Monte Carlo Mally 作:Yaris Margatroid
「……着いたね、日本」
中部国際空港・セントレアの到着ゲート。
人波の中、黒髪の少女・篠原澪は、少し目を細めた。
長時間のフライトによる疲れを隠しつつ、淡々と周囲を見渡す。
隣では、プラチナブロンドの髪を揺らしたエレナ・シュタルクが、
キラキラと目を輝かせながら大きく息を吸い込んでいた。
「わぁ……これがニホンの空気! 澪、なんか違うよ!空気が!」
「……空気は空気だと思うけど」
「ちがう!絶対ちがう!すごく……おいしい!?」
「そんな表現ある?」
呆れ顔で返しながらも、澪は小さく笑った。
(まあ、わからなくもない)
湿度といい、気温といい、
確かに日本にしかない感覚が肌にまとわりついてくる。
エレナにとっては、これが“初めての日本”だった。
⸻
【手続き完了】
入国審査、荷物受け取りも順調に終わり、
ふたりは空港ロビーに出る。
「よーし!まずは観光だよね!」
「いや、まず宿だよ」
「ええー……」
エレナは頬を膨らませたが、
澪は表情ひとつ変えず、淡々と言い返した。
「宿を確保して荷物を置かないと、身動きとれない。
それに、今日はラリー関係者の公式レセプションが夜にあるんだから」
「うぐっ……現実的……」
渋々うなずきながら、エレナはタブレットを取り出した。
「ホテルは、名古屋市内!電車で1時間くらいだって!」
「わかった。急ごう」
⸻
【移動】
空港から名古屋市内までは、名鉄特急に乗って移動。
エレナは車窓に張り付き、外の景色に夢中になっていた。
「すごい!ほら、コンビニばっかり!」
「別に珍しくないよ……」
「ほら、またラーメン屋さんあった!」
「それも別に……」
「ねえ、あれ見て!自販機が、いっぱい並んでる!」
「……エレナ、興奮しすぎ」
エレナは、興奮を抑えきれない様子で、
次から次へと“日本らしさ”を発見していく。
一方の澪は、それを見ながら少しだけ口元を緩めていた。
(まあ、初めてだもんな……)
澪自身は北海道出身だが、
名古屋に来るのは久しぶりだった。
日本とはいえ、どこか異国感の漂うこの街。
ふたりの、短い旅が今、始まったばかりだった。
名古屋駅前。
高層ビル群が林立し、行き交う人々で溢れる大都市。
空港とはまったく違う空気に、エレナは目を丸くしていた。
「すごいすごい……なんか、未来都市って感じ!」
「いや、普通の都市だよ……」
「えー、だってドイツの田舎とは全然違うもん!」
「そりゃ違うだろうね」
澪は落ち着き払った口調のまま、
スーツケースを引きながら歩を進める。
今日の予定は、荷物をホテルに置いて、
そのあと時間があれば軽く街を散策するつもりだった。
(……なのに)
横を見ると、すでにエレナは周囲のあらゆるものに釘付けになっていた。
「見て、アニメショップ!」
「見て、たこ焼き屋さん!」
「見て、地下街がある!迷路みたい!」
「……落ち着け」
澪はため息をつきながらも、エレナの腕を軽く引く。
「まずホテル。荷物を置かないと」
「はーい!」
エレナは素直に返事をし、再び歩き出した。
⸻
【ホテルチェックイン】
名古屋駅近くのビジネスホテル。
小綺麗なロビーで手続きはすぐに終わった。
「ふう、これでようやく自由だね!」
「まだちょっと時間あるな……どうする?」
澪が腕時計を見る。
レセプションの集合までは、まだ4時間以上ある。
「決まってるじゃん!街探検だよ!」
「だと思った」
エレナに引っ張られる形で、ふたりは再び街へ繰り出した。
⸻
【街歩き】
まず向かったのは、名古屋駅周辺の繁華街。
地下街に降りると、そこは雑多な店が軒を連ねる異空間だった。
「わあああっ、すごい!!」
「落ち着けって……」
「日本語の看板がいっぱい!しかも、なんか漢字だらけ!」
「いや、当たり前でしょ……」
エレナは嬉しそうに、あちこちの看板を読もうとしては、
「あれ?これなんて読むの?」「これ、意味わかんない!」と澪に質問攻めしてきた。
(日本語はできても、読みはまた別か……)
澪は苦笑しつつ、できる限り説明してやる。
「これは“甘味処(かんみどころ)”。甘いもの屋さんだな」
「カンミドコロ……!かわいい!」
「こっちは“駄菓子屋”。昔の子供向けのお菓子屋」
「ダガシヤ!名前からしてレトロ!」
ふたりは地下街を歩きながら、
時に買い食いし、時にお土産を眺め、
まるで子供のように街を楽しんでいた。
⸻
【小休憩】
ひととおり歩き回った後、
ふたりはカフェで休憩を取ることにした。
「ふぅ……疲れた……」
「さすがに、はしゃぎすぎたね」
エレナはアイスコーヒーを飲みながら、満足そうに笑った。
澪もホットコーヒーを啜りながら、ぼんやりと外を眺める。
(こんなに“普通の時間”を過ごすの、久しぶりかも)
アルゼンチンでは、ラリーのためにずっと張り詰めていた。
モンテカルロでは、戦いの緊張感に支配されていた。
それが今、ほんの束の間、解き放たれている。
「……ねえ、澪」
「ん?」
「日本って、やっぱりすごいね」
エレナは、まっすぐな目でそう言った。
「文化も、街も、人も。
全部違うけど――全部、すごく優しい気がする」
澪は驚いたようにエレナを見た。
「……そんなふうに、思えるんだ」
「うん」
エレナは屈託のない笑顔を浮かべた。
「たぶん、澪が日本人だからっていうのもあるけどね」
「……そっか」
澪は視線をそらして、少しだけ照れた。
(優しい、か……)
自分自身にはそんな自覚はなかった。
けれど、エレナがそう感じるなら、それでいい。
「じゃあ、もう少しだけ日本を見て回ろうか」
「うん!」
ふたりは再び立ち上がり、カフェを後にした。
午後の柔らかな光が差し込む中、
澪とエレナはふらりとローカルな商店街に足を踏み入れていた。
名古屋駅の喧騒からは少し外れた場所。
そこには昔ながらの店構えが並び、ゆったりとした空気が流れていた。
「わぁ……ここ、すごい。なんか、映画みたい」
エレナは目を輝かせ、キョロキョロとあたりを見回している。
「昭和レトロってやつだね。……私もこういう場所、そんなに来たことないけど」
澪も少しだけ新鮮な気持ちで歩く。
金物屋、文房具屋、古びた喫茶店。
軒先には風鈴が揺れ、
道端には漬物屋の匂いが漂う。
エレナはすかさず、
店先に並ぶ「きんつば」や「どら焼き」を見つけて、興奮していた。
「これ、アニメで見たやつだ!買っていい!?」
「いいけど……食べきれるの?」
「大丈夫、全部持ち帰る!」
(絶対食べきれないだろうな)
澪は苦笑いを浮かべながらも、
エレナが嬉しそうに袋を抱えているのを見て、何も言わなかった。
⸻
【神社】
商店街を抜けた先、小高い丘の上に、
小さな神社がぽつんと建っていた。
「ねぇねぇ、行ってみようよ!」
「……まあ、時間あるし、いいか」
鳥居をくぐると、空気が少し変わった気がした。
賑やかな街並みとは違う、
しんと静まった、少しひんやりとした空気。
エレナは興味津々で境内を見回している。
「これが……リアル神社……!」
「静かにね。ここは、騒ぐ場所じゃないから」
「うん……わかった」
エレナは素直に声を潜めた。
境内には、誰もいなかった。
ふたりだけ。
⸻
【お参り体験】
「どうやってお参りするの?」
エレナが小声で聞く。
「……ここに小銭を入れて、鈴を鳴らして、
二礼二拍手一礼、っていう作法がある」
「えっと……えっと……」
エレナは見様見真似で硬貨を賽銭箱に入れ、
澪の真似をして鈴を鳴らした。
澪も隣で、静かに手を合わせる。
(……無事に、ラリーを走れますように)
そんな願いを、心の中でそっと唱えた。
エレナは目をつぶり、
何やら長いお願い事をしているらしかった。
(……全部食べ物のことじゃないだろうな)
澪は内心苦笑したが、
それでもこうして“日本らしい時間”をエレナと共有できることが、
どこか嬉しかった。
⸻
【帰り道】
神社を後にして、また坂を下る。
夕方の光は柔らかく、ふたりの影を長く伸ばしていた。
「……ありがとう、澪」
エレナが、ぽつりと言った。
「え?」
「こんなに日本をいっぱい見せてくれて」
「別に、私は案内してるつもりじゃなかったけど」
「でも、澪が一緒だったから、すごく楽しい」
エレナは照れくさそうに笑った。
「……そっか」
澪も、静かに返した。
ほんの少しだけ、
心の距離が近づいた気がした。
東山スカイタワー。
展望台に昇ったふたりは、静かに夜景を見下ろしていた。
高層ビル群の間を縫うように伸びる高速道路。
点々と灯る街灯と、列をなす車のテールランプ。
そのすべてが、宝石を散りばめたように輝いている。
「……きれい」
エレナが、ぽつりと呟いた。
「うん」
澪も、短く答えた。
ふたりは言葉少なに、
ただ夜景を眺め続ける。
⸻
【静かな時間】
エレナはガラスに手を当てながら、少しだけ目を細めた。
「……ねえ、澪」
「ん?」
「明日からまた、ラリーだね」
「うん」
「なんだか、夢みたい。
こうして、日本に来て、こんな景色を見て、
またマシンに乗るんだって思うと」
「……でも、現実だよ」
澪は、しっかりとした声で言った。
「現実だからこそ、ちゃんと走らなきゃいけない」
「……うん」
エレナも、まっすぐに頷いた。
ふたりの間に、言葉以上のものが通い合う。
(ここからが本当の勝負だ)
澪は、拳を軽く握った。
⸻
【誓い】
エレナがポケットから、
小さなペンダントを取り出した。
「これ、今日のおみやげ。……お守りだって」
澪の手のひらに、
銀色に光る小さなペンダントが載せられる。
「……一緒に勝とうね、澪」
「……ああ」
澪も、そっとそれを握りしめた。
「絶対に、勝とう」
二人は夜空に向かって、静かに誓いを立てた。
名古屋の街の灯りが、
ふたりの未来を、そっと照らしていた。
⸻
【エピローグ】
その夜、ホテルに戻ったふたりは、
少しだけ荷物を整理しながら、静かに休息を取った。
明日からまた、マシンと共に、
自分たちの限界に挑む日々が始まる。
だけど――
今日だけは、
日本の夜を、胸いっぱいに吸い込んで。
ふたりは、眠りについた。
日本の山岳地帯――
湿った路面、苔むした舗装、狭くタイトな連続コーナー。
すべてが、マシンと乗員に牙を剥く。
「デルタは……大丈夫。問題は、私たちだ」
「完走だけじゃない。“勝ち”を目指すんだよ、澪!」
コンディションは最悪。
集中力と技術、そして勇気が試される過酷な一日。
勝負の行方は、まだ誰にも見えない。
次回、Monte Carlo Mally LEG20『再起動する魂たち』
再びアクセルを踏み込め。
限界のその先へ。