「はははっ……マジか……マジかよ……本当に……」
未だに目の前の光景が信じられない。
【彼女】だ。【彼女】が俺の目の前に立っている。
全部、全部一緒だ。彼女の紅い瞳も、長い黒髪も、特徴的な黒い装束も……何もかも、俺の中の記憶にあった【彼女】の姿とピッタリ同じだ。
「そうか……そうか……そうなのか……いや、そうか……ははは、夢だって分かってはいるんだが……いや、いやいや……随分と、心に来るな……これ……」
ボロボロと、目から涙が零れ落ちる。
正直、もう二度と会えないものだと思っていたから。
いや、いつもずっと一緒にはいたんだが。
「くははっ……私が居なくて、そんなに寂しかったか?」
「ああ……寂しかった……寂しかったよ……本当に……」
「そうか……そうか……大変だったな」
頭にふわりとした感覚が落ちる。きっと【彼女】が俺の頭を優しく撫でているのだ。
「だが……もう大丈夫だぞ。私が全部何とかしてやる。お前を苦しめる全ては、私が取り除いてやる。そうすれば、お前はきっと幸せに暮らせるんだ」
「……ああ……それは……いいな……いい事だ……」
幸せ。幸せか。何と甘美な響きだ。
「どうする? ここはお前の夢の中だ。好きな事をするといい。前のように、私の話を聞いてもいいし、私と武術の稽古をしてもいい。お前の話を聞かせてくれても構わない。と言うかむしろ聞かせて欲しいな。何せ私も随分と長い事眠っていた」
「……そうか。だが、今は休みたいな。ちょっと、疲れ過ぎた……」
「そうか、休みたいか。なら、存分に休むといい。お前にはそれだけの権利がある、お前はもう十分以上に頑張ったさ」
ふわふわと、体が宙に浮くような。
それでいて、ずぶずぶと沈んでゆくような。
そんな心地いい感覚に包まれ、瞼が重くなってゆくのを自覚する。
「ああ……だから、安心して私に身を委ねろ。もう一度目が覚めた頃には、きっと全部終わってる」
「そう……か……そう……なんだろうな…………」
────じゃあ。俺はここで眠るわけにはいかないな。
「らぁっ!!」
「っ!?」
【彼女】の……否、【彼女】の皮を被った『ナニカ』の腹に、俺は拳を叩き込む。
これが現実世界であれば、こんなクソみたいな体勢から放った拳など碌な威力を発揮しないだろうが、しかしここは俺の夢の中。
十分以上な力を持った拳が、【彼女】の体を牢獄の壁に叩きつける。
「……い、一体……何を……?」
「もうそのつまらん演技はやめろ。気色悪い」
俺は極めて冷ややかな視線を送る。
すると【彼女】の困惑したような表情が、一瞬で無表情へと変貌した。
「………………そうか、もうバレたか。完璧だと思っていたのだがな」
「ああ、完璧だったよ。見た目と声色は。この俺が見違えてしまう程度に」
俺とて、ついさっきまでは本気で【彼女】だと思っていた。
「だがな、お前、俺を利用しようと思っていただろう」
「……ほう?」
「お前の声には、俺を利用してやろうと言う邪気が透けて見えた。俺を用いて何かを為そうという、明確な思惑があった。お前の真の目的は俺の安寧じゃない。あり得ないんだよ、そんな事は」
そうだ。そんな思考を、【彼女】がするはずがない。
【彼女】が、俺を利用しようとするはずがない。
だって【彼女】は、俺を生かすためだけに死んだのだから。
だから、そう。絶対に。絶対にだ。絶対に絶対に絶対に絶対に。あり得ない。
「さあ、正体を顕せ。早くだ。早くしろ。言っておくが今、俺はかなり怒っている。さっさとしないと……潰すぞ」
ギリ、と。空間が軋む。
「ぬ、これは……ほう、よもや純粋な呪力のみで……」
「下らない事をごちゃごちゃと抜かしているんじゃないぞクズが。さっさと正体を顕せと言っているのが何故分からん」
ビシ、と。壁にヒビが入る。
「……ふむ、まぁ良かろう……と、言いたいところではあるが、生憎と今の朕の正体は、この身体であるが故なぁ。正体を顕せと言われても難しい」
「何? …………いや待て、『朕』だと? 貴様、今『朕』と言ったか?」
まるで冷や水を浴びせかけられたかのように、思考が冷静さを取り戻す。
俺の記憶が正しければ、その一人称を使う事のできる人間はたった一人だけ。
それ即ち、『山河の国』のその頂点。皇帝たった一人だけであり、そして現在の皇帝である女帝の一人称は『妾』だ。
と言う事は、つまり……
「然り。朕こそは天帝。『山河の国』が誇る万年の歴史、その全てにおいて最も偉大なる天子にして、悠久不滅の存在なり。貴様らの言うところの先帝よ」
「…………ッ、馬鹿な!!」
そんなわけがない!
先帝は、数年前のクーデターにより、女帝によって殺されているはずだ!
それが、一体何故こんなところに現れる!?
「まぁ、分からぬのも当然であろうなぁ。何せ汝は何も知らぬ」
「ッ、ならば答えろ! 貴様が、何故俺の精神に居る!」
「ふっふっふ……何、そう難しい話ではない。実に簡単な事だ……朕が汝の実の父親であり、汝に幾重にも戒めと呪いをかけたのも全て朕で……汝の体は元々こういう役割として作ってあった……という、たったそれだけのことよ」
「ッッ……………!!?」
絶句、と言うのはまさにこの事を言うのだろう。
あまりにも強すぎる驚愕と憤怒、そして疑念が俺の心の中に渦巻き、何か言葉を発しようにも、激しすぎる感情の波がそれを言葉にする前に消し去ってしまう。
ちょうど、波が砂浜に書かれた文字を掻き消すかのように。
「ふっふっふ……あまりの驚きにモノも言えぬか。であれば朕が貴様の次に言うであろう事を予想してやろう。そうさな、『何故自分をこのような牢獄に押し込め、呪いと戒めで縛ったのか』と言ったところか? 良かろう。話してやろうではないか」
■
切掛はな。朕が見たとある夢であった。
その夢の内容というのはこういうものだ。
ここより遥か東、東の大洋のその中央。
その深淵の底に沈んだ荘厳なる海中大神殿には恐るべき強大な存在が眠っており、今か今かと星が揃い、復活するその刻を待っている。
もし星が揃い、かの旧く偉大な支配者が息を吹き返せば、この星は再びかの者の手中に戻るであろう……と、そういうものであった。
その夢を見た時、朕はそれを天啓であると信じた。
当時より不老不死を求めていた朕に、絶対的な星の支配者になろうとしていた朕に、天がかの存在の肉体を手に入れろと囁いているのだと思った。
故に、朕はその体を手にするべく行動を始めたのだ。
しかし、まともな方法でやろうとすれば、かの存在のあまりの強大さに、朕の精神の方が持ちそうにもない。
だからこそ朕は考えた。考えに考えに考え抜いた。
そうして思い至ったのが、朕の精神に対する苦痛を全て受け止める、別の器のようなものがあれば良いのではないか、というモノだ。
そして実に幸いなことに、我が国にはそれを可能とする術があったので、朕はその方向からかの存在の体を手に入れる方法を模索し、そして考案されたのが、血の繋がりを用いて、朕の子供に全ての苦痛を肩代わりさせるというものであった。
しかし、それには問題が一つあった。それは子供が弱ければ、かの存在の齎すであろう苦痛に耐え切ることが出来ないだろうというものだった。
故に、朕は強い子を作るべく行動せねばならなかった。
地獄のような日々であったわ。
抱きたくもない醜女を何千と抱き、確実に子を孕ませるために、貴重な薬を飲ませ、そしてドブの匂いのするような穀潰しどもを飼ってやらねばならなかった。
その日々が如何に朕に苦痛を与えたか、汝にはわかるまいよ。
あの時はこれも不老不死を手に入れるためと、必死に自身を慰めたものだ。
そして特にあの醜女どもを殺し合わせた時など。
地下に押し込めたというのに、腐臭が玉座にまで届いてくるようであったわ。
全く、穢らわしいことこの上ない。
しかし、その甲斐あって生まれたのが汝よ。
汝は朕の期待通り、強大な呪いの力を伴って生まれてくれた。
いやはや本当に苦労したのだぞ。
さしもの朕もあのような事は繰り返したくない。
故に朕は貴様を丁寧に、丁寧に育て上げようとした。
そのために汝を呪術で縛り、牢獄に保護することで、外敵から守ろうとしたのだ。
しかし……汝はこの厄龍に出会い、牢獄から抜け出してしまったがな。
全く、汝を預けていた家の者がきちんと報告しておいてさえくれれば、再び捕まえて保護してやれたと言うのに……まぁよい。結果として朕はこの身体を手に入れることが出来たのだからな。
……む? どう言うことか、だと?
ああ、何。これも実に簡単な事よ。
朕は万が一の時のために、汝の体にも乗り移れるような術式を刻んでおったのだが、それをこの厄龍が食ったのでな。朕の乗り移る先がこの体になったと言う事よ。
乗り移った当時は酷く微かな、かの存在の残滓のようなものであったが、しかし貴様の溜めた『負』の力を受けて復活したわ。
あとなんか他の残滓も厄龍そのままの記憶を引き継いで復活したようであるが……貴様の今まで受けて来た所業を懇切丁寧に説明してやれば、すぐに表層へと飛び出して行ったわ。
今は必死に汝の仲間を殺そうと躍起になっておるようだが……力の出力を朕が抑制している以上、アレに勝ち目などあるものかよ。実に不本意ではあるが、あの娘は朕の力をよく受け継いでおる。それにあの結界が合わされば、な。
まぁ、アレに残られても邪魔なだけであるが故、アレは汝の仲間に弱らせてもらうとして……
朕が汝の夢を介して汝に語りかけている理由はただ一つだ。
朕に協力せよ。
これは命令ではない。聞き入れて当然であり、命令するまでもない事である、という意味でだ。
何せ、汝はそうなるべく朕に作られたのだからな。
■
俺の目の前で【彼女】の姿をした先帝が俺に手を差し伸べている。
「……巫山戯るな」
抑えられないほどの激情が俺を支配する。
ミシリ、と。【彼女】が軋む音がした。
「巫山戯るのも大概にしろよ、この外道がァ……ッ!!」
「むぅ……」
ギリギリギリギリ、と。【彼女】の体が軋み、罅割れ、砕けてゆく。
それは、俺の持つ純粋な『呪い』の力によるものだった。
血の涙が床に滴り落ちる。
牢獄がひしゃげ、歪み、まるで雑巾を絞るかのように捩れてゆく。
「殺すッ!! 貴様はッ! 今ッ!! この場で、殺すッ!!」
「……チッ、この、親不孝者めが…………ッ!!」
ギチギチギチ、ギャリギャリギャリ。
耳障りな音が響き渡り、ますます【彼女】の体が壊れてゆく。
このまま、押し潰してやる。
俺はそう思い、さらに力の出力を高めようとした。
「だが……甘いわッ!!」
バチン、と音がして、彼女の姿がかき消える。
「朕が死ぬ前より既に準備はほぼ整っておる! この厄龍の力さえあれば、かの存在の肉体を手に入れる事など造作もない! 貴様の肉体などただの保険よ!」
「貴様……っ、クソがぁッ!! 逃げるなッ!! 逃げるんじゃないッ!!」
部屋全体に更なる重圧をかけるが、しかし何処にも【彼女】の姿は見当たらず、ただ周囲に声が響くばかり。
「ふはははははははははははははははは!! もう遅いわ! 星はじき揃う! 至上の星辰が間もなく天を覆う! 狂気と! 恐怖と! 苦痛と! 悲嘆と! 終わりのない災禍が! 我が意によって訪れる! 精々その時を絶望と苦悩に苛まれながら、臍を噛んで待つがよい!」
実に耳障りな残響を残して、先帝の気配は消え去った。
きっと、俺の体の外へと出ていったのだろう。
「がぁっ、〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!! くぅっ、クぅぅぅぅぅぅぅぅぅズがぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
そんな俺の叫びが虚しく響くと同時に、重圧に耐えきれなくなった牢獄が完全に破壊される。
すると、はるか上空の方に何やら明るい光が見えた。
俺は本能的にその光の方へ向かわなければならないと確信し、俺は持てる限り全ての力を用いて上方へと飛び上がった。
そうして、俺の視界は眩い光に包まれ─────
■
「い、一体なんだ!? 何が起きた!?」
「分からぬ! 分からぬが……碌でもない事であるのは確かであろう……!」
セインツのメンバーは、現在の状況を掴みあぐねていた。
いきなりセンの体を乗っ取った何かが倒れたと思えば、いきなりセンの体から濃厚な瘴気を纏った何かが飛び出し、宮殿から飛び出して行ったのだ。
それも、この国を覆っていた全ての瘴気も引き連れて。
「っていうか、センさんは今────」
「ッ!!」
「うわぁっ!?」
オペレーターがセンに目を向けた瞬間。
凄まじい勢いで、今までに見たことも無いような鬼の如き形相を浮かべ、センが跳ね起きた。
「セン!?」
「起きたのか!」
「ここは……『山河の国』か……? 一体何故……」
「説明は後じゃ。そんな事よりもセン、身体に異常は無いか」
「身体に、異常? …………ッ!!」
バッと、センが自分の体に目を向ける。自分が纏った漆黒の『龍装』へと。
すると数秒もしないうちに、センの顔がみるみると絶望の色に染まってゆく。
そうして酷く泣きそうな顔で、センは籠手の嵌った自らの腕をかき抱いた。
「……センさん?」
「……すまん。ちょっと……いや、かなり動揺している。あまりにも、あまりにも色々な事がありすぎて……ッ、そうだッ!」
突然、バッとセンが立ち上がる。
「俺の体から何かが出て行くのは見えたか!?」
「え、うん……あっちの方に……」
「あっち……東の大洋! まさか、まさか本当に……!」
「どういう事だ。一体何があった」
明らかにただならぬ様子のセンに、ノイが声をかける。
「……すいませんノイさん。説明は後でします。舟を出してくれませんか。東の大洋の中央まで。全速力で」
「何故だ」
「説明は舟の中でします。今はとにかく急がないといけません」
「……わかった。総員、全速力で撤収だ」
ノイの命令を受け、その場にいたメンバーは一斉に出口へと駆け出す。
今回の事件は、まだまだ終わりそうに無かった。
ノイ=ヌーフ……トロッコ問題のプロ。或いは精神的脆弱性のないリオ会長。
先帝……倫理観ゆるキャラ。モチーフは始皇帝。とにかく人権を無視することに定評がある。