学マス世界に転生したV.Ⅱスネイルが月村手毬をプロデュースする話 作:雪浪夏鶏
「……あれから随分と成長しましたね。中間試験の時と比べて、明らかに体力が向上している」
ソロアイドル、月村手毬のファーストライブ──その会場の楽屋内で、スネイルは感慨深そうにそう言った。
「アーキバス•プロテインの試作に付き合ってもらったのもあるでしょうが、結局は貴方自身の日々の努力によるものが大きいのでしょう。全ての問題を取り除き正しい方針を定めた今、誰よりも大きな野心を持ちストイックに鍛錬に臨める貴方は、飛躍的な成長速度を誇るようになった」
──そして成長といえば、月村手毬の態度の軟化もその一つであると言えた。
最初の他者を寄せ付けないような敵意に満ち溢れていた頃と比べ、今の手毬にはスネイルに対する確かな信頼がある。
ライブでの自分の特性をそのまま長所として受け入れてくれた事が、相当嬉しかったのだろう。
スネイルにとっても、自分の手駒として動く部下が指示に対して従順なのは好ましい事だった。
そして二人の関係が良好になるにつれて、手毬に心理的な余裕が生まれていったのも大きいだろう。
それはトレーニングでのパフォーマンスの良さに繋がっているだけではなく、クラスメイトに対しても前より多少態度が柔らかくなっていた事で、以前よりもトラブルの数が激減したという結果にも繋がっていた。
今ならまた、かつて失敗に終わった『お友達を増やそう作戦』をやり直しても良いのではないかとすら思わされる。
ここまでのプロデュースは順風満帆そのものであり、何不自由のない生活がスネイルには続いていた。
「やはり、この私が選んだアイドルに間違いはありません。数多く存在するアイドルたちの中から、トップアイドルに育てる上で貴方こそが相応しい、貴方以上の逸材はいないと──この私にそう感じさせる程の魅力を、貴方は秘めていたのです」
「ふふっ。褒めすぎだよ、プロデューサー」
「事実を述べたまでですよ──やはり、私の目に狂いはなかった。私が間違える事なんてありえない、貴方はトップアイドルになり得る才能を有している──そう思いながらプロデュースを始め、そしてその判断が正しかった事が証明された……貴方の問題行動に振り回された事もありましたが、今となってはそれも良い思い出です」
「プロデューサー…………!」
スネイルはかつてない程に手毬の事を賞賛し、そして手毬はその発言を聞いてキラキラと目を輝かせて歓喜する。
楽屋での──あくまでもこの時点での二人の会話は、とても良好なものだった。
「…………強いて不満があるとすれば、まだ貴方の真価を知るものが私しかいない、という点でしょう。この会場に居る関係者の者たちも、まだ貴方の能力を軽んじているようです──それが私には、どうしても気に食わない」
「…………!」
やれやれといった態度で、取るに足らない小言を言うスネイル──だが、手毬はその発言を聞いて何か感じるものがあったらしく表情を変える。
それは、小さな子供が何か良からぬ事を思いついた時にするような表情だった。
「……少し話が逸れましたね。H.I.Fへの出場権を手にするには、早い段階でそれ相応の実績を積む必要があります。そして、今の貴方ならそれが可能だと判断し──ソロアイドル、月村手毬のファーストライブを決行することにしました」
スネイルはリハーサル開始前に、改めて現状について説明する。
だがもはや、彼の言葉は手毬には届いていない。
手毬は表面上だけは理解した顔をしながら、何か他の事を考えている様子だった。
「元々貴方には一定の知名度があったためでしょう、それなりに多くの観客が集まっています──しかし、彼らはまだ生まれ変わった月村手毬の実力を知らない。そこには『SyngUp!』の月村手毬のファンは居ても、『ソロアイドル』月村手毬のファンは居ないのです──故にこのライブで最高の結果を叩き出し、ソロアイドル月村手毬の存在を決して忘れさせないよう周知させておく必要があります」
「分かってるよプロデューサー──みんなに、目にもの見せてやれば良いんだよね」
「えぇ。私の計算が正しければ、今の貴方にはそれを可能とするポテンシャルが十分に備わっている──ソロアイドル月村手毬の長所は、最初っから最後まで倒れずに全力で歌い切れるという点にあります」
アーキバス•プロテインの試作品を利用したトレーニングの成果もあって、手毬はなんとか一度だけは、最初っから最後まで通して全力で歌い切れるだけの体力を手に入れた。
その圧巻のパフォーマンスを前にすれば、観客たちもソロアイドル月村手毬の虜になるに違いない──あくまでも、そのパフォーマンスを発揮できるのは本番の一回だけという点に留意が必要だが。
「なので──リハーサルでは、七割の力で臨みなさい。本番までに余力を残しておくのです。そうすれば必ず、求める結果が得られる事でしょう…………聞いていますか?」
「分かってるってば、プロデューサー。これ以上舐められないように、全力でかましてくるから」
ご機嫌な様子で手毬はそう言い捨てながら、軽やかなステップでリハーサル会場へと赴く。
「……本当に、分かっているんだろうな……?」
そのどこか危うさを感じさせる後ろ姿を、スネイルは不安げな眼差しで追いかけていた。
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──結論から言ってしまえば、月村手毬のリハーサルは素晴らしいものには仕上がっていた。
最初っから最後まで、全身全霊を込めて放たれた圧巻のパフォーマンスはリハーサルを見守っていた関係者たちの心を打ち、そしてそれと同時に──一つの不安を植え付けていた。
ここまでリハーサルで全力を尽くして、果たして本番で体力は保つのだろうか──と。
……無論、保つわけがない。
案の定、リハーサルを終えて自信満々な様子で楽屋に戻った手毬は、そのリハーサルの様子を冷や汗をかきながら見守っていたスネイルに怒られる事になった。
「……ソロアイドル月村手毬、問題児というのは訂正しましょう──貴様は、躾すべき駄犬だ!」
「ひゃう!?」
かつてないほどの勢いで怒鳴るスネイル。
彼がここまで感情を露わにする様子を手毬が目の当たりにするのは、初めての事だった。
「……時折、我慢できずに間食を行ってしまうのはいいでしょう。それに合わせてキチンと『あきけん』を用いて食事メニューを調整しているのであれば、問題はありません。むしろ、好物をずっと我慢していてはストレスになってしまいます──適度な息抜きは必要不可欠と言えるでしょう」
それに関しては、本当に問題のない事である。
途中で間食を行っていようがいまいが、今の月村手毬の肉体はしっかりと鍛え上げられているのだから。
むしろ間食は、今現在の月村手毬の精神面での安定を維持する上で欠かせないものであるとも言えた。
「裏で私の事を厨二病と呼んでいて、プロデューサー科で私が揶揄われる原因を作ったのも…………まぁいいでしょう」
そしてスネイルは渋々といった様子で、手毬が起こした過去の事件の中で特に自分への実害が大きかったものも許容する──だが、そんな彼でも許せないものがあった。
「だが貴様は──この私の指示を、無いものとして扱った!駄犬め……教育以外の選択肢はない!」
このファーストライブの重要性は既に話した。
確実に成功させる為にリハーサルでは七割の力で挑むべきという点も、確かに伝えた。
だが、あろう事か彼女はその指示を無視した──これでは、今回のファーストライブの結果には到底期待はできまい。
このファーストライブを実施する為に行ってきたスネイルの努力が、全て水の泡になったも同然だった。
「貴様のせいで育成プランは練り直しだ……また忙しくなる……」
「…………プロデューサー、体調悪そうだけど……大丈夫?」
煽りではない、そう煽りではないのだ──月村手毬は本気で、何故か怒り狂って疲弊しているプロデューサーの身を案じている。
だがその発言が、余計にスネイルの逆鱗に触れたのは言うまでもない事だった。
「っ、誰のせいだと思って……とにかく今は、このままライブに臨むしかありません。さっさと行ってください…………」
だが、今は怒っている場合ではない──というか、もはや怒りようがないのだろう。
絶望のままに項垂れるスネイルを横目に、手毬はうんと呟いて本番に臨むのだった。
──当然、リハーサルで体力を使い果たしたソロアイドル月村手毬のファーストライブは散々な結果に終わった。
破綻した行いが招いた妥当な末路だ、と言えるだろう。
「あぁ………………」
今までの自分の努力が、その全てが、無駄になっていく──スネイルがこれ程の喪失感を抱いたのは、アーキバス•バルテウスに搭乗した上でこの上ない敗北を喫した時以来だろうか。
途方もない絶望感に苛まれながら、スネイルはなんとか言葉を絞り出す。
「……………………まぁ良いでしょう、収穫はあった…………長らくアーキバスから離れていたためか──部下の手綱を握る事の難しさを、私はすっかり失念していたのだ………………」
管理職の悲哀に満ちた発言を残して、スネイルはメガネをかけたまま勢いよく机に突っ伏するのだった。