柚月風鈴と付き合い始めてから、1週間が経過した。
4月も中旬。
新クラスの空気にも馴染んで、ただ一点を除いて、少し新しい生活にも慣れてきた。慣れないただ一つの点、それは柚月風鈴の存在もそうだが、実はそこではない。
外野の存在には、未だに慣れなかった。
正直青嵐は、恋人のひとりやふたりできたところで何も変わらないとは思っていた。
いや、彼の中では色々言いたいことはあるのだが、そういう意味ではなく
───八雲ってのコイツか……思ったより冴えないな……
───うわ羨まし〜〜どんな手使ったん? 教えてくれよ
───別れたら俺とも付き合えるように、いい感じに計らってくれない?
言われたことを少し振り返るだけで、あまり品性がない。これが一人ならまだ理解できるが、複数名から声をかけられて言われたことだった。
これらは、柚月風鈴のそれと違って、対話の余地がない。対話の余地があるだけ風鈴のほうがまだまともだと思わされてしまった。
「……いや、お前本当にモテるんだな。大変だったろう、本当に」
『かつてないほど優しい声してる……。え、どんな顔してるのか見たい。ビデオ通話にしようよ』
「嫌に決まってるだろうが」
そして、そんな近況報告のようなものを夜の自室で行っていた。
スマートフォンを通した声はいつもと少しだけ違っていて、当たり前だが“通話”の温度がそこにはあった。
『ていうか逆にわたしの部屋着見たくない?』
「見たいと言っても見たくないと言っても終わりだろ、それは」
『あは、そうかも』
風鈴は鈴が鳴るようにころころと笑う。
顔は見えないが、きっといつも通りふわりとした笑みを浮かべているのだろう。
『まあでも、ごめんね? 嫌な想いさせたよね』
「このくらいは承知の上だ。問題ない。それに突っかかってくるのは全員男だったからな。これが全員女だったら悲鳴をあげていたかもしれんが……」
『うーん、悲鳴聴きたすぎるけど、たぶん女の子はどっちかっていうとわたしの方が声かけやすいだろうしね』
「それはそうだろうな」
しかし、と青嵐は一拍置いて言葉を続ける。
「さすがに最初だけだと思いたいな、こういうことは」
『物珍しいんだろうね、わたし誰かの告白オーケーしたこととかないし。1カ月もあれば落ち着くとは思うんだけどね』
「1カ月か……」
実際過ごしてみればなんてことはない期間なのだろうが、迎える前だと少し長く感じる期間。
楽しい時間はあっという間だろうが、逆を言えば面倒な時間はより長く感じるだろう。
青嵐は少し憂鬱な気分になっていた。
「まあ、闇討ちされないだけマシだと思うべきなんだろうな」
『お、そんなきみに嬉しいニュースと楽しいニュースがひとつずつあるよ、どっちから聴きたい?』
「この会話の流れで出てくるニュースは悲しいニュースと楽しくないニュースだろうが」
『あは。まず嬉しいニュースはね、きみをぶん殴りたいと思ってそうな女の子がいるって話。闇討ちじゃなくて光討ちだよ、嬉しいね』
「闇討ちの対義語は光討ちじゃないが」
『じゃあなんなの?』
「そう聞かれると困るが…………そうだな、予告襲撃とかじゃないか……?」
『じゃあそれで』
「楽しいニュースは?」
『その女の子から明日お昼一緒にどう? って誘われてるよ』
「本当に予告襲撃だとは思わなかった」
『楽しいよね』
あは、と笑う風鈴の笑い声を無視して、青嵐はため息を吐く。
思った以上に面倒臭く、かつ彼が苦手な対女子が迫られているらしい。
「ちなみに誰だ? その予告犯は」
『こよちゃん。
「あー……」
なるほど、と頷く。
青嵐でも聞いたことがある名前だった。
この学年で一番美人でモテる女が柚月風鈴だとすれば、この学年で
が、当然話したことはなく、人柄などはまったく知らない相手だった。
「……ちなみに襲撃理由はなんだ?」
『
「ああ、やっぱりそういう感じなのか」
『明日が楽しみだね』
「楽しいのはどう考えてもお前だけだろ」
『……あは』
不安を抱きながら他にもいくつかくだらない雑談を聞かされ、その日を終えた。
そして予告通り、翌日の昼休みに青嵐は小和と邂逅することになった。
「……この人が
青嵐は、機嫌の悪そうな少女に、じろじろ胡乱な目で観察されていた。
その少女の名前は、
そして青嵐は、間違っても好意的とは言えないその視線を見つめ返していた。
なるほど確かに、と密かに思う。
雪加小和が最も有名たる所以はその
ふわふわの銀髪に、海より深い青の瞳。
海外の血を引くゆえの特別な色彩は、校内で一際目立つ。色彩だけでなく、その容姿もまるでお人形さんのように整っている。
けれど一番モテる女の座を風鈴に譲っているのは、その体型ゆえだった。
女子高生というよりは、女子小学生。
見たところおそらく平均身長程度の風鈴と比べてもだいぶ小さい。目測だが140そこらしかないのではないだろうか。
そんな小和が可愛らしく唇を尖らせて放った疑問に対して、風鈴は笑いながら頷く。
「そだよ〜。わたしの彼氏、かっこいいでしょ〜?」
「何か弱みでも握られてるんでしょ? 力になるわよ。なんでも言ってね」
「あは。本人の前で言う? それ」
「私陰口好きじゃないし」
じろ、と。
小和は青嵐のほうを流し見して、そしてあたりをも不審そうに見回す。
「ていうか、こんな薄暗そうなところに連れ込んで何するつもりだったワケ?」
「……何と言われても、昼ごはんだが……というかそういう話じゃなかったのか……」
「ここでぇ?」
小和は訝し気に、ざり、と靴裏で砂利を擦る。
薄暗い校舎裏。
日当たりが悪いそこは、心なしかジメっとしている。そして中庭や屋上と違い、ベンチが設けられているわけでもない。
確かに不審に思うのも仕方がないだろう。
「こよちゃん、ここでお昼してるのはほんとだよ」
「……ホントに?」
「ほんとほんと。逆に、この薄暗そうでちょっと人気のない場所で男女が二人きりでいて何をすると思ったの? ん?」
「な、ナニって……!」
「あは」
色白の肌が、朱に染まる。
小和が何を想像しているのかはわからないが、「ちょっと待ったっ!」と先ほど慌てて駆け込んできたことからもロクなことを想像ではないことだけはわかる。
しかし誤解はきっと風鈴が解いてくれるだろう、と青嵐は女子二人を横目にレジャーシートを取り出した。
「……なにソレ」
「あは、レジャーシートだよ。遠足とかピクニックで使うよね。彼が毎日持ってきてるから、雨降らなきゃ基本外だよ」
「……変に混んだとこ行くの嫌いなんだよ」
「屋上は紫外線とか嫌じゃないかというわたしへの配慮もあるんだよねー?」
「ない。だまれ」
見向きもせずに淡々と返し、青嵐は広げたシートへと乗り込む。
「……ホントにお昼なんだ。遠足みたい」
「毎日が遠足なんだよ。こよちゃんお弁当持ってきたよね? 一緒に食べようよ。ね?」
日陰に吹く風の中で、涼やかな笑みを浮かべた風鈴は小和を小さく手招きしていた。
そうして小和は、恐る恐る靴を脱いでレジャーシートの上に踏み入れた。
「お、お邪魔します……」
その声には戸惑いの色が乗っていて、その戸惑いの根源には『なんでコイツと……』という思いがあるのだろう。
その意思表示のように、小和は意を決したように声を張り上げる。
「お、お昼一緒に食べるだけなんだからね! 別に友達になったわけじゃないから!」
「友達の定義にもよるが、おれも昼ご飯を一緒に食べたくらいで友達という意見には賛同できない。いいんじゃないか、友達じゃなくて」
「あは。友達の定義とか言う人久しぶりに見た」
「ふ、風ちゃん!」
「あのねえ、きみは知らないだろうけど、昔こよちゃんも友達の定義とか言ってたんだよ〜。わたしと仲良くなる前の話ね?」
「〜〜〜〜っ」
何気ない風鈴の台詞に、小和は言葉にならない声をあげる。
掘り返されたくない過去なのだろうか、と青嵐は首を傾げる。
「私はそういうクール気取るのやめたの! やめて!」
「えー、でも口にしないだけで“定義”語れそうだけどなぁ」
「……スゥ〜〜」
「語ろうと思えばいくらでも語れるっていう感じの息の吸い方してる」
「……ぁによ」
あはー、と笑う風鈴。
それを見ながら、息の吸い方でも読心できるのかコイツ……と青嵐は内心目を丸くしていた。
「きみも友達の定義とか自論持ってそうだよね。どんな感じなの?」
「わざわざこの話広げるのか……」
「いいでしょ? 聞かせてよ」
「……まぁ、定義と言いつつ曖昧な返答で申し訳ないが、馬鹿なことを一緒にできることとかじゃないか。行っている事象のそれより、精神的なそれのほうが大事だろう」
「おー……意外なようなそれらしいような感じだ……」
ぱちぱち、と謎の拍手が風鈴から送られる。
「こよちゃんは?」
「私は別に……」
「あは。あるくせに」
「…………普通に放課後とか休みの日に一緒に遊べる人は友達だと思うけど…………」
「……」
「だまんないでよ!」
「あは。ごめんごめん」
よしよし、と風鈴は小和の頭を優しく撫でる。
「風ちゃんは? 何かないの? 私たちだけに喋らせてさ」
「わたし? あんまり考えたことないけど、わたしは一緒にいて楽しく話せる子は友達だな〜〜って思うけど」
青嵐は“馬鹿なことを一緒にできる相手”を友達と言って。
小和は“放課後や休日に共に過ごせる相手”を友達と言って。
風鈴は“一緒にいて楽しく話せる相手”を友達だと言った。
そこに優劣の類はなく、ただそれぞれの思考の一端がある。
だが、納得いかなかったのだろう、ふんわりした風鈴の台詞に小和は不満げだった。
「なんかズルい。風ちゃんだけ考えたことないなんて。私とこの人だけ厨二…………ていうかアナタ名前なんて言うの?」
「八雲」
「ふうん、私は雪加。よろしくする気はないからそこのところよろしく」
「そうか、よろしく」
その青嵐と小和の会話を聞いて、風鈴が「あははっ」と吹き出す。
「よろしくする気はないからよろしくって言ってそれによろしくって返事するの面白すぎない?」
風鈴の語尾には笑いが滲み、肩をも震わせている。
「こ、言葉のあやだから!」
「二人とも真顔なのがまた面白いよね」
「だって……!」
う゛ー! と妙な声を発する小動物と青嵐は目が合う。
「最初も言ったけど、だってどう考えてもおかしいもん! 私だって普通に付き合い始めたならおめでとうって言うけど! 祝福なんてできるわけないでしょ!」
「あは。そんなにおかしい?」
「おかしいよおかしいよ絶対おかしい今まで八雲なんて名前聴いたこともないのに急に付き合い始めたのもおかしいし、そもそもずっと彼氏なんていーらないって言ってたのに急に心変わりしてるのもおかしいし、今日まで私も全然知らなかったし、それに風ちゃんって確か好きな人いたよね? ならそれもやっぱりおかしいし───」
「ストップストップ。わかった、わかったよこよちゃん。わたしが想定してた数倍おかしく見えてたのはわかったよ」
鬼気迫る勢いでまくしたてる小和を、風鈴が慌てて止めに入る。
横で聞いていた青嵐も目を瞬いて驚いていた。
これまで話したクラスメイト、あるいは友人たちは、言ってしまえば他人事として彼らのことを扱っていた。「付き合い始めたの? へー、まあそんなこともあるのか?」という塩梅だった。
けれど雪加小和はそれとは全く違っていた。
これはおかしい、というある種の確信を抱いているがゆえの強い否定、拒絶、疑心。
「言っとくけどわたしに好きな人がいたのは中学のころだからね?! しかも中1! いまは
「ん? あぁ……」
慌てた様子の風鈴は、次に青嵐へ弁解をはじめた。
青嵐は何を言われているのか、と一瞬疑問に思ったが、そういえばつい先ほど、小和が「好きな人がいた」というようなことを口走っていた。
なるほど確かに、彼と彼女の今の建前のことを思えば否定しておかないと不自然かもしれなかった。
「別にそんなこと言われなくても気にしない。
「うーん複雑な乙女心を理解してなさそう」
「乙女……あぁいや、そういうことか」
「……うん、何考えてるかはだいたいわかるけど……まあいいや、それで」
乙女心と表現すると不可解さが増すが、要するに恋人関係にある───という建前がある以上、人前では嫌がるそぶりをしないと不自然ということだろう。
青嵐は得心したように頷き、風鈴は複雑な顔でため息を吐いている。
はたから見れば、ある意味仲良さげなやり取り。
事実としてこのような振る舞いで、最近はクラスではカップルとして受け入れられ始めている。
「やっぱりおかしい……」
が、そうは思わない者も当然いる。
「なんで名前で呼び合わないの? 付き合ってるんでしょ?」
「あは。やっぱりそこ気になる?」
付き合いはじめのカップルの距離感くらいは好きにさせろ、と青嵐は思ったが、どうにも小和には受け入れ難いらしい。
信じられないような目を向けてくる。そんなに変だろうか。
「前も言ったけど、付き合ってるのはほんとなんだよ? でもほら、あのときは電話だったけど今は実際に見てるわけじゃない? それでもやっぱり信じられない?」
「絶対この八雲って人に騙されてると思う」
ビシ、と勢いよく小和の華奢な指が向けられる。
青嵐はそれに対して散々な言われようだと思いつつも、実際付き合っていること自体は嘘なわけで、ある種の感心を抱いていた。
見る目があるのだな、と。
青嵐は一つ頷いて、それはさておき、と提案を投げかける。
「話が白熱してるところ悪いが、そろそろ食事にしないか。腹が減った」
「……あは、そうしよっか。こよちゃんもいい? 最後に何か言いたいことある?」
むぐ、と小和は視線を彷徨わせ、一つの台詞を絞り出す。
「お、覚えてなさいよ……! 必ず真相を突き止めてやるんだから!」
「わかった。覚えておく」
「真実はいつも一つだもんねぇ」
まるで探偵のような台詞を吐きながら、小和は指を突き付けてくる。
青嵐には理由がよくはわからなかったが、何故だか妙に目をつけられてしまったようだ。
これから面倒になりそうだ、と小さくため息を吐く。