「キミには今、2つの選択肢がある」
「今すぐ死ぬか、全ての宿儺を見つけ出し取り込んでから死ぬか」
「お前は強いから、人を助けろ」
「宿儺が全部消えればさ、呪いで苦しむ人も少しは減るかな……」
「覚悟はできたってことで、良いのかな?」
「全然、なんで俺が死刑なんだって思ってるよ。でも、……呪いは放っておけねえ」
「宿儺は全部食ってやる。後は知らん。テメエの死にざまは、もう決まってんだわ」
五条悟の誘いに乗り、虎杖悠仁は再び呪術の世界に足を踏み入れた。
その様を、男――両面宿儺は、虎杖悠仁の中から観察していた。
(今のところ、全ての流れは"前回"と同じと見て良いだろう。俺以外にも遡った存在が居るかと思ったが、現状、その兆候はない)
虎杖悠仁と同様、両面宿儺には2つの選択肢が存在する。
1つは、『呪い』として再び生きる道。"前回"で得られた知識と経験、それを十分に活用して立ち回れば、"前回"よりも遥かに容易に完全体として復活を果たし、今度は虎杖悠仁を殺すこともできるかもしれない。
そして、もう1つの選択肢。それは、生き方を変え『人』として生きる道。
『もう一度やってみよう、誰かを呪うんじゃなくて誰かと生きるために』
『次があれば、生き方を変えてみるのもいいかもしれない』
以前は、両面宿儺自身に蠢く呪いがそれを許さなかった。しかし、虎杖悠仁に一度殺されて以降、その呪いは息をひそめ凪いだような静けさを保っている。
(次、などというものが本当に存在するとはな)
生得領域の中1人、両面宿儺は決断を下した。
2018年某日、東京、某所。
東京都立呪術高等専門学校へと無事入学を果たした虎杖悠仁は、教師である五条悟と同級生である伏黒恵、そして同じく1年生として新しく加わった釘崎野薔薇と共に、とある廃墟を訪れていた。
東京という大都会の一区画にひっそりと佇んでいるその建物は、それはもう見事に呪われており、呪霊の気配が色濃く立ち込めている。
「居ますね、呪い」
「「嘘つきーっ!!!」」
「六本木ですらない!」
「地方民を弄びやがって!!」
五条悟に東京観光という名目で連れてこられた虎杖悠仁と釘崎野薔薇は、憤懣やるかたないという表情で地団太を踏んでいる。2人の視線は批判を込めて五条悟に向けられていたが、当の本人は悪びれる様子もなくいつもの笑みを浮かべて続けた。
「近所にでかい霊園があってさ、廃ビルとのダブルパンチで呪いが発生したってワケ」
「やっぱ、墓とかって出やすいの?」
「墓地そのものじゃなくて、墓地=怖い、と思う人間の心の問題なんだよ」
「ああ、学校とかも似た理由だったな」
「は、ちょっと待って。コイツ、そんなことも知らないの?」
伏黒恵が虎杖悠仁にしてみせた説明は基礎中の基礎、呪術高専に入学して習うまでもない当然の常識であった。何故そのようなことも知らない人間が呪術高専に、と釘崎野薔薇が疑問に思うのも当然の反応である。
「実は……」
伏黒恵が、釘崎野薔薇にこれまでの経緯を説明する。最初は訝しげな表情を浮かべていた釘崎野薔薇であったが、徐々にその顔を信じられないというように引きつらせると、ジリジリと虎杖悠二から距離を取っていく。
「ええー!!?特級呪物を飲み込んだ!!?ありえない!きっしょ!!!衛生観念どうなってんの!!?」
「それは俺も同感」
「んだと!?」
「というかあの"両面宿儺"を飲み込んで何もないとか本気で言ってる!?正直、信じられないんだけど!」
「いや、嘘じゃねーって!あれから体に全く変化はねえし、宿儺も気味が悪いくらい静かっつーか、何の接触もしてこねーし、飲み込んだのが夢かと思うくらいだ」
「悠仁にも全く接触がないんだ?」
「え?ああ、そうなんだよ。なんとなーく、俺の中に居るのは分かるんだけど、話しかけてくるようなことは全然ないな」
「へえ」
五条悟は横目で傍らに立つ虎杖悠仁の呪力を観察する。
(うん、何度見ても面白くらいしっかり混ざってるね。宿儺からの接触が全く無いということは、悠仁の器としての性能が強く、宿儺の意識を完全に押さえつけているのかと思ったけど、これだけしっかり宿儺の呪力が表れているんだ、そう楽観できる状況でもないな。……ただ、)
「まあ、とりあえず今日はキミたちがどこまでできるか知りたい。実地試験みたいなものだね」
(これは単なる直観だけど、何か違和感を感じる。吉兆か凶兆かはまだ分からないが、警戒するに越したことは無さそうだね)
「野薔薇、悠仁、2人で建物内の呪いを祓ってきてくれ」
指名を受けた釘崎野薔薇は心底嫌そうに顔を歪め、一方で虎杖悠仁は不思議そうに五条悟を見返した。
「あれ、でも呪いは呪いでしか払えないんだろ?俺、呪術なんか使えねぇよ?」
「キミはもう半分呪いみたいなものだから、その体には呪力が流れているよ。でもまあ、呪力のコントロールは一朝一夕ではいかないから、これを使いな」
五条悟は、1本の短刀を虎杖悠二に差し出す。短刀の柄の部分は布が巻かれており、刀身には丸い穴が2つ空いている。
「呪具――屠坐魔。呪力の籠った武器さ。これなら呪いにも効く」
「おお~」
「それと、悠二」
「ん?」
「宿儺は出しちゃダメだよ。アレを使えばその辺の呪いなんかは瞬殺だけど、近くの人間も巻き込まれる」
「わかった!宿儺は出さない」
特別気負った風もなく、どんどん前に突き進む釘崎野薔薇と、そのあとを慌てて追っていく虎杖悠二。その2人の後姿を、やや不安げに見送る伏黒恵と、いつものポーカーフェイスで見つめる五条悟。
2人の後姿が廃墟の中へ完全に消えたタイミングで、ぼそりと伏黒恵がつぶやいた。
「やっぱ、俺も行きますよ」
「無理しないの、病み上がりなんだから」
「でも、虎杖は要監視でしょう」
「まあねぇ、でも、今回試されているのは野薔薇の方だよ」
「釘崎が?……アイツは経験者でしょう」
「野薔薇がこれまで祓ってきたのは、地方の呪いだろう。人が多くなれば多くなるほど、比例して呪いは強くなり、呪霊もより強く狡猾になる。東京の呪霊は、地方のものとはレベルが違うよ」
幾人もの呪術師が、毎年呪術高専にやってきては道半ばで去って行った。その中には、呪術師としての才能に恵まれても呪霊との闘いに精神が追い付かず、心を病んで消えていった者も少なくはない。
「彼女はね、東京の呪霊とも戦える適応力と、頭のイカレ具合を試されてるのさ」
「くそ!くそ!くそッ―――!!」
廃墟の中、釘崎野薔薇は1人で呪霊と対峙していた。その視線の先には、3級相当の呪霊が1匹、ニタニタと厭らしい笑みを浮かべて立っている。
本来であれば、その呪霊は釘崎野薔薇の敵にはなり得ない低級の存在であった。しかし、彼女が呪霊を睨み据えながらも、手を出しかねている理由が1つある。
「うぅ……」
呪霊の手の中には1人の子供がいた。まだ小学生になったばかり程の幼い少年は、両目から涙を流し恐怖で全身を震わせている。
(コイツ、呪霊の癖に人質を取ってやがる……!)
釘崎野薔薇はギリギリと手の内の釘を握りしめた。この呪霊を祓うだけであれば、さほど難しくはない。手の内にある釘を呪霊の体に打ち込むだけ、打ち込まれた釘を起点に釘崎野薔薇の呪力が呪霊の体で炸裂し、一瞬で死に至らしめることが可能である。
しかし、呪霊の手中には子供がいる。十中八九、釘を避けるために呪霊は子供を盾にするだろう。
(落ち着け、私――。私が死ねば、この子供も死ぬ。子供が死んでも、私は死なない。合理的に考えて!私だけでも、助かった方が良いでしょッ……!)
釘崎野薔薇は逡巡する。子供と一緒に死ぬか、自身だけでも助かるか。脳内は合理的に考えろと必死に訴えたが、僅かな沈黙の後、釘崎野薔薇は両手の釘と金槌を手放した。
カランッ――。
緊迫した空気の中、金槌と釘が地面へと落ちて跳ね返る音が響く。
「丸腰よ、その子を逃がして」
対峙する呪霊は、丸腰の釘崎野薔薇を見つめ返す。
緊迫した沈黙が数秒ほど続き、やがて呪霊は、子供を手放すことなくその笑みを深めた。
(分かっていた…、分かっていたのに、私の馬鹿ッ)
後悔と共に、釘崎野薔薇の脳裏へ、走馬灯のようにこれまでの人生が思い浮かぶ。
よくある山間部の田舎町、閉鎖的な人々、外からやってきた少女、彼女が教えてくれた東京の話、思い出、町民から迫害され、やがて去って行った彼女の後姿。
(あの大っ嫌いな田舎を出て、やっと東京に来れたってのに)
「……最期に、沙織ちゃんに会いたかったな」
ドッ――。
「あれ?外した?」
「……え」
釘崎野薔薇が視線を上げると、そこにはコンクリートの壁を貫通してこちらの部屋に飛び出している拳が1つ。
馬鹿げた光景であった。普通、人間の拳はコンクリートを突き破らない。呪霊も驚いたように、対峙する釘崎野薔薇を忘れてその掌を注視している。
「よっと」
次の瞬間。
ガラガラとコンクリートを突き崩し、1人の人間――虎杖悠仁が部屋の中へと侵入してきた。
『!?!?』
呪霊が慌てて虎杖悠仁に向けて人質の子供を振りかざそうとしたが、それよりも速く屠坐魔が振るわれ、子供を持つ腕が切断される。宙に投げ出された子供を掴むと同時に、虎杖悠二はその驚異的なフィジカルによって呪霊を数メートル先へ蹴り倒した。
「大丈夫か?」
「……う、うんッ」
虎杖悠二の腕の中で、救出された子供が涙目のままこくこくと頷く。
『ッ~~!!』
「逃げるぞ!!」
「逃がすか!!虎杖、その腕を寄越せッ!!!」
「え!?」
廃墟の外へと逃亡を図る呪霊には目もくれず、釘崎野薔薇は呪霊の切り離された腕を引っ掴むと、その腕に藁人形を乗せ釘を打ち付けるべく金槌を振りかぶる。
「芻霊呪法――共鳴りッ!!!」
キィン――――ッ!!
釘が打ち付けられる音と同時、廃墟の外で、逃亡を図った呪霊の心臓を呪力によって具現化された無数の釘が突き破った。
『ッ!!?』
短い断末魔と共に呪霊の体は地面へと落下していき、やがて墜落する前に灰となって消えていく。
その様を廃墟の外から見上げ、五条悟は満足げにほほ笑んだ。
「良いね、ちゃんとイカレてた」
「……勝った」
廃ビルの中、釘崎野薔薇は緊張の糸を緩ませ、そっと息を吐いた。極度の緊張から解放され、その声はかすかに震えている。
あと一歩間違えれば、子供も釘崎野薔薇も今頃は命がなかった。改めて呪術師の世界は命懸けであることを目の当たりにし、虎杖悠仁は1つの疑問を口にする。
「しかしさあ、なんでオマエって呪術高専に来たんだよ」
「何でって、……田舎が嫌で、東京に住みたかったから」
「えええッ!!?」
その余りにも予想外の答えに、さすがの虎杖悠仁も呆気に取られて固まる。釘崎野薔薇はフンと鼻を鳴らすと、金銭を気にせずに上京するにはこの手段が一番手っ取り早いのよ、と続けた。
「田舎が嫌で東京に来るためって……そんな理由で命を懸けられんのか?」
「懸けられるわ。私が私である為だもの」
釘崎野薔薇は、救い出した子供の頭に手を乗せるとその温かさを噛み締めるようにそっと撫でた。
「そういう意味では、アンタには感謝してる。私が死んでも、私以外が死んでも、明るい未来は無かったわ。ありがと」
「……まあ、理由が重ければ偉いわけでもねえか」
先に子供を連れて部屋を出ていく釘崎野薔薇に対し、虎杖悠二はそっと自身の両手を見つめた。
(最初はうまくやれるか少し不安だったけど、意外とやっていけるもんだな。釘崎も思ったより悪い奴じゃなかったし、これからもなんとかなるかもしれねえ)
つい先日まで呪いなど見たこともない一般人だった己が、こうやって呪霊を祓い、仲間を助けることができた。その経験は、虎杖悠仁に確かな自信と安堵、そして一瞬の油断を招く――。
「虎杖悠仁、後だ」
「ッ!!?」
突如聞こえた声に咄嗟に反応して後ろを振りかえり、そこに、鎌のように変形した両腕を振り上げ今にも切りかかろうとしている低級呪霊の姿を見つける。
「あっぶねぇ!!」
振り下ろされた鎌へ、ほぼ反射的に手に持った呪具をぶつける。
『ッ~!?~??』
両腕の鎌を弾かれ大きく体勢を崩した呪霊めがけて、虎杖悠仁はすぐさま踏み込むとそのまま懐に入り込みその頭部を切り飛ばした。
ゴロゴロと首が勢いよく地面を転がっていき、やがて残された体共々灰になって消えていく。
「虎杖ッ、どうかした!?」
音や声を聞きつけたのであろう、先に部屋を出ていた筈の釘崎野薔薇が慌てて部屋に飛び込んできた。
「悪い、油断したところを呪霊に襲われた。怪我とかはしてないから安心してくれ」
「はあ?アンタちょっと油断しすぎじゃない?まだ呪霊が残ってるかもしれない状況なんだから気をつけなさいよ」
「……」
「虎杖、聞いてんの?」
「あ、ああ、聞いてる。ごめん、気を付けるわ」
(……今の声、あれは)
虎杖悠二の脳内に、数日前受肉した際に聞こえた"呪いの王"の声が蘇る。
先ほど忠告めいた言葉を伝えたあの声――それは、先日聞いた両面宿儺の声に酷似していた。