Monte Carlo Mally   作:Yaris Margatroid

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LEG14「陽炎のグラベル」

コルドバの朝は、淡い霧に包まれていた。

ビジャ・カルロス・パスの小さな宿――その一室で、メリーは静かに目を覚ました。

 

カーテンの隙間から差し込む光はまだ柔らかく、遠くからはSS(スペシャルステージ)へ向かうマシンの唸りがかすかに響いてくる。

 

「……ついに、始まるんだね」

 

メリーは小さく伸びをしながら、そっとベッドを抜け出す。

 

同じ部屋のベッドでは、蓮子がペースノートを胸に抱えたまま、まだ静かに眠っていた。

 

リビングへ出ると、そこにはすでに夢美とちゆりが揃っていた。

夢美はテーブルの上に広げられたコースマップを睨みつけ、ちゆりはコーヒーを飲みながら軽く欠伸をしている。

 

「おはようございます」

 

「おう、ハーン君。調子はどうだ」

 

「……まあ、悪くないと思います」

 

メリーはソファに腰を下ろし、テーブルの上のラリースケジュールに目を落とした。

 

ラリー・アルゼンチンDAY1。

 

初日は、コルドバ北部の乾いたグラベルステージ。

気温は昼にかけて急上昇し、路面は荒れ、浮き砂も多い。

 

「今日のステージ、かなりラフになるぞ。特に午後からは轍が深くなる」

 

「はい。ライン外すと、すぐ足回り持っていかれますよね」

 

「そのとおりだ。だから、序盤は確実に走れ。無理にタイムを狙うな。

初日でマシンを壊すやつは、勝負権を捨てるやつだ」

 

夢美の声には、静かな圧力がこもっていた。

 

「焦るな。壊すな。――だが、手を抜くな」

 

「了解です」

 

メリーは短く答えた。

 

(デルタS4を、絶対に潰さない。最後まで走りきる)

 

その意志だけは、誰にも負けないと心に誓っていた。

 

やがて、支度を終えた蓮子も部屋から出てきた。

 

「おはよう、メリー。今日、いよいよだね」

 

「うん。準備はできてる?」

 

「もちろん。徹夜でノート読み直したから、完璧だよ」

 

「徹夜は準備じゃなくて、ただの自爆だからな」

 

ちゆりがぼそっと突っ込みを入れる。

 

それでも、4人の顔には自然と笑みが浮かんでいた。

この空気こそが、彼女たちの“強さ”だった。

 

「よし、行くぞ。デルタが待ってる」

 

夢美の号令で、彼女たちは出発した。

 

外に停められたトランスポーターから、あの白とグレーのデルタS4が姿を現す。

朝陽を受けて輝くそのボディは、モナコで見たどのマシンよりも、凛としていた。

 

「――始めよう、“私たちのアルゼンチン”を」

 

メリーは静かに、ハンドルへ手を伸ばした。

 

デルタS4は、澄んだ朝の空気を切り裂くようにリエゾンを滑るように走っていた。

 

ビジャ・カルロス・パスの市街地を抜け、徐々に山あいへと入る。

舗装からグラベルへと変わりつつある路面は、すでに競技車両の往来で薄く砂塵をまとい始めていた。

 

「……いい音」

 

メリーが、窓を少しだけ開けて呟いた。

デルタS4の直列4気筒ターボエンジンは、低回転でも存在感のある咆哮を響かせている。

 

「リエゾンなのに、なんか走ってるだけで気持ちいいね」

 

「本気で踏めば、すぐ捕まるけどね」

 

蓮子はノートを手に、軽く笑った。

 

シートの位置。ペダルの踏み加減。ギアの入り。

朝のチェックはすべて完了している。

 

それでも、最初のSSに向かうリエゾンは、独特の緊張感を孕んでいた。

 

前を行く222Dの黒い影が、一瞬だけ視界に入る。

澪たちのマシンも、同じ方向へ向かっている。

 

「……やっぱり、速そうだね」

 

蓮子がぼそりと呟く。

 

「うん。でも、気にしない。今は、自分たちの走りに集中する」

 

「うん」

 

メリーの声は落ち着いていた。

モナコでの3日間を経た彼女は、確かに“ドライバーの顔”をしていた。

 

やがて、舗装とグラベルの入り混じる道を抜け、小さな村を通り過ぎると、最初のサービスパークが近づく。

 

「この先、リエゾンチェックポイント。計時開始まで3分待機」

 

蓮子が冷静に伝える。

 

「了解。……蓮子、緊張してる?」

 

「うん。めちゃくちゃしてる。でも、楽しみでもある」

 

「私も」

 

ふたりは顔を見合わせ、微笑み合った。

 

デルタS4のエンジンは、まるで彼女たちの高まる鼓動に呼応するかのように、アイドリングを低く唸らせた。

 

係員の合図を受け、ゆっくりとスタートラインへと進み出る。

 

今日、最初の戦いが――いま、始まろうとしている。

 

「……10秒前」

 

蓮子の声が、コックピットの中で静かに響く。

 

デルタS4はスタートラインにセットされ、エンジン音をわずかに高めながら、微かに車体を震わせていた。

太陽はすでに高く、グラベル路面には細かな熱の揺らぎが立ち昇っている。

 

「5秒前――」

 

メリーはハンドルを軽く握り直し、視線をまっすぐ前に向けた。

 

「3、2、1……GO!!」

 

クラッチを繋ぎ、アクセルを叩く。

 

デルタS4は獣のような咆哮を上げて、スタートラインを蹴り出した。

 

飛び散る砂塵。

タイヤが路面を掻き、グラベル特有の浮き砂の上を暴れるように進む。

 

「Left 5 over crest 80!」

 

「了解、Left 5……!」

 

ローンチ直後の左コーナーに向けて、すぐにメリーはラインを選ぶ。

路面にはすでに数台のタイヤ跡が刻まれているが、それを無視して、あえてアウト側の柔らかい砂利を使った。

 

「グリップ、薄い……でも、まだ大丈夫」

 

メリーはステアリングを小刻みに調整しながら、車体の挙動を制御する。

 

「次、Right 4 tightens into Left 3!」

 

「見えた、Right 4!」

 

スピードを落とさず、タイトに切り込む。

 

グラベル特有の滑る感触が足元から伝わってきたが、メリーは焦らない。

軽くカウンターを当て、アクセルを微妙に調整して流れを殺す。

 

「トラクション……まだ拾える」

 

デルタS4は短いリアスライドのあと、ぴたりと直進に戻った。

 

「ナイス!次、crest into Right 3 minus!」

 

「OK、crest越えて、すぐ!」

 

小さなクレストを越えると、フロントが一瞬ふわりと浮く。

 

「――飛ぶ!」

 

メリーが無意識にアクセルを緩め、空中でわずかに姿勢を整える。

 

着地。

その瞬間、リアタイヤがグラベルを噛み、ダンパーが唸りを上げた。

 

「行ける……この感覚、モナコのターマックとは違うけど、悪くない!」

 

(“この道、この車、このコンビネーションで、絶対に走りきる”)

 

メリーの中に、確かな手応えが芽生え始めていた。

 

「次、Right 2 tight! イン側、浮き砂多い!」

 

蓮子の警告が、無線よりも早く、車内に響く。

 

「了解、イン避ける!」

 

メリーはハンドルを少しだけ開き、コーナーの外側をなめるように回った。

 

だが、それでも。

 

「っ……すごい、流れる!」

 

一瞬、車体のリアが意図しないほど外に振られた。

 

浮き砂――

まるで波打つように積もった細かな砂が、タイヤのトラクションを一瞬で奪う。

 

(落ち着け、ラインを殺すな。勢いは残して、タイヤの噛み直しを待つ!)

 

右手でステアリングを押さえ込み、左足で軽くブレーキをかけながら、アクセルを絶妙に戻す。

 

「収まった……っ!」

 

リアが浮き砂をかき分け、わずかにラインへ戻る。

 

デルタS4は、その挙動に応えるように、再び路面を捉え直した。

 

「ナイスリカバリー!次、Left 3、すぐ岩場に切り替わるよ!」

 

「了解、減速する!」

 

メリーはアクセルを抜き、慎重に進入ラインを変えた。

 

数秒後――

グラベルの路面が一変する。

 

ごろごろとした大小の岩が転がる、硬くて荒れたセクション。

ここでは、タイヤもサスペンションも限界ギリギリで耐えるしかない。

 

「この振動、すごい……! 車がバラバラになりそう!」

 

「減速優先!バウンドしたら持ってかれる!」

 

蓮子の指示に頷き、メリーはフロント荷重を意識してブレーキを残す。

ダンパーが底付きしないように、慎重に、慎重に。

 

「ここで無理しても、タイムロスするだけだ」

 

「そう、まず生き残る!」

 

ふたりの意志は、完全にひとつになっていた。

 

ガタガタと暴れる車体を押さえ込みながら、メリーは一歩ずつ、確実にクリアしていく。

 

(この道を超えた先に、きっと“走れる”区間が待ってる)

 

その希望だけを胸に、アクセルを少しずつ踏み直す。

 

岩場を抜けた先――

路面は再び細かいグラベルへと変わり、コース幅も広がった。

 

一瞬だけ、視界が開ける。

 

「ストレート50、次、Left 5!」

 

「了解、Left 5!」

 

蓮子のノートが軽やかに続く。

メリーはダンパーの動きを確かめるように、アクセルを徐々に踏み込んでいった。

 

デルタS4が、吠えた。

 

ツインチャージャーが唸りを上げ、トラクションが4輪に均等に伝わる感覚。

 

(これだ……!)

 

グラベルの上とは思えないほど、地を這うような加速感。

 

「次、crest over 80、Right 4 into Left 3!」

 

「受け取った!」

 

クレストを越えると、浮遊感と同時に軽く滑るが、すぐに次の右コーナーへマシンを押し込む。

 

ステアリングが素直に応じる。

リアは流れない。トラクションも切れない。

 

(いける……デルタ、私たちに応えてくれてる!)

 

「次、ジャンプ注意、Right 3 minus!」

 

「了解、ジャンプ抑える!」

 

浮き上がる直前にアクセルを緩め、姿勢を抑えたまま飛び越える。

 

着地もスムーズだった。

 

「ナイスコントロール!いいリズムだよ、メリー!」

 

「うん、私たち、ちゃんと走れてる!」

 

ふたりは、SSのリズムに完全に乗った。

 

岩場で鍛えられた集中力が、今、自由に解き放たれる。

アクセルワーク、ブレーキング、ステアリング。

すべてが流れるように繋がっていく。

 

――まるで、車と一体になったような感覚。

 

デルタS4は、南米の乾いた大地に、新たな“爪痕”を刻み始めていた。

 

「次、Left 4 over small crest!」

 

「了解、Left 4!」

 

スムーズに飛び込んだ左コーナー。

滑らかな舵角、正確なライン。

 

――だが、その次の瞬間。

 

「……あれ?」

 

メリーの足元に、違和感が走った。

 

ブレーキペダルの感触が、妙に柔らかい。

 

「蓮子、ブレーキのフィールが変だ!」

 

「えっ、熱ダレ!?」

 

蓮子はすぐに判断した。

 

高温と激しい負荷。

乾いたグラベル路面で酷使され続けたブレーキは、想定より早く限界に近づき始めていた。

 

「次、Right 3 tight、ブレーキング長めに!」

 

「了解、でも踏みしろが……!」

 

ペダルは踏んでも踏んでも、じわじわと沈み込む。

制動力はある――けれど、普段の半分以下しか効かない感覚だった。

 

(落ち着け、慌てるな。荷重移動で止めるんだ)

 

「ブレーキ、早め早めに切り替える!リアを先に落とす!」

 

「オッケー、読み直す!」

 

蓮子もノートのタイミングを即座に変えた。

 

本来ならスロットル全開で抜けるはずのセクションも、わずかに抑え、

ブレーキングポイントを10メートル以上手前に修正する。

 

「Right 2、ブレーキ手前でフロント荷重意識して!」

 

「任せて!」

 

メリーは微妙なアクセルオフとブレーキの合わせ技で、リアを沈め、

車体の安定を無理やり作り出す。

 

「――止まる、まだ止められる!」

 

たとえ効きが落ちても、止める方法はある。

 

それを証明するように、デルタS4は滑り込むようにターンをまとめた。

 

「ナイスリカバリー!あと少しでフィニッシュ!」

 

「うん、耐え切る!」

 

砂と埃にまみれたフロントガラス越しに、メリーはゴールラインを見据えた。

 

乾いた砂塵を纏いながら、デルタS4は最後のコーナーを立ち上がった。

 

「次、フィニッシュまでフルスロットル!」

 

「了解――!」

 

メリーはブレーキを完全に解放し、アクセルを深く踏み込む。

 

エンジンが吠え、ターボが過給圧を上げる。

四輪すべてが滑りながら、けれど確かに地面を蹴って進んでいく。

 

グラベルの嵐の向こう、オフィシャルの持つフラッグが見えた。

 

「行けっ……!」

 

デルタS4は、一気にゴールラインを駆け抜けた。

 

「……っしゃああああ!!」

 

フィニッシュラインを越えた瞬間、車内には歓声と、安堵の息が満ちた。

 

「メリー、すっごい走りだった!」

 

「蓮子のノートが完璧だったから、走れたんだよ!」

 

ふたりはシートに沈み込みながら、互いにグローブ越しに軽く拳を合わせた。

 

(浮き砂も、岩場も、熱ダレも乗り越えた――)

 

ただの1本目。まだDAY1の序盤。

それでも、この一本に込めた全力は、確かに彼女たちを強くしていた。

 

クールダウン区間へと入り、スローダウンしながら蓮子がペースノートに小さく書き足す。

 

《ブレーキ熱管理、次回もっと意識》

 

「次のSSに向けて、少しペース調整しよう。

冷却を意識しながら走った方が、長丁場では有利だよ」

 

「うん。今のままじゃ、後半で持たないもんね」

 

会話を交わしながら、デルタS4は静かにリエゾンへと滑り込んでいった。

 

遠く、グラベルコースの上空には、白い砂煙がまだ消えずに残っていた。

 

サービスパークへ戻ると、すでに各チームのトランスポーターとメカニックたちが慌ただしく動いていた。

 

デルタS4がピットエリアに滑り込むと、すぐにちゆりが駆け寄る。

 

「おつかれー! ……って、車、無事か?」

 

「うん、多少ブレーキが熱ダレしたけど、大きな問題はないよ!」

 

メリーが笑顔で答えると、ちゆりはすぐにピットクルーと連携して、車体周りのチェックに入った。

 

夢美も歩み寄り、メリーたちを見上げる。

 

「ハーン君、宇佐見君、よく耐えたな」

 

「……はい!」

 

まだ高揚したままの声でメリーが答える。

 

「岩場のセクションも無理しなかったな。

浮き砂の区間も、きちんとラインを外して立て直していた。上出来だ」

 

夢美は珍しく、素直に褒めた。

 

「ただし――ブレーキ熱管理。ここは次、意識して走れ」

 

「はい!」

 

メリーと蓮子は、揃って頷く。

 

ちゆりが車体下から顔を出して、整備の進捗を報告する。

 

「ブレーキローター、表面の焼き入り軽度。今冷却してるから、次も走れるぜ。

サスペンションもアームも異常なし、問題ねぇ!」

 

「了解。タイヤだけローテーションかけておけ」

 

「りょーかい!」

 

手際よく進む整備作業。

その様子を見ながら、メリーと蓮子はわずかに息をついた。

 

「……私たち、ちゃんと走れてたんだね」

 

「うん。ちょっとずつだけど、確かに強くなってる」

 

ふたりの間に、静かだが確かな絆が芽生えていた。

 

乾いたコルドバの空の下で、彼女たちはまた一歩、前に進んだ。

 

デルタS4のメンテナンスは、淡々と進められていた。

 

ちゆりとサポートクルーたちは、ブレーキローターに仮設の冷却ファンを当て、タイヤをミディアムコンパウンドへローテーション。

給油、オイルチェック、ボルトの締め直し。

すべて、限られたサービス時間内で黙々とこなしていく。

 

その間、メリーと蓮子は簡易テントの下でペースノートの確認をしていた。

 

「午後は日差しで気温がもっと上がる。

路面温度も、午前中より10度は上がるだろうって」

 

蓮子が、モニターに映る気象情報を見ながら言った。

 

「じゃあ、タイヤのグリップも落ちる?」

 

「うん。あと、砂埃もすごくなる。視界が悪くなるかもしれない」

 

「了解。……ノート、呼吸でリズム取ってくれる?」

 

「もちろん」

 

互いに軽く拳を合わせたその時だった。

 

「……あれ?」

 

メリーがふと、整備中のデルタS4に目を向けた。

 

「どうした?」

 

「……リアの車高、少し低くない?」

 

蓮子も目を凝らす。

たしかに、わずか――ほんのわずかだが、リアの沈み込みが朝より大きい気がする。

 

「ちゆりさん!」

 

メリーが呼びかけると、ちゆりが工具を持ったまま顔を上げた。

 

「ん、なんだ?」

 

「リア、沈んでない?」

 

「……!」

 

ちゆりはすぐに車体の横に回り込み、サスペンションのストロークを確認した。

 

そして、すぐに唇を噛んだ。

 

「たしかに、微妙に沈みが深い……くそっ、バンプストッパーが削れてやがる!」

 

「バンプストッパー……って?」

 

「簡単に言えば、サスが底突きするのを防ぐゴムパーツだ。

それが磨耗してるってことは、午前中の岩場で想定以上に衝撃食らったってこった!」

 

「……まずい?」

 

「少しはな。でも、まだ走れる。限界は低くなってるけどな」

 

ちゆりは、タオルで汗を拭って続けた。

 

「次のステージでは、ジャンプ後の着地に気をつけろ。

サスペンションが受け止めきれずに、バンッと一気に沈み込むかもしれねぇ」

 

「わかりました」

 

メリーはすぐに頷いた。

 

(――限界が低いなら、それを超えないように走るだけ)

 

すでに心は、午後のステージに向いていた。

 

午後――。

太陽はほぼ真上に昇り、空気はまるで熱を含んだ布のように重かった。

 

「……暑い」

 

ヘルメットを被りながら、蓮子がぼそりと漏らす。

 

「それ、言わない約束でしょ……」

 

メリーも苦笑しながら、バイザーを軽く叩いた。

ヘルメット内部に溜まる熱気は、じわじわと体力を奪っていく。

 

しかも――

 

「……リア、やっぱり少し動きが重い」

 

スタート前のウォームアップで、メリーははっきりと感じ取っていた。

 

朝とは違う。

明らかに、リアサスペンションが底に張り付くような重さを持っている。

 

「無理に飛ばさない。無理に押さえない。……“自然に”走る」

 

自分に言い聞かせるように呟き、スタートラインへと車を進めた。

 

コースオフィシャルがカウントダウンを始める。

 

「10秒前」

 

「Ready」

 

「5秒前」

 

グローブをきゅっと締め直す。

 

「3、2、1――GO!!」

 

デルタS4は砂煙を巻き上げ、午後のSSへ飛び出していった。

 

 

路面温度は50度を超えている。

グラベルの浮き砂はさらに軽くなり、少しでもラインを外すと車体が一気に外へ持っていかれる。

 

「Right 5 over crest!」

 

「了解、抑えめで!」

 

コーナーへ入ると、リアの違和感がすぐに顔を出す。

 

(……踏み込めない)

 

浮く。沈む。すべての挙動が、朝よりも“重たい”。

 

それでも、メリーは諦めなかった。

 

アクセルを抜きすぎず、ブレーキを引きずらず。

荷重をじわじわと掛け、無理なサスペンションストロークを避ける。

 

「Left 3 into Right 2 tight!」

 

「OK、ライン残す!」

 

一呼吸、二呼吸。

 

メリーと蓮子は、あくまでリズムを崩さず、着実にコーナーを繋いでいった。

 

「……今は、耐えるステージだ」

 

「うん、耐える。でも、負けない」

 

シートの中で、ふたりの意思はぴたりと揃っていた。

 

午後の太陽は、無慈悲だった。

 

路面から立ち昇る熱気が視界を歪め、

浮き砂はさらに乾き、まるで砂漠のように舞い上がる。

 

「Next, Right 4 over loose surface!砂、めっちゃ浮いてる!」

 

「了解、進入抑える!」

 

メリーはノートに従い、アクセルを緩めて慎重に突っ込む。

 

タイヤが砂を掻き、デルタS4の車体がわずかに外に膨らむ。

 

「っ……まだ行ける!」

 

すかさず軽くカウンターを当てて、スロットルを拾い直す。

車体はぎりぎりでコース上に踏みとどまった。

 

(……朝と同じ感覚では走れない)

 

リアのバンプストッパーが削れている影響は、じわじわと彼女たちの首を絞めてきていた。

 

着地のたびに、底付き寸前の衝撃が車体を震わせる。

ステアリングは重く、ラインもタイトに維持しづらい。

 

「Right 2 short jump、着地でリア抜けるかも!」

 

「わかってる!」

 

ジャンプ前で一瞬だけアクセルを抜き、姿勢を整える。

 

小さなジャンプ――

それでも、着地の瞬間、リアから鋭い衝撃が走った。

 

「くっ……!」

 

「大丈夫!押さえ込んで!」

 

メリーは歯を食いしばり、ステアリングを押し返す。

 

(デルタ……もう少しだけ、頑張って)

 

呼びかけるように、ハンドルを握り込む。

 

コーナーを一つ、また一つ抜けるたび、限界が近づいてくる。

 

それでも、彼女たちはペースを崩さなかった。

 

アクセルを開けすぎず、かといって恐れてもいない。

絶妙なバランスで、攻めと守りの間を走り続ける。

 

「次、Right 5 over crest!その先、ストレート!」

 

「了解、ここ勝負どころ!」

 

一瞬、アクセルを深く踏み込む。

 

デルタS4が再び、獣の咆哮を上げた。

 

「Right 5、 crest into Left 3 sharp!」

 

「了解、抑え気味でいく!」

 

午後ステージ後半――

いよいよ、最難関区間に突入していた。

 

浮き砂と岩が交互に現れるトリッキーなセクション。

コース幅は狭まり、路肩に迫る岩壁とガードレールの隙間を縫うように走る。

 

「ここから先、ちょっとでも外したらアウトだよ!」

 

「わかってる!」

 

メリーは集中力を極限まで高め、ステアリングに意識を集中させた。

 

――壊すわけにはいかない。

――でも、タイムも捨てられない。

 

「次、Left 2 over small crest!イン側、石出てる!」

 

「見えた、イン残す!」

 

フロントタイヤを滑らせながらも、ラインは崩さない。

リアが跳ねた瞬間も、アクセルで車体を押さえ込む。

 

「ナイスライン、メリー!」

 

「蓮子の指示が早いから、走れてる!」

 

(ひとりじゃない)

 

ふたりの間に、確かな信頼があった。

 

「Right 3 plus!出口、グリップ急に変わる!」

 

「了解、慎重に!」

 

コーナー出口で、グリップが一瞬抜ける。

だが、焦らずカウンターを軽く当て、トラクションを拾い直す。

 

デルタS4は、牙を剥きながらも、まだ走ることを諦めていなかった。

 

「次、Jump!その先、Long Left 4!」

 

「了解、姿勢維持!」

 

ジャンプ直前でアクセルを微調整。

車体をできるだけフラットに保ち、空中へ――

 

「浮く!」

 

ほんの一瞬の無重力。

そして、着地。

 

ドスン、とリアに衝撃が走るが、車体は持ち堪えた。

 

「ナイスコントロール!!」

 

「まだ、行ける!!」

 

(デルタ、まだ戦える!)

 

気温も路面も過酷さを増す中で、彼女たちは――

壊さずに、攻め続けていた。

 

「次、ストレート80、フィニッシュ!」

 

「了解、最後まで集中!」

 

蓮子の声に、メリーは深く頷いた。

 

デルタS4は、満身創痍のまま、それでも前へ進み続ける。

熱にうねる視界、汗で濡れたグローブ、唸るエンジン、そして――

 

重く沈んだリアの感触。

 

(でも、負けない)

 

ギリギリのバランスでアクセルを踏み込み、

細かい砂の上をタイヤが滑る感覚を感じながらも、メリーはラインを外さなかった。

 

「行けっ!!」

 

デルタS4が、ラストスパートをかける。

 

全身を振るわせながら、グラベルの直線を駆け抜け――

視界の先に、ゴールフラッグが見えた。

 

(もう少し――もう一息!!)

 

アクセルは戻さない。

右足を信じ、デルタを信じ、蓮子のノートを信じて――

 

シュバァァァァアッ!!

 

乾いた砂煙とともに、デルタS4はフィニッシュラインを突き抜けた。

 

 

「っしゃああああああああああああ!!!!!」

 

メリーの絶叫が、ヘルメットの中に響いた。

 

「やった!耐え切った!!」

 

蓮子も、シートの中で力いっぱい拳を握る。

 

限界の先を、ふたりで越えた。

車も、心も、ボロボロだった。

けれど、それでも走りきったという“確かな実感”が胸にあった。

 

クールダウン区間へと車を進めながら、ふたりは無言のまま、互いに親指を立て合った。

 

砂まみれのデルタS4は、どこか誇らしげにすら見えた。

 

サービスパークに戻り、デルタS4はそっとピットエリアへ収まった。

 

ちゆりが駆け寄る。

 

「おかえりー! 生きてるな、デルタもお前らも!」

 

「うん、なんとか……!」

 

メリーが汗だくの顔で笑うと、ちゆりはすぐに車体チェックへ向かう。

 

そこへ、夢美が歩み寄り、二人を見つめた。

 

「ハーン君、宇佐見君」

 

「はい!」

 

「――よく生きて戻ったな。だが結果は、**最下位(6位)**だ」

 

「……っ」

 

一瞬、メリーと蓮子は言葉に詰まった。

だが夢美は、淡々と続ける。

 

「コースオフもクラッシュもなかった。それだけでも十分だ。

この状況で走り切ったこと自体、価値がある」

 

「……ありがとうございます」

 

「ただし――この先、もっと荒れる。

勝ちたければ、もっとマシンと向き合え」

 

「はい!」

 

深く頭を下げるふたり。

 

ちゆりが車体を確認しながら報告を入れる。

 

「リア周り、ストロークギリギリだけど、致命傷はねぇ!

ブレーキもローター交換すりゃ問題なし!」

 

「よし、最低限の修復で明日へ繋ぐぞ」

 

夢美の声に、チーム全体が力強く頷いた。

 

 

夜のブリーフィング。

夢美はホワイトボードにDAY2のコース図を示しながら言う。

 

「明日は、今日より長く、荒れたステージが続く。

デイリースコアはリセットされない。遅れを取り戻すチャンスはある」

 

「はい!」

 

メリーも蓮子も、迷いなく答えた。

 

「勝負はここからだ」

 

夢美の視線は、静かに熱を宿していた。




最下位発進――。
それでも、ふたりは下を向かない。

磨耗したリアサスペンション。
限界に近いデルタS4。
そして、猛暑に焼かれるコルドバの大地。

「簡単じゃない。でも、諦めない」

覚悟を決めたメリーの瞳は、
昇る朝陽よりも強く光を宿す。

「まだ勝負は終わってない!」

ペースノートを握りしめ、蓮子もまた、隣で微笑む。

再び走り出す彼女たちを待つのは、
誰よりも過酷で、
誰よりも熱い、一日。

次回――
Monte Carlo Mally LEG15『暁のグラベル』

限界を越えろ。魂で走れ。
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