半泣きだったとか、比叡の作ったカレーを食べてうっかり逝ってしまうところだったりとか。

──榛名がまたここに来たこと、とか。

 

「なあ……俺は、どうすればいいんだ?」

 

 深い溜息とともに問いかける。

 たまにわからなくなる時がある。

 この前着任した榛名は、俺が知る榛名なのか。それとも、ただの別の艦娘なのか。瓜二つ、いや、建造できるのだから、細胞レベルまで同一人物な可能性だってある。そんな彼女を前にすると、榛名が、きみが死んだとはとても思えなくなってしまう。

 俺は何を求めているのか。

 

 過去を忘れ、新しい彼女を受け入れ、これからは戦友としてやっていくべきなんだろうか。それとも、かつての榛名を捨てられずにいる自分を責め続けるべきなのか。

 

「ふ……馬鹿みたいだよな」

 

 脆弱な神経だと思う。

 軍人として、提督として指揮を取り始めた頃から、別れは覚悟していたはずだった。俺たちは勝つか負けるかの戦争をしている。誰も死なずにハッピーエンドなんて最初から期待してなかった。

 だが、榛名がいなくなって、そんな覚悟は俺のただの強がりだったのだと知った。俺は、俺が思っていたよりずっと弱い男で、ダメな男だった。

 

 ボートの上で爆風に巻き込まれ、その後病院で目を覚まし、榛名がいなくなってしまったことを思い出した時は、逃げ出そうと思った。全てを置いて、過去にしたいと思った。だが、俺は一抹の希望に縋ってしまった。

 艦娘は、同じ個体が二人同時に存在することはない。魂が一つなら体も一つ。轟沈すれば、また建造で出現するようになる。今までの記憶を全て失って──。

 かつて日本政府は海軍を使い、艦娘を量産しようと国家予算の数%を投入したが、ほとんどが無駄に終わった。記憶の保持に関する研究も長年行われてきたが、権威のある学者が論文で出した結論は俺にとって認めたくないものだった。

 

 だが俺は諦めきれなかった。もしかしたら、記憶を持ったまま生まれ変わってくれるかもしれない。

 そんな叶わない望みを頼りに、俺は提督を続けることを決めた。だが、現実は非情だった。

 そして、叶わなかったと知った今でも、俺は同じ姿をした榛名にきみを重ねてしまっている。それが彼女にとって重みになっているのは理解していた。なのに放置した。まるで子どもみたいだ。

 

 こんな軟弱な男が、みんなの命を預かる提督でいいのだろうか。

 

「なぁ、榛名……」

 

 問いかけても、当然ながら返事はない。ただ、海風が強く吹き、潮の匂いが鼻を掠める。ずっと俺の中にある懊悩。この問いには、簡単に答えを出せる自信がなかった。

 

「……また来るよ」

 

 それだけを言い残し、踵を返す。

 林を抜けた先には、朝日を浴びる基地の建物が見えていた。軍港にはすでに活動を始め、ランニングを始めた艦娘たちの姿がある。この朝の風景も、いつもと変わらない。

 だが、俺の胸の奥に沈むものは、未だ晴れそうになかった。

 

 

 

 執務室へ戻る廊下を歩きながら、俺は未だに考え込んでいた。高台で投げかけた問いは、やはり答えを得られぬまま宙に散って消えた。

 そんなときだった。

 

「……提督?」

 

 かつて聞き慣れた声に、廊下の向こうから呼びかけられた。顔を上げると、そこには榛名がいた。少し緊張した面持ちで、両手で鞄をしっかりと抱え、こちらを見つめている。彼女が着任してから、俺は初めてしっかりと榛名の顔を見た。その表情は、寸分違わず紛れもない”榛名”だった。

 何も言わずに立っていると、彼女から切り出された。

 

「……昨日は、突然すみませんでした」

 

 彼女はそう言って、深く頭を下げた。

 どんな言葉を返すべきか、一瞬迷う。昨日出会って、それからこんなにすぐに出会うとは思わなかったから、果たしてどういう態度をするべきか逡巡する。昨夜、彼女と話したこと、そして今朝、墓標の前で抱えていた迷い──その狭間で、どう接すればいいのか分からなくなっていた。

 

「いや、いい、気にするな……これから座学か?」

 

 気がつけば、そんな言葉が口をついて出ていた。

 榛名は驚いたように目を瞬かせる。俺が雑談を投げかけたのが意外だったのだろうか。まるであらぬ方向から攻撃を受けたかのように、一瞬言葉を失い、そして慌てたように口を開いた。

 

「あ……はい! あの、海洋上の戦術論と、艦隊行動についての……」

 

 しどろもどろになりながら今日習う授業の説明をする彼女の姿を見て、俺は少しだけ口元を緩めた。胸の痛みの奥に、少しだけ懐かしさを感じた。

 

「そうか、励めよ」

 

 俺はいつか告げた言葉と同じものを短くそう言うと、榛名はハッとした顔をして、それからふわりと微笑んだ。

 

「……はい!」

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