その光景を見ていたゼフィアたちはたちまちその場から立ち去る。
ミゲス伯爵は武器を持っていたが、その圧倒的な人数差に負け、大人数から暴行を受け窮地に追い込まれる。
そこにやってきた黒龍は動けなくなったミゲス伯爵ではなく逃げ狂う国民の方ばかりを襲っていたため、彼はその隙をつき、最後の力を振り絞って、なんとか自分の屋敷に戻った。
だがそこに待ち構えていたのは、自分が足蹴にしてきた執事であった。
積年の恨みを晴らすため、執事はミゲス伯爵を半狂乱になりながら激しく痛めつけ、二人はミゲス邸と共に炎に包まれていった。
黒龍がもたらした天変地異は、シュレイド王国全土に及んだ。
太陽は消え、山も街も人も、あらゆるものが燃やし尽くされ、人々が逃げる場所はどこにもなかった。
兵士たちは既に壊滅状態であった。
「カンピア、いよいよだ。黒龍がこっちに向かってきている」
シュレイド城、最上階にて、国王メイクンは卓上に設置されていた小さな筒に向かって語りかけていた。
その筒には管が伸びており、それが床を突き抜け下の階まで繋がっていた。
「分かりました。国王は引き続き、その場で待機してください」
その筒からカンピアの声が返ってきた。
カンピアはシュレイド城一階のある部屋で、天井から伸びた管の先に繋がっている、もう一方の小さな筒を握りしめ、口元に近づけていた。
これはカンピアが発明した緊急用の連絡手段で、最上階の声を離れた一階に届けることができる。
カンピアのいる一階のレバーを引くとシュレイド城前に設置された撃龍槍が射出される仕組みになっており、国王の合図で即座にここから撃ち込むことができる。
撃龍槍の両隣には追撃用に四門ずつの大砲が用意され、そこに兵士ではなく駄ロス工房のメンバー二人が砲手として配置されていた。
黒龍が撃龍槍の射出範囲内に入った瞬間、彼らの一斉攻撃が始まる。
その範囲とは、ミゲス伯爵が設置した撃龍槍を中心にして半円状に大きく展開した鉄骨の柵である。
この柵はかつてラオシャンロンを倒した際に、その威力を国民に説明するために設置されたものであった。
「まさか、こんな形でこの連絡機を使うことになるとは⋯⋯」
「すみません、本来ならば国王の身の安全を守るために設置した装置なのですが⋯⋯」
「いいんだ。どうせ私はここから動くことはできない。国の一大事に対し、国民の避難誘導どころか、自分が逃げることさえ叶わないのなら、せめてこの高い部屋からやつを監視させてくれ」
「はい⋯⋯私が必ず黒龍を討伐します!」
国王は病弱であり、人並みの運動ができないため、このシュレイド城最上階から外に出られない状態であった。
その部屋の片隅には言葉すら喋れるか分からないほど幼い男の子が、怯えた様子で震えながら座っていた。
それを見た国王は、ため息をつき、うつむいた。
「すまない⋯⋯息子よ」
「国王、あなたの判断は間違っていませんよ。確かに、今この国から生きて出られる可能性は非常に低いです。ですから、現状この撃龍槍の近くは、一番安全な場所なんです!間違いありません、撃龍槍はこの国で最強の兵器なのですから!だから私を信じて、一緒に戦いましょう!最後まで生き抜いて、この国を救うのです!」
国王が見下ろす街の大半は、黒煙と炎に覆われていた。
その中で、ひときわ目立っていたのは黒龍である。
それが今、ゆっくりとシュレイド城へ近づいてきた。
「黒龍は太陽が消え、しばらくした後に現れ、この街を——いや私たち人間を悉く破壊していった。最初は兵士たちが命をかけ、黒龍に立ち向かっていったが、いずれも歯が立たず壊滅」
「あぁ。まさに圧倒的な戦力差だった」
「その通りです。そして立ち向かってくる兵士たちがいなくなった後、この国の唯一の出口である南方の凱旋門に向かった。理屈は分かりませんが、黒龍はなにか生きものの存在を感じ取ることができるのかもしれません。それはまるで、人間をより多く殺すために移動しているようにも思えます。そして、標的が少なくなった今、私たちがいるこの場所が、この国で一番多くの人間がいるようになった。だからやつはここを目指して来ているのでしょう」
「こんな状況でも、モンスターに対しての考察は相変わらず鋭いな」
「とんでもない。私がここまでやつの動きを推測できたのは、国王の情報のおかげですよ。知識は武器になります。しかし、相手がこうも想定外の強さだと、私たち人間の力はとても無力に感じます⋯⋯それでも私は勝利を信じています」
「カンピアよ⋯⋯任せたぞ!」
「旦那ぁ!俺たちも覚悟はできてます!親方が命を賭して守ったこの国を今度は俺たちの手で守りましょう!」
「皆さん⋯⋯お願いします!」
カンピアは親方という言葉に対し、亡くなったガンダロスのことを思いながら、身につけた黒い眼帯をさする。彼の魂はこの眼帯に宿っている。彼の思いも引き連れて一緒に戦っている。そう思うととても心強かった。
間もなく黒龍はシュレイド城に設置された撃龍槍の射程圏内に突入する。
※※※
時を同じくして、ドローマの砦に繋がった坑道を通り抜けたリヴェもシュレイド王国にたどり着いていた。
太陽が消え、暗闇が支配するシュレイド王国を明るく照らしていたのは、黒龍のもたらした災いの炎であった。
その光が坑道の出口から、希望の光のように差し込んでいたのであった。
「⋯⋯」
リヴェは目の前に広がる変わり果てた凄惨な街を前にして、言葉を失った。
ぐちゃぐちゃに崩れて積み重なった瓦礫の山が、轟々と勢いよく燃え盛り、道は塞がれ、至るところに逃げ遅れた人々の無惨な遺体が転がっていた。
その中には自らの手で命を絶った者もいた。
リヴェはうつむいたまま、呆然と街の中を歩き始めた。
頬の傷跡が疼く。
ドローマの砦で最後に見た光景が一瞬、脳裏に蘇った。それは自分を庇い炎に飲み込まれたミルレオスの顔と、坑道が崩れ去る瞬間にきらめいた虹であった。
そして『ルピナスを——』と言った彼の最後の言葉だった。
「孤児院は⋯⋯どうなった?」
もう、道の原型すら残っていないため孤児院の場所など皆目見当もつかない。
それでも、ボロボロの体を引きずりながら街を歩いた。その手には、なにかを強く握りしめていた。
その視線は無意識に、遺体の方に向いてしまう。
※※※
黒龍が凱旋門に襲来する前に、その場を離れることができたゼフィアとエレクは、炎と瓦礫を避けながら遠く、とにかく遠くへ逃げようとした。
瓦礫に塞がれた街の中、わずかに残された道なき道を力の限り進み続けた二人だったが、病弱だったエレクを連れ回すことはもう限界であった。
生きるために必死に歩き続けた。そしてついに、シュレイド城の大通り前でエレクは倒れてしまった。
そこからは城前に設置された鉄骨の柵が見えた。
ゼフィアはその大通りの崩れた建物のわずかに残った岩壁に背を預け、しゃがみこんで自分の口元を手で押さえながら必死に息を潜めていた。
もう片方の手で動かなくなったエレクを抱き寄せている。
既にエレクを何度も何度も揺すってみたが、なんの反応もなかった。
その時、二人を包み込んだ大きな影がズシンと凶暴な足音を立て地面を揺らす。
黒龍から逃げていたはずの二人はいつの間にか、その黒龍のすぐ近くに来てしまっていたのだった。
口元を覆う手に溢れた涙が伝う。
頼むからこのまま気づかないで下さい。
今は黒龍が気づかず過ぎ去っていくことを、とにかく祈った。
だが黒龍の影はそこから動かない。立ち去ろうとする気配もない。
その長い首がしゅるりと地面に向かって伸びていく。
邪眼が建物の壁に隠れている二人の方をじっと見つめていた。凶悪な顔がどんどん近づいてくる。
「——んっ!」
口元を押さえたゼフィアの声がわずかに漏れる。
ついに黒龍の邪眼は怯えるゼフィアの姿を捉え、ガバッとその口を開いた。
「⋯⋯ミル⋯⋯ごめ——」
口元を押さえていた手が緩み、全てを諦めたような声が漏れた。
そして黒龍の喉奥からチラチラと炎が見えた瞬間——
「やめろぉぉ!」
咄嗟に駆けつけたリヴェが手を伸ばすが——届かない。
「撃てぇ!!!」
ブワッ——ズギャンッ!
黒龍が炎を吐き出す瞬間、カンピアの掛け声とともにシュレイド城に設置された撃龍槍が射出された。
撃龍槍は四つん這いで首を曲げていた黒龍の胸部と首の間にズギャガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガっ!と回転しながら命中し、炎と瓦礫の山に押し込んだ。
「命中した!効いてるぞ!」
最上階にいる国王が連絡機を握りしめ、興奮気味の声で状況を伝える。
——黒龍が撃龍槍で飛ばされたその時、リヴェは一瞬だが黒龍の吐き出す炎に飲まれたゼフィアの手を掴み、どうにかその身体が燃やし尽くされる前に引き寄せることができた。
エレクは間に合わず、炎の中に消えていった。
だがかろうじて救い出されたその命は、リヴェの腕の中でまもなく終わりを迎えようとしていた。
「どうして⋯⋯なんで、いっつもこうなっちまうんだ!」
「リ⋯⋯リヴェ⋯⋯さん」
「やめろ!もう喋んな!これ以上、アタシになにか求めるな!」
「お願い⋯⋯教えて⋯⋯ミルは⋯⋯⋯⋯ミルレオスはどこ?」
「っ!?」
巡る記憶の中に映る炎と虹、それがミルレオスの死を強調し、連動するように頬の傷跡が疼く。
「し、新兵は⋯⋯ミル⋯⋯レオスは⋯⋯くっ!」
「⋯⋯?」
「⋯⋯やつは⋯⋯あいつは!」
言葉が詰まる。
死を前にしたゼフィアに対し、ミルレオスの死を伝えるのか、それとも安堵させて逝かせるために嘘をつくのか。
リヴェは苦悶の表情を浮かべ続けることしかできなかった。
それを見て何かを察したゼフィアは、ゆっくりと目を閉じ、どこか安心したような穏やかな表情を浮かべた。
「⋯⋯そう」
そっと息を引き取った。
——「大砲撃てっ!」
その間にも黒龍に対して大砲による追撃が続いた。
黒龍が埋もれた瓦礫めがけて容赦なく攻撃を浴びせた。
激しい砲撃がリヴェの頭上を通過し、その奥にいるであろう黒龍にぶつかって黒煙が上がった。
それを背景にぐったりとしたゼフィアを抱えたまま、立ち尽くす。
弟が殺されたあの日から、なにかを失う度に頬の傷跡は何度も痛み、疼いてきた。
なにも失いたくないから、なにも得ようとしなかった。頬の傷跡の痛みを二度と感じたくなかった。
それでも痛みは消えない。どれだけ戦いを求め、
永劫に続く過去の痛みからは逃れられない。
「アタシは⋯⋯」
ゼフィアを抱えた手の片方は不自然に、
※※※
「大砲撃ち尽くしました!」
「了解!撃龍槍の再装填を頼みます!」
「はいっ!」
カンピアの号令で打ち出された撃龍槍がゆっくりと元の位置に戻されていく。
「確かに、私たち人間の力では
ガラガラガラ⋯⋯黒龍が埋もれた瓦礫が蠢き出す。
「黒龍、まだ生きてます!」
「大砲です!急いで大砲の用意を——」
バサッ——!
黒龍が翼を一気に広げ、瓦礫と黒煙を吹き飛ばした。
「そんなバカな、まともにくらったはずなのに!」
撃龍槍が命中した胸部には確かな傷跡が残っていた。
だが黒龍はまだまだ余力を残していた。
その邪眼がシュレイド城を捉える。
そして四足歩行で蛇行しながら、シュレイド城に向かって突進してきた。
「退避!退避してっ!」
「うわぁぁぁぁ!」
全員の悲鳴が城内に響き渡った。
※※※
最上階からその様子を見ていた国王も、同じように絶望していた。
ズシン ズシン ズシン ズシン!と響くのは音だけではなく振動であった。
「うぐっ!」
たちまち立っていられず、両手を地面につけた。
ガッシャーン!バタバタバタ!
飾ってあった本や花瓶がどんどん落ちてくる。
その中には国王が自ら執筆した物語が書かれた書物も含まれていた。
「だめか⋯⋯もうここまで」
その時、割れた花瓶から飛び出した青い花が、目の前に転がってきた。
この花はミゲス伯爵がくれた猛毒の花であった。
「いっそ、このまま苦しむくらいなら⋯⋯」
その花を掴み、部屋の隅で怯えたままの息子に目を向ける。
「許してくれ⋯⋯これが私ができる最後の償いだ」
※※※
黒龍がリヴェの横を過ぎ去り、シュレイド城に突進していく。
それでもリヴェはその場から動かない。
突進の振動でゼフィアを地面に落としてしまった。
その時、自分の手が見えた。
「⋯⋯ハハ」
その手にはドローマの砦で黒龍に真っ二つに折られた長刀の、刃が握られていた。
時の流れが遅く感じ、不自然な静寂さを覚えた。
感情がぐちゃぐちゃになり、意識を失い、なにをすべきか、なにが正しいのかさえ分からなくなっても、この手だけは——武器だけは離さなかった。
「そうだ⋯⋯」
頬の傷跡が思い出させるのはいつもの最悪の記憶だ。
だがその後には決まっておとずれる瞬間があった。
口角が大きく吊り上がった。
そして口をめいっぱい——いや、それ以上に大きく広げる。
ありったけの声で咆哮をあげ、ブチブチと口が裂けていく、それでも叫び続ける。
あれほど遠ざけようとしていた過去が、痛みが、全てが反転するほどの"楽"に変わる。
そうだ、最高の瞬間は最悪な出来事の後に起こるんだ。
リヴェはまるで瞬間移動したかのようにその場から姿を消した。
黒龍がそのまま突進しながらその牙を撃龍槍に突き立てようとした瞬間——ズシャッ!——その顔を鋭い刃が切り裂いた。
怯んだ黒龍は撃龍槍の前で後ずさりした。
「ヒャハハハハッ!」
「リヴェさん!?」
黒龍の前に立ち塞がったのは、完全に口が裂け、顎がダランと垂れ、歪な角度で首を傾けたリヴェであった。
澄み切ったその目は、黒龍の邪眼と対を成している。
いよいよ、この話も終わりの時が近づいてまいりました。
次回、最終回です。
全力で執筆していきたいと思っています!