Monte Carlo Mally   作:Yaris Margatroid

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LEG24 『森の終点、赤い翼』

太陽が沈まない国、フィンランド。

夜のはずなのに、空は薄い金色の光を残し続けていた。

まるで一日が終わることを拒んでいるかのように――。

 

ユヴァスキュラ近郊、

湖と森が入り混じるリエゾン区間の入口で、

メリーは赤く光るデルタECVのステアリングを握り直した。

 

「……これが、空を飛ぶ国の空気か。」

 

助手席の蓮子が、手元のノートを確認しながら答える。

「湿度が低くて空気が軽い。

 ……でも、この軽さが逆に怖いね。跳ねたら戻ってこないかも。」

 

「落ち着いて落ちる。教授の言葉を借りるなら、そうでしょ。」

 

「うわ、あの理論まだ信じてるの……?」

 

「半分はね。」

 

メリーは笑い、ヘルメットのバイザーを下ろす。

リアで唸るツインターボが、ゆっくりとブーストを上げ始めた。

 

 

森の中に響くエンジン音。

ECVは900キロのボディを軽々と持ち上げ、

まるで地面を蹴り飛ばすように加速していく。

 

「200、Left 4 minus、crest keep!」

蓮子の声が、すぐに風にかき消される。

 

視界の先、地平線のような直線が、

次の瞬間には“空”へと変わった。

 

――飛んだ。

 

短い沈黙。

サスペンションが一瞬完全に伸び切る。

無重力に近い浮遊の感覚。

そして、わずかな角度の狂いが命取りになる、数秒の静止。

 

「着地まで2秒……姿勢維持、OK!」

 

ズドンッ――!

着地の衝撃。

だがECVは、足元のグラベルを掴んで揺るがない。

荷重が戻った瞬間、再びスロットルが全開に戻された。

 

「っしゃああああ!!」

蓮子の叫びが響く。

メリーは無言のまま、次のカーブへと滑り込む。

 

 

対向エリアでは、同じくトヨタ・222Dが走っていた。

澪のハンドル操作は、まるで機械のように正確。

エレナがテンポよくノートを読む。

 

「Right 6、crest jump、200! 次、湖畔沿い左3 tight!」

 

「了解。」

 

跳躍。

黒い222Dが、白夜の森の中で影のように宙を舞った。

サスペンションが着地を吸収し、

その瞬間、澪の表情にわずかに笑みが浮かぶ。

 

「……悪くない。」

 

「でしょ? フィンランド、気に入った?」

 

「静かすぎるけどね。」

 

ふたりの会話は短い。

けれど、リズムは完璧だった。

 

 

同じ森を隔てて走る赤と黒。

デルタECVとトヨタ222D。

どちらも、“地上の速度”を超えようとしていた。

 

森を抜けた先、

ECVがわずかにテールを滑らせながらフィニッシュラインを通過する。

その直後、蓮子が息をついた。

 

「……飛んで、落ちて、走って。なんか人生まとめてやってる気分。」

 

「なら、まだ半分ね。」

 

「えっ、もう十分なんだけど!?」

 

「この国、1日に“1000回ジャンプ”するって言われてるらしいよ。」

 

「え、マジで? そのまま空まで行けるんじゃないの……」

 

「行けたら教授が怒るね。“空気密度が違う”って。」

 

笑い合うふたりの背後、

太陽はまだ沈まない。

ECVのエキゾーストが白夜の空にこだまし、

森の奥へと消えていった。

 

 

 

 

森の中を突き抜ける一本の白い道。

空気は乾き、地面は細かい砂利で覆われている。

北欧特有のグラベルは滑るようで、実際にはしっかりと噛みつく。

トヨタ・222Dのタイヤが、砂利を巻き上げながら唸った。

 

「Right 6 into crest、200! 次、Left 5 long!」

エレナの声がインカムを震わせる。

澪は短く「了解」とだけ答え、

すぐにステアを切り返した。

 

黒い222Dが、森の空気を切り裂く。

軽量なボディがバンプを弾み、サスペンションが限界まで沈む。

グラベルを蹴り上げるたび、車体がわずかに浮いた。

その挙動を澪はほとんど無意識に制御する。

だが――。

 

「……なあ、澪。」

「ん?」

「なんか右リア、音おかしくない?」

「……感じてた。」

 

右後方から、“トトトトッ”と異音。

リズムがズレている。

跳ねたたびに、振動が重くなっていた。

 

「……ピン、抜けたか?」

「違う。エア、抜けてる。」

 

その言葉の直後だった。

 

バンッ!!

 

「っ!? 来た!!」

「右リア、完全に抜けた!!」

 

車体が傾く。

トラクションが右に逃げる。

ハンドルが引っ張られ、澪の腕に重い力がかかる。

踏み込みを誤れば即スピン。

止まれば、タイムも、完走も消える。

 

「左重心で維持! まだ走れる!!」

「リムまでいってる! このままじゃ転ぶ!!」

 

澪の額に汗が滲む。

三輪での走行など、制御できる領域ではない。

それでもスロットルを抜けない。

“止まったら終わる”――その一点だけが、彼女の中で反響していた。

 

 

「トラクション、右に全部逃げてる!」

「止めたら終わり、行くしかない!」

 

エレナは一瞬目を閉じ、息を整えた。

そして、まるで閃光のように何かを閃いた。

 

「……OK、澪、私に任せて。」

 

「は? なに言って――」

 

カチャ。

シートベルトのロック音が外れた。

 

「エレナ!? 待て、何する気だ!!」

「バランス、取る!」

 

叫ぶなり、彼女はドアを押し開けた。

強烈な風が車内に吹き込み、髪を舞い上げる。

エレナは窓枠に膝を掛け、腕でルーフとウィンドウの縁を掴む。

体をねじり、64キロの体重すべてを外へ預けた。

 

「おい馬鹿!! 死ぬぞ!!」

「死なない!! バランスなら取れる!!」

 

車体が右に沈みかけた瞬間――

エレナの体が左へ強く引っ張る。

金属が軋み、マシンがわずかに持ち上がる。

 

「……傾き、戻った!?」

「そう! 64キロ分の“外重”で釣り合ってるの!!」

 

「そんな理屈あるか!!」

「あるのよ、物理は裏切らない!!」

 

三輪の222Dが再び走り出す。

タイヤの代わりに、地面を掴んでいたのは人間の重心だった。

 

 

風が顔を切る。

火花と白煙が背後に広がる。

エレナの腕が震える。

力を入れすぎて関節が悲鳴を上げるが、手は離さない。

 

「エレナ、風圧強すぎる! 無理だ!!」

「無理じゃない! この角度なら、荷重バランス50:50にできる!!」

「人間の身体で計算すんな!!」

「私の筋肉は、理論値超えてる!!」

 

澪は歯を食いしばり、

暴れるステアを必死に押さえる。

その横で、エレナが完全に外側へ体を預けていた。

まるで、黒いマシンの外に生えた“生身のスタビライザー”。

 

 

「あと1キロ!」

「このまま突っ込む!!」

 

澪が叫ぶ。

エレナはさらに体を外へ傾ける。

重力と風圧のせめぎ合いの中、彼女は笑っていた。

 

「澪!! もし次もこうなったら、もう少し増量しとく!!」

「今そんな話するな!!」

「大事よ!? あと3キロあればもっと安定する!!」

「筋トレの方向間違えてんだよ!!」

 

笑いと悲鳴が混ざる中、

三輪の222Dがフィニッシュラインを飛び込んだ。

火花が夜空に散り、白夜の光に溶ける。

 

「止まった……?」

「止まった!!」

 

エレナは腕の力を抜き、窓から中へ戻った。

頬は風で焼け、指先には金属の跡。

それでも、笑みは崩れない。

 

「……馬鹿だな、ほんとに。」

「でしょ。でも、止まった。」

 

澪はハンドルから手を離し、息を吐いた。

「次やったら殺す。」

「その前に筋肉痛で死ぬ。」

 

 

フィンランドの白夜は、まだ沈まない太陽を抱いていた。

日付が変わっても、空は薄い橙のまま。

サービスパークの照明と混じり合い、夜とも昼ともつかない光が漂っている。

 

整備ピットの片隅。

ランチア・デルタECVが冷却ファンの音を鳴らしながら、静かにその体を冷ましていた。

ボディは赤く輝き、細かいグラベルの傷跡が無数に刻まれている。

それでも、その姿はどこか誇らしげだった。

 

夢美は腕を組み、車体の前に立っていた。

その目は勝利でも敗北でもなく、ただ――“次”を見ている。

 

「……軽く、速く、正確に。

 ここまでやっても、まだ“足りない”と思うのは……やっぱり、私が狂ってるんだろうな。」

 

ちゆりがタブレットを片手に、工具を拭きながら苦笑した。

「教授、十分速ぇって。

 このデータ見てみなよ。ブーストも完璧、バランスも理想値。

 もう文句なしの仕上がりだぜ。」

 

「完璧なんて、瞬間的な幻だよ。」

夢美は淡々と返す。

「気温、湿度、空気密度。

 その全部が奇跡的に噛み合ったときにだけ存在する。

 だが――それを再現できないと、設計者として意味がない。」

 

「また始まったな……完璧論。」

 

「“走る”ことと、“勝ち続ける”ことは違うんだよ。」

 

夢美の視線が、デルタECVのリアウィングへと向かう。

フィンランドの夜風が吹き抜け、赤い翼の端をかすかに揺らした。

 

「……トリフラックスの制御、まだ改良できる。

 ブーストのつなぎがわずかに遅れてる。

 もっとシームレスにできるはずだ。

 電子制御の補正値を半分にして……吸気の反応を倍に。」

 

「おいおい……そんなことしたら、ドライバーがついていけねぇぞ。」

 

「それなら、“ついていける人間”を育てればいい。」

夢美は即答した。

 

ちゆりは呆れたように息を吐く。

「……教授、やっぱりあんた、怖ぇ人だぜ。」

 

「怖くなんかない。

 まだ“限界”を見ていないだけだ。」

 

その声は、氷のように冷たく、しかし確かな熱を孕んでいた。

夢美の眼差しは、目の前のECVを越え、

さらにその先――“グループSの理想形”を見据えている。

 

「S4を越えたECV。

 だが、ECVを越える“何か”が必要だ。

 次は、空気の壁をもう一段崩す。」

 

「また軽くする気か?」

 

「重力を、味方にするだけだ。」

 

ちゆりが言葉を失う。

夢美は背を向け、夜明けに染まり始めた空を見上げた。

白夜の光が瞳に反射し、まるで彼女の瞳そのものが“炎”のように揺らめいた。

 

「――グループBの亡霊は、ここで終わりだ。

 次は、“未来”を走らせる。」

 

静かにそう言って、夢美はデルタECVのボディを指先で叩いた。

乾いた金属音が、夜空へ吸い込まれていく。

 

「……準備を始めるぞ。」

 

「了解だぜ、教授。」

 

ふたりの影が照明の下で重なる。

その向こうで、赤いECVはなおも息づいていた。

まるで次の進化を待つかのように。

 

 

その夜、夢美のノートPCには、まだ誰にも見せていないファイルが開かれていた。

タイトルは、こう記されている。

 

Project: ECV-R/Next Concept – Draft_0.1

 

カーソルが瞬き、無音のラボに微かな電子音が響いた。

“限界”という言葉は、彼女の辞書にはなかった。

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