Monte Carlo Mally   作:Yaris Margatroid

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LEG21 『灰色の翼、赤い記憶』

ラリー・ジャパン最終日から二日後。

激戦を終えたランチア・デルタS4は岡崎のサービスパークで分解整備に入り、

夢美とちゆりはそのまま現地に残って、次のECV計画へ動き出していた。

 

一方その頃――

マエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子は、

久しぶりに“自分たちの町”へと帰ってきていた。

 

 

京都・出町柳。

午後の陽が斜めに差し込む川沿いの通りを、

メリーと蓮子はゆっくりと歩いていた。

 

「……帰ってきたね。」

 

メリーが呟く。

街の音は穏やかで、エンジンの轟音も砂利の跳ねる音もない。

 

「やっぱり静かだね。

 岡崎じゃ一日中タイヤの焼ける匂いしてたもん。」

 

「静かすぎて、逆に落ち着かないけどね。」

 

蓮子は笑いながらコンビニの紙カップコーヒーを差し出す。

メリーは受け取り、一口すすいだ。

 

「……現実に戻ってきた感じがする。」

 

「でも、まだ完全には戻れないでしょ。教授たち、何か始めてる。」

 

「“ECV計画”、でしょ?」

 

「うん。メッセージきた。“岡崎残留、開発続行”って。」

 

 

「ねぇ、蓮子。」

 

「ん?」

 

「次のマシン、どんなのになると思う?」

 

「……教授のことだから、また“規格外”なんじゃない?」

 

メリーは苦笑する。

蓮子も、半ば呆れたように肩を竦めた。

 

「でも、あの人が言ってた。“限界は、まだ先にある”って。」

 

「……言いそう。」

 

ふたりの視線の先には、

鴨川の水面がきらきらと揺れていた。

走ることのない午後、穏やかな時間。

けれど、その静けさの底には、

確かに“次の音”が生まれようとしていた。

 

 

メリーはカップを置き、ふと空を見上げる。

 

「私たち、また走るんだね。」

 

「当たり前でしょ。

 ……次は、“勝ち切る”番だもの。」

 

「勝ち切る、か。

 ねぇ蓮子、次こそ“普通じゃない”私たちを証明しよう。」

 

「メリー、それ、もう証明済みだよ。」

 

「……じゃあ、“続き”を証明しよう。」

 

ふたりは小さく笑い合い、

そのまま京都の町並みへと歩き出す。

 

 

その頃、岡崎。

ランチア・デルタS4の骨格が、

まるで蝶が羽化するように組み直されていく。

その新しい名は――ECV。

 

夢美はヘルメットを脇に抱え、

組み上がるマシンを見上げていた。

 

「……まだ、この車は死んでいない。」

 

冷たい蛍光灯の下で、

その声だけが静かに響いた。

 

午前十時過ぎ。

京都の空は薄く曇っていて、

陽の光がやわらかく町屋の瓦を照らしていた。

 

「で、今日の予定は?」

 

蓮子がコーヒー片手に尋ねる。

メリーは地図アプリを覗き込みながら答えた。

 

「観光。完全に観光。」

 

「……それ、教授が聞いたら怒るやつ。」

 

「“ECVのことは夢美に任せろ”って言ったの、ちゆりじゃない。

 なら、私たちはおとなしく休むのが仕事よ。」

 

「そういう理屈の立て方、教授そっくりだよ。」

 

蓮子が笑う。

メリーも、くすっと肩を揺らした。

 

 

ふたりが向かったのは、河原町の北――古本と喫茶の町、出町柳。

学生時代から何度も歩いた通りだが、

久しぶりに訪れると、どこか空気が違って見えた。

 

「……懐かしいな。あの古本屋、まだある。」

 

「“猫の足跡書店”でしょ。あそこの二階、前に私がバイトしてた。」

 

「そうだったっけ?」

 

「うん。給料が全部コーヒー代に消えたけどね。」

 

「相変わらず経済観念がラリー仕様ね。」

 

ふたりは古本屋の木製ドアを押し、

鈴の音とともに中へ入る。

 

 

「うわ……この匂い。紙とインクの匂い。」

 

「変わってないね。ここだけ時間が止まってるみたい。」

 

棚に並ぶ背表紙の山。

“モータースポーツ年鑑 1985”、“世界のラリーマシン特集”。

懐かしさと同時に、血が騒ぐような単語が目に飛び込んでくる。

 

「メリー、これ……」

 

蓮子が取り出したのは、

“グループB:地上最速の亡霊たち”という本だった。

 

「……見たくないような、見たいような。」

 

「でも、私たちの乗ってるあのデルタも、ここに載ってるんだよ。」

 

ページをめくると、

泥まみれのランチア・デルタS4が写っていた。

炎を吐き、宙を舞うように走る姿。

 

「“狂気と栄光”。この時代の人たち、本当に命を賭けてたんだね。」

 

「……教授と菫子さんも、その中にいた。」

 

メリーの声が、少しだけ沈んだ。

蓮子は黙って本を閉じ、棚に戻した。

 

「でも、私たちは“あの続きを違う形で”やってる。

 あの人たちが作った道を、次の時代の形で。」

 

「……そうだね。」

 

メリーは小さく微笑み、

ふたりは静かに古本屋を出た。

 

 

通りを抜けると、甘い香りが鼻をくすぐった。

屋台のわたあめ機が回り、

子どもたちがはしゃいでいる。

 

「うわぁ、懐かしい……」

 

「ねぇ、買ってこようか?」

 

「いい大人が?」

 

「いいじゃない。“精神年齢はまだ学生”でしょ?」

 

蓮子が財布を取り出して走り出す。

メリーは苦笑しつつ、ベンチに腰掛けた。

 

彼女の視線の先には、

空に伸びる煙のような桜の花びら。

春はもう終わりかけていた。

 

 

「はい、わたあめ。しかも特大サイズ。」

 

「……思ったより本気のサイズだね。」

 

「サービスされた。かわいいって言われた。」

 

「誰が?」

 

「もちろん、私が。」

 

メリーは目を細めて笑う。

 

「ほんと、こういうとこだけ異国で鍛えられてるわね。」

 

「人生、交渉力がすべてよ。」

 

ふたりは笑い合いながら、

綿菓子をちぎって食べる。

 

 

そのとき、メリーのポケットでスマホが震えた。

画面に表示されたのは――岡崎夢美の名。

 

「教授?」

 

通話をつなぐ。

雑音の向こうから、夢美の声が響いた。

 

『……デルタのフレーム再設計、完了した。

 ECVの試験走行は一週間後だ。』

 

「もうそこまで?」

 

『ああ。あとはお前たちの帰還を待つだけだ。』

 

一瞬の沈黙。

その短い時間に、京都の風の音が割り込んだ。

 

「……わかりました。すぐ向かいます。」

 

『ああ。――次は、勝つぞ。』

 

通信が途切れる。

メリーはスマホを胸元に戻し、小さく息を吐いた。

 

「教授、もう始めてるって。」

 

「だろうね。

 ……静かな時間って、ほんとに短いね。」

 

「でも、また走れる。」

 

「うん。

 “私たちの道”を、続けよう。」

 

 

河原町通りの夕暮れ。

街灯が灯り始め、春の空気が夜の気配を帯びる。

ふたりは同じ歩幅で歩き出した。

次の戦場へ向かう足音を、確かめるように。

 

その背後では、

岡崎のガレージで一台の新たなマシンが目を覚ます。

――Lancia Delta ECV。

過去を超えるために生まれた、“未来への継承機”。

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