Monte Carlo Mally 作:Yaris Margatroid
10年ぶりの再会。
嵐の中のコルシカで起きた事故、それぞれが背負った後悔と責任、そして今なお交わらない視線。
夢美は“今を走るドライバー”として、菫子は“過去を見つめるナビゲーター”として、それぞれの立場から語り合うも、わかり合うには遠すぎた。
一方、メリーと蓮子はホテルの一室で、ラリー・モンテカルロの総合3位という結果と向き合いながら、次戦に向けて“勝ちに行く”という新たな決意を共有する。
また、澪とエレナのペアもアルゼンチンへの準備を進める中で、コーチである菫子の過去と現在が少しずつ重なっていく。
それぞれが、それぞれの立場で「走る理由」と「託す想い」を問い直す一夜。
ふたつのノートに書かれた決意は、やがて新たなステージへとつながっていく――。
アルゼンチン・コルドバ州。
山々に囲まれたリゾート地、ビジャ・カルロス・パス。
南米特有の乾いた風が街を吹き抜け、舗装された石畳の道に、カフェのテラス席が連なる。
空は高く、太陽は容赦なく照っている。けれど、不思議と空気は軽やかだった。
ホテルのロビーに、控えめなざわめきが広がる。
「……えっ、観光? マジで?」
宇佐見蓮子の声が、椅子の背もたれ越しに響く。
片手にはラリーデータを表示したままのタブレット、もう片手には、読みかけの旅行ガイドブック。
「レッキもメディカルチェックも終わった。次のテスト走行は明日の朝。今日は“完全オフ”だ。」
岡崎夢美はサングラスをかけ、肩にリュックを背負って立っていた。
その姿はどこからどう見ても観光モードだったが、どこか“任務中”のような緊張感をまとっていた。
「……えっ、夢美さんって観光とかするタイプだったんですね……!」
「する。肉を食って、休む。それも戦術の一つだ。」
「ねぇ、今“肉”が先に来たよね? 休むより先に“肉”って言ったよね!?」
メリーが思わずつっこむと、隣で蓮子も呆れたように苦笑する。
「まぁ……でも、ここでしか味わえない体験ってのも、悪くないかも」
「じゃあ行こう。“肉と高原とラテンの風景”だ。」
「タイトルみたいに言わないで」
そのとき、奥のエレベーターが開き、整備服姿の北白河ちゆりが姿を現した。
「教授、まさか観光って……ほんとに行く気か?」
「行くぞ。パリジャーダ(炭火焼肉)と、“標高1,400メートルの村”だ。」
「いやちょっと待て、なんで肉と標高をセットで語る!?」
「お前も来い。肉のタンパク質は筋肉に効く。整備にも効く。」
「……理屈めちゃくちゃだけど、焼肉って聞いたら断れねぇんだよなあ」
こうして、デルタS4チームの“束の間の観光”が始まった。
舗装路から逸れて、山岳道へ。
三菱ランサーエボリューションVは軽やかに標高を上げていく。
コーナーを抜けるたびに、視界に飛び込んでくるのは、雄大な山々と広がる雲の海。
車内には冷房の風と、穏やかな会話――というには騒がしい声が響いていた。
「……でさ、何でこんな山奥に行くの?道が完全にラリーコースなんだけど!?」
「観光だ。あと、肉だ。」
「今“あと肉”って言ったよね!?“観光”が前座なの!?」
蓮子がツッコミを入れるたびに、助手席のちゆりが吹き出しそうになりながらステアを見守る。
後部座席では、メリーが窓に額を当てて感嘆の声をもらしていた。
「でもすごいね……この山の感じ。なんか、ヨーロッパっぽくない?」
「うん……ていうか、あの建物……ドイツ風だよね?」
そうこう言っているうちに、標高1,400メートルの集落――
ラ・クンブレシータが、カーブの向こうに現れた。
赤茶けた屋根の木組みの建物。
石畳の小道に、花の飾られた看板と、のんびりと散策する観光客。
「うわ、ほんとに“おとぎ話の村”って感じ……」
「観光パンフレットの裏表紙がそのまま目の前にあるような……」
蓮子が思わずノートを取り出しかけたところで、運転席の夢美が言った。
「写真は後にしろ。まずは、肉だ」
「やっぱりそこからかーーッ!」
勢いよくブレーキを踏んでランサーを駐車場に滑り込ませると、夢美はドアを開けて即座に降りた。
「パリジャーダの名店がこの先にある。地元で一番火力の強い店だ」
「火力基準でレストランを選ぶの、間違ってると思う……!」
「間違ってない。戦いにおいて火力は正義だ。」
もはや誰もツッコむ気力もなく、三人は黙ってその背中についていった。
ラ・クンブレシータの中心街。
木の看板が掲げられた炭火焼き専門店――店名は“Parrilla El Alto”。
店先から漂う香ばしい匂いに、4人は自然と足が止まっていた。
夢美だけは、すでに「突入済み」だった。
「すみません、アサード4人前、チョリソ、モルシージャ、リニョーネス。それとインビエルノひとつ」
「ちょ、教授!? それもうフルコンボじゃない!? 肉の祭典じゃない!?!?」
「問題ない。だいたい全部、肉だ」
「それが問題なんですけど!?」
蓮子の声も空しく、次々と厨房へ通される注文。
香辛料と炭火の香りが店内を支配し、テーブルには驚異のプレート群が運ばれてくる。
「……え、この鉄板、網じゃないんだ……まるで……“鉄の神殿”……?」
メリーが目を丸くして囁く。
「“焼く”っていうより、“祭ってる”感じだよね……肉を」
「静かに。火力が逃げる」
夢美が真顔で言ったその瞬間、ちゆりがコップを噴きかけた。
「ま、待って、今の真剣な言い方……!!」
「……教授の目が本気すぎて怖い……!」
鉄板の上では、厚切りアサードの脂がじりじりと音を立て、
チョリソが弾け、モルシージャの香りが立ちのぼっている。
「この赤身と脂のバランス……中火でじっくり、返すのは1回だ」
「教授が肉焼き指南してる!? どうなってるのこのチーム!!」
「ちゆり、肉トング。あと焦げ防止用の岩塩はそっちだ」
「え、これ焼き台の横で言うセリフ!?」
メリーと蓮子が口を押えて笑っていると、夢美が最後に一言。
「ここのパリジャーダは焼きのタイミングが命。
焼きすぎれば敗北、焦げつかせれば屈辱。肉の声を聞け。……勝負だ」
「なんの!?!?!?」
店内に響く爆笑と肉の焼ける音。
そして、不意に訪れた沈黙――
一口、噛んだ瞬間。
「……うわ、うま……」
「これは……完全に勝ちです……」
「勝利の味しかしない……」
「ほら見ろ。火力は正義だ」
夢美のひと言が、すべてを締めくくった。
腹も満たされ、ほろ苦いマテ茶で一息ついたあと。
4人は山あいの商店街をぶらついていた。
「ふーっ……あの肉の火力、マジでプロだったね……」
「なんか……私たちの戦いよりすごかった気がする」
「戦いじゃないからね!? 食事だからね!?」
夢美は何も言わず、木彫りの杖や羊毛のポンチョが並ぶ土産屋のウィンドウを見つめていた。
そして、ふと足を止めた。
「……ん?」
メリーの声が不意に弾む。
「えっ、なにこれ……ラリーカーのミニカー!?」
ショーケースの中。
整然と並んだグループBマシンのミニチュアの中に――見覚えのある白地にグレーのデルタS4があった。
「ちょ、待って。これってうちらのデルタじゃない……?」
「まさか……サイドのナンバーの位置も、カナードの傷も一致してる……ていうか」
ちゆりが小声で呟く。
「……サイン、入ってるぞ。メリーと蓮子の、手書きで」
「えっ!? ええっ!?!? なんで!!??」
「そんなわけないって、あたしこのサイン一回もしたことないよ!?」
「私も……え、これ、いつの、誰の……」
夢美はしばらく無言でそのミニカーを見つめていたが――
何も言わず、すっと店先から距離を取った。
「教授!? 見なかったことにしてない!?」
「……見てない」
「絶対見たじゃん!?」
「よくあることだ。こういうのはな、プロモーターや関係者が勝手に仕込むこともある」
「仕込みっていうか霊現象レベルなんだけど!?」
蓮子がサイン部分をじっと見つめる。
「でも……本物だよね、これ。タッチとか、書くときの癖まで一致してる」
「そりゃ、サイン書いたのが……」
ちゆりが一瞬口をつぐんだ。
「……いや、やめとくか」
「えっ、今すっごい引っかかる言い方しなかった!?!?」
その後、なぜか誰も何も言わずにその店を後にした。
でも、4人の誰かは――
気づいていたのかもしれない。
「誰か」が、確かに彼女たちを見ていたことに。
観光地のはずれにある、小高い丘の展望台。
草むらの先に、木製の手すりが設けられた小さな広場があり、視界いっぱいに山々と空が広がっていた。
太陽は、ちょうど地平線のすぐ上。
空は淡いオレンジとピンクに染まり、雲の縁が金色に光っていた。
「……なんか、ラリーじゃない時間って、不思議な感じだね」
メリーが、風に揺れる髪を押さえながら言った。
「うん、でも……悪くないよね。こういうの」
蓮子も手すりに肘をつき、ぼんやりと遠くを眺める。
夢美は黙ったまま、コンパクトなデジカメを取り出すと、そっとシャッターを切った。
その指先には、どこか懐かしさのようなものが滲んでいた。
「え、教授が写真撮るの珍しい……!」
「たまにはな。……焼肉以外にも、記憶に残したいものはある」
「え、それ本音だったらちょっと感動するかもしれない」
ちゆりが顔をしかめながらも、少し照れくさそうに笑った。
その瞬間、4人の間に、ゆるやかな沈黙が流れた。
風の音、虫の声、街の遠鳴り。
耳を澄ませば、どこかで子供の笑い声も混じっている。
「……これが“普通の時間”ってやつなのかもね」
「ねぇ、教授ってさ……ラリーない日って何してるの?」
「整備。データ収集。あと、肉を食う」
「“あと”の情報が強すぎるんだよなぁ……」
全員が吹き出す。
それは、どこか“家族の食卓”みたいな笑いだった。
空がゆっくりと、夜に変わっていく。
「……明日からまた、走るんだよね」
メリーがつぶやいた。
「うん。だけど今日だけは、走らなくていい」
「今日の分まで、明日がんばろ」
「よし、そろそろ帰るか。夜の山道は冷える。さっさと宿へ戻るぞ」
「えー、もうちょっと見てたい……」
「じゃあ、帰ってからデータ見せてやる。明日のテスト走行分だ」
「台無しだよそれーーー!!」
それでも、笑いながら4人は坂道を下り始めた。
彼女たちが背を向けた空には、まだほんの少し、夕焼けが残っていた。
宿泊先の木造ロッジは、観光客向けに整えられた山小屋風の建物だった。
床も壁もすべて木でできており、各部屋には小さな暖炉とランプが備え付けられている。
玄関を開けると、ほんのりとした松の香りと、暖かい空気が出迎えた。
「ふーっ……今日は完全にオフだったね」
そう言ってメリーは、備え付けのベッドにダイブした。
「たぶんこの旅で一番“人間らしい”日だったわ……」
蓮子も苦笑しながらベッドに腰を下ろす。
部屋のランプを絞り、少しだけ落ち着いた空気の中で、
メリーはスマートフォンを手に取り、何気なくニュースアプリを開いた。
そのときだった。
「……あっ!」
「ん? なに?」
「見て。**“デルタS4、WRC-H開幕戦で衝撃の逆転劇”**って……!」
「えっ、もう記事になってるの!?」
メリーが画面を向けると、そこには鮮やかな見出しが表示されていた。
⸻
【ラリーマガジン・オンライン/国際版 記事見出し】
『逆転の名はデルタS4――“謎の学生ペア”がモナコで示した牙』
“日本の大学から突如現れたWRC-H新参の2人組――マエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子。
グループB末期の傑作、ランチア・デルタS4を操り、最終日でトヨタ・222Dを0.4秒差で下す大逆転を見せた――”
⸻
「えっ、“謎の学生ペア”って呼ばれてる!? かっこよくない!? なんかアニメっぽい!!」
「いやちょっと待って、フルネームまで書かれてる……“宇佐見蓮子、鋭いノートで伝統を現代に蘇らせた”って……!」
「蓮子が活字になってる! ねえこれスクショして実家に送ろうかな……!」
「ダメ! 親バレするからやめてぇ!!」
メリーがスマホを持ったままベッドの上でゴロゴロ転がり、テンションが完全に“やかましいモード”に突入する。
蓮子はしばらくその様子を見守っていたが――
やがてスマホをそっと置き、天井を見上げた。
「……京都で学生やってた私たちが、今こうして南米の空の下で、ラリーカーに乗って、
しかも記事になってるなんて……なんか、変な感じ」
「夢が叶った、って感じ?」
「ううん。まだ途中って感じ。まだ、もっと見せたいものがある」
「じゃあ、次も勝たないとね」
「……うん。勝とう」
言葉が重なる。
それは、さっきまでの観光とは違う、確かな“走り手の顔”だった。
夜が深まるころ。
ランプの明かりだけが灯る夢美の部屋では、ノートPCの画面にレースデータが並び、ちゆりが湯気の立つカップを両手で抱えていた。
「……この音、ほんとに好きなんだよな」
「何の音だ?」
「木の床がキシむ音。あと、暖炉の薪が弾ける音。こういうの、日本のホテルじゃ聞けないでしょ」
「まあな。……こういう“環境音”も、パフォーマンスに影響する」
「今は分析の話じゃないっての」
ちゆりが軽く肩をすくめる。
夢美はPCのタッチパッドを操作し、画面を切り替えた。
そこには――メリーと蓮子の名前がしっかり記された、あの国際記事。
「……ちゃんと評価されたな」
「うん。デルタの名前が、また世に出てる。今度は“負の歴史”じゃなくて、“希望”として」
夢美は静かに画面を閉じた。
「“あの頃”のデルタじゃない。今のこいつは、ちゃんと“走れる”車になった。……あいつらのおかげでな」
「“あいつら”だけ? 教授の手も、整備も、全部あったからでしょ」
「……全部じゃない。まだ、足りないものがある」
その声は、どこか過去を反芻するようだった。
しばらく沈黙が落ちたあと――
ちゆりが静かに問いかけた。
「ねえ、教授。モナコで会った“あの相手”ってさ――宇佐見菫子?」
夢美はその名に、何の反応も見せなかった。
ただ、外の夜空をじっと見つめていた。
「……済んだ話だ」
「済んでるようには見えなかったけど」
「見なくていいものを、わざわざ見ようとするな。今大事なのは“次に勝てるか”だ」
「でも、教授。あの人と“何か”があったのは、明らかだったよ」
夢美は無言のまま、グラスの水を口に運んだ。
「……道を違えたんじゃない。あいつは“降りた”。私は、降りなかった。それだけの話だ」
「でも、“降りた人”が見てる景色って、教授には見えないかもしれない」
夢美はわずかに目を細めた。
それでも何も言わずに立ち上がると、カーテンを引き、部屋の灯りを落とした。
「寝ろ。明日は整備とセッティング確認だ」
「……はいはい」
ちゆりはベッドに潜りながら、夢美の背中を静かに見送っていた。
木の梁がむき出しの天井。
柔らかな灯りが揺れる部屋の中で、メリーは枕元にスマホを置いたまま、まだ余韻に浸っていた。
「……ねえ、私たち、ちゃんと走れてたんだね」
「うん。誰かの“目”に、ちゃんと届いてたってことだよ」
蓮子はベッドの上に座りながら、自分の名前が書かれた記事のスクリーンショットを再確認していた。
“宇佐見蓮子、鋭いノートで伝統を現代に蘇らせた”
「こうして文字になってみると、なんか……不思議な感じがする」
「なにが?」
「だって、ただ“好きで始めたラリー”が、いつのまにか“誰かに評価されるもの”になってて……それが嬉しいんだけど、怖くもあってさ」
「……責任ってやつ?」
「うん。ちゃんとやらなきゃって気持ちが、ちょっとだけプレッシャーになる。でも――」
メリーが笑って言った。
「私は嬉しいよ。
私たちの走りが“未来につながってる”って、ちゃんと証明された気がするから」
「未来、か……」
蓮子は天井を見上げた。
「次はアルゼンチン。モンテカルロみたいに、甘くはないよね」
「むしろ、こっちが“試される”番かも」
「だとしても……やるしかない」
メリーは、静かに頷いた。
「うん。勝たなきゃ意味がない。
私たちはまだ“途中”だから――この走りを、証明し続ける必要がある」
「よし、じゃあ明日からまた“ラリーモード”に切り替えよう」
「えー、でも明日の朝ごはんはクロワッサンがいい」
「そこはフランス気分引きずるなーーー!」
笑いながら、ふたりは布団をかぶった。
ラリー・モンテカルロの勝利、
そして新たなステージ・ラリー・アルゼンチンに向けて――
デルタS4の次の“獣の咆哮”は、すぐそこにある。
いよいよ始まる、ラリー・アルゼンチン本戦DAY1。
南米コルドバの乾いた大地は、過酷なグラベルと標高差が選手たちを試す。
対するライバル、トヨタ・222Dの黒き獣は、沈黙のまま牙を研ぐ。
「……見せてみろ。夢美の弟子が、どこまで走れるか」
迫る開幕のスタートフラッグ。
ひとたびアクセルが踏まれれば、もう誰にも止められない。
次回、Monte Carlo Mally LEG14――『陽炎のグラベル』
――“咆哮”は、戦いの始まりに過ぎない。