原神IF -知っているようで、知らない世界- 作:白い花吹雪。
遺跡を後にして街へ戻る途中、私はふと、教会の前を通りかかる。
そこで出会ったのは、見覚えのない女性だった。
茶色い髪を三つ編みにした、シスター姿の女性。
彼女は静かに立って、花壇に水をやっていた。
「……あれ?」
その佇まいに、違和感を覚える。
モンドのシスターは何人か覚えているけど、こんな人は知らない。
しかも、彼女のそばに漂う淡い緑の光…これは——草元素か?
とすると、神の目を持っていることになる。
「こんにちは。お疲れ様です、旅人さん」
「…あなたは?」
そう問いかけると、彼女は柔らかく微笑み、静かに名乗った。
「私はリィルと申します、モンド教会でお手伝いをしている者です。旅人さんが来たという話を聞いて、いつかお会いできるかと思っていました」
「リィル……」
聞き覚えのない名前だ。
でも、それより気になったことがある。
「…モンドに草元素使いって、いたっけ?」
私の記憶では、モンドには草元素の神の目を持つ人はいなかったはず。
次に行った国である璃月にはいたけど。
「ええ、この国では珍しいかもしれません。私もこの地の出身ではありませんから。昔、風に導かれて…ここに辿り着いたのです」
淡々と語るその口調に、嘘や誇張の気配はない。
ただ、何か深いものを隠しているような、そんな静けさがあった。
「……変な話だけど、ちょっと安心したよ。記憶の齟齬かと思ったから」
私がそう呟くと、リィルは少しだけ目を丸くした。
「記憶、ですか?」
「…うん。いや、これは個人的な問題なんだけど。あなたみたいに、前に見たことがない人が増えてる気がして。でも、モンドの景色は変わってないし…私の記憶だけが違ってるのかもって、少し不安になってた」
「……もし、その記憶があなたにとって大切なものなら。私は、嘘ではないと信じます」
「……ありがとう」
その言葉に、ふっと肩の力が抜けた気がした。
おっとりしたこのシスターの言葉には、不思議と心をほぐす力がある。
「風魔龍のこと、お気をつけください。神に仕える者として…いえ、一人の祈る者として、あなたの旅の無事を願っています」
深く頭を下げる彼女に、私は「ありがとう」とだけ返して、再び歩き出した。
やっぱり、おかしいのはこの世界の方だ。
今の彼女のように、見覚えのない人までいる。
なのに、私以外はそれを不思議に思っていない。
…いったい、何がどうなっているのだろう?
翌日、私は改めてモンド教会を訪れた。
昨日の出会いが、妙に心に残っていたからだ。
扉を開けると、内部は相変わらず静寂に包まれていた。
荘厳なステンドグラスから差し込む光の中、祈る人々の姿もちらほらとある。
その奥に、昨日の女性——リィルの姿を見つけた。
祭壇の端で、小さな鉢植えを並べている。
その手つきは丁寧で、花に語りかけるような静けさがあった。
「リィル」
声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。
「おはようございます、旅人さん。ようこそ教会へ」
「……昨日は、ありがとう。ちょっと気になって。あなたのこと」
「まあ。ふふ…そんなふうに言われるのは、少し照れますね」
リィルは穏やかな笑みを浮かべ、胸の前でそっと手を合わせた。
「…バーバラさんには会いましたか?」
「いや、まだ」
バーバラのことはよく知っている。
前の旅の記憶と、何も齟齬がなければだけど。
「彼女には、とてもよくしていただいています。歌やお祈りの練習にも付き合ってくれるんです。…私、音程を取るのが少し苦手なので」
恥ずかしそうに頬を指で押さえながら、リィルは笑う。
バーバラと交流があるのなら、少なくとも正体の怪しい人物ではなさそうだ。
でも、やっぱり——
「…あなた、本当にここに“昔から”いたの?」
問いかけた声に、わずかに沈黙が生まれた。
「…昔、というのがどれくらい前のことを指すのかにもよりますね」
リィルは、目を伏せたまま言う。
「私は、誰かに呼ばれてここに来たわけではありません。ただ、風に導かれるままに歩いて、気がつけばモンドに辿り着いていたんです」
「風に導かれた…」
その言葉は、どこかで聞いたことがあるような感覚を呼び起こした。
でも、それが何なのかは思い出せない。
「神の目を得たのも、モンドに来てからです。…だから、私が“草”の加護を受けたこと自体が、少し不思議なことなのかもしれませんね」
そう言って、リィルは手のひらを広げた。
そこに浮かぶのは、淡く緑に輝く草元素の神の目。
それは確かに、かつてスメールなどで見たものと同じだった。
けれど、それがモンドの教会にある……というだけで、どこか奇妙で不安定な感覚が胸をざわつかせた。
「…ごめん、ちょっと、外の風にあたってくる」
「はい。…また、よろしければいらしてください。旅人さんの話、私は好きですから」
リィルの言葉を背に、私は外に出た。
——風に導かれて、草の加護を受けた者。
そんな存在が、いつの間にかモンドに現れて、しかも誰も違和感を覚えていない。
この世界には、やっぱり何かが起きている。
そして私は、その“何か”に、少しずつ触れ始めているのかもしれない。
教会の中に戻り、リィルと目を合わせた。
彼女は小さく笑いながら、手にしていた鉢をそっと棚に戻した。
「私に、何か気になることがあったのでしょうか?」
「うん。草元素を使えるモンドのシスターって、やっぱり珍しいし、あなた自身も…なんというか、どこか“この世界の人じゃない”みたいに感じたから」
ちょっと正直すぎたかもしれない。でも、彼女は驚くこともなく、静かに頷いた。
「…そうですね。私自身も、時々そう思うことがあります。モンドは大好きですけど、時折、自分が“ここに属していない”ような気がして……」
その言葉に、私ははっとした。
もしかして彼女も、私と似た感覚を持っているのだろうか。
同じ世界にいながら、どこか別の“軸”に立っているような——そんな感覚。
「ねえ、リィル。もし、あなたが“この世界の何かがおかしい”って感じたことがあったなら…その時、どうする?」
「……私は、信じたいと思います。目の前にあるものが本当かどうかより、それが“信じられるかどうか”を、大切にしたいのです。たとえ全てが夢だったとしても…その中で出会えた人が優しかったなら、それを偽りとは呼びたくない」
リィルの言葉は、まるで祈りのようだった。
静かで、あたたかくて、でも、芯のある強さを感じさせる。
「…そっか。やっぱり、あなたと話すと落ち着くよ」
気づけば、私は微笑んでいた。
そして、自分の中にあった疑念のいくつかが、少しだけ和らいでいるのを感じた。
「また、話してもいいかな?」
「ええ、もちろんです。何度でも。…風があなたを導いてくれる限り、私はここにいますから」
その答えに、私は深く息を吐いた。
少しずつ、この“ずれた世界”の中で、自分の居場所を見つけていける気がした。
そして、彼女という存在が——確かにこの世界にいることが、一種の救いであるようにも感じた。
『リィル』
信心深いモンドのシスター。風に導かれてこの国にやってきたらしい。
法器を扱い、草元素の神の目を持つ。
旅人の記憶にはない人物だが…?