スターシーカー:オルクセン軍秘録   作:芝三十郎

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オルクセン王国史の二次創作。原作web版読了後推奨。pixivに連載したものの転載です。

時は第二次星欧大戦の末期。オルクセン軍の降下猟兵たちは、敗戦目前のアスカニアに夜間降下した。携えているのは自決用の手りゅう弾である。



降下猟兵

 闇夜にプロペラの音が響いている。彼らが乗る黒塗りの輸送機が国境を出て数時間が経った。複雑な経路を低空飛行し、ここはもう戦地の上空。しかし、敵地とは言えない。それが問題なのだ。

 

 機内は既に減圧されている。後部ハッチが開く。輸送機の乗組員も、運ばれている彼らも、全員が無言のうちに動く。彼を含む全員がコボルト族であり、魔術通信を交わせるからだ。

 

 この輸送機から飛び降りた後、彼は自分がオルクセン軍の兵士ではなくなるのだと知っていた。この輸送機が自分達を迎えに来ないことも。降りられる滑走路がないからだ。これは片道切符の降下。自力で帰投手段まで辿り着くか、降りた先で死ぬかだ。

 

 彼は仲間たちを後に従え、まっさきにハッチから飛び降りた。巧みに身体を操作して位置を調整し、所定の高度まで降下すると、紐を引いてパラシュートを開く。肩と腰を通じて全身が上に引っ張られる。開いたパラシュートは黒く染められている。

 

 見下ろす地表には殆ど光が無い。灯火管制を敷いているのだ。だからわずかに見える赤い点は、団らんの灯りではない。炎上する家や車両。戦争の火だ。あの戦地こそ、これまで磨いてきた力を発揮すべき場所なのだ。

 

 正しい位置に降りるべく、彼は地表を見た。目標の丘はかなりの郊外だ。降下すべき地点は、その周囲の農地である。うっすらと地形が見えてくる。

 

 ここも誰かが汗まみれで耕した土なのだと、彼は思った。ここで死ぬなら、そう悪くはない。こんなに遠くまで来られたのだから。

 

 

 

 彼はコボルトの貧家に生まれた。地方の農家だった。自家用の作物があるから食べることはできても、金は無かった。

 

 両親と幼い彼の三人がいかに肉体を酷使しても、隣して耕すオークの農家のようにはいかない。オークたちが仕事を終えて帰宅する日暮れの後まで、彼ら一家は働き続けねばならなかった。

 

 彼が村内のオークの子らと野遊びをしても、差は明らかだった。上背で劣る。筋力差はさらに顕著だ。たまの喧嘩となれば、負けるのはいつも彼らコボルトの方。特に彼はコボルト族の中でも小柄なビーグル種だった。それでも年長のオークの子に立ち向かい、負けはしても一目を置かれる子どもだった。

 

 両親は、何としても息子に教育を与え、月給取りの道に進ませようとした。蓄えは乏しかったが、母方の実家から学資の援助を取り付け、一人息子を中等教育に送った。

 

 彼は街の実科学校で機械工業を学んだ。そこで彼が熱中したのは、勉学よりも身体を使うことだった。まず器械体操。次に陸上競技へ転じた。一秒、一センチを争い、他者と競うのはたまらなく楽しかった。劣等感を感じていた小柄な体は、跳躍に向いていたのだ。大地を蹴り、空中で思うとおりに身体を操作するとき、彼は自由と充足を見つけた。

 

 家族が期待した学業の方は対照的な低空飛行だったが、彼はもう誇りを知る牡だった。自分は誰にも負けないと、生まれて初めて信じることができた。

 

 そんな自分を活かす道はないものか。自分は高等教育には向かないと思ったが、技師見習いとして故郷に帰るのも嫌だと彼の若さが告げたとき、陸軍の門を叩いたのは自然な選択だった。広い世界で自分を試したかったのだ。

 

――ほほう、体操かね。走るのも得意か。そいつは素晴らしい。兵隊の商売はそいつだ。鉄砲は二の次、三の次ってもんだ。なに、飽きるほど走らせてやれるさ。

 

 そう言った募兵官の言葉は本当だった。兵士となった彼は、小銃の背負い紐を肩に食い込ませ、陸上レーンでは背負ったことのない重い背嚢をかつぎ、足を挫いた仲間にその肩を貸して駆けた。農家の忍耐と、運動で鍛えた健脚が認められ、彼は猟兵になった。

 

 銃の才能もあった。彼の鋭い目と動じない心は、射撃に向いていた。特に、次々に姿勢を変え、動きながら的を狙うのが得意だった。コボルトならではの嗅覚も役にたった。彼はたちまち周囲の信頼を得た。

 

 しかし、また壁にあたった。結局のところ、陸軍の主流はオークなのだ。コボルトが主流を張っているのは輜重部隊だけだ。花形の主力戦闘部隊にはオークしか入れない。彼が配属されたコボルト猟兵部隊は長い伝統をもつが、陸軍で最高の部隊だとは見なされていない。

 

 一番のつわもの。最高の兵士。ただし、コボルト兵の中では――

 

 そこが自分の辿り着ける限界。あとはただ年を重ね、尻で椅子を磨く仕事が増えるだけなのだと悟った時、彼は退役を考えた。故郷の畑が懐かしくなっていた。

 

 そんなとき、新たに登場した兵科が彼を呼んだ。降下猟兵部隊。猟兵にパラシュートを背負わせ、輸送機で敵の後方に降ろすというのだ。降下には優れた身体能力が必須。また、着陸後は大砲や戦車の支援なしに戦わねばならないから、その意味でも精兵でなければならない。猟兵の中の猟兵。全軍中のエリート部隊だと、創設当初から目された。

 

 彼が興味を持たぬわけがなかった。何より、コボルトの天地である空軍の所属なのが気に入った。隣国であり仮想敵国でもあるアスカニアを模倣して、降下猟兵はまず空軍に置かれ、当初の人員を陸軍から募ったのである。同族だからと身贔屓をされたいのではない。誰とも平等に競える場所に行きたかったのだ。

 

 勇んで転籍すると、自他ともに予想した通り、器械体操で培った彼の身体感覚は新たな兵科に抜群の適性を示した。オルクセン全軍の中でも指折りの精兵の地位を得て、彼は心から満足した。空軍では初対面の誰もが彼の名乗りに妙な感銘を受けるのには閉口したが、不満といえばその程度しかなかった。

 

 気を良くした彼は、周囲の勧めに従い、試験を受けて将校になった。兵科創設直後の人手不足が幸いした。貧農の息子にとって、空軍猟兵少尉の身分は過ぎた出世といってよかった。

 

 そして戦争が始まった。

 

 

 

 彼の祖国にとっての第二次星欧大戦は、空軍の戦争だった。オルクセン連邦は厳正中立を保ったが、それは平和を意味しない。

 

 中立国には自国の領域をどちらの交戦国にも利用させてはならぬという中立義務がある。交戦国の側からみれば、戦闘機や爆撃機をオルクセン領土から迂回させれば、多少とも敵の意表を突くことが期待できる。あるいは単に地理を見誤り、誤ってオルクセン上空に入ってきてしまう飛行機もある。そのような侵入機を迎えうち、引き返さなければ撃墜せねばならない。怠れば、そのせいで不利になった側から「オルクセンは事実上、敵側で参戦した」と見なされ、侵攻されかねない。

 

 ゆえに中立国オルクセン連邦は、戦争に参加しないためにこそ、必死で戦う必要があった。

 

 彼は忸怩たる思いだった。自分も今や空軍だというのに、降下猟兵にはすることがない。航空兵たちは命がけで戦い、整備兵や輜重兵たちは懸命にそれを支えているのに。

 

 彼がこの大戦中に挙げた手柄はたった一つだけだ。しかしそれは、忘れ得ぬ後悔の種になった。

 

 侵入機と空戦を演じて損傷し、墜落した戦闘機がいた。近くで訓練していた彼と仲間たちは、落下地点へ駆けた。炎上する機体の操縦席に人影を認めたとき、彼は大急ぎで腰の水筒を外し、残っていた水を頭からかぶった。次に追いついてきた同僚からも水筒をもぎ取って、また自分にかけた。

 

 そして彼は燃え上がる機体に突進した。燃える翼によじ登り、風防をこじ開ける。中のパイロットは、既に炎が全身の毛皮にまわっていたが、かまわず引きずり出した。燃えるコボルトをかついで翼から飛び降り、地面に転がして、どうにか火を消し止めた。ようやく追いついてきた仲間の猟兵たちと共に黒焦げのコボルトを担ぎあげて、また駆けた。

 

 軍病院に担ぎ込まれたパイロットは、一時的に意識を取り戻したそうだ。駆け付けた家族といくらかの言葉を交わすことができたらしい。しかしすぐにまた気を失い、あとはひたすらに苦しんで、数日後に死んだ。後でそう聞いた。

 

 彼は今でも悔いている。なぜあのとき自分は、二本目の水筒に手を伸ばしたのか、と。そうしなければ、あと十秒かそこらは早く助けられた。いや、水などかぶらずに走っていれば、もう三十秒は早かったはずだ。もしそうしていれば、結果は違ったかもしれない。

 

 遺族から涙ながらに感謝され、将軍から直々に勲章を授与され、中尉に昇進しても、彼の心は少しも晴れなかった。

 

 次は迷わずに走る。もう、見捨てたりするものか――心を慰める方法はそう誓うことだけだった。

 

 その後はひたすら訓練に明け暮れ、自分の出番を待った。周囲から案じられるほど、自分の身体を苛め抜いた。やがてアスカニアの敗勢が明らかとなり、今年の秋、いや夏までには戦争が終わるかと噂されはじめた頃、ついにそれがきた。

 

 命令ではなく、志願の意志を問われたその任務は、秘密作戦だった。アスカニア領内に密かに空挺降下し、要人を誘拐してくるのだ。明確な中立義務違反である。露見すればオルクセンはその国際的信用を失い、戦後には中立国の地位を保てなくなるかもしれない。

 

 ゆえに、それに参加する兵士は、オルクセン軍の身分を示す一切の徽章類を外す。

 

 持参する装備も、ほとんどが輸入品だ。例外は、確実に動作せねばならない二つの装備だけ。パラシュートと、全員が一つずつ携行する対戦車手りゅう弾。後者は、敵に使うことを禁じられている。逃亡不可能となった際の自決用だからだ。

 

 毒物ではなく、高威力の手りゅう弾を持たされるのは、彼らの遺体をばらばらするためだ。魔種族の死体がアスカニア領内に残り、写真でも撮られれば、中立義務違反は世界に明らかになってしまう。これはそのような任務だった。

 

 彼は迷わず志願した。ついにやれるのだ。図らずも十年以上も居ることになった軍隊で、自分の力を真に発揮すべきときだ。もしかしたら、あのパイロットと彼の遺族に借りた永遠の負債すら、ついに自分は返せるのかもしれない。

 

 他にも四十名あまりの降下猟兵が志願し、彼を含む半数が選抜に残った。

 

 内容の過酷さに関わらず、示された作戦名は物語めいていた。『星を探す者(スターシーカー)』というキャメロット語なのだ。いつから空軍は児童文学に目覚めたのだろうと思いながら、彼は遺書を書き、仲間とともに黒塗りの輸送機に乗り込んだ。

 

 輸送機は第二次星欧大戦の渦中にあるアスカニア、まさに亡びつつある国の深部へ飛び、彼らを吐き出した。

 

 

 

 そして――彼は仲間とともに、目指した農地に正確に降り立った。夜間にも関わらず、機敏に再集合した。魔術通信で全員の無事を確認する。着地時につきものの骨折者が一人もでなかったのは、流石に選抜の精兵というべきであったろう。武装を収めて投下されたケースから小銃や無反動砲を回収すると、目標地点に向け出発した。途上の適当な場所にパラシュートやケースを埋めて始末する。

 

 目標の工場は丘の上にあり、その敷地は鉄条網で囲われていた。それをカッターで切断し、侵入する。工場らしく、あちこちにスローガンが掲げられている。『各人に各人のものを』というアスカニア語だった。

 

 工場の大きさは、さほどではない。オルクセンなら田舎の鉄工所でもこのくらいはある。しかしそれは偽装。工場の本体は地下――この丘それ自体なのだと、彼らは承知していた。目指す要人も、空襲が激しくなった最近は地下暮らしだとみられていた。彼らは侵入口を見つけ、丘の内部に侵入した。

 

 そこは人工のアリの巣だった。丘全体を二本の大坑道が南北に貫き、その間に何本もの連絡通路が掘られている。大坑道は横幅数百メートルもある。そこにはとある兵器群の製造レーンがある、と推測されていた。彼らが侵入してみると、事実、その通りだった。

 

 しかし、事前情報通りだったのはそこまでだ。手違いは二つあった。第一に、最優先目標である『星』や、次善の目標とされた要人たちは、一人として残っていないようだった。第二に、そこには地獄があった。

 

 地下への入口を開けた瞬間から、悪臭が鼻をついた。コボルトの鋭敏な嗅覚は、そこに汚物の匂いだけではなく、死臭を捉えていた。現に坑道では、ベッドも毛布もなく、冷え切った地面に数千の人間が寝そべっていた。誰も彼もが骨と皮だけである。半数はもう死体だった。背が凍るような思いで奥へと進むと、死体はますます増えた。

 

「これは…いったい何だ。どうなってる」

 

 いかなる苦戦も乗り切れるよう訓練された精兵たちが、動揺のあまりそう呟いた。工場内のクレーンからぶら下がっているものが、縛り首の死体だと気づいたとき、動揺はさらに強まった。どれも両手を後ろ手に縛られ、口に木片を突っ込まれていた。

 

 彼らが情報局から与えられた資料によれば、ここは恐ろしく能率的な兵器工場のはずだった。爆撃機が何度襲っても稼働を止めず、キャメロットの工場をはるかに凌駕するペースで最新兵器を吐き出し続ける『魔女の釜』。そう呼ばれていた。国内きっての熟練工(マイスター)を結集しているに違いないと、情報局は分析していた。

 

 彼は悪態をついた。

 

「情報局の大嘘つきめ。ここは奴隷の工場だったんだ。何が魔女なもんか。これをやった奴は――悪魔に決まっている」

 

 吊るされた死体の一つに、字を書いた紙が釘で打ち付けられていた。『サボタージュの末路』。情報局の想像力の外にある、それが高能率の正体だった。彼は思いを口に出さずにはいられなかった。

 

「何で――何でこんなことをするんだ」

 

 彼を含む降下猟兵たちが吐き気をこらえたのは、死体と死臭のためばかりではない。これほどの地獄を現出させた人間。その性質には、本物の悪魔でもきっと唾を吐きかけるに違いない。

 

 だが、この地獄に残された囚人たちを解放するのは、猟兵たちの任務ではない。だから彼らは呻き苦しむ人間たち全員を放置し、工場内を捜索した。

 

 彼らは、自分たちが僅かに出遅れたことを知った。重要書類があったらしい書棚や金庫は残らず空っぽだった。遺棄された兵器も、精密部品は破壊されていた。残された記録を見る限り、撤収が行われたのは一日か二日前のようだった。

 

 そのような場合、帰投と両立できる範囲で追跡を行えと、あらかじめ命じられていた。彼らは工場周辺の道を探索した。逃亡した要人たちは、何方向かに分かれたようだ。一部は東だが、多くは西。ごく一部が北だと、地面に残った痕跡と匂いが告げた。

 

 彼らは北に逃げた一群を追跡すると決めた。どの道、彼らが生きて祖国に帰るには、自力でオルクセン国境の近くまで北上し、回収手段と合流せねばならないのだ。

 

 『星』がそちらに向かった確証はなかったが、やむを得なかった。たとえ第二位以下の目標であっても、放たれた猟犬は獲物を持ち帰らねばならない。しかし自決が必ず成功する保証がない以上、帰還が困難になる西や東への追跡はリスクが高すぎる――彼らが判断に用いたのはそのような基準だった。

 

 工場に遺棄されていた車両を使い、猟兵たちは獲物を追い始めた。やがて獲物の痕跡は分散した。うまい手だった。自分たち以外にも追跡者がくると、そう覚悟しているに違いない。他の猟犬たちよりも早く、獲物に辿り着かなければ。彼らはやむを得ず、自分たちも分散することに決めた。ごく少数、最悪の場合は単独で孤立してもなお戦う訓練を、彼らは受けているのである。

 

 分派を繰り返し、彼はついに単独行動になった。もうかなり国境に近い。傍受の危険があり、離れた仲間たちと魔術や無線で通信することはできない。互いの武運を祈りつつ、独りで最善を尽くすしかない。迂回せねばならぬアスカニア軍の防御陣地も増えてきた。

 

 避けられなかった幾度かの小戦闘で、持ち込んだ重火器はもう使い切っていた。残っているのはキャメロット製の騎銃(カービン)、数発の手りゅう弾とナイフ。それから自決用の対戦車手りゅう弾のみだった。弾を使い切った拳銃は捨て、新たに大型拳銃を装備に加えている。途中で射殺したアスカニア軍将校から奪ったのだ。前大戦以前の名銃だから、私物だったのだろう。

 

 たった一人の強行軍は、ついに報われた。後ろから接近するバイク兵たちに気づき、路外に隠れてやり過ごしたのがきっかけだ。自分とは別口の猟犬どもに違いないと判断し、その後を追った。その先の農村で、アスカニア兵たちは誰かを見つけた。先を越されては獲物を殺される恐れが大きかったから、やむなく襲撃し、何とか殲滅できた。際どい賭けだったが、報酬は大きかった。

 

 見つけた獲物は、スターシーカー作戦の目標リスト、その最上位に記された人物。

 

 秘匿名称『星』だったのだ。

 

 

 

 

 これぞ、探し求めた相手だと、その名を問うた彼に、アスカニア人は答えた。

 

「いかにも、そうだ。あなたの国が必要としている男だ」

 

 命を救われて、こんな傲慢な男がいるだろうかと、彼は鼻白んだ。だが、獲物に、それも最大のそれに辿り着けたのは素直に嬉しかった。背中の無線機を降ろし、手早く連絡をいれる。

 

(シュテルン)(シュテルン)(シュテルン)! 我、発見せり! 座標――。繰り返す―――」

 

 規定通りの一方通信を終えると、彼はそのアスカニア男に向き直った。逃避行の最中らしく泥にまみれてはいるが、スーツを着て革靴を履いている。さすがにネクタイはどこかに捨ててきたようだ。頭がいいと聞く割に、ずいぶんと間の抜けた男だと思った。

 

「行くぞ。また追手が来る」

 

 しかし、男は彼の指示に抗った。

 

「待ってくれ、一人では逃げられない。こっちだ」

 

 『星』は彼を廃屋に案内した。そこでは、灰まみれのベッドで横たわる別の男がいた。身体のあちこちに乱雑に包帯を巻いている。顔は青白い。『星』はその怪我人を彼に示しながら言った。

 

「みてくれ。友人がいるんだ。怪我をして、熱もある」

 

 彼は、耳に聞いたことが信じられなかった。『星』は、あの奴隷工場を用いた兵器の開発と生産の総責任者なのだ。それが、そのような男が、怪我人の心配をしている。その怪我人には服も包帯もあり、横たわるベッドすらあるというのに。また、その怪我人の顔も彼は作戦開始前に教えられていた。数日前にあの工場内の書類で改めてその名を目にしていた。

 

「この男は、アントン・ルドルフィか?」

 

 それはあの工場の業務主任の名だった。囚人たちを実際に管理していた男。ということは、あの哀れな人間たちを酷使し、故障がでればサボタージュと決めつけて見せしめの処刑を行ったのはこの男に違いない。

 

 『星』は肯定した。

 

「そうだ。無理に動かせば死んでしまう――」

 

 気づいた時、彼は『星』を殴り飛ばしていた。その次に横たわる業務主任を。彼の心はベッドに伏せる怪我人ではなく、坑道の中に横たわる無数の死人たちを見ていた。この二人の男が、あれをやったのだ。

 

 だが『星』は、怪我人に覆いかぶさってかばった。

 

「やめろ、やめてくれ。死んでしまう。何でこんなことをするんだ」

 

 その健気な行為は、しかし、彼の怒りをますます掻き立てた。その問いは、彼こそ、この男たちに問いたいことだった。彼はもう何度か『星』を蹴り、さらに崩れかけた壁を殴りつけて、少しは冷静さを取り戻した。

 

「畜生め。貴様らは、屑だ。この世界で最も下等な生き物だ。一瞬だって、生きる資格がない。俺が貴様らを助けるために来たと思ったら、大間違いだ」

 

 そして彼は、自分がオルクセン空軍の降下猟兵だと明かした。彼の任務は目の前の男、世界有数の兵器開発者にして、開発生産事業の卓越した管理者でもある男、『星』の誘拐だ。断じて救助などではないと、彼は心中で確認した。そうだ、こんな奴に助ける価値などない。

 

 『星』はまた怯え、後ずさり、しかしベッドの怪我人をかばう位置に立っている。

 

「貴様は、貴様らは。お前に人を庇うような気持ちがあってたまるか。だったらその情けをなんで、少しだってあの人たちにかけてやらなかった!」

 

 『星』と呼ばれる奴隷工場の主は、表情を変えた。彼が何に怒っているかを理解したのだろう。彼は猛り立つ思いのままに言葉を続けた。

 

「俺は見たぞ。あの地下工場を。クレーンにぶら下がった死体も。坑道の中は地獄だった。あの人たちが何をしたっていうんだ」

 

 『星』は弁解しなかった。少しの沈黙のあと、薄ら笑いを浮かべながら問い返してきた。

 

「じゃあお前は、彼らに何かしてやれたっていうのか?」

 

 彼は言葉につまった。『星』は笑いを大きくした。

 

「そうだろう。彼らをそのままにして、私を追ってきたんだろう。私も同じだ。自分の仕事が大事なんだよ。それだけのことだ」

 

「ふざけるな。俺には任務がある。それに俺たちは少数で、置いていくしかなかったんだ」

 

 なぜ自分の方が弁解をしているのか。全く、ふざけている。わずか数十人の彼らの力では、あの工場を戦争の終わりまで保持することなどできない。あの哀れな数千の人々を助ける物資もない。何もできなくて当たり前ではないか。

 

 『星』はうなずいた。

 

「そうだろう。私もそうだ。この狂った国で、学者風情が流れに抗えると思うかい? 生き残ってやりたい仕事をやるには、他の選択肢はなかったんだ。それならせいぜい、うまくやろうとしただけさ。私の良心が痛まなかったとでも?」

 

「良心だと。そんなもの貴様には」

 

 ない、とは言えなかった。現に目の前の男は、屈強な魔種族の兵士に殴りつけられながら、身を挺して友をかばった。友情。そして勇気の持ち主。では、なぜ悪魔のようなことができたのか。それとも、この男が言うように、置かれた立場が違えば、自分にもあんなことができてしまうのだろうか。彼にはもう分からなかった。

 

 だが、いまは世界の何事かを理解しようとする時ではないと、ようやく思い出した。

 

「お喋りをしに来たわけじゃない。この野郎は」

 

 ベッドに横たわる奴隷主を顎で示す。

 

「俺のリストにはない。用があるのはお前だけだ。一緒に来てもらおう」

 

 彼が与えられたリストに載っているのは科学者と技術者だけだった。横たわる怪我人は、奴隷工場の経営者としてはやり手だったのかもしれないが、彼の祖国が求める人材ではない。彼の目の届かぬところで死んでくれればそれでいい。

 

「待ってくれ。こいつだって役に立てるはずだ。こいつは――」

 

 『星』がなおも抗弁し、彼が怒鳴りつけようとしたとき、二人は一斉に言葉を中断した。

 

 エンジン音が聞こえたのだ。作戦目標と口論などしている場合ではなかった。彼は自分を罵った。

 

「畜生め。俺はとんだ間抜けだ。さっき始末した猟犬が敵の全部だって、誰が決めたってんだ」

 

 次に聞こえたのは銃声だった。布を引き裂くような連続音。彼は『星』の腕をつかみ、その場に引き倒した。彼もいっしょに伏せる。煉瓦の壁を粉砕し、室内に次々と銃弾が飛び込んだ。煉瓦がおびただしい量の破片となって飛び散る。重機関銃に撃たれているのだと、彼の常識が教えた。

 

 ここでは無理だ。

 

 そう即断すると、『星』の腕をつかんで引きずりながら素早く床を這い、廃屋を脱出した。いつ銃弾を浴びて二人とも細切れにされてもおかしくない状況で、脱出できたのは全くの幸運だった。

 

 しかし、廃屋に取り残された怪我人は、そうはいかない。逃げる二人の後方で、元から崩れかけていた廃屋が音を立てて崩れた。

 

「アントン!」

 

 『星』は引き摺られながらも後ろを振り返って叫んだ。その動作に手こずらされながら、なお『星』を連れて走る彼は、奥歯をかんだ。

 

 ――仕方ない。あいつは目標じゃない。それに屑だ。悪魔だ。助ける価値なんてなかった。だが見捨てた。また見捨ててしまった。

 

 必死に走りながら、彼は二つの目で遮蔽物を求め、心の目で燃え盛る戦闘機を見ていた。腹に銃撃を受けて穴が開いたような気持ちだった。

 

 それでも彼は巧みに動き、目指す車両に辿り着いた。先ほど彼が片づけた追跡者が乗っていた、サイドカー付きのバイクだ。これなら目標を乗せ、二人で移動できる。

 

「乗れ!」

 

 『星』にサイドカーを示して、彼自身もバイクにまたがった。エンジンをかけようとする。だが駄目だ。もう一度。やはりかからない。くそ。アスカニア製は何でも優秀なんじゃなかったのか。

 

 バイクのものではないエンジン音が大きさを増した。彼は新たな敵の姿を見た。予想の通りだった。機関銃を搭載した四輪の装甲車が、彼から見て横向きに進んでいる。その重機関銃だけが彼らの方を向いた。

 

 彼はバイクをサイドカー側に飛び降り、『星』の襟首をつかみ、さらに横に跳躍した。『星』を抱えながら地面に転がる。次の瞬間にあの連続音、引き裂かれる布か、電動ノコギリのような音が、数秒前まで彼がいた場所を通り過ぎた。バイクは破裂し、吹き飛ばされていった。

 

 勝ち目がない。重機関銃を相手にして、ほとんどの遮蔽物には目隠し以上の意味はない。伏せながら、もう一度敵を見た。四輪だから小型で、屋根もないオープントップ型だが、敵は装甲車だ。いま彼が持っている小銃や拳銃では相手にならない。『星』は奪われ、殺される。彼も、もう故郷の畑を見ることはできない。

 

 作戦の成功も、離脱も不可能な時には――

 

彼は命令に従い、右手を腰の後ろにまわし、対戦車手りゅう弾を取った。敵に殺されてからでは遅いのだ。すぐさま起爆しようとする。彼も、隣にいる『星』も、跡形も残らないだろう。

 

 しかしその時、一つの声が彼の内に響いた。それは密かなる聖句。困難にぶつかるたび、誰にも教えず、彼が内心で繰り返してきた言葉だった。かつて一羽の大鷲が最期の魔術通信で送ったという言葉。

 

 

 

 俺たちの代わりに、きっと誰かが帰れるさ。

 

 

 

 ――ええい、馬鹿野郎が。これでは誰も帰れない。でもそういう命令だ。

 

 彼は伏せたまま横を向いた。敵から目を離すのは愚か者のすることだ。それでも、彼は見た。『星』と呼ばれる男は地面に伏せ、見開いた目から涙をこぼしている。ろくな男ではない。彼が生死を共にする仲間たちや、あの航空兵とは似ても似つかない。しかし、泣きながら彼を見ている。助けを求めている。

 

 ――畜生め。もう、誰も見捨てたりするものか。

 

 彼は姿勢を変えた。両手を地面につき、尻をあげ、足を伸ばす。彼はもう兵士ではない。ここも戦場ではない。目の前にあるのはレーンだ。力が満ちてくる。いま、自分の精神は錐のように鋭い。あと必要なのはたった一つだけ。

 

 砂塵をあげて弧を描いた装甲車が彼の方を向き、見えざるレーンに乗った。車上に据えられた機銃が向きを変えながら響く。それがスタートの合図。

 

 己もまた打ち出された銃弾であるかのように、彼は迫りくる敵に向けて駆けだした。突貫の雄叫びはいらない。地面と体の声を聞くだけだ。そして一陣の風になれ。

 

 彼の世界からあらゆる音が消えた。全ての動きが遅い。突っ込んでくる装甲車が巻き上げる、砂塵の一粒まで見えるようだ。銃弾が地面に当たり、点々と砂を巻き上げる。それが体を射抜くよりも早く、彼の足はその場所へ近づく。

 

 彼の目は見えないものを見ている。彼の、彼だけの踏み切り線が確かにそこにあった。だから彼はそれを蹴り、跳んだ。他の誰よりも高く。人族では決して届かぬ高みへ。

 

 空中で頭を地面に向ける。否、真下は地面ではない。彼と入れ違う装甲車。上蓋はない。右手にもった自爆用の対戦車手りゅう弾を押し付けるように投げ入れ、彼はそのまま縦回転した。

 

 久々の跳躍はそこで限界だった。着地には失敗する。地面と衝突し、膝と胸をしたたかに打った。勢いは止まらず、地面を何回転もする。

 

 ――おお、痛ぇ。受け身もとれないなんて。降下猟兵の風上にもおけねえ。

 

 やっと静止したとき、後方で爆発音が響いた。装甲車が大破して燃えていた。乗員が脱出する様子はなかったから、爆発で即死したのだろう。

 

 白けたような気分でそれを眺め、痛む身体の各所がまともに動くことを確かめながら、彼は立ち上がった。膝の土汚れを払う。『星』はまだ伏せている。装甲車はそのかなり手前で停止したから、爆発に巻き込まれはしなかったようだ。

 

 何とかなったが、もう一度やれと言われても絶対に無理だな、と彼は思った。

 

 しかし、彼の耳は新たな音を聞いた。彼は振り返った。まったく。今まで始末した敵だけが全てだと、誰が決めただろうか――。

 

 新たに迫る三台の装甲車が遠くに見えた。先ほど片づけた一台は先遣の偵察に過ぎなかったのだろう。戦いながら、後続に連絡をいれていたに違いない。

 

 残る武装を確かめる。手りゅう弾が二発。しかし対人用だ。

 

 彼は先ほど撃破した装甲車に向けて駆けた。まだ燃えている車内へ迷わず飛び込む。

 

 ――俺ときたら、こればっかりだ。軍人じゃなくて、田舎で消防士になった方がよかった。

 

 車両に据え付けられている軽機関銃を大急ぎで外した。重機関銃もあったが、一人で取り扱えないのでは仕方がない。幸運にもずいぶん残っていた弾帯ごと奪取すると、素早く下車。弾帯を身体に巻きつけ、まだ燃えている車両を盾にして伏せる。奪ったばかりの機関銃を据え、射撃姿勢を取った。

 

 その時、彼は自分の間違いに気づいた。気づかされた。後続に連絡を入れていたのは、奴らだけではなかった。

 

 彼は機関銃を右手に掴んで立ち上がり、『星』のところへ駆けた。左手で無理やりに立ち上がらせる。引きずるようにして、さらに駆けた。とにかく、開けた場所を目指している。

 

 全くの無防備となった二人をめがけて、装甲車の群れが迫る。三挺の機関銃が狙いを定めようとしている。かすりでもすれば、二人とも跡形も残らないに違いない。

 

 しかしその銃声が鳴るよりも早く、空から巨大な影が滑るように飛来した。それは両の翼を大きく広げて速度を殺すと、両の足の爪でコボルト兵と『星』をそれぞれ掴み、すかさず空へ舞い上がった。かつての空の支配者、大鷲である。地上からの銃撃を避けるため、素早く羽ばたいて高度と距離を稼ぐ。

 

 急上昇のさなか、コボルトの猟兵は彼を掴んでいる大鷲から魔術通信を受け取った。頭に響いたのは、知性と落ち着きを感じさせる男性的な声だった。

 

「待たせてすまない、中尉」

 

 彼も魔術通信で返事をする。

 

「おかげで助かりました。感謝します。ラインダース中将!」

 

 

 

 

(次話「この翼に賭けて」に続く)

 




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