Monte Carlo Mally 作:Yaris Margatroid
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モンテカルロ・ラリーDAY2。
午前の冷気が残る山岳ステージで、メリーと蓮子はデルタS4を駆り、ついにトヨタ・222Dの姿を捉える。
黒一色のボディ、沈黙するような排気音――その走りは、まるで“風そのもの”。
だが、222Dのペースは異様に落ち着いていた。
それは圧倒的な速さの制御であり、意図された“手加減”。
指導者・宇佐見菫子が、かつての因縁を知るがゆえに、メリーたちを“測っている”と気づいた蓮子は、静かに憤りを燃やす。
中盤、デルタS4は222Dに一瞬だけ並びかける。
だがその並走は、“許された時間”に過ぎず、222Dはすぐに距離を調整して前を行く。
悔しさと同時に湧き上がる確信。
「ならば、自分の意思で並びに行く」――
メリーは亡霊とともに“前を向いて走る決意”を固めた。
一方その夜、デルタS4の進化にちゆりが気づき、
夢美は「最終日は“見せ場”となるSSS、コートダジュールでの並走」と発表。
相手は、もちろん――222D。
その頃、222D側では菫子が澪に「夢美の弟子と対峙するのだ」と静かに告げる。
「譲る必要はない。お前の走りはもう、お前自身のものだ」
かくして、銀灰の亡霊と黒き獣の正面対決は避けられぬものとなった。
次なるステージは――モナコの心臓、“コートダジュール3周”。
モナコの朝は、静かだった。
仮設のガードレール、重ねられた縁石、観覧席の背後に残る夜の気配――
市街地コース“コートダジュール”は、夜明けとともにその姿を現し、F1とは異なる緊張を孕んでいた。
SSS。
スーパー・スペシャルステージ。
たった3周。だが全世界が注視する“2台だけの決戦”。
デルタS4の車内で、メリーと蓮子は無言のままスタートを待っていた。
「……並ぶんだね。とうとう」
「昨日は背中。今日は横。
もう、“見失う”なんてことはない」
そのとき、整列を終えた隣のトヨタ・222D。
係員に促され、ドライバーが一度ヘルメットを外す。
その横顔を見た瞬間、メリーと蓮子の時間が止まった。
「……えっ?」
「……あれ……うそ……」
黒髪のロングポニーテール。
冷たい風のように澄んだ瞳。
その姿は――忘れようにも忘れられなかった。
「モナコの……あの時の……!」
「チェックインの時と、マルシェで助けてくれた、あの子……!」
エレナがヘルメットを小脇に抱えながら、軽く澪に何か声をかける。
その声にも、記憶の中の明るいトーンがそのまま残っていた。
「名前も知らなかったのに……あのふたりが、まさか222Dの……!」
メリーが息を呑む。
蓮子の声も震えていた。
「……これは、ただのレースじゃない」
「うん。“知らなかったから戦えた”んじゃない。
今、ちゃんと知ったうえで――正面から向き合うんだ」
メリーはヘルメットを被り直す。
あの時、街の片隅で助けてくれたふたりが、今こうして目の前にいる。
正体も知らなかった“偶然のすれ違い”が、
今――戦うための因縁として再び交差した。
「Ready in 30 seconds」
無線が鳴る。
「蓮子、今日は“伝える”日だよ。
この子と一緒に、“私たちはここにいる”って」
「任せて。あの時の恩返しも兼ねて、“思い出してもらえる走り”をする」
「いや、今度は“忘れられない走り”をするんだよ」
スタート5秒前。
銀灰の亡霊と、黒き獣。
観客の静寂が、世界中に広がっていた。
「3、2、1――GO!」
咆哮が重なり、コートダジュールの石畳を裂いた。
スタートと同時に、2台のマシンが石畳のコートダジュールに飛び出した。
最初の右――サン・デヴォートを鋭く切り込み、瞬間的に車体が横に滑る。
デルタS4が僅かに内側を取ったが、トラクションで勝った222Dが立ち上がりで並び直す。
「くっ、後輪浮いてた……けど、行ける!」
「次、ボー・リバージュ! 登坂、高速右、ライン右寄り!」
「了解、全開まで引っ張る!」
高度を上げながら222Dのリアがわずかに遠ざかる。
だがその動きには、加速の“凶暴さ”がない。ただ、空気を断つように滑っていく。
「……無駄がない。なのに、速い」
「風みたいな走り……っていうか、あれほんとにラリーカー?」
続くマッセネでは、デルタS4が旋回速度で迫る。
メリーがステアを切り、車体をねじ込む。
「次、カジノ・スクエア! 浅い右で減速! 準備して、ミラボー!」
「滑る、でも抑える!」
デルタS4がスライド気味にカジノを抜けると、222Dはその先のミラボー・オーで再びスッと姿勢を整えていた。
澪の操作は、無理がない。それなのに、速い。
「くそ……さっきのライン、覚えとく……!」
「次! ローズヘアピン! 最徐行、左、切り返し注意!」
「行くよ……!」
ステアリングを思いきり切り込み、デルタS4がきしむようにヘアピンを回る。
222Dもまったく同じように、重心を置くように旋回していく。
「……差が、詰まらない。これだけ抑えても、離れない……!」
「いや、でも……なんか、見えてきた。
“あの車がどう動くか”じゃない。“あの子がどう走ってるか”が、だよ」
蓮子の言葉に、メリーが口角をわずかに上げる。
「なら、次は“私の番”だ」
ミラボー・バからポルティエ、そしてトンネルへ。
回頭のたびに、車体が沈み、浮き、沈む。
音が反響しない222Dの背中が、スッとトンネルの闇に消えかける。
「置いていかせない……!」
デルタS4が吠える。
亡霊の咆哮が、トンネル内に木霊する。
トンネルの中、低く響くデルタS4の咆哮。
その音は反響し、222Dの静けさと対比するように壁を打った。
「メリー、出口! 日差し強い、路面切り替え、ライン右寄りで!」
「見えてる……でも、あえて左から行く!」
「えっ……って、ちょっ、マジで……!?」
トンネルを抜けた瞬間、222Dは最短の右ラインへ滑り込む――
が、そのアウト側、デルタS4が“吠えるように並んだ”。
「うおおおおッッ!!」
金属の悲鳴のようなシフトダウンと共に、左前輪が一瞬浮いた。
ノーズがヌーベルシケインの入り口で222Dの横腹に迫る。
澪の車は――揺れなかった。
まるで“予想していた”ように、スッとイン側を開けた。
「……っ、譲った……?」
「いや、違う。あれは……“認めた”んだよ、今の突っ込みを」
「マジで……!?」
一瞬だけ、デルタS4が前に出る。
そのままタバコ(Tabac)――左高速コーナーへ。
アウトインアウトを通して車体を滑らせ、プール前へ。
「そのまま! Piscine 1・2! 左→右、切り返し連続!」
「ライン残して……っ!」
プールセクションの縁石をギリギリで飛び越え、ショックが腰に叩きつけられる。
だが――その後ろ。222Dは縁石すら使わずに同じラインを滑っていた。
「っ……速い。なのに、まだ静か。
でも……今、確かに“こっちを見た”!」
デルタS4と222D。
亡霊と獣。
その一瞬の交錯に、観客席がどよめいた。
レースは、まだ1周目の終盤。
だがこの瞬間、ふたりの距離が初めて“対等”になった。
プールセクションを抜け、マシンは**ラスカス(La Rascasse)**へ。
観客が密集するこのコーナーは、歴史と伝説が折り重なった場所――
そして、ミスが最も晒される舞台でもある。
「次! ラスカス、最徐行! 滑るから、立ち上がりラインはタイト!」
「了解!」
デルタS4が先に飛び込む。
タイトなインに切り込んだ瞬間、リアが僅かに揺れた。
その一瞬――
222Dが、アウトから鼻先を滑り込ませてきた。
「えっ……!?」
「メリー、イン詰めすぎた! その隙間……!」
「見てたんだ、さっきの私のブレーキングを!」
一周目で見せた突っ込みの牙。
その“距離感”を澪は正確に計測し、今ここで突き返した。
アウトからラスカスに進入した222Dは、
まるで刃を滑らせるようにデルタS4のドアミラーに並び、
そのまま**アントニー・ノゲ(最終コーナー)**に差し掛かる。
「次、ノゲ! 立ち上がり勝負!」
「わかってる……でも、譲らない!!」
メリーはラインを残さずに切り込み、アクセルを半テンポ早く入れた。
スリップから抜けようとする222Dが、僅かにリアを滑らせる。
「今……!」
デルタS4が立ち上がり加速で前へ出た。
左右の観客席が一斉に沸く。
1周目――横並びでフィニッシュラインを通過。
その差、わずか0.02秒。
蓮子はノートを握りしめたまま、息を呑む。
「並んでる。……ちゃんと、“戦ってる”!」
メリーは、スロットルを抜かずに前を睨んだまま言った。
「次の周回、“もう一歩踏み込む”。
今のだけじゃ、きっと……あの子は満足してくれない」
2周目突入――
スタート/フィニッシュラインを駆け抜け、再び右のサン・デヴォート。
その先に、変わらぬ222Dのリアウイング。
だが、メリーの目は違っていた。
「蓮子、次の登りで抜く。ノート、少し前に出して」
「了解。ボー・リバージュ、ブレーキ残して旋回開始早め! マッセネは縁石使ってアウト気味!」
「その言い方、いい。すごく“走りやすい”」
デルタS4のステアが、ノートに導かれて動く。
その動きに、機械の反応ではなく――“言語としての応答”があった。
マッセネの高速左、222Dがややイン側を取りすぎた。
「今!」
「切り込め!」
メリーがステアを抉じる。
S4が滑るようにアウトから鼻先を差し込む。
その鋭さは、かつての“追いすがる走り”ではなかった。
真正面から、咬みにいく刃。
「食いつく……!」
だが、222Dはまったくブレーキを遅らせない。
「くっ、速い……!」
「でも、今のは通ったよ。少なくとも、“届く”って知らせた!」
222Dの背中が視界の奥で揺れたように見えた。
(気づいた。あの子……ちゃんと、私たちを“見てる”)
カジノスクエア。
滑る路面、陽光、タイヤスモークの匂い。
ふたりのマシンが、ほんの10cmもない間隔で走り抜けた。
「次、ミラボー。回頭重視、立ち上がり膨らませて!」
「了解、落ち着いて……!」
メリーの手と足、そして蓮子の声――
今やそれらは三位一体となって、デルタS4を“意志”として動かしていた。
ミラボー・オーを抜け、前方に現れるのはコース最狭部、ローズヘアピン。
ふたりのマシンは、1周目とまったく異なるリズムでこの地点に到達していた。
「次、ローズヘアピン。ステアは早めに、でも角度は浅く――」
「ごめん、少し崩す。こっちから行ってみたい」
「え……? ちょ、メリー、それって……!」
蓮子の声を置いていくように、メリーは“ノートにない角度”でステアを切った。
あえて奥まで突っ込み、通常よりも“遅く深く”曲がるライン――
222Dが、反応した。
「見てる……澪が……こっちを“見てる”!」
「ってことは、効いてる!」
デルタS4がリアを滑らせながら回頭し、立ち上がりで路肩すれすれに抜けていく。
後続の222Dが、明らかにアクセルを戻した。
ほんの、0.1秒分だけ――
けれど、それはこのステージで最大の心理的揺さぶりだった。
「ポルティエ、次! 抑えすぎないで! アクセルを先に乗せる!」
「了解!」
右手の壁が迫るポルティエ。
デルタS4がギリギリのラインで飛び出し、右手に広がる港の光へと駆け出す。
「行くよ、トンネル!」
闇が口を開く。
デルタS4の咆哮が、コート・ダジュールの地下に飲み込まれる。
後方――222D。
それは今も静かだった。
けれど、確かに“息を整えている”。
(澪……次で、来るな)
咆哮の余韻を残しながら、ふたりは再び闇の中で並び立つ。
トンネルを抜けた瞬間――
陽光とともに、黒き獣が“牙を剥いた”。
222Dが加速を緩めず、ヌーベルシケイン手前のブレーキングポイントに差し掛かってもなお、スロットルを残していた。
「えっ、あれ突っ込んでくる……!?」
「来る……来るよ……ッ!」
デルタS4のイン側、限界ギリギリのラインに――
222Dがねじ込まれる。
滑る路面、重なる縁石、狭すぎる間隔。
だが澪は、まるで“ここしかない”と知っていたように突いてきた。
(こっちが試した“揺さぶり”を――
“ちゃんと返してきた”。しかも、私より深く、静かに)
「うそ……静かなのに、速すぎる……!」
デルタS4のリアが軽く振れる。
だが、次の瞬間、メリーはカウンターを躊躇なく入れていた。
「やるよ……!」
咆哮とともに、再びノーズを前に出すデルタS4。
咄嗟の挙動を支えたのは、もはや反射ではなく“信頼”だった。
「プール前! 次、連続切り返し、右→左、ライン細いよ!」
「わかってる……でも行く!」
ふたりは、まるで“同じ車に乗っているように”、一連の動作を交錯させていく。
プールセクション。
デルタS4が縁石を跳ね、222Dがそれを真横からなぞる。
どちらも譲らず、どちらも崩れない。
「ねえ蓮子、なんか……」
「うん。もう、怖くないね」
「ううん、違う。“この人たちと走るのが楽しい”って、思っちゃったんだよ」
「……ふふ、バカだなあ、私たち」
笑いながら、ふたりの呼吸は完全に重なっていた。
前後の差は、ほぼゼロ。
亡霊と獣は、いまや完全に並び立っていた。
ラスカスへ向けてのアプローチ。
222Dがやや先行する形でラインを作り、デルタS4はその直後を追いすがる。
「……ねえ蓮子、今の差、何秒?」
「コンマ1ないよ。ほぼゼロ」
「じゃあ……仕掛けていいよね?」
「うん。行こう、“私たちのライン”で!」
ブレーキング――
メリーは、ノーズを“あえて内に絞らず”、タイヤを外側に滑らせるように車体を回した。
デルタS4のボディが大きく外に開き、
そのままアントニー・ノゲの入口で“再び”222Dのアウトへ食いつく。
「左、膨らんで、ノーズ先行させて――抜けるッ!」
蓮子の叫びに、メリーは応えるようにアクセルを抜かず、
タイヤの摩擦限界をなぞるようにトルクをかけ続けた。
一方の222D。
篠原澪の右足は――ほんの一瞬だけ、スロットルを遅らせた。
(……譲ってる? いや、違う)
それは**“試している”**目だった。
――どこまで走れるのか。
――どこまで食い下がってくるのか。
その問いかけが、視線の奥に宿っていた。
デルタS4が先頭でストレートへ飛び出す。
観客席から歓声が上がる。
「っしゃあ!! 行った!!」
「でも、まだ半分! 次で絶対また来るよ!」
「来いよ。今度は“正面”で全部受けてやる!」
目を細め、メリーは真っ直ぐ前を見据えた。
今この瞬間、彼女は“あの黒い車の中にいる誰か”を、ようやく本当の意味でライバルとして意識していた。
(あの子の名前も、声も、何も知らない。
でも、もしまた会えるなら――)
(聞いてみたい。「あなたの名前は?」って)
3周目。
ファイナルラップ――この並走SSSにおける、最初で最後の決着の周。
スタート/フィニッシュラインを通過したその瞬間、
メリーはほんの一瞬だけ隣を見る。
222Dのドライバー。
ヘルメット越しに顔は見えない。けれど、わかる。
――次は、本当に来る。
「ラスト1周。ここで、全部出し切る!」
「任せた! 私は“全部伝える”から!」
サン・デヴォート。
デルタS4がわずかに先行して進入、だが222Dがノーズをインへ押し込む。
「やっぱり来た……でも!」
一瞬のタイヤの揺れ。
だがメリーはブレーキングの荷重を逃さず、インのグリップを信じて回し込む。
ガリリ、と縁石を踏む音。
デルタS4が抜けた!
「次、ボー・リバージュ、立ち上がり加速! 回転上げていく!」
「全開で行くよ!」
山を登るような曲線で、空と港の光がフロントガラスに映る。
直線なのに緊張が走るこのセクション――勝負の準備は、ここで始まっている。
「次、マッセネ→カジノ! 相手、立ち上がりに来るよ!」
「わかってる、でももう譲らない!」
デルタS4が回頭しながら車体を半分滑らせる。
ほんの僅かなロス。その隙を、222Dが音もなく食う。
「インに……入られた!」
「でも、ラインは譲らない! “バランス”で押す!」
メリーの右足がスロットルを緩めず、ボディを預けるようにノーズを突き出す。
車体同士が接触しそうな距離――
だが、触れない。
極限の間合い。
その中で、**“先に折れた方が負ける”**空気が生まれていた。
「……怖い?」
「怖い。でも、“走りたい”気持ちの方が勝ってる」
「それでこそ、私のドライバーだよ」
蓮子の声は、もはやペースノートを超え、伴走する旋律だった。
ミラボー・オー。
軽い下り、低速での右コーナー。
ここで、メリーは一手、賭けに出た。
「ブレーキ、遅らせる。リズム、崩す」
「でも、次ヘアピンだよ? タイミングズレるよ?」
「……だからこそ。ここで詰める」
デルタS4が、思いきりリアを振るわせながらミラボーを突っ込む。
車体が大きく沈み込み、ブレーキングで一瞬タイヤが鳴く。
222Dのリアが目の前に見える距離――
いつも完璧だった澪の走りに、わずかな“早さ”が出た。
「焦ってる……!」
「“完全じゃない”! 今の、効いた!」
続くローズヘアピン。
もっとも遅く、もっとも狭く、ミスを許さないコーナー。
デルタS4がタイヤをギリギリまで絞り込み、内側へ侵入していく。
「ステア切り込み早く! アクセルは我慢!」
「でもリズムは持ってく!」
咆哮を上げるデルタS4。
滑るギリギリを保ち、脱出ラインを刻む。
そして――
そのあとを追った222Dが、ほんの一瞬、外輪を縁石に乗せた。
「乗った……!」
「ってことは、やっぱり効いてる!」
これまで一切乱れなかった澪のラインに、**人間的な“揺れ”**が見え始めていた。
ポルティエ――
回頭のためのブレーキが重く響き、デルタS4が車体を半身でねじ込みながら出口を奪う。
「トンネル、入るよ!」
視界が闇に包まれた瞬間――
背後の222Dが、再び姿勢を整えてすぐそこまで来ていた。
(やっぱり、“簡単には崩れない”)
(でも、もう私は……この背中に“ビビらない”)
ステアを真っ直ぐに戻し、アクセルを踏み抜く。
トンネルの中、亡霊と獣が重なった。
トンネルを抜けると、そこは眩しい陽光と、観客のざわめきの渦だった。
「次、ヌーベルシケイン。来るよ、蓮子!」
「来る、絶対来る。ここが……最後の勝負になる!」
前周の再現――いや、それ以上。
222Dが、デルタS4のアウト側から追い詰める。
だがメリーは、前の周と違い“アウトを空けない”。
「譲らない。来るなら、正面から来い!」
右前輪が、ブレーキングでわずかにロックする。
その瞬間、222Dが――イン側の縁石をギリギリで踏み切ってきた。
「うそ、そんなとこ通る!?」
「通す気じゃない。“見せてる”だけ!」
その判断は、澪の視線に宿っていた。
咬みにきたのではない――最後の警告。
「譲られないのなら、避けてでも抜いてやる」
その強さが、静けさの中にあった。
「……認めるよ。あなたのこと、全部じゃないけど――わかった気がする」
ほんの一瞬、コクピットの奥から目が合った気がした。
それは数秒前の会話のようで、でも交わされた言葉はひとつもなかった。
(名前も、国も、何も知らない。
でも、“戦えた”ことだけは、確かにここにある)
メリーはステアを切り、アクセルを抜かずに、次の左を抜けた。
その真横、222Dも一切音を立てず、コーナーをなぞるように滑っていく。
ふたりは、並んだまま、シケインを抜けた。
ヌーベルシケインを抜けたあとも、ふたりの距離は変わらなかった。
銀灰と漆黒、咆哮と静寂――どちらも譲らず、どちらも崩れない。
「次、タバコ! 左、全開気味、膨らみ過ぎ注意!」
「了解、でも……ここで差をつける!」
デルタS4が低く吠えながらアウトいっぱいを踏み、ギリギリまで粘って旋回する。
一瞬の加速。だがその背後、222Dは――またしても音もなくついてきていた。
プール・セクション。
左、右、右、左――
連続する切り返しに、メリーと蓮子の息が完全に合う。
「切り返し! 2つ目のシケイン、縁石踏みすぎ注意!」
「抑える……!」
デルタS4が跳ねる。
視界が数センチ浮くような瞬間――その横、222Dのボディが“吸いつくように”路面に貼りついていた。
「嘘でしょ、今の……」
「静かに、でも確実に“ついてきてる”……!」
2台の車は、そのままラスカスへ。
「次、ラスト2つ!」
「もう……全部出す!」
咆哮が、銀灰のフロントから漏れる。
デルタS4が、リアを軽く流しながら最終区間へ突入。
「アクセル残して……今だ、行け!!」
アントニー・ノゲ(Anthony Noghes)――最終コーナー。
メリーはわずかにアウトへ車体を出し、そのまま――
222Dに、ラインを残した。
「……行けるもんなら、並んでこい!」
その瞬間、漆黒の222Dが――本当に並んできた。
「えっ……!!」
「マジか、並ぶの!?」
2台は、まるで初めて出会ったあの日のように、肩を並べて――
メインストレートを駆け抜けた。
フィニッシュライン。
観客が総立ちになったその瞬間――
タイミングモニターには、**“Photo Finish”**の文字が点滅していた。
結果はまだ分からない。
でも、メリーも、蓮子も、そしてきっと澪も、こう思っていた。
――この一瞬のために、ここに来た。
フィニッシュラインを過ぎたあとも、メリーはすぐにはブレーキを踏まなかった。
車体を転がすように流しながら、ハンドルに額を預ける。
「……終わった」
「うん……終わったね……!」
蓮子の声も震えていた。
さっきまで一心同体だったふたりの体温が、いまゆっくりと現実に戻りつつある。
「楽しかった……って言ったら、怒る?」
「言うと思ったよ、もう……! でも、うん、私も」
どちらが勝ったかは、まだわからない。
だが、少なくとも**勝敗以上の“何か”**をこのレースは生み出していた。
「名前、知りたかったな。あの子の」
「うん。……でも、今はまだ、知らなくていい気もする」
「なんで?」
「たぶん、また会えるから」
蓮子がそう言ったとき、
隣をゆっくりとトヨタ・222Dが並走していた。
そのドア越し――
黒髪の少女が、わずかにこちらへ顔を向けた。
ヘルメット越しに、目だけが見えた。
そして――
ほんのわずかに、頷いた。
それだけだった。
言葉はなかった。名前もなかった。
けれど、メリーは自然に右手を上げていた。
222Dの助手席側、プラチナブロンドの少女が驚いた顔でそれを見て、
ほんの一瞬――破顔した。
すれ違い、加速、遠ざかる背中。
やがて222Dは視界の奥へと消えていった。
「……ねえ蓮子。私、気づいてたかも」
「え?」
「空港で助けてくれたあの子たち――あのふたりだった」
蓮子は黙ったまま、微笑んだ。
「私も、なんとなくそうじゃないかなって。
……やっぱり、あの時から走ってたんだ、私たち」
整備エリアに戻る途中、ガレージから教授が現れた。
「よくやったな、ハーン君、宇佐見君」
「……勝ったんですか?」
「それは、まだ発表待ちだ。だが、あれは確かに“競技”だった。
このマシンを“走らせる意味”を、お前たちは証明した」
ちゆりがピット奥でタブレットを眺めながら、ため息をついた。
「まったく、あの獣をここまで操るとはな……しかもモナコで……」
「ん? ちゆり、なにか言った?」
「いや、なんでもねえよ。……ほら、汗拭け、顔がホコリまみれだぜ」
「へーい……」
その頃、222Dの車内でも、似たような静寂があった。
澪はヘルメットを外さないまま、まっすぐ前を見ていた。
エレナがその隣で、じっと様子をうかがっている。
「ミオ……悔しい?」
「ううん。……楽しかった」
「……そうだね。私も。なんか、もう一回くらい、あの子たちと走りたいかも」
「きっとまた会えるよ。
だって――“もう知ってる”から」
車体の外では、次のマシンが整列し始めていた。
けれど、ふたりにとってのステージは、たった今、終わったばかりだった。