元生徒たちは青春物語の夢を見るか?   作:転倒

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プチお知らせ:各話タイトルを邦訳タイトルに変更しました。

※今回は残酷描写が含まれますので、ご留意ください。


顧みれば

 私のはじまりは、悲鳴だった。

 

 生と死が奏でる旋律。

 

 ああ、可哀想に! 私はそう思った。

 

 助けてあげなきゃ! 私はそう思った。

 

 目を開けた。求められるままに目覚めた。

 

 私のはじまりは、赤く染まった空の下。

 

 

 

 滴って反響する水の音が、ウイの眠りを妨げる。ゆっくりと瞼を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。ベッドの上でぐっすりと眠っていたようだ。

 上体を起こす。拘束具らしきものはついていない。変装をしていたはずが、インナーにカーディガンの普段着になっていた。冷えた空気がどこからか流れ、彼女の肌を震わせる。天井から光が射し、黒い大型の箱のようなものを包み込んでいた。

「おはようございます」

 どこかで聞き覚えのある声に反応して振り返ると、そこには一人の女性がいた。二十歳前後のように見える若々しい容姿に、ウイ以上の背丈。体型はスラっとしていて大人びている。光に照らされた白銀色の長髪。鮮血のような目。その美しい瞳に、光はなかった。

「あまり容姿のことには触れないでください。恥ずかしいので……あの、よく眠れましたか? 一応、ウイさんの身体に合うベッドを用意したつもりなのですが」

「あなたは、誰ですか」

「私……私ですか」

 

 心細さからか、ベッドシーツを掴んだまま動かないウイさんに私は少しずつ近づいていく。ウイさんが私の言葉を聞き漏らさないよう、一音一音を丁寧に発した。

「私は保護者。貴方たちの保護者。お久しぶりです、古書館の魔術師……古関ウイさん」

 そう私が言い切る前にウイさんは後方へ跳び、ベッドを挟んで私との距離を取られてしまった。

「十九年ぶりの再会なのに、その態度は心外ですね」

「あいにく、会うのは初めてですよ」

 混乱、不安、殺意。錯綜する思考を押しやって私への思いを募らせている。そんなウイさんを見て、少し憂鬱な気分に襲われる。

「記憶が正しければ、古書館には三か月ほど足繫く通っていたのですが。まあ、いいでしょう」

「黙ってください」

 先刻まで眠りこけていたとは思えないほどの瞬発力で、ベッドを盾にしつつ愛銃を取り出して引き金を引く。

 〇・四五インチ口径から放たれた弾丸は音を殺して(くう)を切り、私の胸に綺麗な赤い花を咲かせてみせた。

 バタン。私は後ろに力なく倒れてしまった。だんだんと床に血が広がって、生温かい感触でいっぱいになる。

「あっけない」

 ウイさんは一言、そう添えた。コツン、コツンと音がして、次にペチャ、ペチャと血を踏みにじりながら私のほうへ歩いてくる。銃口を眉間に押しつけて、引き金に人指し指をかける。そしてぐっと、指に力を入れた。

 しかし、引き金はピクリとも動かない。

 より正確に言えば、指が動かせなくなったのだ。

「油断しました。まさか懐から小銃(カービン)を取り出して、いとも容易く腹をぶち抜いてしまうとは。デカルコマニーに手入れでもしてもらいましたか」

「こ、れはっ……」

 私は血をなぞって空いた胸を撫でた。広がった血の湖は空いた穴に回帰していく。朱に染まった服はだんだんと緑色を取り戻す。十秒も経たずに、死の痕跡はすっかり失われた。

 銃口をどかして起き上がり、私は近くにあった椅子を引き寄せて座った。

「ぐ、あ、あああ……」力を振り絞っているようだ。

「ダメじゃないですか、ウイさん。まずは対話を試みてから、って先生と約束していましたのに。まあ、()()()()()()()()()()()()? 茶菓子は用意できませんけれど」

「なっ、身体がっ」

 私の指先の動きを追うように、ウイさんの身体は姿勢よく着席した。

「……やはり銃はすでに〝外〟の判定になっているようですね。とりあえず、()()()()()()()()()()

 銃はそのまま寝そべる。手はお膝の上。私とウイさんは向き合ってようやく話し合いの席についた。

──奪った神秘を使えるだけじゃない? この能力は一体──

「気になりますか、私の能力が」

「私をここに連れて来れたのは……セリナさんの神秘で、ですね」

「大正解です。複数の神秘を同時発動すれば、大抵のことはできますよ。本来であれば致命傷でも、超回復の重ね掛けで、ほらこの通り」

 ウイさんは変わらず鬼のような形相で私を睨んでいる。絶望的な状況でもなお彼女は折れずにいた。死を覚悟した者が見せる反応とは、往々にしてこんなものである。

「安心してください、人をいたぶる趣味はないので。もう少し肩の力を抜いてもいいんですよ」

「私を拉致して、なにがしたいんですか」

「神秘の回収です。あなたの役目は達成されましたので」

 何のことだかさっぱりだと言いたげなウイさんの表情。私は構わず話を続けた。

「あなたは保護者に一矢報いるため、反政府地下組織を作って固定者たちを教育した。しかし道半ば、守護者に捕らえられて処刑されてしまう。そして、あなたの遺志を継いだ流動者エックハルトが〈先生〉の座を継承する……これが筋書きです」

「すべては自分の手のひらの上だと言いたいんですか? 私たちを操った気になって、神様気分はさぞ気持ちいいでしょうね」

「どのような解釈をしようと、ウイさんの勝手ですが……」

 

 前屈みになってウイさんの顔を覗き込むと、そこには炎があった。決して消えない憎悪の炎。彼女が死んでも、その燈火は人へ人へと伝播して、いずれ私の身体を吞み込むのだろう。ここで鎮火しておかなければならない。

 なぜだか、胸の奥が熱い。

「私は先生からすべての記憶を削除し、『エックハルト』の名と記憶で上書きしました。そして、鷲見セリナさんと水羽ミモリさん、他数名の神秘を用いて監視を続けました。エックとしての生を与えたとはいえ、彼は()先生。そう遠くないうちにウイさんと接触すると読んだのです。ただの〝直感〟でしたが」

「先生は必ず思い出を取り戻す。偽の記憶になんか惑わされない」

「偽? いえ、あれは本物ですよ。当人にとっては」

 席を立って本棚に向かい、一冊の本を抜き取った。表紙には「エック教授の講義記録」と記されている。それをウイさんの膝に置いた。

()()()()()()()()()()()()。どうか遠慮なさらず、あなたのために紙媒体で用意したのですから」

「これは……」ペラッ、ペラッ。

「エックハルトの仕事ぶりです。彼の言葉に、先生としての経験則は存在しません。エックとしての純粋な思考に基づいた理論です」

〈……固定者を差別し、嫌悪することで社会は滞りなく動く。悪感情の発散は生理現象だ。発散を滞らせることは精神的自傷に繋がるだけでなく、重大な義務違反を犯す原因にもなる。だからといって、流動者同士で争うのは不毛だろう。流動者は固定者を、固定者は流動者を。これこそが健全な社会を維持するための……〉

「これを、本当に先生が?」

「彼曰く、『思考から真実は生まれる』。すでに真実なんですよ、輪抜けのエックは。けれど、先生というのもまた真実。互いに矛盾し合ってしまう真実、彼はどちらを選ぶでしょう」

「……」言葉を失った。

「答えは〝どちらも選ぶ〟です。もっとも、私の思惑通りにいくかは賭けですが」

 話し終えた私は小休止に椅子へ戻り、再びウイさんと向き合った。彼女は狼狽えた様子のまま動けずにいる。

 そうだ、救出に向かっているであろう先生側の動向も見ておかなければ。

 なぜだか、胸の奥がすごく熱い。

 

 

 

 暖炉の火は、静かに燃えている。

 ヒナタはドローンを両手に抱え、焦る気持ちを抑えながら壁の前で待機していた。エックは渡されたUSBメモリを挿して目的地のマップデータを読み込む。壁に手を当てながら、黒服はぶつぶつと聞き取れない声を呟いていた。

「あとどれぐらいかかる?」

「もうしばらくお待ちください。初めて向かう座標なら、慎重に設定しなければならないのです。ミスは死に直結します。助けに向かって身体が真っ二つになってしまっては元も子もないでしょう」

 敵地のど真ん中に潜入してウイを助けに行くにあたり、ミレニアムから索敵用のドローンを二台借りた。まだ実証段階ということもあって、彼女らも実戦データ収集のために快く協力してくれた。

 このドローンにはゲマトリアの技術も使っていて、地上のものに匹敵する性能を有しているらしい。人工知能搭載、迷彩機能、煙幕機能、自爆機能付き。果たして自爆などという野蛮さが必要なのか、エックは疑問に思っていた。

『こういうのはロマンなんだよ、エック教授』

 ウタハはそう言っていた。職人(マイスター)が言うのなら、間違いないだろう。

「……〈壁の目〉、繋がりました。あらかじめウイさんに埋め込んでおいた受信機が役に立ちましたね」

「行こう。時間がない」

「はいっ」

 

 二人は壁にめり込んでいく。〈壁の目〉による移動は危険を孕んでいるが、非常時においてこれより便利なものもない。壁紙に全身を包まれて、視界は閉ざされた。エックは覚えている、暗闇の中に溺れていくこの感覚を。地下へと続く梯子と同じだった。

「エックさん、起きてください」

 目を開けると、すでに移動は済んでいた。部屋を見渡すと、机の上で受信機が赤く点滅している。エックはそれを手に取り、損傷がないか観察する。

「……ウイの受信機で間違いないね。抜き取られてしまっていたのか」

「ウイ先生はご無事でしょうか」

「今は無事だと考えておこう。受信機をわざわざ壊さずに放置したということは、救出に来るのは見透かされているね」

 エックも覚悟していたことだが、これは明らかな罠である。受信機の位置、つまり救出部隊の出現位置を相手に掴まれてしまった以上、圧倒的に不利な状況だった。あえて部屋に守護者を配置していないのが、余計に思惑を感じさせる。

「ヒナタ、正直に言うと……私たちは罠に掛かっている。このまま進めば犬死にだよ。私は責任を果たすためにも向かうけど、犠牲者は少ない方がいい。つまり」

「引き返しませんよ。エックさんに責任があるのなら、私には恩がありますから! 先生のおかげで、私の灰色の世界は色鮮やかになりました。今度は私が、助ける番です」

 ヒナタがスイッチを入れると、ドローンたちは四方のプロペラの回転速度を上げていく。空気を巻き上げながらフワッと目線の高さまで上昇する。エックはゆっくりとドアを開け、ドローンはそのまま廊下へ飛び込んだ。

〈熱源反応:ゼロ〉

 数分後、安っぽい携帯モニターに映し出された情報をヒナタは確認する。ヒナタの頷きを見てエックも廊下に出た。

 冷たい照明はすでに消え、やわらかな月明かりのみが窓越しに射している。

「どうやってウイ先生を探しましょう?」

「しらみつぶし探索はあまり好きじゃないな……なに、どの部屋にいるかの検討ぐらいはつくとも」

 前方にかざした手で空を撫でてマップデータを展開する。どうやらここは最上階のようだ。網膜に投影された立体地図を見ながら、非常階段に向かって走った。不気味なほどに静かなこの空間では、二人の地面を蹴る音とドローンの羽音だけが耳に残る。

 

 エスプレッソを作るには、抽出するための機械が必要だ。なら、神秘の抽出はどうだろう。ゲマトリア曰く、それは成しえることのできないはずだった神業。

 神業にはそれに相応しい機械が必要だろうとエックは仮定した。丁度良く、この建物の地下には〝機械〟がある。名は〈クラフトチェンバー〉。そこに保護者とウイがいなければ、二人は総当たりか撤退を覚悟しなくてはならない。しかし、エックには妙な確信があった。この確信は彼の中の先生によるものなのか、あるいはただの直感か。

 

 

 

 私は顎を撫でながら、土足で踏み込んできた来賓に対するもてなしを考えてみる。ふと壁に掛けられた時計の針を見た。

「まだ抽出には時間が必要ですね。少し邪魔をしてしまいましょう」

 壁に人差し指を押し当て、横にすーっとなぞっていく。

「……なにをしてるんです」

「階段を変形させたり、通路を迷路にしたりしています。ご安心を、お二人に危害を加えるつもりはありませんよ。単なる時間稼ぎですので」

 この建造物〈シャーレ〉には守護者を配置していない。ここは一八年前に私が掌握してから現在まで封鎖状態のまま。代わりに〈パンちゃん〉をけしかけてもいいが、それで怪我でもしたら大変だろう。

「お気づきでしょうが、抽出完了までにそれほど時間は残されていません。六時間前に開始したので、あと三十分ほどです」スリーピース。

「抽出が終わったら、どうなります?」

「貴方は生まれ変わります」

 その発言を聞いて疑問符を浮かべるウイさんに、私は答えを返す。

「神秘を取り除いた身体は、輪郭を維持できずに崩壊してしまいます。魂だけが残り、楽園に辿り着くことなくキヴォトスを彷徨うのです。その魂を回収し、用意しておいた新たな身体を与える……こうして、ウイさんは神秘から解放されます」

「おかげさまで。まったく、何様のつもりなんですか……」

「感謝の言葉はいりません。永遠平和のために、私は私のなすべきことをなしているだけですので」

 皮肉も効かないのかと悪態をつきたそうにしているウイさん。怒りの原動力すら失ってしまったのか、げっそりとした顔を見せる。

 なぜだか、胸の奥が熱くて仕方ない。

「辛そうですね。無理せず横になってもいいんですよ」

「……一つ訊かせてください。どうして、学園都市を、青春を、破壊したんですか」

「この世界が患っている〝破滅〟を摘出するためです」

「だから、可能性の明日ごと潰そうと言うんですか?」

 同意を求められないことは分かっていた。頭で理解していても、心は痛むものだ。椅子から崩れ落ちそうになっているウイさんを支える。

 ああ、その痛む心を与えてくれた人は、私の目前で息も絶え絶え。

「曰く、『それが安定のために我々が払わないといけない犠牲なのだ。幸福か、それとも芸術か、どちらかを選ばなくてはならない』……」

「……『すばらしい新世界(Brave New World)』ですか」

「さすがですね。そう、私はあの社会に感銘を受けたのです。そして実行した。最終構想はオーウェル的になってしまいましたが」

「あなたは世界統制官でも、ビッグ・ブラザーでも、恩人でもありません」

「ええ。私は誰でもない、ただの保護者。世界の『そうあれかし』という叫びを聞いて生まれた泥人形。自我を必要としない空の器」

 なんと哀れなことか。目の奥にあった、憎悪を薪にくべて燃え滾っていたはずの炎は、すでに見る影もない。

「昔、古書館で文献を読み漁らせてもらいました。ウイさんは私のことを思い出せないようですが……なぜ、そうしたのか分かりますか」

 返事はなかった。私は構わず話を続ける。

「破滅の原因を探るためです。なぜ、空が赤く染まったのかを調べ、二度と同じことが起きないように対策する。これが私に与えられた指令」

「あの事件は、先生がなんとかしてくれました。今さらなにを……」

「あれはまた起こり得ます。私たちが神秘を持っている限り、〈反転〉はいつ起きてもおかしくない。根本から絶たなければ苦しみは続いてしまいます。次また空が赤く染まったとき、また解決できるとは限りません。キヴォトスを守るためには、こうするしかなかったんです」

 ウイさんは私の頬を流れる一縷の涙をぬぐい、舌先で舐めた。気持ち程度の栄養補給を済ませると、震える足を両手で押さえながら立ち上がる。

 今にも倒れそうな彼女は喘ぎながらも肺を動かして、私の顔をじっと見つめる。

「……ああ、あなた、だったんですね」

「思い出してくれましたか」

「あのとき、引き留めておけばよかったです」

「いずれ、こうなる運命でしたよ……でも、確かに。古書館で掃除係でもしていれば、なにか違ったのかもしれませんね」

「最後に、質問……させてください」

「どうぞ」

「一度取った神秘は、元に戻せますか?」

「いいえ、不可逆です。あなたの青春は、二度と帰ってきません」

 私はキッパリと答えた。意地悪ではなく、本当にそうだから。ウイさんは私に微笑みかける。そして一言、ただ一言だけ呟いた。

 ああ、胸の奥が焼けるように熱い。

 

「おやすみ」

 接吻。同時に、熱。熱い。胸が、とても。なんだ。なにが。

「かっ、は……」

 咄嗟に口を押さえた手には、べったりと血がついていた。目線を下ろすと、私の胸からいくつもの棘が全方向に突き出ていた。

 内臓はもちろん、喉、乳房、脊柱、太股、足、肩、前腕、眼窩(がんか)。あらゆる部位を棘は容赦なくずたずたにした。

 そればかりか、目の前にいたウイさんの身体まで貫いていた。この隙を作るために、自分を巻き添えにしたのだ。彼女が後ずさると鋭利な棘はずるずると胸から抜けていく。後ろ髪も巻き込まれて黄緑色のリボンが解ける。抜き切ると、胸には穴が空いていた。小さな小さな穴だが、致命傷だった。

「油断しちゃダメじゃないですか。相手は魔術師なんですから」

「……」

「弾、取り除いてませんでしたよね。放置したら()()()になりますよ?」

「……」声が出ない。

「ふふ、してやったり、ですね。私だって保護者(あなた)を本気で殺そうと、十年も燻ぶっていたんです。ゲマトリアのみなさんには、感謝、しないと……」

 ウイさんは目を擦る。まばたきする度に掠れていく視界。壁を背に、彼女はドアの方向へ進む。

 左足に力が入らない。手で胸を覆いながら、一歩ずつ、一歩ずつ。

 右足から力が抜ける。うつ伏せに倒れ、受け身も取れずに全身を打ちつけられる痛みが走った。

 左腕は床にぶつかった衝撃で折れた。これでは、本を治療することは当分できそうにない。

 右手指の感覚はなくなってしまった。しばらくは、ペンを握ることも叶わない。

「帰らなきゃ……あの子たち()と、生徒が」

 彼女は這いずる。力の出る限り身体を動かし、ドアに向かう。冷たい床が、残り僅かな生命の熱を奪っていく。天井から射す優しい光で、肌は焼くような痛みを与えられる。それでも、前へ進む。

 

 

 

 二人はアスレチックのような階段を駆け抜けて、ようやく地下に着いた。

「なんだ、これ……地図とまるっきり違う」

 通路のはずのところに壁。壁のはずのところに通路。エックは頭を抱えた。これでは部屋に辿り着くまで相当な時間がかかる。

「部屋の方向を教えてください」

「ここを真っすぐだ。でも、壁が」

「壁なんて壊しちゃえばいいんです!」

 二人は横の通路に退避した。スイッチを長押しすると、ドローンは赤く光って突撃していく。轟音と共に翼で風を巻き起こし、目にも止まらぬ速さで壁と激突する。

 モニターに〈短イ間、アリガトウ〉と表示された次の瞬間、爆発音がキーンと頭に響く。エックはおそるおそる頭を上げて壁の様子を確認する。硝煙の中から、床に散らばった瓦礫が現れた。支柱らしき残骸は見当たらない。

 ウタハの言うように、爆発はロマンだということが分かった。足元に気を付けながら二人は先へ進む。

 また壁を破壊し、手持ちのドローンはゼロとなった。しかし、壁はもう一枚残っていた。

「もうドローンは残ってません……」

「なにか、まだあるはず」

──持ってきたナイフは役に立たない。今から回り込んで……間に合う保証は? 換気口はどうだ。誰かにねじ曲げられていてとても侵入できそうにないな。いっそのこと体当たりで、いやそんなことをしても時間の無駄だ! もうさっさと通路に沿って──

 ヒナタは壁に触れ、思い切り拳を突き上げる。鈍い音が空気を揺らした。壁はびくともしない。

「いってて……やっぱりダメでした」

「なにやってるんだ、そんなことしたって」

「若葉さんという、私によく似た友人がいたと……ウイ先生は仰っていました。その方はとても力持ちだったそうです。もしかしたら、と思いまして。そう上手くはいかないですね……」

 血が垂れ、床に滴り落ちる。笑顔を取り繕っているが、その手は震えていた。

 それを見たエックも壁の前に立ち、握り拳を作って同じように突き上げる。結果は変わらず、ただ手の甲が血で濡れただけだった。しかし、エックは確かな手応えを感じた。

「この壁、薄いな」

「一緒に体当たりしてみたら、壊せるかもしれません!」

 二人は息を合わせ、助走をつけながら壁に突撃する。さながら気分は特攻ドローンだった。衝突すると壁は五センチほどぐにゃりとへこみ、ついに負荷に耐えきれずドミノのように倒れた。粉塵が舞う。二人は目を細めて咳き込みながら立ち上がる。

 突貫工事で作られたような迷路は、ついに突破された。この扉の先に、ウイがいるはず。そして、保護者も。急いでドアノブを回してエックは中へ飛び込んだ。

 

「……ウイ?」

 そこには、血にまみれて倒れている彼女の姿があった。二人は急いで駆け寄り、仰向けにして呼びかけた。

「先生っ! 起きてください! 私です、ヒナタです……助けにきました!」

「せ、んせ……?」

「そうだ、私だよ。キミの先生だ」

 その言葉を聞いて、ウイは笑顔を取り戻した。右手をあげて、先生(エック)の頬に触れる。肌を通して感じる温度で、彼が幻覚ではないことを悟った。

 エックはウイの胸に触れる。ジョウロの底に空いた穴のように、血がどんどん漏れ出ていく。

「し、止血帯を」

「痛むだろうからやめておこう」

「ですが……」

「……もう、手遅れだよ」

 ヒナタは言葉を詰まらせる。二人とも、ウイを一目見て分かっていた現実だった。しかし、受け止めがたい現実でもあった。

 エックはウイの手をそっと握る。冷たい。その手からは、すでに生命が抜け落ちていた。瞳からは光が消え、黒目も濁っている。二人の顔はすでに見えなくなっているのだろう。

「りぼ、ん、落とし……」

「拾いに、行ってきますね」

 ヒナタは椅子のそばに落ちていた黄緑色のリボンを拾い、ウイの手に握らせた。指先の感覚はすでにないが、リボンをにぎにぎと確かめるように触れた。

「シミコ……ご、めん」

 涙を流す余力さえ、彼女には残されていなかった。必死に息を吸って声を出そうとしている。

「ヒ、ナタ。どこ……」

「ここです、ここにいます!」

「……ふ、元気、だね」

「はい!」

「ヒナタ……あなたは、あなた、らしく」

「……」

「いて、いいんだよ」

「……はい」

 先生(ウイ)の瞳に、少しだけ光が入った。わずかに残された砂時計を使って、ウイは身体を起こす。

 そして、エックと唇を重ねる。互いのやわらかい部分がはっきりと感じ取れる、とても穏やかな口づけだった。そのキスは三秒とない、短い時間のものだったが、ウイにとっては永遠とも思えるものだ。

「ウイ……」

「十九年ごしに、かなえちゃいまし、た……」

 少し顔を赤くした乙女は、ゆっくりと目を閉じる。

「愛してます、せんせい」

「私も、愛してるよ。ウイ」

「ふふっ。先生は、そんなこと、言ってくれませんよ……」

 

 ウイは微笑んで、エックにリボンを手渡した。

「エックさん。あとは、お願いします」

「わかった」

 部屋が眩い光で照らされる。黒い箱が白い光を放っていた。

「……あれは、クラフトチェンバー?」

 

 

 

 パシャッ。

 箱は発光を弱めていく。

 ふと、エックは触れていたはずの手が離れたことに気付いた。ウイの方を向くと、そこには何もない。周りは水浸しで、バケツの水をひっくり返したような惨状だった。エックは水をすくい上げる。指の隙間からこぼれていく。ただの水だ。何の変哲もない一酸化二水素。

「ウイさんは、どこに……?」

「……帰ろう」

「ま、待ってください。今、あの箱が光ったあと、ウイさんが」

「消えたんだ」

「探しましょう、まだそう遠くへは行ってないはずです。きっと保護者がなにかしたんです」

 錯乱するヒナタの肩に手を置き、エックはしっかりと目を合わせる。

「あの箱は〈クラフトチェンバー〉だろう。あの光がなんなのかは分からないが、作動したとみていい。それと同時に、ウイは消えた。おそらく、神秘の抽出が完了したんだ」

「じゃあ、ウイさんは」

「帰ろう。今考えるのは、帰り道のことだけでいいから」

 エックもそれ以上は何も言わず、ウイが遺した銃とリボンを持って部屋を出た。濡れた服はしばらく乾きそうにない。

 

 冷たい空気が肌に当たる。私は目を開け、二人が去ったことを確認した。霞沢ミユの神秘のおかげでなんとかやり過ごせたようだ。しかし、まだ一息つくには早い。

 自由がきく左手で棘に触れてみる。うんともすんとも言わない。予想通り、外物のものだ。このままではただ死を待つのみである。折ろうにも、かなり硬い。

──蒼森ミネ、栗浜アケミ、十六夜ノノミ、若葉ヒナタ、聖園ミカ──

 力を込める。棘はメリメリと音を立てて、ついに折れた。全身の筋繊維という筋繊維が、棘を体外へ追い出そうとする。

 半刻ほどの格闘の末、身体修復を阻害していた大きな破片は排出されきった。身体は蒸気をまとい、着々と修復し始めている。それから数分して声帯が回復した。

「あ、あー……ようやく喋れますね」

 ウイさんのところまで歩こうとするものの、足は言うことを聞こうとしない。身体の動きが鈍い。ズキズキとした痛みが全身にまとわりつく。小さな破片までは取り除けなかったせいだ。頭の中で声が響いている。

 片足を引きずったまま進んでいく。水浸しになって倒れているウイさんの魂を掴む。それはとても美しく輝いていて、触れると優しい温かさが手に伝わった。きっと、未練なく別れることができたのだろう。

 ウイさんを身体(ボディ)が安置してある部屋まで案内した。魂はそれにすっと入っていき、おくるみに包まれた中でウイさんは生まれる。瞳も髪色も染まっていく。腕の中で泣く彼女をあやしながら、私はシャーレを後にした。冷ややかな夜風が髪をなびかせている。

 部屋は静寂に包まれた。水溜まりはすでに消え、どこからか流れる風の音が空間を滑空している。黒い箱は、弱々しい光を放っていた。




保護者(オリキャラ)、堂々登場です。
今回は書いてて辛かった。ウイ……。
前後編で区切りよくプロット構成しているのですが、前編は残すところあと二話となりました。早いものですね。
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