Monte Carlo Mally   作:Yaris Margatroid

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前回のあらすじ

WRC-H(ワールドラリーヒストリカル)への参加を岡崎夢美教授から命じられたマエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子。
突拍子もない提案に戸惑いながらも、教授の強引な“教育的措置”と、単位不足という現実に押され、渋々ながら準備を始めることになる。

練習車として選ばれたのは、メリーが家族から譲り受けた1971年式のA110アルピーヌ。
時代遅れとも言える内燃機関車での実走は、ふたりにとって未知の領域だった。

舞台となるのは山間部にある廃テストコース。
舗装と未舗装が入り混じるこの場所で、メリーはアルピーヌと“対話”するように走り始め、やがて車と一体になる感覚を掴みはじめる。

助手席の蓮子は、ペースノートという未知の言語に戸惑いながらも、メリーの走りに圧倒される。
教授の無線越しの指導のもと、ふたりは初めて“コンビ”としてコースを完走する。

ラリーという世界の入り口で、メリーと蓮子は「走る」ということの意味に触れ、確かな第一歩を踏み出す。


LEG2 「ペースノートの試練」

エンジンの音が消え、タイヤの余熱だけが静かに車内に残っていた。

テストコースでの走行を終えたマエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子のアルピーヌは、舗装の割れた旧施設の脇に停まっていた。

 

『よく走ったな、ハーン君。宇佐見君も、まあ及第点だ』

 

無線越しに岡崎夢美の声が届く。教授はふたりの走りをずっと監視していた。

ラジオの奥で何かメカが動く音がする。多分、コースの記録装置か監視ドローンのログ確認だ。

 

「……なんか、あれですね。プレッシャーすごい……」

 

「でもちょっと、楽しかったかも」

 

『楽しかったか。まあそれなら、次の地獄にも笑って臨めるな』

 

『ペースノートの読み方は未経験にしては悪くない。ただし――走りを“導く”言葉にはなっていなかった』

 

助手席の蓮子が唇を噛む。

 

「言葉にしただけ、ってことですね」

 

『ああ。読み上げただけじゃ意味がない。“言葉”は“速さ”と“生”を繋ぐものだ。お前たちが今学ぶべきはそれだ』

 

教授の声はいつもと変わらない、でもその言葉の温度は、少しだけ違った。

 

午後の陽射しはすでに傾き、京都の外れにあるこのテスト施設をやさしく染め始めていた。

建物の中、旧整備棟の会議室。白板とスクリーンが備え付けられた、かつての講習用ルームに秘封倶楽部のふたりが並んで座っていた。

 

教授がホワイトボードに書いた大きな文字は――「ペースノートとは何か」。

 

「講義かよ……」

 

蓮子がぼやくが、教授はお構いなしに書き続ける。

 

「ラリーにおけるペースノートとは、“走行中のドライバーに進行情報を伝える”ための約束体系だ。地形、コーナー、危険度、滑りやすさ――すべてを簡潔に、そして瞬時に伝える必要がある」

 

教授はスライドを切り替える。

 

「ラリーにはコースの下見、“レッキ”という作業がある。コースを実際に走り、ドライバーが感じたポイントをコ・ドライバーが記録し、ノートとして作り上げる」

 

「じゃあ、それをレースで読み上げるってことですか?」

 

「その通り、宇佐見君。ただし――走行中に伝えられる時間は平均で0.5〜1秒だ」

 

「短っ……」

 

蓮子の声が思わず裏返る。

 

「だからこそ、“コールの質”が勝敗を分ける。目に映らないものを、声で伝える。

それが、ペースノートの使命だ」

 

教授はホワイトボードにいくつかのアルファベットと数字、記号を書き始めた。

 

「ここからが基礎の応用だ。ノートの記号を覚えるんじゃない、意味を“運転に翻訳”できなければ意味がない」

 

《例:R4 → 右の中速カーブ / L2+ → 左のやや鋭角なカーブ(+は開き気味)》

《Cr → クレスト(丘) / Bump → バンプ(段差)》

《Tightens → 途中で狭まるカーブ / Cut → インをカット可》

 

「わあ、記号だらけ……」

「これは、暗号ですね」

 

メリーと蓮子は思わず顔を見合わせる。教授は手を止めずに続けた。

 

「読みのテンポ、強調する言葉、タイミング。すべてがドライバーの操作と繋がっている。

“読み”が遅れれば、ドライバーはラインを外す。“言葉”が曖昧なら、速度が殺される。

お前たちは、もっと“走る言葉”を意識しろ」

 

「……走る言葉、ですか……」

 

「“読み上げ”と“伝える”は違う。お前たちは、ただ文字を読んでるだけだ。今はな」

 

教授がホワイトボードの前から少し離れ、ふたりを見た。

 

「次は、実際に走るぞ」

 

「え、もう?」

 

「“言葉を出す”ということがどういうことか。君たちの身体に覚えさせる」

 

再びエンジンが目覚める。

テストコースの一角を短縮した“ペースノート演習区間”に、アルピーヌが滑り込んでいく。今度の主役は蓮子。コ・ドライバーとしての初陣だった。

 

助手席のノートを膝に置き、蓮子は深呼吸を繰り返す。手汗が滲んだページが微かに波打っていた。

 

「……よし、できる……できる……」

 

「落ち着いて。蓮子の声、私が頼りにしてるんだから」

 

「わかってる……けど……」

 

アクセルが入る。アルピーヌは再び走り出した。

 

「Right 3……えーっと、クレスト、Left 5 into……」

 

「蓮子、“えーっと”はダメ!」

 

「わ、わかってる!」

 

声が途切れ、次の言葉が遅れる。その瞬間、メリーはコーナー進入でラインを外しそうになり、咄嗟にカウンターを当てて立て直す。

 

「……あぶな……っ」

 

「ご、ごめん!!」

 

助手席の蓮子は言葉を失い、顔を伏せる。ノートを読み上げるどころか、視線を戻すこともできなかった。

 

短い区間を終えて車を停めたあと、ふたりの間には沈黙が流れた。

メリーは肩で息をしながら、軽く首を回した。

 

「……蓮子、あれは……読み方じゃない。“見たもの”を伝えようとしてた。

でもね、走ってるこっちには“見えてない”んだよ」

 

蓮子は視線を落としたまま、小さな声でつぶやいた。

 

「私、……リーダー失格かな」

 

「え?」

 

「これじゃ、教授に何も返せないじゃない。私、ペースノートも満足に……」

 

「待って。そんなことで“失格”って言わないでよ」

 

助手席のドアが開き、涼しい風が差し込んだ。メリーは外に出て、しばらく空を見上げたあと、振り返った。

 

「私さ、今日初めて“自分が速くなれる”って思ったの。……でもそれ、蓮子が隣にいたからだよ」

 

「……でも、私……」

 

「大丈夫。まだ“始まってもない”んだから」

 

風の音が止み、蓮子の胸の奥に、少しだけ熱が灯るのを感じた。

 

旧整備棟の奥にある小さな資料室。そこは、かつて岡崎夢美が“自動車工学実験室”として使っていた場所だった。

棚には黄ばんだ紙束や、巻物のような手書きノートが並んでいる。

 

教授はその中から、ひとつのファイルを取り出した。

 

「これを渡しておく」

 

「……これは?」

 

「“あるコ・ドライバー”のペースノートだ。今はもう現役を退いたが、当時は異常なほど正確なノートを組んだ」

 

メリーが隣でちらっと覗き込む。手書きのノートには、記号と略語が精緻に並び、記述の密度は異様なほどだった。

 

「これって、誰の……?」

 

「宇佐見菫子。君たちの時代からすれば伝説の部類だろうな」

 

蓮子の目が驚きに見開かれた。

 

「“宇佐見”……って、同じ……」

 

「偶然だ。気にするな」

 

教授の言葉は短く、どこか語尾を切り捨てるような冷たさがあった。

 

蓮子はそっとそのノートを開いた。

一ページ目、L5 into R3 / Cr short Bump。ページをめくるごとに、記号が言葉に変わっていく感覚があった。

 

それは“声に出す”ことで完成する言語だった。

 

「この人……頭の中に、コースが全部入ってたみたい……」

 

蓮子は呟いた。そこには“誰かに伝える”という意識以上に、“一緒に走っていた”という気配が残っていた。

 

「その人間の声は、ドライバーにとって“目”だった。お前がこれからやるのは、そういうことだ」

 

教授が静かに言った。

 

「感覚じゃない。記憶でもない。ノートは“走り”そのものになる。蓮子、お前はそれをやる人間だ」

 

「でも、私……まだ……」

 

「ならば、走れ。ノートを“読む”んじゃない。“繋げ”」

 

その言葉を最後に、教授は黙って部屋を出ていった。

 

再びアルピーヌのエンジンが目を覚ます。

再演習。夕闇が降り始めたテストコースに、メリーと蓮子は無言で戻った。

 

蓮子は今度、教授から受け取った“菫子のノート”の書き写しではなく、自分なりの言葉でページを起こしていた。

そこには数字や記号の羅列ではなく、彼女の目で見たラインと、その時の“走りたい気持ち”が簡潔にまとめられていた。

 

「Right 4、後半が絞られる、バンプ注意、ライン残して」

 

「OK、聞こえてる。切り返し、抑えるね」

 

声が早すぎず、遅すぎず、必要なときにだけ入る。

蓮子は声に出しながら、メリーがどんなステアリングを切るのかを、身体で感じ取っていた。

 

「Left 3、クレスト越えて一瞬浮く、すぐ着地、右5に繋ぐよ」

 

「浮いた……OK、進行見えた、突っ込むよ」

 

音と音の間に“理解”が宿り始める。

言葉がただの合図ではなく、“二人で速くなるためのツール”として働き始めていた。

 

蓮子は次第に、“走り”と“声”がリンクしていく感覚に気付き始めていた。

読み上げた直後、メリーの操作がその通りに動いていく。まるで自分の言葉がステアリングを動かしているかのように。

 

「次、S字気味に連続、ライン詰めすぎないで、クリップ浅く」

 

「了解、少しアウト残す」

 

「いい、すごく見えてる……!」

 

助手席の蓮子は息を止めるようにノートを握りしめ、読み上げることに全神経を注いでいた。

メリーの走りが彼女の声に合わせて流れる。初めての一体感――まさに“コ・ドライバー”としての覚醒だった。

 

短いステージのゴールラインを越えると、アルピーヌは静かに減速した。

ブレーキが金属を軋ませ、2人はゆっくりと深呼吸をした。

 

「……できた……」

 

「できたよ、蓮子」

 

顔を見合わせたその瞬間、2人の間に言葉のいらない“感触”が残った。

それは確かに、ふたりが“チーム”になった瞬間だった。

 

旧整備棟の屋上、無線の傍らで岡崎夢美は静かに腕を組み、ふたりの走りを見ていた。

口元に、かすかな笑みすら浮かべて。

 

『その調子だ、ハーン君、宇佐見君。君たちはもう、スタートラインに立った』

 




ペースノートとは、ただの地図ではない。
そして、車とは、ただの鉄の塊ではない。

初めて言葉を“走り”に変えた日。
初めて声が“速さ”を導いた日。

だがそれでも――クルマは黙ったまま、何も語らない。
だから彼女は、声なき言葉を探す旅に出る。

教授が用意した“次の課題”は、
秘封倶楽部に与えられた一台のマシン。
グループB最後の亡霊――ランチア・デルタS4。

メリーは問う。
「この車は、何を求めているの?」

蓮子は呟く。
「こっちが合わせるだけじゃ、乗りこなせないってことだよ」

マシンとの対話。
それは、もうひとつの言語――

次回、Monte Carlo Mally LEG3「マシンとの対話」
クルマに選ばれる覚悟は、できているか。
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