Monte Carlo Mally 作:Yaris Margatroid
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前回のあらすじ
時は初夏、場所は京都。
内燃機関が衰退し、モータースポーツも下火となった時代に、京都の大学に通うマエリベリー・ハーン(メリー)と宇佐見蓮子の二人は、日々のんびりと秘封倶楽部の活動を続けていた。
そんなある日、物理学の教授であり、数々の奇怪な研究を手掛ける岡崎夢美に突然呼び出された二人は、WRC(ワールドラリーチャンピオンシップ)への参戦を命じられる。
「WRC」とは、舗装路だけでなく、雪道・砂漠・森林といったあらゆる過酷な道を走る世界最高峰のラリー競技。しかし、モータースポーツが衰退したこの時代、WRCを知っているのはメリーと岡崎教授だけだった。
当然ながら戸惑う蓮子とメリー。だが、蓮子は単位不足を指摘され、WRC参戦を卒業単位として認めると言われてしまう。 一方のメリーも、かけがえのない愛車「A110 アルピーヌ」をラリーの練習車両として使用すると告げられ、反論の余地を失う。
――こうして、秘封倶楽部のWRC挑戦が決定した。
大学生二人組の、常識を覆す戦いが今、始まる――。
自動車を所有している大学生など、今の時代ではごく少数派だった。
けれどマエリベリー・ハーンは、その少数派の中でもさらに特異な存在だった。
1971年式のA110アルピーヌ。内燃機関を搭載し、パワーステアリングもナビもない。
紫色に再塗装されたその車体は、時代錯誤のように京都の街を走っていた。
「まさか、これで練習することになるなんてね……」
助手席の宇佐見蓮子が苦笑する。
大学の講義棟で岡崎夢美教授から“WRCに出ろ”と告げられたのは、まだ数日前のことだった。
そのときメリーは、まさか自分のアルピーヌが“練習車”として登録されていたとは思いもよらなかった。
彼女にとって、車は趣味であり、宝物だった。
けれど、それを使ってWRC-H――ワールドラリーヒストリカルに出場することになるとは、想像の斜め上だった。
「今日からここが、テストコースだって」
蓮子の指差す先に広がっていたのは、舗装路と一部グラベルを含む、非公開の旧車両試験施設だった。
教授曰く「このくらい荒れていた方がいい」とのことだったが、明らかにそこはラリーを意識した作りになっていた。
舗装は一部剥がれ、苔むしたセクションもある。
それでも山あいを抜けるレイアウトは、まさにラリーの初歩を学ぶには十分すぎた。
「最初は軽く流すだけでいい。クルマと会話してくれ。」
無線越しに教授の声が届く。
出発前にダッシュボードの上へ無線機が設置された。チャンネルも固定済み。
蓮子がうっかり触って壊しそうになったのを、メリーが即座に取り上げて事なきを得た。
『君たちの会話は記録されてる。ペースノートの精度も後で確認する。』
「うわ、聞こえてるんだ……」
「全部だってさ。……下手なこと言えないね。」
メリーは一度だけ深呼吸して、シートベルトを締め直した。
クラッチを踏み、エンジンスタート。
チョークが効いていたが、暖気後は安定する。
「行くよ、蓮子。」
「いつでもどうぞ、メリー先生。」
スロットルを軽く開け、アルピーヌは小さく唸りながら前に出た。
⸻
最初のコーナーはゆるい左。だがその先にギャップがあることを、メリーは事前に教授から聞かされていた。
『Left 4、ギャップ注意、右3 tightに続く』
「了解、right 3… っ、滑るっ!」
後輪が一瞬だけ空転した。
アルピーヌはリアエンジン・リアドライブ。前荷重を失えば、一気に滑る。
だがメリーは怯まず、ブレーキを短く当て、ステアリングを切り戻した。
「……っ、戻った。大丈夫。」
「うま……」
蓮子の声が呆けたように漏れた。
路面の起伏を拾いながらも、アルピーヌは軽快に次のカーブへ進んでいく。
ペースノートの読み上げはまだ不完全だったが、蓮子は言葉を短くまとめ、最低限の情報をメリーへ伝えていた。
『次、Left 5 into Right 4 short, 直後バンプあり』
「了解、4 short、見えた。」
コースの脇には立ち入り禁止のテープが貼られ、廃材のような看板が風に揺れている。
その錆びた音がかすかにメリーの耳を打つ。
「ブレーキフィール、まだ硬いね」
『調整する?』
「……ううん、大丈夫。慣れてきた」
車体は軽く、ペダルタッチもダイレクト。
電子制御なんてものは、ここには存在しない。
⸻
『あ、そういえば教授が言ってた。ABSもTCSも“オフにしてある”って。』
『今言う!?』
夢美の声が少しだけ愉快そうだった。
『安心しろ。アルピーヌには最初から付いてない。つまり、変わらない。』
「教授、そういうの“安心”って言わない……!」
それでも、メリーの手は震えていなかった。
むしろ、指先には確かな“生きた感覚”が宿っていた。
「私、このクルマならどこへでも行ける気がする」
『言ったね、それ録音されてるからね』
「構わないよ。証拠に残しておこう。私たちが、ここから始めたって」
メリーの集中は、徐々に鋭く研ぎ澄まされていた。
ステアリングの切れ角、ブレーキの踏み込み、リアから伝わる荷重の移動――
すべてが彼女の身体と一体化していく感覚。
機械と人間ではなく、“ひとつの生命体”として路面を駆け抜けていた。
『Right 6、into Long straight、少しだけ上り』
「把握、ギア上げるよ」
3速、4速とシフトアップするたびに、キャブレターの音が太くなる。
彼女はクラッチの噛み込みを丁寧に拾いながら、まるで楽器を操るように変速していった。
蓮子は隣で、思わず息を呑む。
この走りは、ただの“移動”じゃない。
――それは、音楽だった。
⸻
『ブレーキポイント、前方に目印の赤旗。そこから70メートルでLeft 2 tight!』
「見えた、減速!」
メリーはブレーキをしっかり踏み込み、リアが揺れる寸前で姿勢を保つ。
ペダルの抵抗、タイヤの食いつき、エンジンブレーキのかかり方――全てが手に取るように分かる。
そのまま回頭し、ラインを残して立ち上がる。
「……今の、完璧じゃなかった?」
『うん。……まじで、うん。』
蓮子の声が、今度は真剣だった。
やがて、アルピーヌはテストコースのラストセクション――山肌をなぞるタイトな連続カーブへ差しかかった。
『次、Right 3 into Left 4 short、すぐクレスト注意』
「了解、クレストの向こうブラインドか……慎重に行く」
サイドミラーに映る後輪が、かすかに跳ねる。
左足でクラッチ、右足でブレーキ、そしてスロットルへ。
すべての動きが連なり、連続するステアワークと共に“流れ”を作っていく。
まるで峠の精霊に導かれるように、アルピーヌは風のように駆けた。
⸻
蓮子は一瞬、言葉を失っていた。
「……メリーって、こんなに……走れる人だったんだね」
『さあ、どうだろ。クルマのおかげかも』
「違うよ。あんた自身だよ、それは」
助手席にいてもわかる――
これは、誰に教わった技術でもなければ、ただの勘でもない。
それは、何かを“超えよう”とする意思だった。
⸻
走行終了。フィニッシュラインに設けられたセンサーを越えた瞬間、無線から教授の声が響いた。
『戻れ、いいデータが取れた。ハーン君、特に。……その感覚、忘れるな』
メリーは無言で頷き、ハザードを焚いた。
エンジンの鼓動が止まり、ブレーキの金属が軋む。
「……どうだった、蓮子」
「うん。悪くなかったよ、先生」
「誰が先生よ……」
2人の笑い声が、薄暗くなったコースに優しく溶けていった。
次回予告
「ダート走行の基礎を学んだメリー。しかし、次なる試練はペースノートの理解!?」
「蓮子、試されるコ・ドライバーの適性!」
「そして、教授がついにWRCマシンの詳細を明かす――!?」
次回、LEG2「ペースノートの試練」
大学生たちのWRC挑戦は、まだ始まったばかり――!