元生徒たちは青春物語の夢を見るか?   作:転倒

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今回は筆が暴走して第一話の雰囲気が戻ってきました。


ヘリオーポリス

 保護歴一二五年一月一六日。地下某所。

 沈黙が支配した空間で、呼吸音や筆記音が際立って耳に残る。十二生徒とその側近たちは、ただ静かに救世主の到来を待っていた。

 いつもは煩く軋む扉が、その瞬間は物音一つも立てずにその人を迎え入れる。

「〝みんな、揃っているかな〟」

「……先生、お待ちしておりました」

 ナギサ補佐の言葉は空気中に響かぬまま溶けて消えた。まるでどこかへ吸い込まれでもしたかのようだった。

「キキ……ようやくのご帰還か」

「〝ごめんね、帰りが遅くなっちゃって〟」

「それで、保護者暗殺はどうしたんだ。まさか生徒だからと情けをかけ、土産もなしに帰ってきたわけじゃあないな?」

「〝本気で殺そうとしたよ。でも、私の刃は届かなかった。失敗した後は罪人として幽閉されて……なんとか隙をついて逃げてきたんだ〟」

 そのことについて疑う生徒はいなかった。劇的に変化した容姿が、先生の経験した出来事を感じさせている。

 なにがあったのかを物語ることはしない。ただ静かに、想像の域を超える恐怖を伝えていた。

 保護者に楯突けばどうなるのか。彼の顔を一目見るだけで説明としては十分だった。

「〝でも、収穫はゼロじゃない〟」

 

[大人のカードを取り出す]

 

 ポケットから取り出されたそれは、明かりの少ない部屋の中で煌々と輝きはじめる。

「な、なんだこれはっ」

「ふしぎ……とっても(あたた)かいです」

 カードの放つ光が生徒たちの身体にまとわりつく。ただの白い輪っかだったヘイローは、徐々に元の形へ回帰した。

「〝カードを使って、みんなの神秘を再現させているんだよ〟」

 再びポケットにしまわれた途端に生徒の輝きは失われていく。ヘイローも白い輪っかに戻ってしまった。

「〝土産はこれで満足かな?〟」

 マコト議員は黙する。それは、必ずしも不満がないことを意味するものではなかった。しかし事実として、彼女は認めざるを得なかったのだ。

「それで、緊急会議はこれでお開きか」

「いいえ。まだ議題は残されています」

 

 次の議論に移行する合図として、小槌(ガベル)を軽く打つ。

「これより、マコト議員の不信任決議を執り行います」

「……な、なにーっ!」

 まさしく鳩に豆鉄砲。どうやら、豆と称するには少々威力が大きいようだったが。

「ど、どうしてだぁ! 私のどこが信任できないというんだ!」

「これからその理由を提示していきますので、反論があればそのときにどうぞ。その後に皆さまから表決を取り、不信任の可否を決定いたします」

 動揺する一人の議員を置き去りに会議は淡々と進む。

「一つ、ゲヘナが管轄するG区の治安悪化」

「……それはどこも同じじゃないか、先生が居なくなった影響によってな。私たちはできるだけの治安維持に努めた。むしろ、その責任の所在は先生や代理だったカヤ顧問にあるとは思わないか?」

「たしかに、治安悪化は全地区で共通の問題でしたね。ですがG区はその中でもかなり顕著でした。ミレニアムなどの特筆した武力を持たない共同体と異なり、治安部隊があるにも関わらず、です」

「ゲヘナは自由と混沌を重んじている。よその共同体にとやかく言われる筋合いはないだろう」

「では、G区が犯罪組織の隠れ蓑となっている現状については? ヘルメット団を筆頭とした不穏分子によって他地区の秩序が脅かされるのであれば、この問題はG区内だけに留まりません」

 進もうとする会議をどうにか踊らせようとするも、マコトの思惑は通らなかった。

「一つ、犯罪組織への情報供与の疑い」

「待て待て。さすがにそれは言い掛かりじゃあないか。私が犯罪組織と手を組む動機も、情報を流したという証拠だって──」

「先週、T区で起こったトリニティ・シャーレ同時襲撃事件。トリニティとシャーレの本部がヘルメット団の大規模攻撃を受けました。これら施設の位置は本来であれば秘匿され、幹部以上の生徒でないと知り得ません。そのうえ、彼女たちは私が不在である日を狙っていました。私がG区へ会談をしに行ったことを知る者は、私とあなた、そして両共同体の幹部に限られます」

「なら、私以外の容疑者だって何人もいるじゃないか」

 マコトの言い分はもっともである。会談の予定を前もって知っていた生徒は九人。自ら首を絞めるような動機がないナギサを除けば八人。

 ナギサの側近が裏切った可能性も、マコトの部下が独断で行った可能性もある。

 しかし、現状で明らかな動機があるのはマコトだけだった。普段からナギサを目の敵にしていることも、シャーレを目の上のこぶと捉えていることも、この場にいる十二生徒の誰もが知るところだ。

「──では、表決を取りましょう。生徒一同、テーブルの上に片手をお出しください。マコト議員の不信任に賛同の方は手の平を、反対の方は手の甲をお見せください」

 ──キキキッ、キャハハハ! これでこのマコト様を追い払えると思っているのか? ここには、私を支持する者もいる。ナギサ、不信任が否決された後は私から仕掛けてやろう──

「賛成が十一、反対が一、棄権が一。過半数議決の原則に基づき、マコト議員の不信任決議は可決されました」

「な、な、な……なんだとぉぉぉおおおっっっっっ!」

 悲しいかな、彼女が思っていたよりも人望はなかった。

 十二生徒はナギサ派とマコト派に別れている。が、このマコト派というのはあくまで反ナギサ派。ヘルメット団との関わりを疑われれば、まあ見切りをつけられて当然である。

「〝ちゃんと反省しようか〟」

「くっ、くそぅ……このマコト様が……」

「〝となると、ゲヘナから新しい代表を一人選ばないとかな〟」

 皮肉にも救いの糸は先生の手から垂らされた。マコトはその糸をたぐり寄せ、必死に掴もうとする。

「なら、イロハはどうだろうか。我がゲヘナの有力な議員だ。私の後釜には最適な人材だと思うが」

「〝なるほど。イロハはそれでもいい?〟」

 先生はマコトの背後に目をやった。赤毛の少女が、小さなため息を吐く。

 ──仕方ない、この座は一度退いておこう。だがイロハが就けば不幸中の幸いだ! イロハを通してその座から引きずり下ろしてやるぞ。そしていつか、この座に返り咲いてみせる。キキキッ、キキ、キャハハハ──

「いや面倒くさいので辞退します」

「な、なぜだーーっ!」

「面倒くさいからですよ」

「〝そっか。じゃあ代わりは……〟」

 手をピンと伸ばす少女が一人。

 クリーム色にも近いその金髪の間から二本の角がちらりと見える。皮膜の張った翼をパタつかせ、尻尾は先っぽで空をこねるように動いていた。

「イ、イブキ……?」

「マコト先輩。私もちゃんと成長したよ。先輩たちに守られてばかりじゃいけないと思うの」

 またまた動揺するマコトは蚊帳の外。イブキの立候補に異を唱えるゲヘナ生徒はいない。

 結局、次回の会議からは彼女がゲヘナ代表として出席することで話はまとまった。

「ううっ、イブキィッ……」

 ──立派に育ったな、イブキ……私は気付いていなかった。いや、気付かないフリをしていたのかもな。すでに、私の手から離れていたことを──

「すごい感傷に浸ってますね。まるで親みたいに」

「──そうか、私は母だったのか」

「違いますが」

 

 その後、会議は滞りなく進行する。緊急ということもあって議題の数は平時よりも少なく、いつもより早く終わりを迎えようとしていた。

「最後に何か、連絡のある方はいらっしゃいますか」

「〝……なさそうだね。じゃあ〟」

 先生の締めを遮って一人の生徒が手を挙げる。少女は様子を窺うように先生(□□□)の顔を覗いた。

「〝なにかな、カヤ〟」

「これを聞いてください」

 カヤの手で円卓に置かれたその装置はボソボソと呟く。アンテナらしき触覚を広げると、次第にか細かった電子音声が張り上げられていく。

 

〈保健局ヨリ、キヴォトス全市民ニオ伝エシマス。二月カラ健康診断ガ義務化サレマス。流動者モ固定者モ、必ズ受ケマショウ。各地デ実施サレル予定デス。診断奉仕係ノ指示ニ、必ズ従イマショウ。繰リ返シマス。二月カラ健康診断ガ──〉

 

「これは……」

「今朝の定期供給に入っていたものでした。全地区でこの装置が配られているのかは調査中です」

「固定者も必ず、か」

 これまで固定者に義務はなかった。代わりに与えられたのは、触れることのできない透明な抑圧。

 迫害。暴力。教育の放棄。

「保護府に従う義理などない!」

「じゃが、過去に例を見ない妾たちへの義務。安易に従うのはみなも不服やもしれぬが、頑固として従わぬのも悪手じゃろうて」

「その通りね。罠の可能性も考慮すべきだけれど、無理に反抗してしまっては学連の排除に繋がってしまうかもしれないわ。まずは、地上でも同様の〈健康診断〉があるのかを調べるべきよ」

「あっちがその気ならやってやろうじゃないか。我々には先生がついているんだ。守護者程度は軽くひねり潰せるだろう」

 生徒たちの議論は熱を帯びていった。そんな中、カヤは先生の目をじっと観察する。

 リン局長が言っていたとおり、光はなかった。しかし(くま)は消えていて以前より元気そうだ。

 その目がどこを見ているのかは分からない。少なくとも、ここではないどこかを見据えているように思わせる。

「先生はどう思いますか?」

「〝んー、警戒しなくていいんじゃないかな。地上の義務法には市民に害のあるものはなかったし。気になるようなら、私が調べてくるよ〟」

 これ以上のない妥当な返答。先生らしいと言えば先生らしい。

 

 健康診断に関しては先生による調査のもと、問題がなければ彼らの診断に付き合うように──そう結論が出ると、先生が復帰してから最初の会議はその幕を閉じた。

 ウレタン製のハンドルを握りしめ、その横で目をぱっちりと開かせる先生。

 ──大切なものは失ってから初めて気づく、とはよく言ったものですが。いざ取り戻してみると、そう大したものではなかったと思い出してしまうようですね──

 カヤはそんなことを考えながら、ペダルをゆっくりと踏む。

「〝運転、他の人に頼んでもいいんだよ?〟」

「なら私ではなく他の人を頼ってください」

「〝えー〟」

「えーじゃありません」

 建物は次から次へと変わっていくのに、風景は空中に放たれた矢と同様に止まっていた。

 先生はあくび一つせず、助手らしく振る舞う。

「眠くないんですか」

「〝助手席で寝てたら、気が散っちゃうでしょ?〟」

「……それもそうですね」

 そんな他愛のない会話を続け、ほどなくして地下図書館の付近に着いた。

「〝送ってくれてありがとう〟」

「はいはい。この後は地上ですか」

「〝調査もあるけど、協力者としての仕事があるからね〟」

「そうですか。では、行く前に一つだけ」

 そう言って少女は彼の肩を抱き寄せる。シートベルトを外す暇も与えない。

 理性的で静かに、それでいて激情を思わせる乱暴な仕草で、彼の唇を奪った。

 彼は無理に抵抗することなく、ゆっくりと肉体を引き離す。

「〝……カヤ。こういうのはよくないと思うな〟」

「私が生徒だからですか」

「〝私が先生だからだよ〟」

 カヤの行動を先生らしく窘める。そして、先生は車を降りて路地の影へと消えた。

 その背中を見送ると、顧問は通信機を取り出す。

「リン局長」

〈──先生はどうでしたか〉

「いやぁ、まったく。完璧に先生でしたね。非の打ち所がありません」

〈言い方を変えましょう。あれは、マイスター・エックハルトですか〉

「……エック先生は、先生を演じていました。心のどこかでは私たちを見下していて、なのに私たちの助けになりたい、そんな矛盾を抱えた……不器用な人ですよ」

 唇を指先でなぞる。お互いに触れ合ったあの刹那の感触が、指の間から漏れる砂粒のように失われていく。

「あれはエック先生ではありません」

 

 

 

 キヴォトスの細胞は列を寸分も乱すことなく各々の奉仕に従事していた。

 ここ記録局ではとくに、協力者たちが忙しなく動いている。

「主任、休養を取りたいのですが」

「──ああ、ヘンリーか。そこに置いておけ。後で確認しておく」

 毛むくじゃらの奉仕員は上司の言葉に従って必要事項が記入されたチケットを机に置く。紙には、来週の日付が書いてあった。

 

 保護歴一二五年二月二日。地上A区近郊。

 ヘンリーは車を停め、短い両足で器用に着地した。寂れたビル群にひび割れたアスファルト。閑散とした空気を思いきり吸ってみる。

「すぅ……ごほっ、ごほっぁ」

 空気に混じった砂埃が彼を襲った。しばらく咳き込んだ後、胸を撫でながらここに来た理由を思い起こす。

 小物類で膨らんだポケットの中から、くしゃくしゃのメモ書きを取って広げた。

〈二月二日 A区 跡地 旧式 徒歩……〉

 指示通り、ここからは歩きで向かうことにした。記録局に身を置く者であれば、「跡地」がどこを指しているのかは分かる。

 代わり映えのしない景観が続くこと十五分。寂れたビルが建ち並ぶ中、ぽっかりと空いた土地が視界に入った。

 覚悟を決め、ヘンリーは草一つ生えていない砂地に足を踏み入れた。膝を屈ませ地面に手をついて在り処を探る。

 ヒントはあの三つのワードのみ。旧式が何を指すのか、跡地は何の暗喩(メタファー)なのか。すべてが作り話の可能性もある。

 彼の手は止まらない。作り話だとしても、これが最後の希望だからだった。

 すると、なにやら冷たい感触が指に伝わる。砂を掻き分けてみると鉄製の地面が出てきた。

 四角形に取っ手をつけたもの。メモに書いてあった旧式という()()()()()熟語。それらが意味することは……。

 

 キィ、キィィッ。

 

 穴の中に砂粒が落ちていく。ヘンリーは固唾を呑み、暗闇に満ちた底へと下りていった。

 梯子を掴んで慎重に下る。一分もせずに足が底についた。

「やあ、待っていたよ」

 闇の中から声が聞こえた。不気味なことに、それ以外は何も音がしない。ヘンリー自身の呼吸音だけが孤独に漂う。

「お前がプレナパテスか」

「私が? ははっ、違うよ。それに、あの人はここにはいない。数多ある支部の一つに過ぎないんだ。本拠地は別にあってね。と、言っても〝今の私〟はどこにあるのか知らないけど」

 コツン、コツン。靴音が一音ずつヘンリーの耳元に届く。どうやら彼らはずいぶんと用心深いらしい。拠点の座標まで外付け保存にして尋問対策を施しているのだ。

「あのメモ書き。あれは記録局の人間の書き方だ。『旧式』という単語も、データベースには存在しない……いや、()()()()ものだな」

「ほう。では、どうやってあれが扉だと気がついたんだい」

「重要なのは、俺じゃない。扉そのものだ。俺の認識に関わらず、扉は扉であり続ける」

「唯物論的だな。気に入った」

 声の主はヘンリーに何かを押しつける。ズッシリと重いそれを慌てて手に取り、その物体にぺたぺたと触れてみた。

 ──箱。いや違う。直方体だ。少し薄くて平べったいな。狭い面はそれぞれ違う材質か。一面だけ、広い面と同じ感触。それ以外の狭い面は同じ感触──

 まるで初めて玩具を触る生まれたての人間のように、両手で振ってみたり、傾けてみる。

 バサッ。その直方体は急に音を立てて崩れた。金具が外れたわけではない。ヘンリーは落ち着いて状態を確かめる。

 広い面同士の対応する一辺が離れ、その対辺は離れずに固定されていたのだ。崩れてはいない。いわゆる「開いた」状態。

 安心を得ると、ヘンリーは臆せずその物体に触れ続ける。中にあった広い面は肌触りが狭い面と同様のものだ。

 外と中で材質が異なるということは、外はいわば中を守るための殻。つまり、この物体の本質は中にある。

 おそるおそる中を触れる。ザラザラとした段差に爪先を引っ掛けると、ペラリとめくれた。

 ──これは、紙か──

 指先で一枚一枚めくる。その紙は途方もなく積み重なり合っていた。

 ──どうしてこんなに紙を重ねる必要がある? 何か書かれているのか? いや、こんな媒体は知らない。仮に紙一枚に文字をびっしり書いたとして、百枚でもたかが十数万文字だ。あまりにも非効率的。考えろ、そこから導き出せるのは──

「……まさか、これが本なのか」

「勘が鋭いね。ますます気に入った」 

 声の主はすかさず本を取り上げる。あまりの唐突さにヘンリーは呆気に取られてしまった。

「くれないのか?」

「頭を冷やしたまえよ、唯物論者。現代には存在しないはずの本という媒体を、我々は所有していると君に教えたんだ──これで我々の誠意は十分。なんにせよこんなデカブツ、持って帰っても隠しようがないだろう」

 ヘンリーは不服の感情を抱える。声の主の言い分も理解できたので、口は出さずに黙ることにした。

 十秒と経たずに、声の主はまた何かを渡した。今度は軽い。一本の鉛筆と、五枚の紙切れだった。

「今この時をもって君は〈神の癌〉の一員だ。神の癌は、君に重要な任務を与えよう。支部の位置を記した紙を何人かに渡してほしい。渡す人物は慎重に選んでくれよ」

「それだけか」

「ああ、それだけだ。しかし命懸けさ……記憶の連続性を人格の同一性とみなすなら、だがね」

「その回りくどい言い回しをやめろ。何が言いたい?」

「失敗すれば記憶処理が待っている。君は自分が何者であるのかを永劫に忘れ、働きアリとしてせっせこ働くわけだね」

 その言葉に全身が身震いする。記録局の人間なら、抹消の恐ろしさを知らない者はいない。

「わかった。だが、こんなことに意味があるのか」

「もちろん、これをしたところで次の瞬間に保護府が打倒されるわけじゃない。こう考えればいい、我々は癌細胞。消しても消しても増殖をし続け、やがて宿主さえ飲み込む、そんな存在なんだ」

「ガン……」

 声の主はそういった言い回しが好きらしい。旧文明を嗜んでいると、こうも非合理で情緒的になるのだろうか。

「プレナパテスは記録局所属なのか?」

「残念なことに、質問は受け付けていなくてね」

「こちらも命を懸けるんだ。一つや二つはいいだろ」

「……うん。それもそうだな」

 ボフッと音がする。おそらく、声の主はソファーにでも座ったのか。ヘンリーは立たされたままだった。

「プレナパテスは、純協力者の一人だ」

「はぁっ?」

「おっと、唯物論者もそこまでは予想できなかったかい。彼、昔は教授をやっていてね。この世界の在り方に疑問があったんだ。それで協力者を目指すことにした。彼は名誉試験を乗り越え、記録局でキャリアを積んだ。晴れて純協力者の仲間入りをしたが、そこで待っていたのは恐ろしい真実!」

「その真実を知って、彼は保護者を裏切ったと」

「もし、君が無事に任務を終えたらその真実についても教えてあげよう」

「……なあ、もう一ついいか。俺は『君』でも『唯物論者』でもない。俺の名はヘン──」

 その不用心な口を、大きく冷たい金属製の手が塞ぐ。

「それ以上はやめておけ。同胞だからといって不用意に素性は明かしちゃいけない。君の名は、そう……マテリアリストだ。私のことはレトリックとでも呼んでくれ」

 声の主、レトリックは言い終えると手を下げてまたソファーに戻った。

「さあ、マテリア。用は済んだな──」

 その後に「さっさと帰れ」と命令形がつきそうな口調で、新入りのご帰宅を促そうとする。

「お前はここに居て大丈夫なのか」

「BCFを破壊したんでね。私は存在しない亡霊というわけさ」

「……そうか」

「なんだ、自分もそうしてほしいのか? 悪いことは言わないが、ここじゃオイルを差すのだって満足にできない」

「俺は獣人だ」

「知ってるさ。さっきこの手に抜け毛がついてね……この毛の感じなら、チワワ族か。注意しておけ。短毛種は痕跡が残りやすいからな」

 レトリックがそれ以上口を開くことはなかった。声を掛けても、その音がただ暗闇の中で静かに木霊するだけだった。

 梯子を登って外に出ると、光と共に煩わしい表示が戻ってくる。ここでようやく、地下ではBCFが機能不全に陥っていた事実にヘンリーは気づいた。

 どんなカラクリで電波妨害をしてみせたのかは分からない。一つ分かることは、神の癌には保護府と敵対できるだけの技術力があるということだ。

 

 ベッドの上で、何度も目をぱちくりとさせ、瞑る。

 あの暗闇を思い出す。抑圧、背徳、原始。

 しかしヘンリーは自分の目的を忘れていない。彼は悪戯に旧時代への回帰を求めてなどいなかった。

 ──思考を伴わない、データベースに左右されない、唯一不変の真実──

 手を開いては閉じ、閉じては開く。あのときの感覚がまだ握られていた。

 データにはない肌触り。確かにそこにあるという実感。

 ──今度会ったら、題名だけでも聞いておこう──

 

 

 

 トレーの上に乗せられた飯をかっくらう。スープが口元を汚し、それをナプキンで拭く。

 拭いては汚れを繰り返す日々。

「隣いいかな、ヘンリー」

 顔の皮膚を垂らした同僚がつぶらな瞳で話しかけてくる。ヘンリーは一瞬だけ目を合わせるが、頷きもせずに食事を続けた。

 その様子を見ていつものように同僚は席につく。鼻息を荒くしながら、ペチャペチャと食い進める。

「もぐ……ねぇ、ヘンリー」

「食べながら喋るな。飛び散る」

「ご、ごめん……そういえば、明日だったっけ。健康診断ってやつ。最近、呼吸が辛いし診断でなにか出るかもなぁ」

「……」

「あと、最近噂になってるよね。あのーなんだっけ……そう、プレナパテスってやつ」

 ヘンリーは一瞬だけ手を止め、またすぐにスプーンを口に運んんだ。

「データベースには『保護府設立の立役者でありながら、保護者に背いた裏切り者』ってあったよ。今でもその名を継いだ人間が、協力者の内部に潜んでいるって話だし」

「……お前は興味あるのか?」

「うーん、別に……今の生活に不満はないから。多分、彼は不満があったから永劫平和に背いたんでしょ。絶対に譲れないなにかがあってさ」

「あまり大きな声で敵対者の肩を持つような発言はするな」

「う、それもそうだ。うかつだったね」

 ヘンリーは口を拭き、空になった食器に対して手を合わせる。それを見た同僚も急いで咀嚼するが到底間に合いそうになかった。

「メル」

「ん、どうしたの(おうひはほ)?」

「……なんでもない」

 素っ気ない返事を残して彼はさっさとトレーを返却しに行った。

 同僚はその背中を見送る。何か声でも掛けようかと声帯を振り絞るも、出たのはおくびの音だけだった。

「はぁ……あれ」

 トレーを動かすと、その裏から一枚の紙が出てきた。用紙の切れ端程度の小さな紙だ。

 ヘンリーの忘れ物かと同僚は慌てて廊下に飛び出したが、あの小さなシルエットはどこにも見当たらなかった。

 ふと、同僚の好奇心がくすぐられる。心の中でヘンリーに謝りながら、丁寧に折り畳まれた紙を広げてみる。

〈工場 立ち入り 廃棄……〉

 しっかりと刷られた語群の横に、ミミズが這った跡のような文字が書かれていた。

〈あのころのじょうねつが、まだこころのなかにあるのなら〉

 

 ヘンリーに渡された任務も、残すところあと一枚だった。しかし急いてはいけない。下手をすれば支部一つが壊滅もあり得るリスキーな賭けなのだから。

 ──だが、レトリックが居た支部をみるに、支部には基本少数人なのかもしれない。多くても一カ所に二桁はいないだろう。その分、支部の数は相当か──

 消される数よりも増える数が多ければいい。単純だが一理ある作戦だ。

 多くの屍を足場にして、癌細胞は増え続けていく。

 自分はそんな屍の一つに過ぎない──そんな予感が、ヘンリーの心のどこかにあった。

 明日にはレトリックもヘンリーも記憶処理が施されているかもしれない。真理を忘れ、ただ本能に従って働き食い寝るような、そんな存在に矯正されるかもしれない。

「お時間よろしいでしょうか」

 そしてその明日が、今この瞬間に訪れないという保証はない。

「……なんでしょう」

「最近、取り締まりが強化されましてね。市民の方々に協力してもらっているんです」

 ビル風が強く吹きつける。協力者専用歩道橋の上で、ヘンリーは下の歩道を目視で確認した。

「プレナパテスの件ですか」

「よくご存じで。彼が運営する組織に唆される人も多いんですよ。潰しても潰しても湧いて出てくるんですから、守護者(われわれ)としても困ったものですよ」

「ちなみだが、その市民に俺は該当するのか?」

 ロボットはニッコリとした顔を頭部モニターに出力したまま黙っていた。一歩ずつ、また一歩ずつと近寄る。

 ヘンリーは下を覗いた。道には車を持たない流動者たちで溢れている。

「この時間帯はちょうど下が混んでいるな」

「──おい、待て!」

 その静止よりも先に彼の足は歩道橋と別れを告げた。守護者は走って彼の姿を目で追おうとしたが、その影を捉えることはできなかった。

「どうせ逃げる場所なんてない。自宅を封鎖して──」

〈緊急事態。A区の福楽省にて襲撃事件発生。現場付近の守護者は至急現場に向かえ〉

 胸元の無線機からやかましく音が鳴る。守護者は〇・五秒の葛藤の末、福楽省の方向に走った。

 

「はっ……はあっ……」

 痛む足を引きずりながら、人気のない路地裏を彷徨う。鳴り響くブザーが鬱陶しく鼓膜に張りついた。

 息を切らしながらも壁を支えにして走り続ける。

 ──レトリックのところへ……ダメだ、俺を匿ったせいで巻き込まれるかもしれない。俺一人で済む犠牲を下手に増やしちゃいけない。ならこのまま野垂れ死にか……クソッ! そもそもどうしてバレた? 紙を渡した連中が密告したのか? じゃあ、まさか──

 動揺する意識の中で、余計な思考ばかりがリソースを食っていく。ヘンリーはあてもなく奥へ奥へと進んだ。

 ──いっそのこと、固定者の居住区にでも行ってしまおうか。尊厳もなにもかも棄てれば野人と暮らすのも悪くない──

 居住区の位置なんて検討もつかなかった。あらゆる地区あらゆる区域でネズミのように現れてみせれば、霧のように消える固定者たち。

 ふと、手をついた壁の色が視界に映った。真っ白な壁面に浮かぶ灰色。その前でヘンリーは足を止めた。

 壁にペタペタと触れ、隅々まで観察する。

 すると、取っ手のようなものが指に引っ掛かった。

 ──壁、灰色、取っ手……何かが足りない。もう一つ、重要なワード──

 ヘンリーは縋る思いでポケットを裏返しにする。あのとき捨てずにおいた紙切れが、ひらひらと地面に落ちた。

〈二月二日 A区 跡地 旧式 徒歩……〉

 ──旧式。そう、旧式だ──

「……重要なのは、扉そのもの。誰も認識せずとも、扉は扉であり続けるんだ」

 ヘンリーは迷わず取っ手を掴んだ。引っ張ったり、押したり、ひねってみる。ガチャリ。

 旧時代への〝ドア〟は開いた。下へと続く階段はどこまでも伸びているように感じる。意を決し、ヘンリーはその短い足で一歩を踏み出した。

 

 

 

 保護歴一二五年二月七日。

「保護府破壊は大成功を収めた! 我々は華やかな未来への一歩を踏み出したのだ!」

「先生万歳! 先生万歳! 先生万歳!」

 広場では、どこもかしこも狂信的な生徒が騒いでいる。早朝からこんな調子で異様なムードが地下を覆っていた。

 拳を掲げる生徒たちの熱狂を、休暇中のFOX小隊は遠目で見つめていた。隊員の一人が小さくため息を漏らす。

「ねぇ小隊長、本当にこれでよかったと思う?」

「私たちは先生の指示に従いやるべきことをやったまでだ。人的被害を最小限に抑えつつ、保護府の重要設備を破壊した。正義を違えるようなことはない」

「でも、先生はどうしてこんなことをしたのか教えてくれなかったね。クルミも怪我で療養して……ユキノちゃん、私たちの行動に意味はあったのかな?」

「意味は後からついてくる。自分の信じる正義を背くことなく歩んでいれば、必ず」

 二人からの吐露に、小隊長はまっすぐ答えた。隊員たちは少しだけ笑みを浮かべる。

「それじゃあ、そろそろクルミちゃんのお見舞いに行こっか」

「……ああ」

「うひひ、いまごろ寂しがってるんじゃないかな~」

 

 外に広がる熱狂を、カヤは静かに諦観していた。

「まったく、困りましたねぇ……」

 カーテンを閉めて窓際から離れる。片目を隠した少女の真正面でテーブルについた。

「……カヤさん。今、外はどうなっているのでしょうか」

「先日、シャーレの部隊が保護府の施設を襲撃しましてね。まあぶっちゃけてしまえばただのテロ行為なんですが、それが成功だということでお祭り騒ぎになっています」

「カヤさんはシャーレの顧問、でしたよね。今の調子だと、どこか他人事のようで……」

「そりゃあ、あの襲撃に私は関与していませんし。むしろ生徒会議も通さずにやろうとするから、反対の立場を取っていましたよ」

 湯気がほのかに立つコーヒーを口に運び、軽く息をついた。

「私の権限も先生の前では意味を成しませんでしたね」

「エックさんが、そのテロを起こしたということですか?」

「ええ。襲撃を成功させた今、先生の支持率は確固たるものとなりました。扇動も甲斐あってもはや信仰の域に達しています。もう止めようがありませんね」

 カヤは肘をつき、両指先を合わせて眉間に親指を当てる。肺を膨らませては絞らせ、新鮮な酸素をくたびれた脳細胞に与えようとする。

「襲撃成功と声高らかに宣言しても守護者たちはこの騒動を止めようとしません。おそらく、先生と保護府はグルです」

「エックさんがそんなことを、本当に……」

「あれはエック先生ではありませんよ。正確には、先生であってエックではない……単なるなりすましではなく、それ以上におぞましいなにかです」

 焦燥を上手く隠しつつ、冷静な面持ちのままヒナタの顔をしっかりと両目で見つめる。

「先生は健康診断を問題なしと結論付けました。ですが、私は裏があると考えています。今日の昼には実施されるこの健康診断を独断で調査するつもりです」

「つまり、エックさんと対立するかもしれなくて……私のところに来たのですね」

「そういうことです」

 湯気のなくなったコーヒーをぐいっと飲み干す。音が立たないようにカップをゆっくり置いてからカヤは言葉を続けた。

「ヒナタさ──「一緒にエックさんを止めましょう!」

 ハツラツな声を出したかと思うと、ハッと口を塞いでしょんぼりとした顔をする。ずいぶん生き生きとした表情筋だ。

「すみません……被せてしまいました……」

「いえいえ、大丈夫です。むしろ乗り気そうでホッとしましたよ」

「……先生が囁いているんです。あの人は、今とても苦しんでいて、助けを求めているのだと。カヤさん、一緒にエックさんを止めてくださりませんか」

 

 

 

 監視の目を閉じ、私は目を開ける。

「教授」

「〝ここに〟」

「神の癌は予定通り機能していますか?」

「〝はい。受け皿としての機能を果たし、特定不穏分子の記憶処理は順調に行われています〟」

「民衆の恐怖心は?」

「〝目論見通りの数値を維持しています。ヘイトも、欺く者(プレナパテス)に向かっています〟」

 憎悪管理が上手く機能し始めた。もう少し手を加えて調整をし、数年もすれば私がいなくともこの社会は維持できるようになるだろう。

「〝……このまま、すべてが上手くいくとでも?〟」

「まあ見ていてください。次の皆既日食で、私たちは真の意味で結末を超越するのですから」

「〝好きにさせはしないよ〟」

「そうですか。では、この命令に逆らってみせますか?」

 私は立ち上がって彼の前に立つ。

 言葉の一字一句に力を込め、丁寧に発する。

 

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動物市民の視点も欲しかったので加えてみたら、膨らみまくってまた一万二千文字超えてしまった。
残すところ三話です。
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