Monte Carlo Mally   作:Yaris Margatroid

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LEG15「暁のグラベル」

アルゼンチン、ビジャ・カルロス・パス。

まだ空が群青色を残す早朝。

薄明かりの中、サービスパークではすでにエンジン音と工具の金属音が鳴り始めていた。

 

メリーはデルタS4の前に立ち、ゆっくりと深呼吸する。

 

「……今日、巻き返すよ」

 

静かな決意を胸に、グローブをはめる手に力を込めた。

 

「うん、一緒に行こう」

 

蓮子も隣で、ペースノートを抱え直す。

 

昨日のDAY1――

彼女たちは、最下位という現実を突きつけられた。

 

でも、それがどうしたというのだ。

 

まだラリーは終わっていない。

むしろ、ここからが本当の戦いだ。

 

ちゆりが、サスペンション周りの最終確認を終えて、軽く手を挙げた。

 

「リアのバンプストッパーは急造で仮修理しておいた。完璧じゃねえが、昨日よりはマシだぜ!」

 

「ありがとう、ちゆりさん!」

 

メリーと蓮子は、そろって笑った。

 

夢美も、車両チェックリストを片手に歩み寄る。

 

「ハーン君、宇佐見君」

 

ふたりは姿勢を正す。

 

「今日のお前たちに求めるのは、ただひとつ。

“諦めないこと”だ」

 

「……はい!」

 

「昨日よりも速く、昨日よりも正確に。

それができれば、順位は後からついてくる」

 

夢美はそう言って、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「……行け。デルタと共に」

 

「はい!!」

 

スタート時刻が迫っていた。

太陽が、東の山の端から顔を覗かせる。

 

デルタS4は、まだ傷だらけだ。

でも、まだ――走れる。

 

シートベルトを締め、エンジンを始動する。

 

「行こう、蓮子」

 

「うん、絶対に、昨日を超える!」

 

低く唸るエンジン音が、コルドバの朝を震わせた。

 

デルタS4、再出撃――!

 

「3、2、1――GO!!」

 

オフィシャルのカウントダウンと共に、デルタS4が飛び出した。

 

まだ朝の冷えた空気が、車内にひんやりと流れ込んでくる。

しかし路面は、昨日までの焦げつくような砂煙とは違っていた。

 

「メリー、朝露がすごい。滑りやすいよ!」

 

「了解、慎重に入る!」

 

グラベルの上に、うっすらと湿った砂が乗っている。

乾いた埃ではなく、しっとりとした粒がタイヤに絡みつく感触。

 

(昨日とは全然違う)

 

デルタS4のリアが、わずかに外へ滑る。

 

だが、慌てない。

 

ステアリングを微調整しながら、必要以上に荷重をかけずに抜ける。

 

「Right 4 minus、滑る、進入抑えて!」

 

「わかってる!」

 

メリーはノート通り、進入スピードをほんのわずかに落とす。

 

タイヤが一瞬、ズルリと流れる。

それでも、車体はコース内に留まった。

 

「よし、その感じ!」

 

「蓮子、読みやすいよ!」

 

ノートと走りが、ぴったりと噛み合っている。

 

⸻

 

朝のグラベルは、乾いた昼とはまるで別物だった。

水分を含んだ砂が路面の表情を複雑にし、グリップの変化を予測しづらくしている。

 

だが、メリーたちはそれを恐れなかった。

 

「Left 3 plus over small crest、出口砂浮き!」

 

「見えた、ライン内側!」

 

イン側をなめるように抜ける。

わずかなミスも許されないが、確かな感覚で車体を導いていく。

 

「……気持ちいい!」

 

思わずメリーが叫んだ。

 

車も、ノートも、自分たち自身も――

昨日より、格段に“前へ”進んでいると、全身で実感していた。

 

(このまま――このまま行ける!!)

 

デルタS4は、冷えたグラベルを蹴り上げながら、朝のステージを駆け抜けていった。

 

太陽がさらに昇り、グラベルはみるみるうちに乾いていった。

 

朝露に濡れていた路面が、今度は急速に水分を失い、

わずか30分もしないうちに浮き砂が表面を覆い始める。

 

「……路面、だいぶ変わってきた」

 

「うん、グリップがどんどん落ちてる」

 

蓮子がすぐにノートで調整を指示する。

 

「次、Right 5 minus、滑る、ライン外すな!」

 

「了解!」

 

メリーはステアリングをさらに繊細に操作した。

 

アクセルを開けすぎない。

ブレーキを引きずらない。

タイヤと路面の間に生まれる微細な“逃げ”を感じ取りながら、最適なトラクションを探る。

 

「Left 4 tightens、出口バンプ、注意!」

 

「わかってる!」

 

減速を早めに、ラインをやや内側へ。

 

跳ねる車体を、腕で押さえつけるようにコントロールする。

 

デルタS4は、ボディを振るわせながらも、着実に前へ進んでいった。

 

⸻

 

コクピット内は、じりじりと暑さが満ちていた。

 

ヘルメットの中の呼吸が苦しくなり、スーツに滲む汗が背中を伝う。

 

(でも――これくらい)

 

昨日の灼熱を思えば、まだ“走れる”。

 

「次、Straight 100 over small bumps!」

 

「了解、車体跳ねる、気を付ける!」

 

ストレートの途中、細かいバンプが続く区間。

 

メリーはわざとアクセルをわずかに緩め、

サスペンションのストロークを最大限に活かしてショックを吸収する。

 

「ナイス、無理して跳ばなかった!」

 

「ちゆりさんの整備に感謝だね!」

 

互いに短く笑い合いながら、

次のターゲットへと集中を切り替える。

 

⸻

 

徐々に、彼女たちは“この日のリズム”を掴みつつあった。

 

冷えた路面から乾いた路面へ。

グリップの変化。タイヤの反応。マシンのコンディション。

 

それらすべてを、走りながら、肌で感じ取る。

 

「まだ行ける……もっと!」

 

メリーの目が、さらに研ぎ澄まされていった。

 

「次、Right 4 plus over crest、出口、ライン絞る!」

 

「了解、少し抑え気味で!」

 

蓮子のノートに従いながら、メリーは慎重に、だが決して消極的にはならずにコーナーへ進入する。

 

アクセルをわずかに緩め、荷重をフロントに乗せたまま、

タイヤを滑らせるようにして曲がる。

 

(……行ける)

 

デルタS4の挙動は、朝方の不安定さからは考えられないほど、いまは安定していた。

 

もちろん、足回りは万全ではない。

リアのバンプストッパーは仮修理のままだし、ダンパーも限界ギリギリだ。

 

だが、メリーはそれをすべて“手の内”に収める感覚を得ていた。

 

「次、Short jump into Left 3 tight!」

 

「見えた!」

 

小さなジャンプ――

着地と同時に、すぐタイトコーナーが待ち構えている。

 

車体が浮いた瞬間、メリーは軽くアクセルを緩め、ステアリングをわずかに開放する。

 

ドン、と着地。

 

バンプを殺しきれずにリアがバウンドするが、

それすら読んだかのようにカウンターを当て、ラインを外さず左へ飛び込んだ。

 

「ナイスコントロール!!!」

 

蓮子の叫びが無線に乗る。

 

(もっと行ける――)

 

頭の中が冴え渡っていく。

 

グリップが落ちた路面、痛んだマシン、朝陽で滲む視界。

すべてが自分たちを阻もうとしている。

 

けれど、今は――それらすらも、乗り越えられる気がした。

 

「Right 5 minus over rough!振られるから、前荷重残して!」

 

「OK、耐える!」

 

砂煙を撒き上げながら、デルタS4はリズムよくコーナーを繋いでいく。

 

少しずつ、ほんの少しずつ。

タイヤの限界ギリギリを攻め、トラクションを逃がさず走る。

 

(これだ――これが、私たちのラリーだ)

 

メリーは確信していた。

 

⸻

 

ゴールは、もうすぐそこだった。

 

「Next, Straight 100、then Finish!」

 

「了解、フルスロットル!」

 

蓮子の読み上げに合わせ、メリーはアクセルを踏み抜いた。

 

デルタS4が咆哮を上げる。

サスペンションはもう限界寸前。

それでも、マシンは前へ前へと推進力を失わない。

 

(最後まで、走り切る)

 

ハンドルを握る両手に力を込め、

浮き砂の跳ね返りも、細かいバンプも、一つひとつ受け止めながら、加速を続ける。

 

太陽の下、乾いたグラベルが煌めいた。

 

シュバァアアアッ――!

 

デルタS4は、まるで砂煙ごとゴールラインを切り裂くように、朝のスペシャルステージを駆け抜けた。

 

「フィニッシュ!!」

 

蓮子が叫ぶ。

 

ブレーキング、そして減速。

 

車体をクールダウン区間へと滑り込ませた瞬間、

ふたりは無言のまま、ヘルメット越しにグータッチを交わした。

 

⸻

 

「……やったね」

 

「うん、最高だったよ!」

 

疲労も、汗も、すべてはこの瞬間のためにあった。

 

(間違いなく、昨日よりも速かった)

 

自分たちの走りに、確かな手応えがあった。

 

⸻

 

サービスパークに戻ると、すぐにちゆりが駆け寄る。

 

「おかえり!タイヤ、だいぶ削ったな!」

 

「だいぶアンダーも出てたけど、何とかまとめたよ!」

 

「上出来だ!」

 

ちゆりが笑い、即座にタイヤの温度と摩耗をチェックする。

 

夢美も、走行データパッドを片手に歩み寄った。

 

「ハーン君、宇佐見君」

 

「はい!」

 

「……ラップタイム、確実に縮まってる」

 

ふたりは顔を見合わせ、思わずガッツポーズを取った。

 

「だが、安心するな。ここからはさらに暑くなる。

午後には、また別の戦いが待っている」

 

「はい!」

 

再調整の短い時間。

それでも、ふたりの顔には、確かな自信が宿っていた。

 

ピットの簡易テントの下、デルタS4がジャッキアップされ、ちゆりとサポートスタッフたちが手際よく作業を進めていた。

 

「リアサス、軽くダンピング固めに振っといた。跳ね返り対策だ!」

 

「ありがと、ちゆりさん!」

 

メリーは、汗を拭いながら満面の笑みで応えた。

 

(まだ、デルタは走れる)

 

朝のステージを通して、確かに手応えを感じていた。

 

アクセルに応える感触。

ステアリングから伝わる細かい情報。

そして、リアから伝わるわずかな限界の“声”。

 

(この車は、ちゃんと“まだ戦える”って言ってる)

 

タイヤもすでに交換が始まっている。

午後に備え、やや耐熱性重視のミディアムコンパウンドへ。

 

「午後は路面温度50度近くまで上がる見込みだ。グリップより耐久重視だな」

 

夢美がタブレットを見ながら、冷静に告げた。

 

「わかりました!」

 

「でも油断するな。バンプでタイヤ一発破裂もありえるぞ」

 

「……はい!」

 

少しだけ、背筋が引き締まる。

 

⸻

 

蓮子も、ペースノートのチェックを続けていた。

 

「午後は……路面乾ききって、さらに滑るな……」

 

「ブレーキングポイント、少しだけ前にずらす?」

 

「うん、それと、タイトコーナーは抑え気味指示に変えるね」

 

ふたりは短く打ち合わせる。

 

もう、言葉は少なくてよかった。

すでに、お互いの考えていることは、だいたいわかっている。

 

デルタS4を中心にして、ふたりの呼吸が、自然と重なっていった。

 

⸻

 

ふとメリーは、青空を見上げた。

 

強烈な太陽。

乾ききった大地。

絶え間なく吹く、熱を帯びた風。

 

「……今日、絶対に、巻き返す」

 

小さな誓いを、誰にでもなく告げた。

 

蓮子も、隣でそっと頷く。

 

「うん、私たちなら、できる」

 

スタート時間が迫る。

 

メリーと蓮子は、もう一度だけ互いに視線を交わした。

 

(大丈夫。デルタも、私たちも、まだ戦える)

 

ピットの簡易テントの下、デルタS4がジャッキアップされ、ちゆりとサポートスタッフたちが手際よく作業を進めていた。

 

「リアサス、軽くダンピング固めに振っといた。跳ね返り対策だ!」

 

「ありがと、ちゆりさん!」

 

メリーは、汗を拭いながら満面の笑みで応えた。

 

(まだ、デルタは走れる)

 

朝のステージを通して、確かに手応えを感じていた。

 

アクセルに応える感触。

ステアリングから伝わる細かい情報。

そして、リアから伝わるわずかな限界の“声”。

 

(この車は、ちゃんと“まだ戦える”って言ってる)

 

タイヤもすでに交換が始まっている。

午後に備え、やや耐熱性重視のミディアムコンパウンドへ。

 

「午後は路面温度50度近くまで上がる見込みだ。グリップより耐久重視だな」

 

夢美がタブレットを見ながら、冷静に告げた。

 

「わかりました!」

 

「でも油断するな。バンプでタイヤ一発破裂もありえるぞ」

 

「……はい!」

 

少しだけ、背筋が引き締まる。

 

⸻

 

蓮子も、ペースノートのチェックを続けていた。

 

「午後は……路面乾ききって、さらに滑るな……」

 

「ブレーキングポイント、少しだけ前にずらす?」

 

「うん、それと、タイトコーナーは抑え気味指示に変えるね」

 

ふたりは短く打ち合わせる。

 

もう、言葉は少なくてよかった。

すでに、お互いの考えていることは、だいたいわかっている。

 

デルタS4を中心にして、ふたりの呼吸が、自然と重なっていった。

 

⸻

 

ふとメリーは、青空を見上げた。

 

強烈な太陽。

乾ききった大地。

絶え間なく吹く、熱を帯びた風。

 

「……今日、絶対に、巻き返す」

 

小さな誓いを、誰にでもなく告げた。

 

蓮子も、隣でそっと頷く。

 

「うん、私たちなら、できる」

 

スタート時間が迫る。

 

メリーと蓮子は、もう一度だけ互いに視線を交わした。

 

(大丈夫。デルタも、私たちも、まだ戦える)

 

 

岡崎夢美は、少し離れたピットの隅でタブレットの画面をじっと見つめていた。

 

映し出されているのは、デルタS4の走行データ。

 

エンジン温度、ブースト圧、サスペンションストローク量――

どの数値も、ギリギリの領域で踏み止まっている。

 

(……限界だな)

 

夢美は静かに、心の中で呟く。

 

デルタS4は素晴らしいマシンだ。

だが、所詮は1980年代の設計。

 

現代のラリーシーン、現代のグラベル、現代のレギュレーション――

そのすべてに、完全には対応できない。

 

「ハーン君たちが優秀だから、今はまだ走れている」

 

だが、このままでは遠からず破綻する。

 

特に、これから迎える真夏のアルゼンチン、そして次戦以降の過酷なステージ。

 

いずれ、確実に“このマシンでは支えきれない”時が来る。

 

(――その時のために)

 

夢美は、別の画面をそっと開いた。

 

そこに映るのは、ランチア・デルタS4 ECV――

正式には、「Experimental Composite Vehicle」。

 

かつて夢美自身が、夢として描いた“次のデルタ”だ。

 

「S4では、戦い抜けない未来が来る。

なら、準備しておくしかない」

 

静かに、しかし決然と心に誓う。

 

デルタS4を捨てるのではない。

彼女たちの走りを、未来へ繋ぐために――

 

(デルタを、進化させる)

 

夢美はタブレットを閉じ、歩き出した。

 

表情は、いつも通りの冷静なまま。

 

だがその胸の内には、確かな覚悟が宿っていた。

 

 

太陽は完全に空の中心へと登り、コルドバの大地を容赦なく焼き付けていた。

 

アスファルトも、グラベルも、すべてが熱を孕み、

空気すら揺らめいて見える。

 

デルタS4のボンネットを叩けば、

じり、と乾いた音が響きそうだった。

 

「……暑い」

 

メリーがヘルメットをかぶりながら、うっすら苦笑する。

 

「大丈夫?水、飲んどく?」

 

蓮子が差し出したボトルを受け取り、一口含む。

 

だが、すぐに唇を引き結んだ。

 

(こんなの、気にしてる場合じゃない)

 

スタートゲート前。

エンジンを軽く吹かしながら、ふたりは集中を深めていった。

 

⸻

 

「次のステージ、グラベルと石が混じってるからね」

 

蓮子がヘルメット越しに声をかける。

 

「了解。ライン、絶対に外さない」

 

「でも、タイムも狙うよ!」

 

「もちろん!」

 

デルタS4のエンジンが低く唸った。

 

⸻

 

「10秒前――」

 

オフィシャルが指を立てる。

 

車内に、無言の緊張が満ちる。

 

熱い。暑い。けれど、それすらも忘れる。

 

「5、4、3、2、1――GO!!」

 

スタートフラッグが振られると同時に、メリーはアクセルを踏み抜いた!

 

⸻

 

デルタS4が砂煙を蹴り上げ、

焦げつくグラベルへ飛び出していく!

 

路面は、朝とは比べ物にならないほど粗く、滑りやすくなっていた。

 

しかも、浮き石が散乱し、ところどころに罠のようなバンプが潜んでいる。

 

「Next, Right 5 plus over loose!浮き砂注意!」

 

「了解、荷重残す!」

 

わずかにアクセルを緩め、リアの挙動を制御しながら突き進む。

 

(滑る……でも、まだいける!)

 

メリーは、焦ることなく、タイヤのグリップを丁寧に感じ取りながらコーナーへ進入した。

 

滑るグラベル。

襲いかかる熱気。

限界ギリギリのデルタS4。

 

それでも、

ふたりは前を向いていた。

 

デルタS4のコクピットは、まるでサウナだった。

 

路面からの熱、直射日光、エンジンからの輻射――

すべてが襲いかかる中、メリーはただ前だけを見据えていた。

 

「次、Left 4 minus over crest、出口グラベル流れる!」

 

「了解、早めに荷重移動!」

 

声を張る蓮子の指示。

それに応えるように、メリーはステアリングを送り込む。

 

足元では、グラベルがタイヤを飲み込もうとする。

 

(浮き砂に負けない!)

 

デルタS4のトラクションを信じ、アクセルをコントロールしながらラインを維持する。

 

少しでも踏みすぎればスピン。

慎重すぎれば、タイムロス。

 

ギリギリのバランスを保ちながら、ふたりは進んでいく。

 

⸻

 

「Jump into Right 3 minus!着地バンプ注意!」

 

「了解!」

 

視界に飛び込んできたのは、小さな丘陵。

その先には、確かに軽いバンプが隠れている。

 

ジャンプ――

車体がわずかに浮く。

 

着地。

 

サスペンションが沈み込み、リアが一瞬バウンドする。

 

だが、メリーは驚かなかった。

カウンターを先回りで当て、着地直後にスロットルを調整。

 

「ナイス着地!」

 

「ありがと、ノートぴったりだった!」

 

ふたりの呼吸は、どこまでも噛み合っていた。

 

⸻

 

しかし、過酷なコンディションは、簡単にふたりを許してはくれない。

 

「Right 4 plus, into rough straight 150!石跳ね注意!」

 

「了解、でも……路面、悪化してる!」

 

蓮子の警告と、メリーの感覚が一致した。

 

昼の間に通過した他の車両が、路面を荒らしていた。

タイヤの跡、削れた地面、飛び出した石。

 

そのすべてが、彼女たちを試してくる。

 

(こんなの、知ったことか!)

 

メリーは、デルタS4を全身で押さえつけながら、

リズムを崩さずに攻め続けた。

 

荒れた路面を、デルタS4は必死に食らいつきながら進んでいた。

 

バン!バン!と、底を打つような衝撃が断続的に車体を揺さぶる。

 

(……足回り、耐えてくれよ!)

 

メリーはそう心の中で叫びながら、

細かくステアリングとアクセルを調整していく。

 

「Left 5 into crest,注意!砂深い!」

 

「了解、イン側キープ!」

 

蓮子の指示に応え、できるだけ路面が固い部分を選びながら走る。

 

だが、砂と石に埋もれたグラベルは予想以上に手強い。

わずかなミスで、簡単にラインを外されそうになる。

 

「……っ、滑る!」

 

「戻して!トラクション待って!」

 

車体が一瞬、スライドする。

リアが外へ流れる。

 

だがメリーは、ギリギリでカウンターを当て、姿勢を立て直した。

 

⸻

 

気温は40度を超えていた。

 

コクピット内の体感温度は、軽く50度を越しているだろう。

それでも、ふたりはアクセルを緩めなかった。

 

(これが、ラリーだ)

 

汗が目に入り、視界が滲む。

心臓の鼓動が速まる。

酸素が薄く感じる。

 

それでも、

メリーも蓮子も、口にするのは――

 

「次、Right 3、タイト、出口絞り注意!」

 

「了解!」

 

ただ、それだけだった。

 

⸻

 

傷だらけのデルタS4。

すでに小石で割れたフロントバンパー、

砂に削られたサイドスカート。

 

それでも、

マシンは前へ前へと進んでいく。

 

まるで、

「まだだ」と言わんばかりに。

 

「Left 4 into crest、次、連続バンプ!」

 

「了解、ライン内側、浮かせない!」

 

デルタS4は、荒れたグラベルを這うように駆けていった。

 

ジャンプポイントでは車体を浮かせず、

着地をできる限りスムーズに収める。

 

無理に攻めれば壊れる。

守りすぎれば負ける。

 

その絶妙なバランスの上を、ふたりは走っていた。

 

⸻

 

「次、Right 5 plus、出口 rough zone!」

 

「了解、でも……もう一段、上げる!」

 

メリーが小さく宣言する。

 

(このままじゃ、抜け出せない)

 

最下位からの逆襲。

昨日の屈辱を、ただ忘れないために。

 

アクセルを、ほんのわずか深く踏み込んだ。

 

タイヤがわずかに砂を巻き上げる。

デルタS4のリアが、ほんの少し流れた。

 

「ライン、残ってる!次、Left 3 tight over small crest!」

 

「わかってる、ブレーキング少し早め!」

 

メリーはステアをこじらない。

 

荷重移動だけで車体を沈め、回し、最短距離でコーナーを抜ける。

 

これまでよりも、わずかにアグレッシブ。

だが、無謀ではない。

 

ふたりの呼吸は、今、極限まで研ぎ澄まされていた。

 

⸻

 

(デルタ……まだいけるよな)

 

ダッシュボードに手を添えるように、メリーは心の中で問いかける。

 

その答えを待つまでもなく、

デルタS4は――応えていた。

 

タイヤを鳴らし、ボディを軋ませながら、

それでも確実にコーナーを抜けていく。

 

(よし、まだ行ける。もっと、もっと――)

 

「Next, Straight 200, then Left 4 minus!」

 

「了解、フルスロットル!」

 

メリーはアクセルを床まで踏み込み、

デルタS4のすべての力を解き放った。

 

エンジンが咆哮し、ターボが甲高い音を立てる。

グラベルを蹴り飛ばしながら、車体は一直線に加速していく。

 

視界が滲む。

コクピット内の熱気が肌にまとわりつく。

ハンドルを通して伝わる細かい震動も、もはや気にならない。

 

ただ前へ――

ただゴールへ。

 

「Left 4 minus、少し絞る、出口浮きやすい!」

 

「わかってる!」

 

メリーはギリギリまで減速を我慢し、

荷重をフロントに乗せたまま、インを正確に刺していく。

 

コーナーを抜けた瞬間、

デルタS4のリアが小さく滑った。

 

だが、慌てない。

 

そのままアクセルをわずかに戻し、トラクションを繋ぎ止める。

 

(耐えろ……っ)

 

ギリギリのスライドコントロール。

タイヤと地面を、まるで指先でつまむように感じ取りながら、

次の直線へと車体を導いた。

 

⸻

 

「Next, Straight 100, then Finish!!」

 

蓮子の声が弾んだ。

 

「了解、フルスロットルで抜ける!!」

 

メリーは最後の力を振り絞り、アクセルを踏み抜く!

 

デルタS4が咆哮を上げ、

前輪がわずかに浮き上がるほどの加速を見せる。

 

そして――

 

シュバァァァアアアッ!!!

 

ゴールラインを、

全速力で、駆け抜けた。

 

⸻

 

ふたりは、しばらく無言だった。

 

汗だくのまま、

握ったステアリングとノートをただ見つめて。

 

「……やりきったね」

 

メリーが、小さく呟く。

 

「うん。……やりきった」

 

蓮子も、息を整えながら微笑んだ。

 

ゴール後のクールダウン区間。

熱い砂煙の中を、デルタS4は静かに流していく。

 

壊れてはいない。

走りきった。

この地獄のような午後を、ふたりと一台で、確かに乗り越えた。

 

(まだ、私たちは戦える)

 

そんな確信だけが、

胸の奥で、静かに燃えていた。

 

サービスパークへ戻るリエゾン区間。

デルタS4のエンジン音は、どこか満ち足りたように響いていた。

 

「……ほんとに、走りきったんだね」

 

メリーが、ハンドルに手を預けたまま、ぼそりと呟く。

 

「うん、ちゃんと、走りきったよ」

 

蓮子も、隣でヘルメットを軽く脱ぎながら笑う。

 

互いの顔は汗と埃にまみれ、

スーツは砂塵を浴びて色が変わっていた。

 

けれど、ふたりの目は、まるで少年のように輝いていた。

 

⸻

 

サービスパークに到着すると、

すぐにちゆりが走ってきた。

 

「無事か!?デルタ、動いてるか!?」

 

「ばっちりだよ!」

 

「むしろ、めちゃくちゃ調子いい!」

 

「……おいおい、こっちはヒヤヒヤしてたっつーの……!」

 

ちゆりは呆れたように笑いながらも、すぐに車体の点検に取りかかる。

 

フロントバンパーの小さな傷、

リアディフューザーの砂詰まり、

タイヤの偏摩耗。

 

ダメージはあった。

でも、決定的なものは何もなかった。

 

「こいつ……ほんとに、まだ走れるな」

 

ちゆりがポツリと呟く。

 

その言葉に、メリーと蓮子は顔を見合わせ、ふっと笑った。

 

⸻

 

走行データをチェックしていた夢美も、静かに頷いた。

 

「ピークタイムには届かないが、安定してる。

タイヤマネジメントも悪くない。

なにより――」

 

そこで、夢美はふたりを見た。

 

「完走した。それが一番だ」

 

メリーも蓮子も、

力強く頷き返す。

 

⸻

 

ふと、メリーが小さな声で呟いた。

 

「……教授」

 

「なんだ」

 

「デルタ、まだ、戦えるよ」

 

夢美は短く息を吐き、

わずかに口元を綻ばせた。

 

「そうだな。……まだだ」

 

熱と埃にまみれたデルタS4は、

まるで誇らしげに、そこに立っていた。

 

夕方。

ラリー本部から、DAY1の暫定リザルトが掲示された。

 

パークの一角、スタッフやクルーたちが集まり、静かに結果を見守る。

 

メリーと蓮子も、汗だくのレーシングスーツのまま、歩み寄った。

 

掲示板には――

 

⸻

 

DAY1 暫定リザルト(WRC-Hカテゴリ)

 

1位:トヨタ・222D

2位:アウディ・クワトロ S1 E2

3位:ランチア・037ラリー

4位:ランチア・デルタS4(メリー&蓮子)

5位:MGメトロ6R4

6位:シトロエン・BX 4TC

 

⸻

 

「……4位、か」

 

メリーが、肩で息をしながら呟いた。

 

「でも、最下位じゃない」

 

蓮子も、隣で小さく笑う。

 

「昨日、あのトラブルからよくここまで巻き返したよね」

 

「うん……デルタも、私たちも」

 

⸻

 

離れた場所でその様子を見ていた夢美も、

わずかに目を細めていた。

 

(まだトップとは差がある。

でも、“走りきる強さ”は、確かに育ってきた)

 

彼女の胸の中に去来するのは、誇りでも、満足でもない。

もっと先を見据えた、冷静な情熱だった。

 

(このままでは終われない。

このチームは、もっと高く――)

 

⸻

 

掲示板の前で、メリーが拳を握る。

 

「明日、もっと詰める。絶対に」

 

「うん。私たち、まだこれからだよ」

 

ふたりは見えない契約を交わすように、静かに頷き合った。

 

南米の空は、いつしか群青に染まり始めていた。

 

乾いた大地に、夜の静寂がゆっくりと降りてくる。

 

サービスパークの夜は静かだった。

 

パドックに並ぶマシンたちは、

走行後の余熱をまだわずかに纏いながら、

整備灯の下で眠るように佇んでいる。

 

ちゆりは黙々とデルタS4に取り付いていた。

 

フロントダンパーをチェックし、リアのブレーキラインを点検する。

スキッドプレートを外し、底のダメージを確認。

 

「……まあ、よくもここまで酷使したもんだぜ」

 

呟きながらも、

その顔にはどこか嬉しそうな色が滲んでいる。

 

(本気で走った証拠だ)

 

砂と石で傷だらけのアンダーボディ。

細かいヒビが入ったフロントリップ。

それでも、決定的なダメージはない。

 

「こいつ、本当にタフだな……」

 

ちゆりは心の中で、デルタS4を労った。

 

⸻

 

夢美は、別テントでタブレットを広げ、データロガーをにらんでいた。

 

「……セクター3でペース落ちたな。

原因は、砂浮きとバンプ悪化か」

 

走行データとオンボード映像を照合しながら、

冷静に分析を重ねる。

 

その横では、明日のSSスケジュールがすでにプリントアウトされ、

作戦会議の準備が整えられていた。

 

「教授、明日のグラベル、さらに悪くなるぞ」

 

ちゆりが言う。

 

「分かってる。

……明日は、マシンを“壊さずに速く”走らせなきゃいけない」

 

「ハードすぎだろ、その要求……」

 

「だから面白いんだ」

 

夢美は静かに笑った。

 

だがその奥底には、

「デルタS4の限界」を誰よりも理解する者だけが持つ、

孤独な覚悟が潜んでいた。

 

(デルタは、もう限界ギリギリだ。

だが、ハーン君たちが望むなら――

私は最後まで、このマシンを走らせる)

 

⸻

 

その頃、メリーと蓮子も、

ピット脇のベンチに腰掛けていた。

 

ヘルメットを磨きながら、ふとメリーが言う。

 

「……もっと、速くなれるよね、私たち」

 

「うん、なれる。絶対に」

 

蓮子は即答した。

 

迷いはなかった。

 

この1日で、ふたりは確かに、

“まだ先がある”ことを感じていた。

 

「デルタも、応えてくれてる。

……だから、私たちがもっと応えないと」

 

「うん。明日は、もっといい走りをしよう」

 

「もっと、デルタを信じよう」

 

ふたりは小さく拳を合わせた。

 

夜空には南十字星が瞬いている。

 

遠く離れた異国の地。

けれど、ふたりの心はひとつだった。

 

明日も、走るために。

もっと強くなるために。




ラリー・アルゼンチン、決戦の最終日。
だが彼女たちを待っていたのは、華やかなフィニッシュラインではなかった。

リエゾン区間での一瞬の油断。
メリーの免許停止という非常事態。
急遽ドライバーを交代し、蓮子がステアリングを握るナイトステージ。
不慣れな闇の中、想定外のアクシデントがふたりを襲う。

――左リアの破損。
――車体の歪み。
――走行不能。

立ち尽くす二人。
だが、仲間の声が彼女たちを呼び戻す。

「そこらの岩で、叩き直せ!!」

焦り、必死にもがきながら応急修理を進める中、
後続車たちが次々と闇を切り裂いて走り抜けていく。

――そして、あの黒き幻影。
トヨタ・222D。
澪とエレナのマシンが、傷ついたデルタS4の傍らを通過していく。

追う者と、追われる者。
交錯するのは一瞬の視線、胸の奥の葛藤。

限界寸前、
痛む車体と、震える手で、
彼女たちは再び立ち上がる。

走るために。
願いを繋ぐために。
この夜空に、誓いを響かせるために――

次回、Monte Carlo Mally LEG16
『夜空に響く誓い』

――走れ、たとえ壊れても。
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