元生徒たちは青春物語の夢を見るか?   作:転倒

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最終話一歩手前。
すべてが保護者の掌の上、先生と生徒たちは抗うことができるでしょうか。
保護者は色彩との決着を進めているようですが。


白い服の男

「……〈教授〉。報告を」

 眠気に目を擦る私の前に、白髪の混じった教授は手を後ろで組んで立っていた。

 自ら惨状を引き起こしたというわりには淡々としている。

「〝地下図書館は全焼、所蔵図書の九割が焼失、焼け残り本は回収させ廃棄したよ。先令で図書禁止を命じ、それによる反発もあったけど、無事に鎮圧できたね〟」

「固定者の世論は?」

「〝先生一色だよ。簒奪を目論んでいたマコトは失脚、他にも私を危険視していた幹部生徒は退けた。自由に動いていたシャーレもカヤ顧問の放火容疑によって糾弾され、学連の傘下に取り込まれた〟」

 私は椅子から立ち上がって教授のほうへ近づく。彼は直立不動で、そのくすんだ目だけが私の動きを追っていた。

「あなたの悪あがきも、すべては無駄骨でしたね」

「〝……かもしれない。だが、無意味ではなかった〟」

「あの現象は偶然が見せた蜃気楼に過ぎません。掴みようのない雲に手を伸ばしたところで、詮無いことでしょう」

「〝意味というものは私たち人間が与えているものだ。そういうことなら、キミにとってあの奇跡は偶然に見えたわけか〟」

 なんとくだらない。魂について詭弁だなんだと揶揄したわりに、滑稽にも今は修辞法(レトリック)を使っていた。

 私がそれを否定することはない。この社会システムは歪み曲げられ再定義された実存主義によって成り立っている。

〈思考から真実は生まれる〉

 本質は軽視され、風化し、いずれ消え去る。

「〈観測者〉、報告を」

「はい……欺く者(プレナパテス)によるヘイトコントロールは上手く機能しつつあります。以前の福楽省襲撃も、神の癌が起こしたテロ行為だと報じられました。これを保護府の自作自演だと疑う者も、神の癌に加入することで我々の監視下に置けています」

「その一連の流れに、貴方は関与しましたか?」

「いいえ。純協力者(わたしたち)の影響なしに、すべて思惑通りの運びとなりました……」

 テーブルに視線を移す。水飲み鳥のくちばしが水面をつつき、頭を上げて揺れている。

 コップの水はまだまだあった。しばらくは足す必要もないだろう。

「であれば、私の権能が失われても問題はありませんね」

「……それはどうでしょう。問題点がないわけでは、ありませんから」

「その問題点を潰していくのが純協力者の奉仕ですよ」

 鳥に自ら指を近づける。前後に振るその頭を触れようとする。

 けれど、すんでのところで私の気が変わって、触れることはなかった。どうしてそうしたのか、今になっても答えは出ない。

「……私は寝ます。火急の用事があれば起こしてください」

 カチカチと動く秒針と共に重くなる瞼を閉じ、私はまどろみの海へとその身を投げた。

 水が肺を満たしていく。不思議と苦しくはない──

 

 

 ──砂浜に打ち上げられた身体を起こす。水分を含んだ砂粒はするりと抜け落ち、肌に張りつくことはなかった。

「珍しいこともありますね……貴方のほうから来るとは」

 無造作に積み上げられた学習机の上に、彼は立っていた。

 私が目覚めたことに気付くと、砂上にその両足を着地させる。足跡をつけてこちらに歩いてきた。

「〝シロガネ。キみは何度も私たちの夢中に土足で侵入してきたんだ。その逆があってもおかしくないだろう〟」

「その節は申し訳ありません。クズノハを見つけるのに苦労していましたので」

 水平線が朝焼けに染まり始めている。いや、染まり始めで止まっていた。

 星空は霞むどころか、よりその輝きを増す。

「〝ここはシッテムの箱、その内部に酷似しているね。ははっ、面白い因果だ〟」

「これから訪れる未来を現しているのなら、これ以上に嬉しいこともないでしょうね」

 一つ一つの星芒は、それぞれの世界が放つ光輝。うじゃうじゃと蠢く有象無象の世界たちはいずれ一点に収束していく。

「〝あのときの賭け、まだ覚えてる?〟」

「……協定を結んだときのですか。私の勝ちなのでは」

「〝いいや、勝負はついてないよ。いずれコップの水は尽き、平和鳥は頭を上げなくなる〟」

 永久などない──そう言いたげな顔。

「ここはキヴォトス。奇跡がまかり通る場所。あなたが可能性に賭けるなら、私が不可能性に賭け、奇跡を起こしてみせても構わないでしょう?」

「〝まったくその通り。なにも奇跡は私たちの専売特許じゃない。キみにも、ウイにも──みんなの手にあって然るべきものだ〟」

「エックが混ざって舌戦が上手くなりましたか……いえ、昔からそうでしたね」

 波の打つ音が鼓膜を揺らす。なんと美しい景色だろう。

「〝……まだ時間はありそうだ。よければ、キみのことをもっと教えてほしいな〟」

「いいですよ。退屈しのぎにはなるでしょうし」

「〝生まれたときのことについて、とか〟」

 砂を両手で掬ってみる。一分と保たずに指の隙間からどんどんこぼれていき、一粒も残らなかった。

「しっかりと覚えています。赤い空の下、私は生まれました。最初は赤ん坊でしたので、()()()()()()()()()()()。今思えば、あれは生存本能から来たものでしょうね」

 単純に計算すれば、生まれて五年でこの世界を塗り替えたことになるのか。けれど私は保護者。単なる人間の尺度で測るのも、おかしな話かもしれない。

「〝キみが責任を負う必要はなかった〟」

「大いなる力には大いなる責任が伴う、でしたか。私には世界を救える力がありました。それを行使しただけに過ぎません」

 キヴォトスという崇高が生み落とした神秘(わたし)。なら、世界をより善いものにするのが道理というもの。私はそれを古書館に積まれた本から学んだ。

「力なき貴方が責任を語るなどと、笑い話にもなりはしません。かのプレナパテスなんてその最たるものでしょう。私であれば、すべてを救うことができました」

 力なき責任ほど──不様なものはない。

 責任なき力ほど──下品なものはない。

「責任なき生徒たちが力を振るうことで、いったい幾千の世界が途絶えてしまったのでしょうか。そんな悲劇を繰り返してはなりません」

 その言葉を聞いて、彼はさらに距離を詰める。顔には深い陰りが差していた。

「〝シロガネ〟」

「殴って晴れる気持ちなら、そうしてください。どうせ夢の──」

 私が言い切る前に、彼は行動に移した。私にとってはあまりにも残酷な仕打ちを。

「──エック?」

「〝ごめん。私たちのせいだ〟」

 ただ静かに、ただ優しく、温かい抱擁だった。

 穏やかな体温が私の身体に注がれていく。

「〝まだ子どもであるキみに背負わせてはいけないものを背負わせてしまった〟」

「……やめてください」

「〝身体を弄った今は、たしかに大人なのかもしれない。だが、あの空が赤く染まったあの日……キみはまだ子どもだった。そんなキみが自ら責任を負う者としての道を歩んでいくのを、大人として止められなかった〟」

 赤子のとき、私は何を求めていたのだろう。もしかしたら、この温もりを欲していたのかもしれない。

 しかし、保護者(わたし)はすでに私という不完全な個を捨てていた。自身の願いを思い出すことはない。

「〝シロガネ。もう、これ以上──苦しみを背負わないで〟」

「勝手なことを、言うな!」

 次のまばたきの内に彼の身体は()()()()()()()()。机の山に激突し、それらはガラガラと大きく音を立てて崩れる。

「〝ゴホ、ゴホッ……〟」

「私は保護者。生まれながらにして全き者。あらゆる力、あらゆる責を手にした絶対者。貴方のような矮小な存在ごときに絆されはしません」

「〝……キみの睡眠時間は日に日に増している。どれだけ()()()()()しても、全神秘の負荷がキみを着実に蝕んでいるんだ。ウイに打ち込まれた弾丸による負傷も癒えていないはず。このままでは、二度と目を覚ませなくなってしまう〟」

 夢中では外傷など飾りにもならない。彼は起き上がって、その醜い肉体をこちらに近寄らせにくる。

「私なき保護社会は機能しつつあります。それに、私が永眠することはありません。色彩と共に散る運命ですので」

「〝色彩と……やめろ。キみを犠牲にしてまで得る永劫平和なんて、あまりに馬鹿げている〟」

「私と世界、天秤にかけるまでもないでしょう。惜しむ命でもありませんし」

 鮮血が彼の額をなぞって砂上に滴る。砂はその液体を拒み、染み込むことはなかった。

「〝私たちは認めない。キみの選択を否定する〟」

「先生らしく生徒の意思を尊重してみては?」

「〝先生失格の今なら、関係ないよ。私たちはただ一人の大人として──シロガネ、キみのことを無理やりにでも救ってみせる〟」

 気に食わない。その憐れみの籠もった眼差しが、届きもしない手を伸ばすその傲慢さが、無性に私を苛立たせる。

()()()()()()()。そして、(めい)を一つ。()()()()()()()()()()()

 一瞬にして彼は視界から消えた。

 私は孤独な海辺でただ一人、美しい星の海を眺め──

 

[newpage]

 

 カラン、カラン。来店を知らせる鈴の音が高調子で鳴る。

 天井の低いその空間は湿り気のある夜に満ちていた。その雰囲気を象徴するように、ボリュームをしぼったフュージョンが艶やかな音色でその身に寄り添ってくる。

「お久しぶりですね、先生。隣にどうぞ」

 先生はそっと椅子に腰掛けた。空になったグラスの中で残されたアイスキューブを回しながら、黒服は歓迎する。

「一杯、どうですか」

「〝私が下戸なのは知ってるでしょ〟」

「おや……誘いを断るための常套句だとばかりに思っていました」

「〝まあ、飲めたとしても断っただろうね〟」

 ()がれたオレンジジュースを一口含む。ジューシーで甘酸っぱい味の後に、ほのかな苦味がスッキリと締めた。

「私で最後ですか」

「〝ああ〟」

「であれば、この一杯を堪能しなければいけませんね」

 ビンの蓋がポンと低い音を鳴らす。コクコクと琥珀色の液体が注がれていく様子を見ながら、先生は一息だけついた。

「保護者はゲマトリア(わたしたち)にとって、とても興味深い存在でした。できれば研究対象として利用したかったのですが」

「〝ホシノのときみたいに、か〟」

「ククク、そう怖い顔をしないでください。なにせあれはキヴォトスが生んだ、いわば最終防衛システム。破滅に対抗するため用意された最後の砦です。色彩に対する手段を探るのに、これ以上の人材はいないでしょう」

 黒服はグラスを傾け、口の形を成した光の中に流し込む。

 背景で佇むは、化石となった有人音楽。親しみの籠もったクラシックが生み出すメロディーと、ジャズの精神によって再構築されたハーモニーが彼らに千年分の至福をもたらした。

「しかし、少々気になる点もありますね」

「〝なんだ?〟」

「あれを色彩への防衛システムとするなら、なぜこのような社会体制を築き上げるような挙動をしたのか──思うに、保護者は他の生徒と同じ精神構造を形成しているのでしょう。初めからそうだったのか、彼女たちを見てそう学習したのかは、判断しかねますが」

「〝出自がなんであれ、私の生徒だよ〟」

「クックック……彼女がビッグ・ブラザーだとしても?」

「〝あの子はビッグ・ブラザーでも、フォードでも、ましてや恩人でもない。少しだけ背伸びをしている、大人が守るべき一人の子どもだ〟」

 

[大人のカードを取り出す]

 

「──やはり、あなたは素晴らしい。不可解でありながらとても興味深い哲学を持っている。お互いに研鑽していけば、私たちは崇高が抱える真理にも到達し得たでしょう」

 影を(まと)ったようなその肉体が、指に相当する部位からボロボロに崩れていく。

 バサッ。身につけていた黒手袋が地面に落ちた。袖も次第に下へ垂れていく。

「残っている酒は先生が飲んでくさだい。せっかくグラスに注いだのに、勿体ないですからね」

「〝……ああ〟」

 バランスを崩したのか、黒服はガクンと膝をついてしまった。前のめりで倒れそうになるところを先生が両手で支える。

 そのままゆっくりと横に寝かせた。

「色彩なき後、世界がどうなるのかは……あなたが見届けてください。ゲマトリア(わたしたち)がついに辿り着けなかった、崇高の、その先を──」

 影がセラミックタイルに消えていった。白い光が霧散し、残されたのは成人男性サイズの黒いスーツだけ。

 音楽は止み、ほのかな光だけが、悪い大人の終幕を照らした。

 そのスーツの埃をはたいてキレイに畳む。テーブルの上に置き、黒手袋を添えた。

「〝黒服。悪いけど、私は君たちの代わりにはならない。真理にさして興味はないから〟」

 結露で水滴の垂れるグラスを取り、傾けた。口の中に流しきると勢いよくカウンターに置く。

 アイスキューブがお互いにぶつかり合い、鋭く小さな金属音が響いた。

 

[newpage]

 

『──させてください』

「……」

『一度失った神秘は、元に戻せますか?』

 この光景を、私は何度思い出さなければいけないのだろう。これが、私が犯した業に対する罰なのか。

 本を守り続けた魔術師。私に物語を教えてくれた人。私に愛を説いてくれた人。

 微笑みかけてくるその美しい顔から、私は目を離せなかった。

 

 そして一言、ただ一言だけ呟く。

 

『おやすみ』

 

 

「──はぁ、はぁっ」

「お目覚めに……今日が何の日か、忘れてはいませんね」

「……ええ、問題ありません。この運命の日のために身体を休ませていたのですから」

 首元に湧いた汗を拭い、私はベッドから起き上がった。

 手足の可動を確認するようにグーパーと動かす。ウイさんが残した破片の痛みはだいぶ和らいだ。

 深碧の装束は、今日という日を着飾るのに相応しい装いだった。

「サンクトゥムタワー屋上に純協力者と守護者数名を召集してください」

「保護者様は……」

「先に向かう場所がありますので」

 鏡に映る保護者(わたし)の姿。仮面を取り付けると、ヘイローから光が抜けていく。

 ものの数秒で跡形もなく消えた。というより、透明になったと表現がより適している。

 物憂げな仮面に反して、其の心は波一つ立っていなかった。

 不完全な個であれば死を前にして、覚悟という儀式を必要とする。保護者(わたし)には不要なものである。死への恐怖など、あるはずもない。

 

 頬を撫でるような柔らかい風に吹かれる。草原は灰々しく視界を彩り、風車がポツンと小さく見えた。

「アリス、いますか」

 コンコンと優しくノックしてからノブに手を伸ばすと、それよりも早くに扉が元気よく開かれる。

「シロガネ! 来てくれたんですね!」

「はい、来ましたよ。アリスが元気そうでよかったです」

 はつらつな声で勇者は私を出迎えた。満面の笑みから放たれるその光に思わず目を細める。

 勇者は私の手を引いて、椅子まで案内してくれた。

「おっほん……旅人の宿にようこそ。一晩五〇ゴールドですが、お泊まりになりますか?」

「思ったより終盤なんですね」

「ですがなんと、シロガネは特別に無料で泊まることができます! 主人公待遇でタダ宿を味わうのも、RPGの醍醐味です!」

「……ふふっ、たしかに」

 私の手をギュッと握り、勇者は明るく振る舞う。その手を平気な顔で握り返すことはできなかった。

 不思議だった。アリスのためを思うのなら、そうするべきだというのに。

「シロガネ、あまり元気がないように見えます。ちゃんと睡眠は取れていますか?」

「安心してください。むしろ──取りすぎなくらいですので」

「フフッ、相変わらず寝ぼすけなんですね!」

 鈍色の長髪が窓から射す光に当てられて玲瓏(れいろう)としていた。

 残念ながら、灰がかった宝石の名をメモリに保存していない。より正確な表現をするには今の私では力不足だった。

「……アリス」

「どうしましたか?」

「申し訳ないですが、今日は一緒に寝てあげられません。しばらくの間、現世から離れて天界に戻ります」

 この勇者はとても分かりやすい。神秘を行使するまでもなく、どんな感情を抱いているのかが一目で感じ取れた。

 さて、どんな言葉をかけて慰めるのが効率的だろうか。

 私の代わりに使いが来てくれる?

 またいつか会える?

 勇者としての心構え?

「勇者アリスよ──顔を上げてください。そう落ち込まれてしまっては、私も名残惜しいではありませんか」

「シロガネ……また、会えますか?」

「きっと会えます。それに、私以外にも使いはいますので。貴方をずっと一人きりにするつもりはありませんよ」

「でも、アリスはシロガネと一緒にいたいです……」

 その言葉で、慰めのために撫でようと伸ばした手を止めてしまった。

 少し躊躇ってから、今度こそアリスの頭に手を置く。

「またこうやって撫でに来ます」

「……本当ですか?」

「ええ。神に誓いましょう」

 彼女の献身に少しでも報いられるよう、いつもより長く撫でることにした。

 

[newpage]

 

 身を切るような風が容赦なく吹き荒ぶ。

 キヴォトスの全貌を眺めるなら、ここ以上の天望はないだろう。豆粒程度に見える数十階建てのビル群。雲によって先端が掠れているピラミッドたち。

 屋上には早くも要人が揃っていた。

「純協力者、総勢七名。守護者、十二名。固定者、一体……」

「揃っているようですね。ありがとうございます」

 私はのっぺらぼうな顔を取り付けた教授へと歩み寄る。

()()()()()()()()()()()()()

 私を止めるなどと息巻いていたわりに、先生は口一つ利かず潔く従った。こうも呆気ないと釈然としない。

 気を取り直して真ん中に設置された箱に近づいていく。その透明な直方体の中、固定者は安らかに眠っている。

 彼女と私の間に挟まる強化ガラス板をそっと撫でると、瞼をゆっくりと開いてこちらを見てきた。

 流動体に満ちた空間で、この狼耳の少女には指先の自由さえなかった。

「もう一人の砂狼シロコさん。貴方には色彩の引き寄せに協力してもらいます」

 生徒が色彩に触れる可能性──その一つから生まれた、恐怖(terror)へと身を落とした少女。死の神、アヌビス。

 

 日の光が弱まってきている。時間がすぐそこまで差し迫っていた。悠長にはしていられない。

「シッテムの箱──()()()()()()()()()()()

 教授は一歩前に出て、言葉を紡ぐ。

 

 ……我々は拒む、七つの嘆きを。

 ……我々は忘れていく、ジェリコの古則を。

 

 聖櫃(せいひつ)が目覚めると同時にタワーが光を発し始めた。漏れ出す灰白い光が周囲を照らす。

「サンクトゥム──()()

 私の声を合図に、真上にあった塔がバラバラに崩れていく。塔だったモノは重力に従うことなくその場に留まっていた。

 崩壊。そして再構築。

 またパーツの一つ一つが繋ぎ合わさっていく。何重にも円環を形作り、その動作を終える。

 サンクトゥムタワーは砲塔とも形容できるような代物へと変質した。その砲身から覗かせる空に、重なりつつある月と太陽が見える。

「名もなき神よ、その残滓よ──()()()()

 灰空が軋み、その輪郭と意義は融けていく。(ひず)みによって生じたヒビ割れ、その隙間から極光(オーロラ)が溢れ出した。

 風はその勢いが弱まる気配もなかった。髪とドレスの裾がされるがままになびく。

「私に平伏する神々よ──乳と蜜の流れる地(サンクトゥム)へと集え」

 すっかり暗くなった空に対して、タワーは煌々とその光彩を増す。

「うぶっ……」

 咄嗟に口を塞いだ手にはべったりと血糊がついていた。次から次へと、全身から血が漏れる。ボタボタと地面に垂れて広がっていく。

 鼻腔。耳介。結膜。関節。脳。

 肉体強度にも限度はある。となれば、()()()()()()()()()。痛みの伝達経路を故意に損傷させておくことで、意識が飛ばないようにする。

 この状態では一〇分と保たないだろう。なら、その前に片をつける。

 

 月と太陽が寸分違わず重なった。

 真珠色の光芒がベールのように黒い太陽を包む。

「色彩よ──その姿を現せ」

 刹那、風は消えた。止んだのではなく、消えた。

 空気分子の一つ一つが、まるで展足板に針で留められた昆虫みたいに静止した。

 真珠は次第に紫へと侵されていく。空は更なる暗黒へと叩き落とされていく。

 それはまさしく滅びそのもの。狂気の擬人化。不吉なる光。

「神秘、()()

 紅血の海が光に分解される。その光は一点に集まって、一つの形を成した。

 旧時代に打ち捨てた銃、その概念の具現化。銃が有するテクスト、象徴(シンボル)暗喩(メタファー)に実存を与えたもの。

「純協力者よ──()()()()()()()

 七人の仮面は掌を向けて突き出す。彼等から光が抜け、私の身体に帰ってきた。

 しかし、これでもまだ足りない。最後の一押し。奇跡を生む最後の欠片(ピース)

「教授よ──()()()()()()()()()()()()

 白き仮面が近寄って私の背後に立つ。そしてカードをかざした。

 

[大人のカードを砕く]

 

 銃はその身を倍に大きくする。サンクトゥムから放たれる光は、視力を奪うほどの光度に達した。

 その代償として彼の魂は滅びる。糸の切れた人形が、力もなく地面に倒れ伏せた。

 あとは引き金を引くだけだった。このたった一動作で、世界は変わる。変わらなければならない。

 

 名もなき神。

 忘れられた神々。

 先生。そして、保護者(わたし)

 全てを贄に捧げる。

 破滅は消え、平和が訪れる。

 誰も苦しまない。

 誰も悲しまない。

 そんな素敵なキヴォトスを──

 

[newpage]

 

「……死にたく、ないな」

 保護者(わたし)は確かに引き金を引こうとした。覚悟などなくても、まるで息を吸って吐くかのように引けたはずだった。

 私は指を動かす代わりに、言葉を漏らしていた。

 今にして思えば、それは積み重ねだった。ウイさん、勇者アリス、エックハルト。

 私という個。捨てたはずの個が、蘇ってしまったのだ。

 けれど、それはたった数秒の隙を生んだに過ぎない。色彩が保護者(わたし)に触れるところまで到達するのにはまだ時間を要する。

 ワンテンポ遅れただけ。それだけだった。

 

〝君の思い、たしかに聞いた〟

 その隙が致命的な結果を生んだ。若々しい声に振り返ると、私の視界は真っ白に塗りつぶされた。

 そして一拍置かずに私は突き飛ばされる。なにが起きたのか、色彩はどうなったのか、なぜ先生が生きているのか。思考は追いつかない。

 パリンッ。ガラスの割れる音がした。こぼれた流動体が私の方向にも流れ、ドレスが濡れて重くなる。

「……先生」

〝ごめん、遅くなってしまったね。シロコ〟

 純協力者たちの悲鳴と守護者たちの怒声、その中から二人の会話がうっすらと聞こえた。

 力が抜けていく。全身から、神秘が薄れていくのが分かる。

 損傷と治癒を繰り返していた身体はとうに限界を迎えていた。摩耗した精神も、使い物にはならなかった。

 ──私の負け、でしたね──

 保護者(わたし)はゆっくりと目を閉じる。

 敗れ去った不可能性を、胸に抱きながら。

 

[newpage]

 

 ──久しぶりの白い部屋。見回すと、エックがいた。

「おはよう、先生」

〝……これは、まさか?〟

「そのまさかだよ。成功したんだ」

 顔にシワのある白髪の教授は嬉しそうに身振りする。この部屋に戻ってこれた、それは先生(わたし)教授(エック)の分離を意味していた。

〝でも、いったいどうやって──〟

「キミの記憶を覗いていた。感覚的には、何年も何十年も。キミが先生として選んだ道を見た。そうしているうちに、私は一つの答えを得てね」

 教授はコツコツと音を鳴らしながら歩き、その場をぐるぐると回る。そして椅子を取り出して座った。

「私は、キミじゃない。私は先生に相応しくない」

〝それは……〟

「キミの心意気は素晴らしい。大人として子どもを守り、大人の責任を果たす。身に余る理想で押し潰されそうになりながらも、前に進もうとしている」

 足を組み、教授は笑む。

「私は違う。どれだけ嫌でも、私はどうしようもなく流動者だ。固定者を見ると鳥肌が立つし、同じ空気を吸っているという事実だけで吐き気がこみ上げてくる」

〝エック……〟

「その真実を受け入れたおかげで、私の魂はついに安定したんだ。一人はこうやってまた元の二人に戻れた。〆切りギリギリだったが」

 私たちはシロガネの言う通りに大人のカードを砕いた。今から一分と経たずに色彩に向けて攻撃をするだろう。

〝ちょっと待って──私たちは、死んだはずじゃ〟

 大人のカードと命を代償として大幅な強化を与える。それが、シロガネから与えられた義務だった。それに抗うこともできずに従ったはず。

「そうだ。私たちはカードを砕いた。そして、たしかに一つの(めい)が散った」

〝……まさか〟

「キミの記憶を旅していて、とある少女の選択を見たんだ。たしか、ケイという名だったかな。彼女はアリスの肩代わりに、その命を散らした」

 教授の瞳は虚ろだった。光がなく、まるで屍が動いているみたいに。

「一か八か、彼女の真似をしてみてよかった。カードの代償を肩代わりできた、ということは……まあ、それなりに認められたとも言える、か」

〝ダメだ、エック!〟

 駆け寄って手を掴もうとしても、無慈悲にするりと抜ける。色褪せた教授の肌は次第に消えていく。

〝あなたは死んじゃいけない! 私も、エックの記憶を旅した……あなたは打算なんて考えずにシロコを助けたはず。そうでしょう!〟

 教授は何も答えずに目線を逸らす。

〝生徒のみんなは先生(わたし)じゃなくて教授(あなた)を見ていたんだ。他の誰でもない、マイスター・エックハルトを〟

「……まあ、そうかもしれないな」

〝みんな、あなたの帰りを待っているはずなんだ。だから……〟

「だから、自分が死ぬって? 冗談はよせ。今の保護者を止めるのはキミだ。キミが取れなかった責任は、キミがなんとかしろ」

 消えかかる教授は素っ気ない言葉を、優しい声色で説く。講義を受けにきた礼儀知らずの受講者を、親切心で咎めるように。

「なに、私は(めい)を失うだけだ。私を構築していた記憶は消えない。ゲマトリアがなんとかして復活させてくれるかもな。それこそ、ケイと同じようにね」

〝ゲマトリアは死んだはずじゃ?〟

「どうせあいつらのことだ。死の対策なんていくらでもしてる」

 いよいよ、輪郭さえ失われてきた。辛うじて見える表情に、破滅への怯えは一切ない。

 彼はただ、静かに微笑んでいた。

「私たちがヒナタに伝えた通り、増援が来るはずだ。だから、シロガネを止めた後は生徒次第になってしまうが」

〝なら、信じよう。いつも通りに〟

「そうだな……よし、伝えたいことは以上。それじゃ、これでおさらばか」

〝……またいつか会おう〟

「ああ。そんな奇跡も、そう難しくないかもしれないな」

 

 エックはそう言って、消えた。光の粒子にも、水になることさえなく。

 果たして彼の人生はこれで報われたのだろうか。私には分からない。私は、彼ではなかったからだ。

 彼はただ一人の流動者、一人の教授、一人の大人として……最期までその責任を捨てなかった。

 今は敬意を払おう。同じく責任を負う者、一人の大人として。

 

 

 おやすみ、教授──




思ったんですが、もっと話を切ったほうがいい気がしますね。
一応、前後編で八話毎のほうが区切りいいですし、そもそもパロディするだけのタイトル数がディストピア小説には少ないという難点があったり。
今回は「白い服の男」。星新一より拝借させていただきました。
面白いので読んでください。というか今までのタイトル元はだいたい面白いと思います(鉄の踵は…ちょっとですが)

次回、最終話。ハーモニー。
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