元生徒たちは青春物語の夢を見るか?   作:転倒

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……紙が燃え始める温度。
ちょっと嘔吐描写注意。


華氏四五一度

 ひんやりとした感触によって意識がハッキリとしてくる。ヘンリーはゆっくりと目を開いた。

「あっ。起きた」

「──ちっ、近寄るな!」

 痛みも忘れて固定者から距離を取ろうとする。背中が壁にぶつかったことで、ようやく逃げ場がないことを悟った。

「急に動いちゃダメ! まだ安静にしてないと」

「くるな……」

 流動者は毛を逆立てて、精一杯の威嚇行動を見せた。耳と尻尾が縮こまってビクビクしている。

 すると固定者がもう一人、ドアの奥から入ってきた。状況を察してもう一人の頭を撫でる。

「お姉ちゃん……」

「介抱ありがとうね、あとは私に任せて」

 姉は怯える流動者と同じベッドの上に腰を置き、ゆったりとした声の調子でなだめようとする。

「ここに、あなたを傷つける人はいません。安心なさってください」

「誰がお前らなんか信じるか……この輪付きどもめ!」

 身体に張ってあった水浸しのタオルを剥がして思いきり投げつけた。姉は微動だにせず、顔面で受け止める。

「お前っ──」

「しっ。乱暴な言葉はいけません」

 身を乗り出した妹を、落ち着いた調子のまま手で牽制する。顔に当たったタオルを取ると綺麗に畳みテーブルに置いた。

「私たちは、一度ここを離れます。もしお腹が空きましたら、棚に少しだけ食べ物がありますので」

 それだけ言って、二人は部屋を出ていった。その行動が親切心によるものだとは、今のヘンリーには到底信じられるものではなかった。

 ──守護者に突き出されたら一巻の終わりだ。今のうちに窓から逃げるか──

 ベッドから降りて窓の外を確認する。外には固定者があちらこちらに散在していた。

 ようやく、ヘンリーは現実を飲み込み始めた。自分が固定者居住区に来たことを。

 空一面が冷たい光で満たされ地下に注がれる。見渡すかぎりの地下世界。

「……こんなことが、あり得るのか?」

 固定者居住区の開発には二五年の歳月を費やしたというのがデータベースの見解だ。

 しかし、この空間を建設するには百年を掛けても完成させられるように見えなかった。

「──まさか、保護歴すら嘘なのか」

 口から自然と漏れた真実に思わず手で塞いだ。それはデータベースによる歴史の捏造だけで説明がつくものではない。

 ──保護者が君臨して何年だ。千年か? なら千年と記せばいい、どこに不都合がある。違う、不都合は別にあるんだ。その逆、まだ十年と経っていないとしたら? データベースの不備が山のように積まれていることにも合点がいく。だが、そうだとしたら──

 自らを構成する記憶さえも、疑うべき贋物(にせもの)だったのだ。

「ううっ、おぇえ……」

 指の隙間から体液が垂れて床を汚した。頑強だった足場がまばたきの間に消え、どこまでも落下していく。

「嘘だ、そんな……」

 すべてが贋物(にせもの)だという真実。こんなにも滑稽なことがあるだろうか。

 もはや、保護者もプレナパテスも不確かな存在だ。

「保護者は何のためにあるんだ?」

 それらは象徴(シンボル)。実在か非実在かは瑣末なこと。人々がそれを思考してさえいれば、社会は滞りなく回る。

 仮想権威を崇拝し、仮想敵で不満を晴らす。むしろ仮想がゆえに社会基盤が揺らぐ心配もないのだ。

 ヘンリーの目眩が治まる気配はなかった。心臓が脈打つごとに増幅して、最後には何もかもが徒労に砕け散る。

「落ち着け……落ち着け……」

 虚構に惑わされ真実を見失ってはいけない。保護者、あるいはその権威を利用した何者かがどれだけ虚構のベールで覆っていても、不変の真実はある。

 ──そう、二足す二は四なんだ──

 歪んだ視界が次第に正常を取り戻す。ヘンリーはよろよろと立ち上がって棚を漁った。

 ぐずぐずのゼリーをちゅるちゅると味わう。地上より味は劣るが、飲めないこともなかった。というより、味覚が固定者と流動者で異なるのかもしれない。

 ヘンリーはラックに掛けてあった灰色のオーバーコートを手に取る。危険な行動だが、少し外の様子を見てみることにした。

 

 小柄な体型が幸いして、道の端を歩いていれば誰にも気付かれない。

 深々と被ったフードの隙間から周囲を覗いた。どこもかしこも輪付きだらけだ。見ているだけで気分が悪くなるのを感じる。

 ──だが、先ほどから感じるこの違和感。こいつらはどこへ向かっている? ──

 固定者が向かう先を見る。目を凝らすと、そこにはロボットたちがいた。ヘンリーは咄嗟に建物の影に隠れる。

 ヘッヘッと呼吸を整え、慎重に様子を窺う。守護者らしき姿のロボットが微動だにせず十字路で整列していた。

 ぼんやりと聞こえる声に、ヘンリーは耳をピンと立たせて集中する。

「──まもなく、健康診断が始まります!」

 健康診断というワード。たしかに地上で聞いたことのあるものだった。保健局が立案したとかいう、新しい義務。

 流動者だけでなく固定者にも適用されていたというのはヘンリーにとって初耳のことだった。

「健康診断~? 受けないといけないの、これ」

「先生が受けろと言っているんだ。まさか先生を疑うわけじゃないだろうな」

「い、いや……そりゃ先生のことは信じてるけど」

 固定者の中でも意見は分かれているらしい。しかし、それ以上に引っ掛かる言葉。

 ──今、先生と言ったのか。地下には先生が、旧時代の遺構が存在しているのか? いや……今やデータベースさえ信用ならない。言葉のガワを考えても無駄だ。重要なのは、奴らが〈先生〉の意向を重視していることだ。つまり、〈先生〉は地下における保護者なのか──

 奇妙なことに、地上と地下、流動者と固定者で相似の社会構造が形作られていたのだ。

 思考を巡らせていると、固定者たちが一斉に空を見上げる。それを追うようにヘンリーも空を凝視した。

 天井がゆっくりと開く。空にぽっかりと穴がくり抜かれたようだった。底の知れない暗闇から、すっと大きな手が現れる。

 その手には灰色の大きな箱が大事そうに抱えられていた。

 ガーッ、ガコン。砂埃が舞い、昇降機は地面に接触する寸前で止まる。

 ロボットは寄ってくる固定者を列に並ばせた。一人、数分してまた一人と薄い膜(ドア)を通って箱の中に入っていく。

 列の中にさっきの姉妹が居ないか目で探ったものの、見つけることはできなかった。

 何名か何十名かヘンリーは数え忘れてしまったが、とにかく開始から十数分後。昇降機は天井に戻り、しばらくしてまた帰ってきた。

 

 これ以上観察し続けるのは危ういと感じたヘンリーは、慎重にその場を離れようとした。

「ん。なにか動いてない?」

「え、どれ?」

「あれ」指を差す。

 どうやら、少し判断が遅かったようだ。ヘンリーは持ち前の俊敏さを発揮させる。

「ちょっとそこ止まって! 止まってってば!」

「ヘイローがないから、もしかして流動者っ?」

 ──どこに逃げれば……くそ、あの部屋に戻るしか──

 小柄な流動者がどれだけ足を速めても、立ち耳の固定者は振り切られる様子を感じさせない。

 廊下を駆け、階段を上がってドアの向こうへ飛び込んだ。

「あ、帰ってきた」

 妹の言葉も待たずにヘンリーはベッドの下に隠れる。

「えっなにして──」

「ん、ちょっといい?」

 少しだけ息の上がった固定者が姉妹に尋ねた。額の汗を拭っても、首元のマフラーを外そうとはしない。

 妹はキラキラとした目でその固定者の名を呼ぶ。

「シロコさん!」

「このあたりに流動者が来たと思う。灰色のコートを被ってて、ちょっと小柄なやつ。あなたたちは見なかった?」

「え……」

「うーん、そのような方は見かけていませんね。守護者以外の流動者なんてそうそう地下入りしませんし」

「でも、せんせ──んん。過去に前例がないわけじゃない。それに、ここはなんだか臭う」

「ちょっと、失礼じゃないですか! 私たちから獣臭がするだなんて」

「……今、獣って言ったの?」

 妹は思わず自ら口を押さえる。

「そ、それはっ」

「小柄と言っても、ロボットにも体躯(ボディ)の小さな人はいるよ」

 狼の固定者は奥を覗こうと部屋に上がったが、それ以上は姉が阻んで立ち塞がった。

「どいて」

「生徒の頼みだとしても聞けません」

「匿っていると、あなたたちが危険に晒されてしまう」

「それでもです」

 両者は目線を逸らさずに一歩も引こうとはしない。ヘンリーは息を殺して毛の一本も動かさなかった。

「ぜぇっ、はぁ……ちょっと、はぁ……」

「遅いよセリカ」

「シロコ先輩が……速すぎる、のよっ……」

 後から追ってきた黒猫の固定者は、肩で息をしながら酸欠になった肉体を回復させようとする。

「……それで、あのちっちゃい流動者はここにいるの?」

 狼はもう一度姉の方の顔を見た。生徒相手に表情一つ変えない。

「ん、ここにはいないみたい」

「そう……逃げられちゃったわね」

 呼吸が落ち着くと黒猫は先に部屋を出た。狼は奥にあるベッドをジッと睨んで、黒猫の後を追った。

「……もう出てきていいですよ」

 その言葉を聞いてからもヘンリーはしばらく動こうとしなかった。数分後、痺れを切らした妹がベッドをバシバシ叩く。

 おずおずと出てくる流動者。毛にくっ付いた埃を取ろうと、ぶるぶると身体を振るわせる。

「埃、はらいましょうか」

「結構だ」

「おま──あなた、こっちが気を遣ってるのにずいぶんと偉そうだよね」

「気を遣ってくれと言った覚えはない」

「むー。こいつやっぱり生徒さんに引き渡しちゃおうよ」

 姉の裾を引っ張りながら抗議した。姉は無言でその手をどかそうとする。

 表現に困るが、ヘンリーの目には姉妹同士のわちゃわちゃが映っていた。

「……どうして、匿ってくれたんだ?」

「どうして? あなたは彼女たちに捕まりたくないのでしょう?」

「それは、そうだが」

「なら、それが答えですよ」

 ヘンリーの疑問符はさらに追加された。まさか、人倫道徳を持たない固定者に親切心などあるのだろうか?

 にわかには信じがたいものだった。たとえデータベースが虚偽にまみれたものだと分かった上でも、刷り込まれた価値観がヘンリーの目を濁らせている。

「この話はこれでお終い。そろそろお昼ご飯にしましょうか」

「うんっ。ほら、あなたの分も貰ってきたから。席に座って」

「……棚にあったゼリーで十分だ」

 食事を断ったのは、なにも姉妹に疑心を抱いているからだけではなかった。ヘンリーの自尊心がそれを許さなかったのだ。

 姉はそれ以上話しかけることはせず、二人でいつも通り食卓を囲んだ。

 

 しばらく経った後、先に言葉をかけたのは意外にもヘンリーからだった。

「お前たちは、健康診断に行ったのか?」

「行ってないよ。だって怪しいじゃん」

「しかし、お前の足は……」

 ヘンリーは目線を落とす。妹の足には厳つい機械が装着されていた。

「これ? いいでしょー」

「健康診断で何か治す手立てが見つかるかもしれない。やはり、保護府が信用できないか」

「信じてない、っていうのもあるけど……それ以上に、この足を治すつもりはないよ」

 想定外の答えにヘンリーは思考硬直した。あまりの不合理さに呆れることさえできない。姉は話に割り込まず、ただ黙って頷いていた。

「生まれつきなのかは分からないけど、物心ついた頃にはこんな感じでね。二年前にミレニアムの職人(マイスター)が作ってくれた補助スーツと出会うまでは自力で歩けずにいたの」

「尚更だろう。スーツもなしに歩けるようになる可能性だってある」

「それはそうだけど……一生涯の苦悩が、そう簡単に解決したらムカつくでしょ? だったら最初に施してくれってのー。神サマ気取りで治されて『ほぅら救ってやったぞ。感謝しなさーい』だなんて、真っ平ごめん」

 彼女は軽やかなステップを刻む。健康体となんら遜色(そんしょく)はない。職人とやらの技術力──そして、彼女自身の努力によって生まれた奇跡。

「この苦しみは、私だけのもの。誰にだって奪わせはしない。たとえ神サマ相手でもね」

「……不可解だな」

「はいはい、地上育ちのあなたには分からないでしょうねっ」

 ヘンリーはまたベッドの下に潜る。生徒とやらがまた殴り込んできても不思議ではなかったからだ。

 姉妹の会話を聞きながら、流動者は少し内省することにした。

 

 あれから何十分経ったか、あるいは何時間か。BCFが止まってしまった現状では体内時計に頼るしかない。

「ねー、そろそろ出てこないの」

「俺は居ないものと扱ってくれ」

「あっそう」

 ヘンリーはベッド下から出たかったが、それよりも生徒や守護者に見つかる恐怖が上回っていた。

「ふんふふーん……」

 コンコン。

「はい、どちら様でしょうか」

 姉の言葉に答えることなくドアは蹴破られる。土足で上がり込んできたロボットたちは、シンプルな問いを与えた。

「健康診断を受けたか?」

「ねえ、まずはこっちの質問を──」

 妹が不満げな態度で近寄る。それに対して守護者は予備動作なく彼女の襟を掴んで持ち上げた。

「首元に印がないな。義務違反だ」

「妹を離して!」

 非情な守護者相手に姉は果敢に挑むも、いとも容易く押し退けられてしまう。

「お前たちには義務を果たしてもらわなければならない」

「ふざけんなっ……私たちから何もかも奪ったくせに!」

「奪った? ほざけ、保護者様は慈悲を与えたのだ。私たちはいつでもお前たち固定者を皆殺しにできる。存在価値のないお前たちをわざわざ生かしてやっているというのに、恩知らず甚だしいな」

 呆れた調子で長身の守護者はベラベラと説教する。それは陶酔でも狂信でもなかった。

 それが事実であり、彼らにとっての不変なる真実。ついこの前まではヘンリーにとっても真実だったものだ。

「連れていかないで、お願い……」

「いやっ、やだぁっ!」

「そいつも診断を受けたか確認をしろ」

 背後に待機していたもう一人が、姉の手首を掴む。もう抵抗する気も起きなかった。

 刹那、守護者の視界は暗くなる。

「な、なにが」

 突然のことだ。視界(モニター)にずぶ濡れたタオルが覆い被さった。暗闇に突き落とされたロボットたちは動揺のあまり義務違反者たちを手放す。

「今だ! 窓から突き落とすぞ!」

 ヘンリーの掛け声で姉妹も加勢してせーのでロボットを持ち上げる。

「おいなにをするっ、やめ──」

 必死の抗議もむなしく、一人また一人と放り投げられていった。

 見事。道端に守護者が積まれた。

「ふーっ……」

「あ、ありがとう」

「食料と匿ってくれた分はこれで清算だ」

「……あの守護者たち、どうしましょうか」

「シロコだったか……あいつは生徒なんだよな? 察するに、生徒というのは自警団員だろう。ならそいつらに匿ってもらうのが最適だ」

 ひと奉仕終え、ヘンリーは〈預言者〉を摂ろうとポケットを探った。大事にしまっていた紙箱を取り出す。

 残念ながら中身は惨状そのものだった。

「なぁ、モーセは余ってないか」

「エレミヤならあるけど」

「……一粒くれ」

 

 

 

 数時間前。

 顧問は天空から伸びてくる手を双眼鏡越しに観察していた。

「普段の定期供給の設備をそのまま使っているようですねぇ」

「あの箱の中に、なにが入っているのでしょうか……」

 二十名ほど通した後、黒い箱は一度天井に戻ってから数分して戻ってくる。

「上でなにか補給をしている……」

 箱の周辺は守護者が警備を固めていた。付け入る隙がまったくと言っていいほどにない。

「直接確認するのが手っ取り早いですね」

「ですが、あの警備をどうやって突破しましょう?」

「なに、考えはありますとも」

 そのセリフに、ヒナタは小さく「ふふっ」と声を漏らした。

「……ヒナタさん?」

「いえ、すみません。少しだけエックさんの口癖に似ている気がしましたので」

 不本意なことにカヤは眉をひそめる。反論でもしようかと口を開けるも、数秒経って何も言わずに閉じた。

 

 物々しい音を立てて灰色の箱は降りてくる。ガコンという音と共に地面スレスレで静止した。

 その箱を囲むように守護者たちが立っている。

「それで、カヤさんの考えというのは……」コソコソ。

「部下からドローンを一機だけくすねてきましてね。これを囮に使います」コソコソ。

 箱が上昇する瞬間。それに合わせて囮を動かす。

 少しでもなにかタイミングが食い違えば終わりだ。カヤは浮き足立つ心臓に手を当てる。

 五人目。六人目。八人目。一三人目。一七人目。

 二〇人目。

「今ッ」

 昇降機の駆動音が空気を揺らしたそのとき、ドローンが守護者めがけて突進する。

「えっなに──ウワッ!」

 ドローンからフラッシュが焚かれる。撮影というには少々光が強いようだった。

 守護者たちの失態を挙げるなら、それは迫るドローンを正直に目で追ってしまったことだろう。

 ドローンは一足先に箱の上に着地する。二人も守護者の間を通って上昇しつつある箱にしがみついた。刻一刻と地面から離れていく。

「うっ、ぐぅっ……」

 すでに箱は建物より高い位置まで来ている。いくら頑丈な肉体でも、落ちれば無事では済まないだろう。

 なんとかよじ登ろうにも、カヤの握力では持ち堪えるだけで精一杯だった。

「カヤさん、手をっ!」

 空気循環の強風が吹く中でヒナタは声を張る。箱の上部へ乗るのに成功したのだ。

 一か八か、カヤはヒナタに向けて手を伸ばす。ガシッ。確かに掴んだその手を、絶対に離さず握った。

「よい──しょっ!」

 ヒナタ渾身の力によって、細身のカヤは軽々と引っ張り上げられた。

「助かりましたよ、ヒナタさん」

「よかったです……あのときとは違って、今度は届きました」

 熱のこもった手を見つめ、ヒナタはようやく一呼吸おけた。

 空まであと十数メートル。

 

 天井の奥まで来ると光は一筋さえない。暗闇の中で、箱は大きく揺れてその動きを止めた。

「止まりましたか……うおっと」

 再度、箱は左右に揺れて動き出す。

「この感じ、上昇ではなく横に移動していますね」

「いったいどこへ運ばれているのでしょうか?」

 まずは二人とも箱から降りることにした。持ち前の頑丈さを活かし、動いてる方向と垂直の方角に飛び降りる。

「いってて……」

「うーん、さすがに暗くてなにも見えないです」

「ドローンも持ってきたのでこれを頼りに進みましょっか。バッテリー持ちは長くないので手短に済ませましょう」

 カヤはライトアップだけして羽を休めたドローンを両手に抱える。奥まで続くベルトコンベアに沿って、二人は歩き出した。

 

 彼女たちの小さな足音は機械の騒音でかき消される。

「うっ、(にお)いますね」

 奥から漂う強烈な腐乱臭が二人を襲う。

 数分後、ベルトコンベアが途切れた。

 どさ、どさ。

「止まってください。床もここまでのようですね」

「箱は……底が抜けて、アームで奥にそのまま運ばれていってます」

 コンベアからアームに移行する際に、そのまま底面が開いて中身が下に落ちていっているようだ。

 どさ、どさ。

「中身がなんなのか、ライトの出力を上げてみましょう」

 ドローンは光を強める。暗闇を退け、目前にある底まで照らした。

 どさ、どさどさ。

「こ、これは──」

「うぶっ、おぇ」

 絶句するヒナタ。せり上がる吐瀉物を手で押さえるカヤ。

 次から次へと箱の〝中身〟が落とされていく。その下には、数え切れないほどの〝中身〟が無造作に積まれていく。

「こんな、こんな……」

 それらに生気はない。四肢はあらぬ方向に曲がっていて、ヘイローは消えている。

 

 それは固定者の身体だった。

 

 

 

 ──私たちは先生。私たちは教授。私たちは、私たちは?

 混濁とした思い出の海で、身体はどんどん沈んでいく。

 溺れまいと手を伸ばす。そして、誰かに掴まれる。

 

 身体は海辺に打ち上げられた。四つん這いになって肺に侵入した一粒一粒の記憶分子を吐き出す。

「立ち上がってください。行きますよ」

 この身体を引き上げた者はそう言った。よく見るとそれは保護者であり、シロガネだった。

「〝行くって……どこに〟」

「まだ()()()の神秘があります」

 

 シロガネの後を追う形で、砂浜を歩く。しかし、足が一歩も前に進んでいないことを知った。

 ふと足下を見ると、それは砂でなくコンクリートだった。横殴りの強風に身体が煽られる。

「〝これは……〟」

「夢は『記憶の整理と定着の作業風景』という話を耳にしたことはあるでしょう。貴方たちの記憶が混ざり合ってから一ヶ月以上、未だに混沌としているわけです」

 足の裏に付いた砂粒をコンクリートに擦りつけながら端まで歩く。下を覗いてみたが底は見えない。

「なら、手っ取り早く底を確かめてみましょうか」

 風はさらに強まり、足と地面が離れた。身投げのように身体は屋上から弾き出される。

 落下する感覚が妙に気持ちいい。

 私たちはその感性に身を委ね、ひたすらに地面へと向かった。

 

「ほう、其方(そち)は……久しぶりじゃのう。シャーレの先生」

 木々に咲くピンク色の花弁が舞いを踊って私たちを歓迎する。身体を起こすと、そこには肌も髪もヘイローも真っ白な少女がいた。

 キセルを吹かしながら出迎えてくれる。狐目のその少女は、訝しそうな表情で私たちを凝視した。

「どうやら精神が混淆(こんこう)としておるな。もう一つは、エックハルトという名か」

「〝キみは……〟」

「ようやく会えましたね。初めまして、大預言者クズノハさん」

 シロガネはスッと私たちの背後に現れると、肩に腕を回して抱き寄せた。ぴったりとついた肌を通して体温がはっきりと伝わってくる。

「はぁ……(わっぱ)、話の腰を折るでない。妾はエック教授、シャーレの先生と言葉を交わしておるのじゃ。用なら後で──」

()()()()()()()

 まっすぐ向けていた銃口が下がる。他ならぬクズノハの手によって。シロガネは一歩近づいてキセルを取り上げる。

「……ふむ、此れが其方(そち)の本質か。わづらわしいな」

「その様子だと効きが少し弱いようですね」

 シロガネは掌でかざし、()()()()()()。跪かされてもクズノハの表情が変わることはない。

「クズノハさん。貴方で最後です。忘れられた神々、その最後の神秘を取り込むことで、偉業の前段階が完了します」

「色彩が災禍を引き起こすだけの、ただ其れだけの存在だと思うておるのか?」

「当然。破滅を超越するためには相応の代償が伴います。あれが消滅すれば、世界(星々)が運行を止め……ある一点に収束していきます。第四の壁──その向こう側に在る観測者たちによって証明されたあらゆる分岐、あらゆる結末。それら全てが統一されます。キヴォトスは不変となり、閉幕の刻は訪れなくなるのです」

「未来も、過去も……果てには現在(いま)さえも失われるじゃろうな。不滅とはそう良いものでもないのじゃぞ」

「預言者なら聞こえているでしょう。これがキヴォトスの意志なのですよ」

 シロガネは彼女の頭を鷲掴んだ。腕から白い光が漏れ出る。その光には見覚えがあった。

 そうだ、クラフトチェンバー。

「哀れだのう。産声を上げた刹那から全能にも匹敵する力を得ていたばかりに、責任を感じてしまったのじゃな。精神が発達する前に身体を弄り、世界を統べることができた──否、できてしまった」

「……お喋りが過ぎましたね。では、さようなら」

 白い光によって視界は奪われる。五感さえも塗りつぶされて──

 

 

 

 リン局長は背もたれに身を委ね、天井をじっと見ていた。

「──それで、健康診断は身体(ボディ)交換の隠れ蓑だったと」

「ええ。診断を受けた誰一人として、身体が入れ替わっただなんて自覚はないようですけどね」

 顧問が報告した事実は、到底信じられるものではない。しかし、たとえ信じられずとも受け入れる他なかった。

「調査は続けますよ。診断を受けた人たちの健康状態、記憶障害の有無……そして、なぜ身体の交換をするのか」

「わかりました。引き続きよろしくお願いします」

「……元気がなさそうですね。その長い髪でも踏んで躓いたりしましたか」

 しばらく黙り、リンは衿を引っ張って首元を見せる。

「その印──まさか」

「この世論の中で、仮にもイチ組織のトップが受けないわけにはいかないでしょう」

 カヤはいつもの調子で毒を吐こうとしたが、その覚悟に意見しようとは思えなかった。

 その行き場のない感情は握り拳へ発露される。

「この調査の発表については未定とします。いたずらに民衆を混乱に陥れてはいけません。ヒナタさんも、第三者への口外はしないでください。あと、今晩はシャーレ(ここ)で寝泊まりしていただいても構いませんので」

「は、はいっ」

 しゃっきりとした姿勢を維持したまま、少女は発声よく返事をした。

 

 カヤはソファーにぐでんと倒れる。近くの掛け布団をたぐり寄せ、小さな身体をすっぽりと覆い被せた。

「ふーっ、疲れましたねぇ。ヒナタさんは、そこのベッドで寝てください……」

「いえ、私は……これから図書館に用がありますから」

 せっかく被せた布団を剥がして起き上がった。驚愕に満ちた顔をヒナタに見せる。

「えっと、あの()たちが危ない──と、先生が呟いているような気がしまして。杞憂かもしれませんが、様子を見に窺いたいんです」

「……そうですか。じゃあ、送っていきます」

「そんな、悪いですよ」

「いいから黙って送られてください。もういっそ図書館で寝ちゃえばいいんですし」

 ぐったりと疲れた体に鞭打って、車のエンジンを掛ける。消灯手前の閑散としつつあった道路を走り抜けていった。

「黒煙……紙が……ぐぅぅぅっ」

 図書館が近づくにつれ、頭の中の悲鳴は脈打つようにヒナタを苦しめた。

「大丈夫ですか?」

「……そのまま向かってください」

 地下図書館前に着いた頃には消灯の時間が過ぎて辺りが暗くなっていた。

 車のライトは付けたまま二人は仄暗い階段を下りていく。

 何度も通ったはずの道が、二人にはまるで初めて通ったように感じた。

「なにか変ですね」

「欠けている、あの感覚……ゲマトリアが掛けていた防衛網が解けてないでしょうか?」

 〈壁の目〉を抜けたときと同じ、あの感覚。黒服は同様の技術を応用したものであると言っていた。指定外の生命体が侵入すると、図書館とは別のところへ飛ばされる。

 この防衛網を解けるのは、ゲマトリアとその技術に触れた者のみ。ミレニアムの職人(マイスター)たちと、一握りの幹部生徒と、そして──。

「──エックさんの仕業ですね」

 ヒナタに嫌な予感が過る。今出せる全力を脚に乗せ、急いで駆け下りていった。カヤとの歩幅合わせなどという余裕は消えたのだ。

 

 見慣れた扉の前に立つ。間髪を容れずにヒナタは扉を開けた。

(あつ)っ……!」

 熱風が少女を襲う。身を焼き尽くそうとする空気に喘ぎながらも、退くことはしなかった。

「〝こんばんは、ヒナタ〟」

 暖炉の前に佇む一人。正しくは二人。汚れ一つとない白い服を(まと)った者は平然とした態度で、愛しい生徒に屈託のない笑みを向ける。

「エックさん、今すぐにやめてください」

「〝さん付け、外してくれてもいいのになー。あ、それ以上近づくと危ないよ。ほらこれ〟」

 教授は二つのマスクをヒナタへと投げ渡した。後からもう一人来ていることに気づいているらしい。

「〝そろそろ本が燃えていくだろうね。三分後か、あるいは今か〟」

 突然、後方の本棚から火の手が上がる。その無慈悲な炎は伝播していき、手のつけようがない早さですべてを飲み込んでいった。

 一九年間、古関ウイが守り続けた()たち。悲鳴一つ上げず灰燼に帰す。

「エック……自分がなにをしているのか、分かっているんですか!」

「〝正義さ。本はすでに存在してはいけないんだよ。私は純協力者の教授としての奉仕をしているだけ〟」

「ウイ先生の思いを踏みにじることで成り立つ正義なんて……あの人の願いが忘れ去られることで成り立つような社会なんて、私は嫌です!」

 教授は耳の下をぽりぽりと掻く。貼り付いたような笑顔のまま、ヒナタをギロリと睨んだ。

「〝まるでここが彼女の墓標みたいな言い草だね。ウイは今も生きているよ。でも、今の彼女は本に触れたことがないからな……これが本当に思いを踏みにじることに繋がるのか、今度訊いてみることにするよ〟」

「エックハルト!」

「〝その目……ははっ、なるほど。キミの魂に少しだけ混ざっているようだね。黒服の仮説は正しかったわけか〟」

 怒りに呑まれる少女の前髪が熱風によって揺れる。隠れていた左目がほんの一刹那だけ見えた。

 宝石のような赤い瞳ではなく、紺の瞳。

「エックハルト。これ以上、あなたの好きにはさせません」

「〝本の一つでも持ち帰ってみせるか。試してみるといい、自然発火する前にこの地下から持ち出せるならね〟」

「この()たちを散らすのであれば、その命を散らす覚悟もありますよね」

 ヒナタは一切の躊躇もなく銃を抜き、引き金に指を掛けた──。

 

 

 

 ……我々は拒む、七つの□□を。

 ……我々は忘れていく、ジェリコの□□を。

 

 パンッ。

 一つの間違いもなく、撃鉄は雷管を叩いた。

 一つの間違いもなく、弾道は彼の眉間を捉えていた。

「──はず、れた?」

 ゲマトリア製の弾丸は残り三センチのところで軌道を逸れて暖炉の耐火レンガに着弾した。

 タブレットの画面は薄らと光を放っている。

「〝当たらないなら──もっとこうやって、近づけてみようか〟」

 教授は立ち込める炎を気にも留めずヒナタの方へ歩く。彼女の震える手を優しく握り、自らの額に銃口を押しつけさせた。

 カチッ、カチカチッ。

 引き金を引いても弾は出ない。銃口を額から逸らすと、正確に本棚の側面へ着弾した。

「〝お別れをする前に、キミたちが知りたそうなことを教えてあげよう。まず、健康診断は必要な痛みだ。キミたちの身体は子宮の中で育ったものではなく、工場で大量生産されたもの。若さを保つことはできるけど、五〇年もせず朽ちてしまう。だから、定期的に交換することで擬似的な不死を実現したんだ〟」

「……事実がなんであれ、私たちにはそれを知る権利があります」

「〝こうやって本を禁じ、読み書きを失えば、キミたちは死という概念さえ忘れていく〟」

「それが最善だとしても、私たちは自身で選んだ道を歩みたいんです」

「〝永劫平和の、永遠とも思える刻の中。真実はすべて洗い流される。流動者も固定者も、ただ生きていけばいい〟」

「選択によって滅びを招くのだとしても……私は、私は!」

「〝……〟」

 

「──青い空を、見てみたいんですっ!」

 

 それは、小さな奇跡だった。ほんの一握りの砂粒にさえ及ばない奇跡。

 少女の着ていた服が青く輝いた。その色は、人々が海馬の底へと追いやったいつかの晴天を思い出させる。

 たった三・三秒のドラマ。次第に褪せていき、また灰色に戻ってしまった。

「〝……さすがだね〟」

「い、今のは」

「〝ヒナタ。君の思いは、滅びなんかじゃないよ〟」

 先生は真っ白な仮面を取り付けて、生徒のもとから離れていく。火柱が彼を避けるように揺らめいた。

 〈壁の目〉のある壁面に手を置き、教授は振り返る。

「〝皆既日食。その日が、私たちの分岐点だ〟」

「エックさん、待って!」

 本棚が倒れて二人の間に炎の壁が生まれた。マスクをしていても、これ以上ここに居るのは危険だった。

 ──ごめんなさい、先生。託された()たちを、守れませんでした──

 部屋を後にして廊下に出ると、煙を避けるように這うカヤがいた。

「カヤさん、これを!」

「ゴホッ、ゴホッ……ありがとうございます。この煙の様子だと──」

「エックさんが図書館を燃やしました。あの口振り、おそらく本を禁止にしようと……」

「思った以上に最悪の事態ですね。シャーレに急いで戻りますよ」

 二人は階段を上っていく。酸欠にならないよう気を配りながら、命からがら外に出た。

 眩しい光が彼女たちを出迎える。しかし、それはつけっぱにしていた車のライトによるものではなかった。

「警察だ。お前たちには放火の容疑が掛かっている。ご同行願おう」

「……()められましたか」




ヒナタとカヤという二次創作でもそう見ない組み合わせ。
今更ですけど最初のプロットにはカヤはいませんでしたからね。
残り二話です。
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