大鷲軍団を解散し、一市民になっていたラインダースは、秘密の再招集命令を受ける。時代遅れの翼は現代の空に挑む。
「ペーパークリップ作戦?」
もはや一市民に過ぎない大鷲は、その名を繰り返して尋ねた。書類を挟むクリップ。戦時中の作戦名としては奇妙だった。
大鷲と机を挟んで座るコボルトは頷いた。椅子に座ったその背はぴんと伸びている。未だ壮年にして、襟元の階級章は空軍大将のそれ。まだ上級大将がいない空軍では最高階級。オルクセン空軍の総司令官である。この場は彼の執務室だ。しかしその地位にも関わらず、コボルトの態度は極めて丁重である。
「そうです。キャメロット人は彼らの極秘作戦をそのように称しております。名前さえ目立ちたくないのでしょう。国家規模の人攫い計画ですからな。
彼らは戦争の勝利に乗じてアスカニアの科学者、技術者や研究成果を根こそぎに持ち帰るつもりなのです。それが戦後世界を握る鍵になるとキャメロットは考えています。そして我らも全くの同意見なのです。閣下」
閣下と呼ばれた大鷲は頷き、彼もまた丁寧に応じた。神話的な見た目に相応しく、知性と威厳を感じさせる声だ。
「なるほど。しかし、閣下はよしてください。大鷲軍団が解体されて以来、年金暮らしの一民間人です。お恥ずかしいが、狩り三昧に遊び暮らしております。他の者もです。この度の招集に応じられなかった大鷲も少なくないとか。族長として、まことに申し訳ない」
大鷲は、ラインダース退役中将。かつてベレリアント戦争では大鷲軍団を率い、戦場の空を支配した英雄である。しかし、彼の軍団はすでにない。当初はその補助兵力として導入された航空機にとって代わられてしまったからだ。
「いやいや、大鷲の皆様は我らの偉大な先達です。私もヒナ鳥の頃に頂いた教えを忘れたことはありませんぞ。ラインダース教官」
大鷲は苦笑して応じた。その頃すでに、大鷲族にできることは新人パイロットとの追いかけっこくらいしか残っていなかった。
「あの頃、貴方が乗っておられた練習機は木と布でできた複葉機でしたな。いまや、航空機の進化は驚異的なものです。金属製の戦闘機や爆撃機と比べると、我らこそヒナ鳥です」
オルクセン空軍は他国よりずっと早く、第一次星欧大戦の終結直後に設立された。オルクセンはもともと大鷲軍団を有していたから、他国に比べればこの軍種への理解と投資がよほどに早かった。
一次大戦も後半となり、飛行機の翼が二枚から一枚へ、その素材が金属へと進化すると、大鷲軍団の時代遅れぶりは誰の目にも明らかになった。大鷲は速度、攻撃力、防御力の全てで劣後した。文字通り致命的とみなされたのは防御力不足だ。かつてべレリアント戦争で戦死者を出したように、生身の大鷲は小銃弾や弾片にも耐えられない。金属の防弾板と大口径機銃をもつ戦闘機を相手に戦えるはずがなかった。
国軍参謀本部は大鷲軍団を戦闘任務から外し、陸軍航空隊に編入した。かつて大空を支配した大鷲たちは、空軍戦闘機の護衛を受けながら偵察と輸送のみに従事することになった。その後、偵察に要する電子機材とその操作人員が途方もなく増え、輸送機が大型化するに及んで、もはや戦場の空に大鷲の居場所はなくなってしまった。
部隊が解体されたのは、一次大戦の終結から二年後のことである。盛大な式典の場で、ラインダース軍団長が軍団旗を国王に奉還。大鷲軍団は栄光の歴史に幕を降ろした。こうしてオルクセンの空の護りは、彼らの永遠の友であるコボルト族が駆る、銀翼の軍団に引き継がれた。
コボルトのパイロットたちは、そのまま爆撃手や通信手として、陸軍から独立した空軍に残ったが、軍団長を含む大鷲たちは、ごく少数の儀礼要員を除く全員が退役した。空軍には、もう大鷲を戦力として使う気はなかったから予備役にも残れず、みな一般市民となった。その後は悲喜こもごもであった。家庭と分別を持つ彼のような大鷲は別としても、張りのない荒れた生活を送り、身持ちを崩した大鷲もいた。戦友としても族長としても頭の痛いところだったが、どうにもならなかった。
第二次星欧大戦が勃発すると、飛行機はさらに怪物的な進化を遂げた。しかし、その今になって、大鷲たちは密かな再招集命令を受け取った。
狩りに臨む時のように、ラインダースはその瞳を鋭くした。
「すっかり時代遅れの我らを、なぜ?」
コボルトの総司令官は、端的に答えた。
「大鷲の方々は滑走路を必要としません」
「なるほど――最近の飛行機は物凄いが、そこは難儀されているのですな」
「そうです。今や全ての飛行機は、舗装された長い滑走路に尾を縛られているといっていい。例の推進機関が完成すれば、この問題はもっと酷くなるでしょう」
総司令官は、やれやれという顔で首を左右に振りながら言った。
「まあ、それは先の話としても、です。今回の作戦で降下猟兵を回収するには、滑走路に頼らない手段が必須です。ヘリコプターでは信頼性に怪しいところがありますし、音が大き過ぎる。これは失敗できない秘密作戦ですからな」
納得した大鷲は頷いた。その瞳は鋭さと輝きを増している。
「我が国もやるのですな。キャメロットと同じく、人攫い作戦を」
「というよりも、彼の国の先を越したいのです。彼らは友好国ですが、だからこそ怖い。アスカニアの技術を彼らが独占すれば、戦後の我が国は彼らの陣営に取り込まれてしまう。中立を維持できません。
閣下もご存知でしょう。今次大戦のうちに、我らは二つのものを揃える必要がある、と。先王の遺命です」
ラインダースは、遺言書のその部分を当然に承知している。しかし、一つだけは訂正しておかねばならない。たとえ現役の空軍総司令官が何と言おうともだ。
「
我が王。種族廃滅の危機を救われた大鷲族にとって、グスタフは永遠にそう呼ばれるべき存在なのだ。総司令官が弁解せずに済むよう、ラインダースはすぐに言葉を続けた。
「それで、探し物は例の――ですかな」
「い、いいえ、閣下。もう一つの方です。キャメロットは他の技術、化学兵器だの、生物兵器だのも狙っているようですが、我々はあれに狙いを絞っています。その作戦計画がこれです」
総司令官は計画書をみせた。大鷲は書類をめくるのが苦手だから、あえて綴ってはいない。コボルトの手はその書類を机の上に一枚ずつ広げた。
「かたじけない。ほう」
まず大鷲の目についたのは作戦名だ。
「それで
総司令官は、おや、という顔で答えた。
「我々はもっと無粋な名前をつけていたのですが。科学顧問殿に朱筆を入れられまして。ご家庭でそのような話題は?」
大鷲は笑い出した。すっかり理解できたのだ。我が一生の、なんと単純なことだろう。自分よりずっと小さい妻の手のひらの上から、外に出ることがない。何という果報者だ。
「軍機を茶飲み話にはできませんよ。これは、なお気張らねばなりませんな。まあ、妻のところに他の男を連れてくる仕事というのは、夫として複雑なものがありますが」
総司令官は笑った。しかし次の書類を提示したとき、その表情は氷のようだった。
「これが参加者のリストです。半分は死ぬと、そう思っています。戦死しても死体の回収は不可能。訓練中の事故死扱いになりますから、勲章も出せません。通常の遺族年金だけです」
「献身に報いる術がないとは、辛い――うむ?」
大鷲が注意を引かれたのは、最大の危険を背負う者たち、猟兵のリストの筆頭にある名だ。そこを嘴で示す。
「――この者は。よもやと思いますが」
「彼が最も優秀です。作戦成功のためです」
大鷲は頷いた。とうに固めていた決意が、さらに強固になった。
「わかりました。この老兵に万事お任せあれ。必ずや成し遂げてみせましょう。この翼に賭けて」
彼は興奮していた。彼は空軍の降下猟兵だが、大鷲の背に乗って飛ぶのは初めてだからだ。これまで飛ぶときは、輸送機の腹に詰め込まれているか、パラシュートを背負って降下するかだった。今も目につけているのは降下時に使う防風眼鏡だが、見える景色はまるで別のものだ。
鳥は羽ばたいて飛ぶのだと思っていた。しかし、いま彼の左右にみえる巨大な翼が羽ばたくのは高度か速度を調整するときだけ。それ以外は翼の角度を微妙に調整しながら、風の上を滑るようだった。サーフィンという新奇なスポーツに似ている。一定の速度を超えたときに空気は波となる。大鷲はそれを乗りこなして、空を滑り渡る生き物であったのだ。
彼はしきりと首を左右に振り、後ろを振り返っている。警戒に努めているのだ。大鷲は、当たり前だが、最新の戦闘機と違い対空レーダーを装備していない。敵の発見は目視に頼るしかない。しかし大鷲自身が飛行中に振り返ると空気抵抗が変化して減速、下手をすると失速して落下してしまう。空戦における大鷲の不利点の一つだ。だから相棒たるパイロットが周囲、特に大鷲の視界外になる後方警戒を請け負わねばならない。いまは彼が、にわか仕込みのパイロットとして警戒に当たっているわけだった。
いまこの大鷲、ラインダース退役中将の背に据えられた前後二つの鞍には、前席に彼、後席に『星』と呼ばれるアスカニア男が乗っている。『星』は飛行に怯えているらしく、声もなく鞍にしがみついている。
ここはまだアスカニア上空である。第二次星欧大戦を引き起こしたアスカニアは、今まさに敗れ去ろうとしている。そこに決死の潜入を命じられた彼は、最優先目標、秘匿名称『星』と呼ばれる一人の科学者を確保した。『星』を逃がすまいとするアスカニア兵たちと戦い、危ういところで大鷲の元将軍に救助されたのだ。
いま彼らは、オルクセンに向けて空を飛んでいる。敵から離脱する時を除き、ここまでは常に低空を這うように飛んできた。高度を上げればレーダーに見つかりやすくなるからだ。しかし国境が近づけば、そうもいかない。多数のアスカニア陸軍が残存している。小口径の対空機銃ならば届かない程度の高度をとる必要があった。
そのため高度を上げ、あと僅かで国境地帯の山地に達するというところで、彼はその異常な音を聞いた。その音は後方の空から聞こえた。飛行機のエンジン音ではない――そう思った。雷鳴かと疑ったが、途切れずになり続けているから、違う。
最悪の可能性に思い至った瞬間、彼はその黒い点をみつけた。直ちに魔術通信で大鷲に報告する。
「敵機、後ろ上方に一機! 距離、三千五百。いや、三千……」
黒い点であったものが、みるみる大きさを増す。
「速い! とんでもなく速い。あいつは――」
点は機影になった。機首にプロペラがない。彼は大鷲に速報した。我知らず、同じ内容を声でも叫んでいる。
「ジェット戦闘機だ! キャメロットの重爆を壊滅させた奴だ。くそ、なんでよりによって――!」
機影はますます明瞭になった。銀の翼はやや後ろ下がり。左右の翼下に一つずつ、葉巻のような物体を下げている。アスカニアが世界で初めて製造に成功した実用ジェットエンジン。二基搭載されたそれが、他種の飛行機ではありえない轟音を響かせている。
それは現代の空で最強の嵐。あるいは悪夢であると、既に知られている。試作段階から百機単位で量産されたこの新鋭機は、壊滅寸前のアスカニア空軍が手にいれた最後の毒牙だった。
連合軍の護衛戦闘機では相手にならず、頼みの爆撃機が次々に落とされた。空からの攻撃に依存していた連合軍の進撃速度は大幅に低下してしまった。ひとえにこのジェット戦闘機の高速性、そして大火力のゆえである。
猟兵の優れた視力が、迫りくる機影の翼下に搭載されたそれを捉えた。この時代の空における最高の火力。片翼十二発。左右合計二十四発もの空対空ロケット弾である。それを撃ち尽くしても、機首にはなお四基の三十ミリ機銃が搭載されている。
それら全てが大鷲、その生身の身体を狙っている。その背に乗る彼と『星』も、全くの無防備だ。防弾板の一枚もありはしない。
「閣下――!」
彼は救いを求めるように魔術通信を送った。機影はますます大きくなっている。
大鷲の返事は端的で、しかも冷静だった。
「ベルトを確認しろ」
翼をはためかせ、右に、左にと大鷲は大きく振れた。敵機はその後方、上空から降下して速度を増す。後ろ下方に出た。そこから再度上昇しつつ接近。近い、と猟兵が思ったときにはもう、敵機は大鷲を追い越して前上方にいた。数瞬だけジェット機の下部が見える。轟音が耳を襲う。
発見が早かったおかげか、初撃は何とか外せたようだ。射撃に適した真後ろを確保できず、優速の敵機は通り過ぎてしまった。敵ははるか遠方で大きく右旋回している。その凄まじい速度と引き換えに、細かい動きは苦手なのだろう。しかしその円弧の長大さを補って有り余る速度で、大鷲の後方に再び回り込もうとしている。
「中尉。ベルトは確認したか。二人ともだ」
急かす大鷲の通信に、彼は慌てて命令を実施した。『星』はほとんど恐慌をきたしていたから、彼が確認した。
「大丈夫です!」
そう応答すると、大鷲の返事もまた早かった。
「よし。『星』に舌を噛ますな。手荒い飛行になる」
大鷲とジェット戦闘機。かつての空の支配者と、現在及び未来のそれ。勝負になるはずがない。しかし歴戦の空の勇者はなお冷静だ。猟兵はそれを信じ、己も平静を保とうとした。
――しかし、こっちは丸腰。いや違う。俺の、これはあるが。
彼の手には、アスカニアの装甲車から奪取した軽機関銃があった。毎秒千発もの連射性能がある。しかし現代の航空機銃としては小ぶり過ぎ、敵の攻撃力と差がありすぎる。それ以前に、この速度差でこちらが攻撃位置につけるとは到底思えない。
――無理だ。いったい、閣下はどうやって…
そう思いながら後方を警戒していた彼は、再び報告をいれた。
「再度、後ろ上方――降下! 接近する。下方に出た。まっすぐ昇ってくる!」
大鷲の後ろ下方で敵機の姿がみるみる大きくなる。先ほどと同様だ。高速性を生かして遠くから後ろを取って急接近。下方から突き上げる一撃離脱の戦法。異常な高速ゆえに小回りが利かない新鋭機の、単調でパターン化された攻撃。
しかしその威力は恐るべきものだ。敵の右翼下に光が見えた。片翼、十二発の対空ロケット弾。
「敵弾発射!」
大鷲の声が響いた。
「しがみつけ!」
途端、大鷲は左右の翼をほとんどたたみ、嘴を下に向けた。
大鷲は、水中の魚を襲うカササギのように急降下した。ほとんど落下しているようだ。その速度は輸送機からの降下どころではない。猛烈な浮遊感と恐怖の中で、猟兵は気付いた。
――そうか。戦う必要はないんだ! さすが閣下だ。
大鷲の、そして彼らの目的は敵の撃墜ではない。離脱だ。敵は速度で圧倒的に勝るが、その分、大鷲をすぐに追い越してしまう。何度でも避け続ければ、そのうち燃料が無くなって基地に帰らざるを得ない。
大鷲はなおも降下。ロケット弾とジェット機は、はるか上方を通り過ぎたはずだ。猟兵は辛うじて後ろを振り向いた。もう声は出せない。魔術通信だけで報告する。
「敵機は大きく旋回――こちらに向いた。降下。近づいてくる!」
大鷲は僅かに翼を開き、姿勢をかえて降下速度を緩めた。流石に速すぎるからだろう。鞍が壊れ、『星』が落下してはまずい。あるいは、中将は着陸する気かもしれないと、彼は思った。森にでも隠れればジェット戦闘機は手も足もでないだろう。滑走路がいらない大鷲は、敵が帰ってから再び飛び立てばいい――
しかし、楽観は打ち砕かれた。急降下の凄まじい風音の中でも、その連射音は聞こえた。直ちに前を振り向いた彼は、地上の茂みの中に瞬く光を見た。対空砲。国境付近には地上部隊がいる――分かり切ったことだが、今この時にとは。これ以上の降下は危険だ。
大鷲は即応し、翼を開いて左に急旋回。猛烈に羽ばたいて高度を回復する。その側方で、ジェットの轟音が上から下へ通り過ぎていった。再び、何とか避けることができたらしい。
しかし、敵の上昇速度は大鷲の比ではない。彼は必死に目で敵機を追った。防風眼鏡に陽光が反射する。目を細め、辛うじて追尾を継続。瞬く間に大遠方に去った敵機は、もう高度を取り戻して大きく旋回している。こちらはまだ上昇中だというのに。
「敵機、後ろ上方へ旋回中――真後ろ。降下して接近! 同じ戦法です」
大鷲は上昇を断念し、水平飛行に移った。再び右に、左にと揺れるように振る。しかし、先ほどまでより高度がずっと低い。このままでは対空砲の射程高にまですぐに達してしまう。
猟兵の頭に大鷲の指示が響いた。
「後ろは見なくてよい。機関銃を真正面に構えろ。私の頭越し、目線の先を狙え。号令あり次第、直ちに撃ち尽くせ。そこに何もいなくてもだ」
「り、了解…!」
反射的に答え、軽機関銃を確認。真正面に構える。敵は後ろから迫っているというのに。しかし彼は大鷲の言葉に迷わず従った。信じるべきものは他にない。大鷲は言葉を続けた。
「機会は一度だけ。試す価値はある。信じよ。私とともに」
「了解!」
大鷲は左右に振れるのをやめ、無防備な直進に移った。背に乗る彼は、もう疑問に思う余裕すらない。轟音は後ろ下方に移った。先ほど同様、突き上げるように襲って来るに違いない。
だが、彼は前のみを見ている。指を用心金から外す。大鷲は直ちに、と命じた。だから引き金にそっと指をかけ、無心で号令を待つ。指を除く全身に力を籠め、懸命に姿勢を維持する。
轟音はさらに迫る。その時、大鷲が吠えた。
「ドーラよ!」
大鷲は背を反らして頭を上げた。身体が垂直になる。両の翼を前向きに大きく広げる。尾羽も同様だ。その全身が向かい風を抱きしめる。急減速。猟兵は大鷲の背に押し付けられ、内臓まで収縮する。途端、大鷲は下向きに翼を打ち付けるように羽ばたいた。
その瞬間――大鷲はふわり、と浮かんだ。
現代の固定翼機には絶対に不可能な機動。全身が可動し、下向きの推力を作れる大鷲にのみ可能な
その異常な機動のさなかにも、大鷲は自らの姿勢を完全に制御している。軌道の頂点で一気に体勢を変える。大気の乱流の中で翼を大きく動かし、尾羽を閃かせて急制動。風切り音が響く。大鷲は一瞬だけ水平姿勢、次の瞬間には僅かに上向きの姿勢になる。そのまま真下に沈みこんでいく。
猟兵は前のみを見ている。もう上下の感覚もない。内臓ごと吐きそうだ。しかしその異常な減速と姿勢変更の中で、射撃姿勢を懸命に保持する。大鷲の頭越し、真正面を狙って――
「撃て!」
即座に反応する指。命令の通り。猛禽の視線が射抜く何もない空中に向けて機関銃を連射。瞬時に編み上がる弾幕。その一瞬の内。大鷲の狙い通り、後方からすれ違って飛来したジェット戦闘機が、腹を見せながら弾幕へと突っ込んだ。
戦闘機の下部、その各所に火花が散る。軽機関銃の威力はたかが知れたものだ。操縦席を囲む防弾板を貫くことは不可能。しかし、幸運な何発もが翼下に命中した。そこには残る十二発の空対空ロケット弾があった。
閃光。そして爆音。一瞬で弾幕を抜けたジェット戦闘機、その片翼が爆散する。破片を飛び散らせながら高速で遠ざかっていく。機体はたちまち姿勢を崩し、煙の尾を引きながら急速に高度を失っていった。
瞬く間に全弾を撃ち尽くした機関銃を抱え、猟兵は殆ど茫然となってその景色を見ていた。僥倖ではあっても偶然ではない。空の王者たる大鷲の絶技と計算が、ごくわずかな勝算を引き寄せたのだ。その結果に圧倒されて、彼は歓声を上げることもできなかった。
やがて我に返り、彼はするべきことをした。落ち行く敵戦闘機、あの恐るべき敵に敬礼を送ったのだ。その姿勢のまま、はるか遠くの地上に激突する敵機を見届けた。
彼がようやく敬礼を解いたとき、大鷲の声が再び頭に響いた。
「星は大丈夫か?」
猟兵は慌てて後ろを振り向いた。身体をひねり、『星』の首筋に手をやる。
「無事です。気を失っておりますが、生きとります」
ほっとして一息をついた。どうやら生き延びた。いや、やり遂げたのだ。徐々にその実感が沸いてきた。
大鷲が答える。激しい空戦を終えた直後にも関わらず、魔術通信を通じて伝わる声音は冷静そのものだった。
「よくやった、中尉。相当にきつかったろうが、よく狙い、よくぞ撃ってくれた。相棒が君なればこそ、『星』を連れ帰れた。その方は我が国の未来そのものといっていいのだ」
彼らは国境地帯に広がる山地の上空に入った。もう、脅威はまずない。猟兵は安堵の声で言った。
「光栄です。しかし、こんな奴が我が国の未来ですか。ううん、勉強ってのは、大事なものなんですな」
大鷲は笑うように胴体を震わせた。
「学びは楽しいものだよ。選択肢も広がる。帰ったら、軍の奨学制度を調べてみてはどうだね?」
なお油断なく警戒を続けながら、猟兵は会話を続けた。
「それもいいですな。今なら何だってできそうな気がしますよ。俺も
――ああ、そうだ。俺は何だってできる。この『星』みたいなインテリは好きじゃないが、中将が言う通り、学校に通い直すのもいいかもしれない。新たな道だって開けるかも。いいぞいいぞ。もっと高みを目指そう。まだまだ、満足なんてするものか。
「――しかし、なんでまた、キャメロット語なんですかね」
「実を言えば、作戦名を付けたのは私の妻なのだ。大学が向こうでね。この作戦の科学顧問をしている」
「ご夫婦でご参加とは。今ごろ、生還を心待ちにしておられますな」
「ああ。生きて帰らねば、離婚すると言われている。こんなに怖い脅しはない」
猟兵は声をあげて笑った。大鷲も少し胴を震わせてから、言葉を続けた。
「しかし、中尉。君も無事で連れ帰れて嬉しい。君を空で死なすわけにはいかんのだ」
猟兵は苦笑を浮かべながら魔術通信を返す。
「は、は。閣下も気にして下さってましたか。みんな言いますよ。パイロットじゃなくて降下猟兵でも、俺が空を飛ぶのは実に不吉だってね」
大鷲は軽口には乗らず、ごく真面目な口調で言葉を返してきた。
「私はかつて、大鷲軍団の軍団長だった。彼のこともよく知っている」
猟兵は陽気に応じた。湿っぽい話は嫌いなのだ。
「俺は知りませんよ。会ったこともない伯父さんです。まあ、軍人として尊敬しちゃあ、います。おかげで学校にもいかせて貰いましたしね。
でも、今日からは俺だって英雄だ。閣下のおこぼれだってのは承知の上ですが。なんたって、世界で初めてジェット戦闘機を撃墜した勇者! その相棒です。空の英雄カール・タウベルト中尉! 悪くない響きじゃありませんか」
「ああ、その通りだ。カール、君は天駆ける
猟兵は照れ笑いを浮かべ、鼻をなでた。
「きっと、彼の大鷲もです。中将。あなたはタウベルトを生きて帰してくださったんですから」
その言葉を聞いて、大鷲は大声で啼いた。二度、三度と繰り返した。その声は大空の彼方にまで響くようだった。あの一人と一羽にも、きっと聞こえたに違いない――猟兵はそう思った。
(次話「翼の行方」へ続く)
お気に入り登録、評価やご感想、読了ポストを頂けますと、とても励みになります。よろしくお願いします!