人には誰しも苦手なものがある。
ピーマンが苦手、なんていうものはわかりやすい例だろうか。苦いから苦手、おいしくないから嫌だという感情。
これはきっと誰しもが理解できる“苦手”の話だろう。
しかし、世の中には一般には理解しがたい“苦手”もある。
例えば、
衣服についている留め具が苦手だという人は確かに存在する。幼少のころから
さらにその理由を深堀りすると、喧嘩でボタンを引きちぎられたことがトラウマであったり、外れたボタンがどこかへ行ってしまうことが不安であったり、あるいはボタンについている穴が集合体恐怖症を呼び起こすであったりということが挙げられたりする。
なるほど確かに、そう説明を受ければ苦手意識が生まれることもわからなくはない。
人という生き物は、理由があれば納得しやすい生き物だ。
けれど、けれど。
逆に、
幼いころにボタンがちぎれた記憶もなく、ボタンを起因として親に叱られた思い出もなく、ボタンを呑み込んでしまった記憶もなく、別に集合体恐怖症を持っているわけではないがボタンは嫌だということもあるだろう。
理由のない恐怖。説明しがたい嫌悪というものは身近にあるものだろう。
先端恐怖症。
暗闇恐怖症。
閉所恐怖症。
高所恐怖症。
血液恐怖症。
海洋恐怖症。
視線恐怖症。
集合体恐怖症。
雷恐怖症。
対人恐怖症。
これらのうちどれかを抱く人は多いだろうが、その理由は「怖いから」とまず恐怖が先立つもので、苦手になったエピソードが先に来ることは珍しいだろう。
なんとなく苦手で、なんとなく嫌で、だから生活がちょっと不便。
その中でも避けられなくても日常にそこまで支障が出ないものだってあるだろうし、避けられはするが遭遇するとダメージが大きいなんて場合もあるだろう。
かくいう青嵐も女性が苦手で、異性恐怖症と形容することが相応しい。
物心ついたときから何となく女の子が苦手だった。甘い香りが苦手だった。柔らかな手が苦手だった。同じ室内の空気の味が苦手だった。
そして苦手になった理由は特にない。
あくまで何となく。
ある日、ある瞬間から苦手だな、と。
ただそれだけだった。
大雑把に人口の約半数いる女性と会わずに過ごすことは難しい。
けれど、彼自身は恐怖症と大仰に呼ぶほどのものだと認識していなかった。苦手意識こそあるが、それ以上でもそれ以下でもないと。
実際、言うほど困ることはないのだ。
ピーマンの味が嫌いなひとはピーマンの見た目が嫌いなわけではない。
集合体恐怖症の人は、たった一つだけ空いている穴が苦手なわけではない。
暗所恐怖症の人は曇り空が苦手なわけではない。
苦手意識にも段階というものがあって、青嵐は異性を見るだけで不快感を抱くほどではなかった。
だから問題なく母や妹とも暮らせているし、問題なく男女共学の高校にも通っている。
そう、これまでは問題なかった。
そしてこれからも、普通に過ごしていく分には特に何の問題もないだろう。
けれど、けれど。
けれど────……
青嵐の家から自転車で25分、風鈴の家から電車経由で20分、駅から徒歩3分の場所に大型のショッピングモールがあった。
ここら一帯で買い物をするなら、とりあえずここに来れば大抵なんでも揃うという場所。また、映画館やボウリング場、ゲームセンターも併設されているため遊び場にも事欠かない。
そのためここら一帯に住む者は買い物に悩んだらここに来るし、遊ぶのにもここに来る。地元で愛される憩いの場だった。
時刻は昼を過ぎた頃。
青嵐はその出入り口の壁に背を預けて、目を瞑って立っていた。
風鈴は、そんな彼のもとに笑顔で手を振りながら小走りで駆け寄っていく。
「待った?」
「9分な」
「あは。正直だなぁ」
ぱち、と目を開けて。
青嵐は、風鈴の姿を認識する。いつもと変わらぬ軽やかな笑みを浮かべていて、今日も無駄にテンションが高そうだ。
「待ったかと聞かれたから答えたが、普通にまだ約束の時間まで10分ある。他意はない」
「うん、だよね。楽しみだった?」
「待ち合わせに遅れるのは嫌いなんだ」
「素直じゃないね」
素直だとか素直でないという問題ではないのだが、それに反論するのも面倒だった。
青嵐は小さくため息を吐いて、ショッピングモールの中へと顔を向ける。
「……少し早いが行くぞ」
「あ、ちょっと待って」
「……?」
訝しげに風鈴のほうを振り返ると、彼女はくるりとその場でまわって、
「何か言うことない?」
悪戯っぽい笑みで、下から覗き込んできた。
「……ふむ」
なるほど、と青嵐は妹と買い物に行ったときのことを思い出していた。
───新しい服買ったんだから褒めてほしいじゃん。褒めろー!
シチュエーションこそ違うが、今求められているのはそれと同じことだと反射的に理解した。
確かに風鈴の姿は目新しかった。
ポニーテールなのはいつもと変わらない。けれど、風鈴の私服を見ることは初めてで、新鮮だった。
白のブラウスに、深緑のスカート。
柔らかなフレアスカートが回った拍子にふわりと広がって、いつもふわりと笑う風鈴によく似合っている。
かばんは財布くらいしか入らないんじゃないか、と言いたくなるような飴色のショルダーバッグ。妹はまだ「鞄は普通にデカい方が良くない?」という思想を持っているが、母は小さなかばんを好んでいる。いわく、「女はそのうちかばんの小ささを求めるようになるのよ」とのことだが、青嵐には本当に理解ができない世界だ。
「風鈴もかばんの小ささを求める年頃なんだな……」
「あは。面白すぎない? そこなんだ」
何が面白いのか風鈴は手を叩きながら、声を震わせて笑っている。
「髪が綺麗だ」
「わぁ……でもうん、そこいつもと変わらないところだよ! ありがとう!」
「服も……なんだ。いいんじゃないか、ちょっと涼しそうで」
「もう5月だしちょっとあったかくなってきたよね」
「スカートは目に優しい色をしてるな。森ガールか?」
「森ガールというものを勘違いしてそうだけど、緑色の服着てたら森ガールじゃないからね?」
「なんだと……?」
青嵐は腕を組み、「調べていいか?」と断りを入れて検索をし始める。
なるほど確かに、色については問われていない。彼には正直調べてもよくわからなかったが、どうやら服の種類などでそれは定義されるようだった。
「……よくわからん」
「うんうん。緑色好きなの?」
「いや、別にそんなことはないが」
「そうなんだ。じゃあ何色が好きなの?」
好きな色というのも難しい。
青嵐はまた眉間に皺を寄せて、自分の見解を述べはじめる。
「しいていうなら身につけるものは青が多い」
「へー」
ちらり、と風鈴の視線が青嵐の穿いている青のジーンズに向く。なお、上半身は白のTシャツだ。
「が、これは名前になぞらえて、幼少期に与えられたものに青色が多かったという背景があり、言い換えるなら馴染みがあるだけだ。好きかと言われると少し違う」
「愛着あるってことでしょ? 好きだよそれは」
「……ふむ」
「あは。青嵐くんは自分の好きなもののことよくわかってなさそうだよね」
「そうか? ……そうか」
好きというものをどう定義するのか、という話である気がする。
嫌いかと問われれば嫌いではないが、好きというほどでもないもの。けれどどちらかと言えば身近にあるもの。
そんな微妙な位置にあるものをどう捉えるか、どう表現するか。
だからきっと、それを“好き”と断言する風鈴は“好き”が広いのだろう。
「緑も好きなんじゃない? 同じ寒色系だよ」
「緑は寒色系ではなくないか……? いや、青と緑が同属であることは認める。青緑色もあるしな」
「ほらね?」
「ほらねじゃないが。いや、別に嫌いとまでは確かに言わないが……」
青嵐は首をひねり、自分の考えを整理する。
「緑に関しては、どちらかというと風鈴に似合っている色だなと思う」
「へ?」
「これは見解が分かれるものだとは思うが、緑は風の色だろう。“風鈴”の名前に先入観があることは否定できないが、風のような風鈴に似合っていると思う」
「おお……」
ぱちぱち、と感嘆の声を漏らしつつ、風鈴は拍手する。
「適当に褒め言葉並べてるのかと思ったけどちゃんと似合うと思ってくれてるんだ」
「おれをなんだと思っている」
「不器用な人。でも嬉しかったから良しとします」
青嵐は眉を顰めて、風鈴は「あは」と笑う。
「じゃあいこっか。せっかくのデートなんだし、楽しまないと!」
「……デートか……」
ショッピングモールへと足を踏み入れていく風鈴の背中を追いながら、青嵐は眉を顰めていた。
「なに?」
「いや、結局どこに行くとかあるのか?」
「ないよ」
「結局ないのか……」
「青嵐くんが『特にない』って言うからだよ?」
「なるほど」
確かに言った覚えがある。特に行きたいところなどはない、と。
そもそも話を遡ると、まず風鈴から「せっかくゴールデンウィークだしどこか遊びに行かない?」と誘われたことがはじまりだった。
つい先日ラーメンを一緒に食べに行ったこともあり、外出(風鈴に言わせるとデート)を共にすることを厭いはしなかった。
けれど、その時ははじめから『ラーメンを食べに行きたい』という明確な目的があった。
では、今度の『遊びに行く』とやらはどこに行くのか?
そこで青嵐は「行くのはいいがどこか行きたいところでもあるのか?」と尋ね、そして「青嵐くんが行きたいとこに行きたいな。どこでも着いてくよ?」と風鈴が答えた。
そして話は戻り、「特にないならモール行こうよ」と言われ、今に至る。
「ていうかさっきも思ったけど、青嵐くんって好きなもの少ないというか好きなものを好きって自覚してないよね」
「……そうか?」
「うん」
当たり前の話として、自分のことを一番理解しているのは自分だ。
言葉に起こさないと気持ちは伝わらない。それは至極当たり前のことだが───、
「自分の気持ちを一番理解してるのはおれだ……って感じの顔してるね?」
青嵐はそこで目の前の異性が読心術の使い手であることを思い出した。
「……!」
「あは。だから青嵐くんってわかりやすいんだよ。逆に聞くけど、わたしが思う“青嵐くんの好きなもの”と“青嵐くんが思う自分の好きなもの”ってどっちが正しいと思う?」
「……いや、それはさすがにおれのほうが正しいだろう」
「絶対わたしのほうが正しいよ」
「これまた尊大な……」
ふふん、と胸を張る風鈴は自信に満ち溢れていた。
他人のことでここまで断言できるのは才能だな、と感心するしかない。
「今日は青嵐くんが好きなものを挙げろって言われて100個挙げられるようにすることを目標にしています」
「仮にもデートですることか? それが」
「いいでしょ、ちょっと楽しそうだし」
「……まぁ風鈴が楽しいならいいが」
「わたしは楽しいよ」
デートというものは普通そうじゃないとは思いつつ、青嵐はため息を吐く。
こういうとき、風鈴に反論をしてもあまり意味はない。なにはともあれ何か二人で楽しめることを一から考えるのであれば一旦ゲームセンターに行くか映画館にでも向かうのが無難なのだろうか、と青嵐は考える。
青嵐が提案をする前に、風鈴は指をピンと立ててにこりと微笑む。
「とりあえず1階から全部の店舗まわっていこっか」
「正気か?」
しかし、柚月風鈴という少女はいつだって八雲青嵐の思う通りにはいかない。
今日も今日とて耳を疑うような提案を、平然と口にする。
まず1階の入口すぐにあったのはカフェだった。
彼らは昼過ぎに集まっており、昼食は共に済ませている。まさか入るのか? と彼が
青嵐はひっそり、ここも緑だなと思った。
次に隣接する
「本当に見て回るだけなんだな……」
「ほしいものがあれば買ったっていいけど、でもこういうの見て回るの楽しくない?」
「そうか……?」
「例えばほら」
指差した先には、ドがつくほど大きなクッションが見本で展示されていた。
人間の体ひとつくらいなら軽く呑み込まれそうなそれに、風鈴はてこてこと寄っていき、「こういうのいいよねぇ」とはにかむ。
「青嵐くんちにこういうのある? うちないんだよね」
「うちもないな。せいぜいソファのところに抱えられるサイズがあるくらいだ」
「やっぱり? なかなか難しいよね。ほしいけど、ちょっと置き場所にも困っちゃうし」
でも、と。
「だから見るだけでも楽しくない?」
しゃがみこんで、こちらを振り返る風鈴は楽し気に笑っていた。
「確かに、普段と違うものを見ることは脳の刺激にいいと言う」
「うん?」
「旅をすること。普段と違うものを食べること。非日常というものは脳を若くするらしい。アルツハイマーの予防にもなるとか」
「あは。ただのショッピングだよ?」
「自分ひとりじゃ見ないものを見ることになるんだ。一緒だろう」
青嵐も腰をかがめて、商品説明のパネルを読む。
立ち止まってこういうものを読むことも、きっとある種の脳刺激だろう。青嵐ひとりなら絶対に『どうせ買わない』と一瞥しただけで通り過ぎていた。
そんな風に淡々としている青嵐を見て、風鈴はまた一つ笑みをこぼす。
「じゃあもっと色んなもの見ていこうね、おじいちゃんっ」
「誰が爺だ」
「自分で言ったんでしょ」
ルームフレグランスのコーナーで好みの香りを探して、青嵐はグリーン系の香りが好みと判明し、風鈴は「わたしはローズとかフローラルなのが好きかなあ」と言って。
スリッパのコーナーで買いもしないのに好みのスリッパを選んで、お互いの足のサイズを知って。
カレーのコーナーでカレーの辛さ、具の好み、食べる量の話になり、「カレーににんじんは必須だろう。甘くて旨い」「え、にんじん一番いらないんだけど」と揉めて。
お茶のコーナーで好きなお茶、家で飲んでいる茶葉の話をして「麦茶」「あ、わかる」と意見が一致し。
お菓子のコーナーでは「甘いものは単体で好き嫌いというより、珈琲と一緒に食べると旨い」「……?」「珈琲の旨さを引き立てるための甘味という言い方のほうがいいか?」「……?!」と言われ甘党の風鈴は戦慄することになり。
他にも様々なものを見て、他愛のない話をして店の中を巡っていた。
ひと段落したところで、不意に青嵐は腕時計に目を落とす。
「……ところで今日は全店まわるとかほざいてたが」
「うん」
「もうここまでで1時間半経ってるぞ」
「え、うそ」
風鈴は青嵐の腕時計を覗き込み、「わぁ」と目を丸くする。不意の接近に青嵐も内心驚いていたが、それは意識的に呑み込んだ。
もしかするとこの女は青嵐が異性を苦手としていることを忘れているのではないだろうか。良くも悪くも慣れてきているのだろう。困った話だった。
「由々しき事態だよ、青嵐くん」
「確かに由々しき事態ではある」
「そうだよね……このままだと日付またぐまでショッピングすることになるもんね……」
「日付またぐ前に閉店するだろうがという真っ当な突っ込みはさておき、おれは今“女性の買い物は長い”という言葉の意味を理解させられている」
「お母さんと一緒に買い物したりしないの?」
「母は……ないな。母と買い物に来るときは大抵買うものが決まっていて、荷物持ちとして駆り出されるときだからな。妹はそれと比べたら長いがここまで長くはない」
「妹いるの?」
「いる」
「何歳?」
「13歳」
「13……だと中一……?」
「中二だな」
「一緒に買い物してるんだ。仲良いね」
「仲は良くない。おそらくうちの妹はおれのことを財布だと思っている」
「仲良いね」
「……」
「『仲良くはないって言ってるだろ耳ついてるのか?』って顔してるけど、一緒にちゃんと買い物来てるのは普通に仲良い気がする」
「耳ついてるのかは暴言だろ。さすがに言わん」
「じゃあ『ちゃんと話聞いてたか?』くらいにしとく?」
「なんの修正なんだ……」
歩きながら店を出て、これからどうする? と立ち止まる。
「どうする? 休憩する?」
「別に疲れてはないしどっちだっていいが、入るか? すぐそばに座れるところ……座れるか? 満席じゃなければ入ったっていい」
すぐそばには、先ほどメニューを見るだけで終わったカフェがあった。
ゴールデンウィークというだけあって、店はずいぶん混み合っている。外から眺めるだけでは空席があるのかもわからない。
「席なかったらそのあたり座って飲もうよ」
店を外から睨む青嵐とは逆のほうを向いて、風鈴はモール内にある備え付けの椅子を指差す。
「ああ、そうするか。サブプランも充実してるな」
「あは、なにそれ」
案の定都合よく2人席は空いていなかったため、飲み物だけ注文してモール内の備え付け椅子へと彼らは座った。
青嵐と風鈴は2人ともメロンフラペチーノを頼んでいた。
注文の時から意外そうな顔をしていた風鈴は、2人きりになってから首を傾げて尋ねる。
「珈琲じゃなかったの?」
「普段はな。今日は好きなものを探す日にしろとそっちが言ったんだろう」
「あ、それで?」
ふーん、と風鈴は目尻を下げて微笑む。
「あ、おいし」
「思ったよりデザートだな、これは」
「ね」
青嵐は淡々と味を評価しながら飲み、風鈴はほっぺたを落としそうなくらい喜んで飲んでいた。
「どう? おいしい?」
「甘い」
「あは、直球」
「甘いは甘いが果肉の存在感も確かにあって、思ったよりくどくない。確かホイップ抜き? だとかにもできるんだろう。そうしたらもっと飲みやすくて好みのバランスになるかもしれないな」
「甘いの得意じゃないなら抜いとけばよかったね」
「オリジナルを一度も味わってないのにカスタマイズだと……?」
「別によくない?」
まあ確かに別に構いやしないのだが、なんとなくそういう行為は面白くないなと眉を顰める。
「……まぁ、別にホイップがあっても悪くない。甘いものはエネルギーになるからな」
「ならよかった」
「メロンの果肉のところはシンプルに旨いな」
「でしょ?!」
何故か我がことのように風鈴は喜んでいて、青嵐は目を瞬く。
「わたしが好きなものを好きになってくれたら嬉しいでしょ」
「……そうか?」
「次の期間限定出たらまた一緒に来ようね。今度はホイップ抜きとかしてみたら?」
「……気が早いな」
「言いたいことはわかるけど、つまんない方向に先のことを考えててもつまんないでしょ」
それは何気ない台詞だったが、青嵐にとってはわかりやすくて胸にストンと落ちてきた。
発想の飛躍かもしれないが、青嵐はどちらかというと保守的な思考をしていて、つまりは『つまらない方向』に物事を考えることが多い。
逆につまらない方向に先のことを考えないから、きっと彼女は魅力的なのだろう。
彼女はいつもつまらないものを
「……言わんとすることはわかるがちょっと癪だな……」
「え、なんかごめん」
「たまに人によって見てる世界というのは違うんじゃないかと考えるんだが、やっぱり違うのかもしれないな」
「なんの話?」
「風鈴はいわゆる……おもしれー女? と言うのだろうなという話だ」
「少女漫画の主人公になっちゃった」
大真面目な調子で青嵐が口にした言葉に、風鈴はくすりと笑う。
「人生で一度はおもしれー女って言われたいなと思ってたんだよね。夢が叶っちゃった」
「どんな夢だ」
「女の子は誰だって男の子におもしれー女扱いされたいと思ってるんだよ?」
「そんなわけないだろ……」
「うん。嘘」
あは、と風鈴は笑って。
こいつ、と青嵐は眉間に皺を寄せる。
そんな風に二言三言交わしている最中、ふと青嵐はとあるものを目にして「ん」と声を漏らす。
「どうかした?」
青嵐の声に反応して、風鈴もまた青嵐の視線向く先に視線を送る。
「次あそこ行く? ご当地のお土産とかって嬉しいよね」
「いや……別に見に行くのは構やしないが……」
彼らの視線の先にあるのは、いわゆるご当地フェアだった。北海道、沖縄、福井、愛知などなどの各所のお土産がずらっと並べられている。
土地柄を感じるものがきっとあって、比べて眺めるのは面白いだろう。
しかし、青嵐が目に留めたのはそこではなかった。
「たぶん、迷子だなあれは」
「え?」
風鈴は怪訝な顔で隣にいる青嵐の顔を見つめる。
確かによく見るとフェアのコーナーに、ぽつんと一人で商品を眺めている男の子がいる。けれど、少し離れた場所に親がいるのかもしれないしはぐれたかどうかはわからない。そもそも後ろ姿しか見えないし、ぐずっているようにも見えないし声も聞こえない。
風鈴にはとても迷子であるようには思えなかった。
「そう……?」
「なんとなくな。別に自信はないが」
商品を眺めてはいるが手に取る様子はなく、と思えばきょろきょろとあたりを見回して、また少しずれた場所の商品を眺めている……振りをしている。ように青嵐には見えた。
その所作は幼い子には不釣り合いなように思えるが、しかし子供だからと言って思考が幼いわけではなく、親に迷惑をかけないようにしようなどということは考えるものだ。
泣いたほうが目立って親が見つけやすくなるということを考えると、見つけづらくなるその気遣いは逆に子供らしいとも言える。
「じゃ、行ってくる」
「どこに?」
「あの子のとこ」
「いや別にそれっぽいと言っただけで確定はできないぞ。間違ってたら不審者まっしぐらだが」
「青嵐くんは迷子見つけるの上手いから」
だから合ってると思うよ、と言わんばかりの調子で風鈴はすくっと立ち上がる。
ほんの少し残っていたフラペチーノを啜って、そばにあったごみ箱へ入れ、悠々と歩き出す。
青嵐はあっけにとられて、風鈴を見送る。
確かに迷子だと思うと口にしたのは青嵐だが、風鈴自身は訝しげにしていたし、今のご時世知らない子に話しかけたら不審者扱いされても文句は言えないだろう。
「……はぁ」
一歩遅れて、青嵐も立ち上がって歩き出す。
風鈴は男の子のそばにしゃがみ込んで、話しかけていた。
「わっ。ね、何見てるの?」
「───っ」
100人いれば100人が可愛いと言うであろう容姿端麗を極めた女子高生に話しかけられて、少年はぎょっとしていた。
目を見開いて、一歩後ずさっている。
青嵐はそれを見て、わかるぞ、と静かに頷いていた。突然屋上に呼び出されたときの彼と心情としては少し似ているかもしれなかった。
「……だ、誰?」
「あは。……こういうときなんて名乗るべきなのかはわからないけど、通りすがりのお姉さんだよ。柚月おねーさんと呼びなさい。きみは?」
「不審者に名乗る名前は───……」
ムッとした様子の少年は、はっとした様子で周りを見て「こっち」と風鈴を手招きする。
その仕草を見て、なるほどな、と青嵐はますます確信を深める。
ここはショッピングモールで、売り場のまわりでは当たり前だが人目が避けられない。現に声こそ上がらないものの、『なんだ……?』という訝しげな目が少年と風鈴に降り注いでいた。
出遅れの青嵐は仲間はずれである。
ともあれ、風鈴のことを不審者と言いながら周りの目から逃げることを優先しているのはやはり、あの周辺に親がいないことを意味しているのだろう。
「で、アンタ誰? ……ですか?」
「あは。不審者って呼びながらお話はしてくれるんだ」
「不審者に名乗る名前はありませんが、年長者は敬うようにと先生が言ってました」
「あぁ、少年の中ではそういうことになるんだね」
喧騒から少し離れて、改めて風鈴と男の子は向き直っていた。
ややひねくれた男の子の言い回しに風鈴は微笑み、そして青嵐もようやく合流した。
そして男の子は不審者がさらに追加され、警戒心を露わにしていた。
そんな少年の緊張をほぐすように、風鈴は目線を合わせてニコリと微笑む。
「ところで少年、お母さんやお父さんは? はぐれたのかな?」
「……っ」
「実はお姉さんは不審者じゃないんだよ? 後ろのお兄さんは不審者だけどね? だから緊張しないで大丈夫だよ」
「おい」
「確かに後ろの人はマスクもしてるし目付きも悪くて不審かもしれない……」
「このガキ……!」
「でもその理屈だと、そのお兄さんと一緒にいるお姉さんも不審者じゃないの? 樽一杯のワインに一滴の泥水を入れればそれは樽一杯の泥水になる───って言葉を知ってる? つるむ相手は選んだほうがいいよ」
フッ、と鼻で笑う少年を尻目に風鈴は青嵐へこそっと話しかける。
「言われてるよ青嵐くん」
「嬉しそうに囁くな」
「わたし単体なら不審じゃないらしいよ」
あはー、と楽しげに笑う風鈴を少年は見ていた。いや、目を奪われていたが正しいだろうか。慌てて背けてはいるが、その頬には朱色が差されていた。
目を背ける行為は照れ隠し。
衆人の目から離れるように振る舞ったこと。
きっと不審がどうとかいう話は建前で、本当は『親とはぐれた』ということを目先に突きつけられるのが嫌なのだろうな、と青嵐は何となく悟った。
「……ふむ」
「あ、なんかよくないこと考えてそうな顔してる」
「いいことを考えた。まぁ見てろ」
青嵐は少年に語りかける。
「坊主、小さいのにずいぶん頭が回るらしいな。
おれの予想も混じるが、ここらにいたのははぐれた場所が近くというのもあったんだろうが、出入り口が近いというのが第一だろう。
であれば、どうやっても時間経過で親を見つけることができるという寸法だ」
「……ふん」
「図星だな」
「ぼくがはぐれたんじゃなくて母さんが迷子になったんだよ」
「……そうか。いやまあ。なんにせよもっと効率のいい方法あるぞ。名前なんて言うんだ?」
「…………ソーマ」
「ソーマか。かっこいい名前だな」
青嵐はよし、とうなずいて周囲を見渡す。
ゴールデンウイークの喧噪に満ちたモール内では、人が行き交いすぎて特定の人を見つけることなんてできやしないだろう。
だが見つけられないなら見つけてもらえばよいのだ。
すぅ~~、と肺に空気を取り込んで。
「───むぐ」
「ストップストップストップ! おっきな声出すのは不味いよ」
「むぐむぐ、むぐ」
その青嵐の口元を手のひらで覆った風鈴によって、何も話せなくなってしまった。
「あ、ごめん」
「窒息して死ぬかと思った。おれは鼻呼吸はしない主義なんだ」
「ごめん窒息する前にその主義やめれる?」
マスクの下を襟元でぐいっと拭いながら、青嵐はパッと距離を取った風鈴をにらむ。
「ソーマくんもおっきな声出されちゃやだもんねー?」
「う、うん……」
「でもどうしよっか。今更だけど一緒に来たのってお母さん? どんな服着てた? …………ふんふん」
不審者扱いされていたがゆえに交わしていなかった今更ながらの問いかけ。
少し、ほんの少しだが一緒にいて警戒心が薄れたのだろうか。
あるいは、少年の中にあった不安を、風鈴の柔らかな笑みが解きほぐしたのか。
最初に不審者扱いしていたのはなんだったのかと言いたくなるくらいに素直に、少年は風鈴へとぽつりぽつりと話しはじめる。
「青嵐くん青嵐くん、聞いてた?」
「ん。ああ、いや。なんだって?」
「ソーマくんのお母さん、背が高くて髪が長くて赤い髪で赤い服だって」
「死ぬほど目立つ見た目してるな」
「ね。結構普通に探せそう───、ってあ」
声を漏らした風鈴の視線の先には、人混みの中でもひと際背の高い赤髪の女性がいた。
「母さんっ」
ソーマは声を上げて、母親とおぼしき女性へと大きく手を振る。
「ソーマっ」
赤髪ファンキーお母さんは、その外見とは裏腹に優し気な顔つきで、されど慌てた様子で駆け寄ってきた。一目で状況を理解したのだろう。ソーマの横にいた風鈴へ、ぺこりと頭を下げる。
「すいません、わが子が……」
「あぁ、いえいえ! 無事に再会できてよかったです!」
子を抱きしめる母を見てにこりと風鈴は微笑む。
その光景を青嵐はなんだか蚊帳の外にいる気分で、ぺこぺこと頭を下げながら去っていく親子の姿を眺めていた。
「……いやぁ、良かったねぇ」
「風鈴が不審者扱いされたときは正直ちょっと面白かった」
「あは。それはそう」
親子の姿が見えなくなるまで小さく手を振り続けて、そのあと青嵐と風鈴は改めて向き直る。
「でもやっぱり、青嵐くんってああいうとき大胆だよね」
「ああいうとき?」
「たぶんだけどおっきな声出してどうにかしようとしてたじゃない?」
「あぁ……」
何のことかと思えばそのことか、と青嵐は先ほどのことを思い返す。
口元を覆われたが故に発声できなかったが、それがなければ確かに大きな声で「ソーマくんの連れの方いませんかー!」などと叫んでいただろう。
「でも結局風鈴の判断が一番正しかったな。今思うとどうかしてた」
「わたしも思わず止めちゃったけど、でもあれでもたぶんどうにかなってただろうし、別にあれでもよかったんだろうけどね」
「どうだか」
ふう、と小さくため息を吐く。
「あ、疲れちゃった? 青嵐くん子ども苦手そうだもんね」
「まぁそれもあるが……若干自己嫌悪発揮しているのはあるな。思いのほか何もできないもんだ」
「そんなことないと思うけどな。わたし一人だったらそもそも迷子に気づかなかったと思うし」
「気付いたところでおれ一人だったら何もしなかっただろうしな」
「あは。じゃあいいコンビだってことで」
そう言われて、青嵐はむむ、と言葉を詰まらせる。
捉え方によっては片方が欠ければどちらも何もできなかったとも言えるかもしれない。それをわざわざ否定する気にもなれず、やれやれと嘆息を吐く。
「…………まぁ、いいか」
「いいよいいよ」
「気を取り直してさぁいこー。時間はいくらあっても足りないからね」
「全店舗行くとかいう戯言を本気でやろうと思えば確かにいくらあっても足りないだろうがな」
「馬鹿みたいなことを本気でやるから楽しいんでしょ」
よく笑って、前向きで、全部を楽しそうとする風鈴の姿は眩しかった。
あんまりにも眩しくて、あんまりにも眩しいから、青嵐は少しの罪悪感に苛まれていた。
ソーマに対して何もできなかった。そう思っていることは事実で。
だけど彼が落ち込んでいる理由は、そこにはなかった。
前を軽い足取りで歩く風鈴の目を盗んで、マスク越しに口元を手のひらで覆う。先ほど不意に、ここには風鈴の手が触れていた。
彼は
生理的嫌悪感、とでも呼ぶべき不快な気持ち。
それが自然と心の奥底から滲んできてしまっていて。
それを理由に、青嵐は落ち込んでいた。
もちろん言うほど気分が悪いわけではない。彼は異性が苦手だと言っても、漫画のように驚くほど拒絶反応が起きるわけではない。
だから別に、苦手意識の発露という点で見れば大きな問題はなかった。
けれど。
けれど───、身近にいる、親しくなった異性への生理的な嫌悪を抱いてしまうことは。
少し悲しいことだな、と青嵐は思ってしまって。
だから彼は、落ち込んでいた。
「嫌いになりたくない、か」
「ん?」
「好きなものを増やすキャンペーンなんだろ、今日は」
「あぁうんそうそう。どう? 調子は」
「ぼちぼちだな」
「それはよかった! じゃあとりあえずちょっとそこの服見に行こうよ」
柚月風鈴のことを心の底から好きになりたいな、と。
女が苦手なんてつまらない理由で、彼女のことを嫌いたくないな、と。
首筋をぽりぽりと掻きながら、青嵐は楽し気に先を行く風鈴の後を追った。