紙飛行機が偽りの恋を連れてきた。   作:夜桜さくら

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第三話 「あのね、」

 

 

 翌日登校して訪れた教室は、どこか色褪せた光を帯びているようだった。

 東側の窓から差し込む日差しは、確かに初夏の熱を帯びていた。机の上には熱が移り、手で触れると暖かい。

 その褪せた視覚と暖かな触覚の差は、きっと風鈴との別れに心が傷を感じているからなのだろう。

 青嵐はそう自覚して、そんな自分自身に驚いた。

 

 教室の対角位置には風鈴の席があって、すでに彼女も着席している。どうしたって意識せざるを得ないが、波立っているのは青嵐の心中だけで、教室の喧噪はいつも通りだった。

 

 不意に、風鈴が振り向く。

 それはあるいは青嵐のほうを見たのではなくて、ただの偶然だったのかもしれないし、別の何かを見ていたのかもしれない。

 けれど反射的に顔をそむけてしまった彼には、真偽のほどは定かではなかった。

 

 やがてチャイムが鳴り響き、授業がはじまる。

 テスト期間が近いこともあって、授業もテストを意識した内容になってきている。面倒だという気持ちこそあれど、結局それも日常生活の一部でしかない。

 日常。

 何が起ころうとも、日々は続いていく。

 

「なー青嵐、もしかして柚月さんと喧嘩したん?」

「喧嘩……まぁそうとも言うかもしれんな」

「はよ仲直りしーな」

 

 朝春に指摘をもらった際には驚いた。

 一週間、二週間と月日が経てば違和感を指摘されることは予想していた。教室で、廊下で、帰り道で。青嵐と風鈴は最近ずっと一緒だった。

 それが急になくなれば不思議に思われるとは思っていたが、しかし別れた翌日の、さらに午前という早い時間に言及があるとは思っていなかった。

 

「…………喧嘩か」

 

 青嵐は頬杖をついて、窓の外を眺める。

 確かに何も言わなければ、最初はただの喧嘩に見えるのだろう。

 

 そして、状況に変化がないまま数週間が経過した。

 関係に変化がなくとも、時間の経過は確かに存在している。

 

 ゆえに、最初は揶揄うようなことを言われたりもしたが、時間の経過に伴って「あ、この二人もしかして……」という察したような空気になって、彼らの関係については、誰からも触れられないようになった。

 青嵐が風鈴と出会う前の、日常が戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

✿ ❀ ✿

 

 

 

 

 

 

 放課後の教室。

 雨のカーテンがかかった窓の向こうには、鈍色の雲が広がっている。雨音も相まって、取り残されたような気分だった。

 正直青嵐は雨具を忘れるタイプではない。かばんの中には折り畳み傘もあるし、今日は下駄箱には雨合羽も入れてある。

 けれど最近はずっと、帰りの時間をズラしたくて居残ることが多い。彼は自転車で彼女はバスゆえに、あまり意味のある行為ではないが、下駄箱のあたりでかち合うのは御免だった。

 

「なんで雨ってこんなジメっとすんだろなー」

「雨が降ると湿度が上がるからという回答は求めてなさそうだな」

「それがわかんないんだよな。だってそうだろ? 冬だって湿度70とか90とかいくときはあるだろ、たぶん。でも別にジメジメした感じなくね?」

「……なんで『雨がジメっとするか』ではなくて、なんで『夏場の雨がジメっとするか』か」

 

 ちなみにその疑問の答えは簡単で、同じ90%でも夏場の空気の方が多くの水分を含むからである。

 とはいえ、そんな問答に実際のところ意味はない。

 気持ちの悪さについ口をついただけで、豊は別のことに夢中だった。

 

「───っと、それ無効な」

「ム」

 

 豊は相槌を打ちながら、ニヤリと唇を歪め、机の上に広げた伏せカードを表に返す。

 最近教室に居残る青嵐に付き合ってくれるのが豊だった。どうせだったら遊びに付き合え、とカードゲームなりボードゲームに興じている。

 

「じゃ、俺のターン。魔法カードの『黄金瞳-ルミナス・アイ-』を発動。何かあるか? ないならそのままサーチ。デッキの『黄金』カードを一枚手札に加えて───……」

「おい、加減しろ」

「余裕でしてるんだわ」

 

 もともと青嵐の今使っているデッキも豊が持っているものを借りたもので、つまりは青嵐はあまりカードゲームの経験値が高くはない。

 経験者がちゃんとデッキを回すのであれば、成すすべがなかった。

 

「……───んで、最後に全モンスターでダイレクトアタック! 乙~」

「ぐぅ……」

「デッキパワー的にはそっちのほうが普通に今の環境だし強いんだけどな。まぁやっぱ回し方熟知してないとキツいか。ルールややこしいもんな」

「正直意味不明だった」

 

 カードを片付けながら、青嵐は降参の意を込めて小さく首を振る。

 

「まだ雨止まなさそうだし、もう一戦くらいやるか」

「の前に、ちょっとテキスト読みこませてくれ。正直全然わからない」

「OKOK」

 

 青嵐は手元のカードとにらめっこをはじめ、豊は眠そうにあくびをする。

 

「雨止まねえかなぁ」

「今日はずっと降るみたいだが、待ってれば多少は弱まるだろう。というか、傘貸してやろうか。レインコートあるから別にいいぞ」

「干したり返すのめんどいから濡れて帰るわ」

「そんなに面倒か? まぁ土砂降りというほどでもないし、好きにすればいいとは思うが」

「雨に濡れるのあんま嫌いじゃねえんだよな、そもそも」

「珍しいな」

「変にジメジメするより潔くずぶ濡れになった方が気持ちくね? つってもこの程度の雨だとずぶ濡れまではいかないだろうけど」

「シャワーか何かだと思ってるのか?」

「ああ!」

「健康に悪いからやめような」

「俺は自分の目で見たもの以外信じないんだよ。てか、別に口の中ちょっと入っても変な味とかしないじゃん」

 

 雨水は浄水ではない。

 本来汚いものではないが、その地域の大気によっては汚れている。しかし雨の汚れというものは目には見えない。味覚が優れていれば飲料水との違い程度はわかるかもしれないが、それは雨の味が害を持つことを検知しているわけではない。硬水と軟水という区別が一番わかりやすいが、口にできるものだからとて同じ口当たりにはならないからだ。

 

「一般論として味どうこうではなく雑菌という概念がこの世に存在していることは伝えておきたい」

「噂には聴くよな、雑菌」

「噂で片付けるな」

「俺頭わりーからよ雑菌とか雑草とか雑魚とか雑種とか雑貨とか雑学とか…………雑のつく単語ってあと何がある?」

「結構出てきたな」

「へへ。漢字の書き取りなら任せてくれ」

 

 雑談、というものは連想ゲームの側面を持ち合わせている。

 『ていうか』『そういえば』などで話題の転換が行われ、『そうじゃなくて』『話戻すけど』で話題が戻り、それらをミキシングビルドすることで雑談(・・)となる。

 行く宛のない会話。

 ただ楽しいからしているだけの会話。

 雑菌の話ではなく、雑のつく単語の話に自然と変わったが、雑談というものはこんなものだろう。

 言葉を交わすだけでも人はオキシトシン、セロトニンなどのホルモンを分泌させるという。

 青嵐は議論をする場合は結論のある話運びが好きだ。しかしそれはそれとして、日常的には結論のない取り留めのない会話も好きだった。

 それを自覚したのは比較的最近だが、自覚するのと無自覚であることには大きな差がある。

 その気分の赴くままに、青嵐は「そういえば」と口にする。

 

「今回漢字の読み書き意外と多かったな、テスト」

「あー、国語? 確かにいつもより多かったかもな。でもまぁそこそこできたぞ。俺は漢字には強いんだ」

「すごいな」

「まぁてか、傷心中の青嵐くんのコンディションが悪かっただけじゃねーの? ───今のお前は、精彩を欠いている……!」

 

 少し劇調に、決め台詞のような感じに豊は言葉を口にする。

 青嵐にはネタがあるのかどうかもよくわからなかったが、最近集中を欠いていることは事実であったため、ぐぅの音も出なかった。

 

「事実として今回は点数ボロボロではあった……」

「カラオケでも行くか? デケェ声出すとスッキリするかもよ」

「もう試した」

「ま?」

「あとそれから全力疾走、大食い、銭湯……思いつくストレス解消はだいたいやったな」

「銭湯いいな」

「だろう」

 

 広い風呂というのは、それだけで元気が出る。これはもう誰にでも通ずる論理だろう。

 

「てか、やっぱり引きずってるんだな」

「…………引き摺っても仕方ないという自覚はあるんだが」

「いいじゃん。人間ってのは大事なものをどれだけ脳みそに溜められてるかで魅力が決まるんだぜ。サパっと捨てられる奴より俺は情けない奴の方が好きだ」

「なんの台詞だ?」

「───って漫画に出てくる───…………」

 

 嬉々として語る豊の話を聞きながら、青嵐は笑みを浮かべる。

 

「てかそれはどうでもいいんだけど、結局なんで別れたんだ? モヤり続けてるんなら聞いたるぞ」

「そうだな……」

 

 他人に言っても仕方ないというのが青嵐の心情ではあるのだが、しかし事実として人に話すという行為には意味がある。

 話すという行為は、心の荷物を共有することに近い。それは喜びもそうだし、悲しみもそう、愚痴もそうだし、あらゆる感情の荷が該当する。共有をすることで、正の荷は大きくなって、負の荷は軽くなる。

 

「振られた理由、説明するならなんなんだろうな。端的な言語化が難しい」

「なんか怒らせたとかシンプルに面白くなくなったとかそういうんじゃねーの?」

「! まさしくそれだ。すごいな。見てたかのようだ。面白くなくなったとは言われ……言われ……あれは言われたうちに入るのか……?」

「まぁ青嵐仏頂面だったりするもんなぁ」

「おかしいな……味方であるはずの相手からも刺されている……」

「そうは言ってないだろ。わかりづらいとは思うけど。実際つまらんって言われて振られたんか」

「いや。……まぁ経緯的にはあれだな。たまにおれ発作というか気分悪くなるだろ」

「あー、俺の姉貴とかに絡まれたときもぐったりしてたな。まさかそれか? そういう感じ?」

 

 昔豊の家に遊びに行ったとき、彼の姉には腕ひしぎ十字固めの練習台にされたことがあった。

 あのときはシンプルな暴力に屈したのもあり、長時間寝込んだものだった。青嵐はまだ酒を飲んだことはないが、きっと二日酔いの苦しみというのはあぁいったものなのだろうと当時感じたものだ。

 

「まぁそうだな。そういう感じになった」

「残当。付き合ってる相手にそれされたらまぁ冷めてもしゃーないわな」

「それはそうだろうな。まぁでも……」

 

 青嵐は、当時のことを想起する。

 

 ───や、さすがに体調悪くなるまでさせてるかと思うと、わたしも楽しくないし

 

 そう、彼女はそう言っていた。

 

「冷めたというか、あれは気遣いの一種ではあったんだろうなとは思う」

「ふーん」

「ふーんて」

「いや、続きは? じゃあなんで別れたんだって話になるだろ」

「なんでって……」

 

 そう問われて、青嵐は言葉に詰まる。

 それ以上の理由もそれ以下の理由もない、というのが本音だった。けれど、聞かれてはじめて『それは理由になっていない』ということを自覚する。

 なんで。何故。

 しかし掘り下げて考えてみても、やはり「別れよっか」と()()()()()()以上の理由は思い浮かばなかった。

 だから。つまり。

 そういうことだった。

 

「……なるほど、確かに。あまり理由になってないな。視界が拓けた気分だ。確かに他人に話すというのはいいな。思考が整理される」

「あん?」

「結論から言うと、別れたのはおれが世紀の馬鹿野郎だったからだな」

 

 脳みその中の澱みを吐き出すように、息を吐く。

 ふぅ、と。

 

「とりあえずもう一回話がしたいな……」

「おん? そうか。よくわからんけどスッキリしたんならいいや」

「今度ラーメンでも奢るわ」

「お、まじ? じゃあ今日食って帰ろうぜ」

「……雨降ってるぞ」

「ラーメンなんて雨降っててもうめぇだろ」

「まぁ間違いないな……」

 

 くは、と豊が笑う。

 そして、雨天状況を確認しようと窓の外を覗いて、目を輝かせる。

 

「お、ほらみろ。雨ちょっと弱くなってきたぞ。さすがにこれはラーメンか」

 

 雨は降った後に晴れるもので。

 また、鉄は熱いうちに打つものである。

 熱いうちに打つから、鉄は加工できる。

 

 しかし、ベストなタイミングを逃してもある程度は加工できるだろう。

 けれどベストなタイミングを逃せば、やろうとは思わないだろう。

 もっと言えば、ベストタイミング以外でやるのは賢くないだろう。

 

 食べたいときに食べるから食べ物は旨く、行きたいときに行けば、ただの散歩だって楽しい。

 やらない理由というのは、簡単である。

 ちょっと具合が悪いだとか、相手に不都合があるかもしれないだとか。……雨が降っているからやらないだとか。

 やらない理由というものは、いとも容易く見つけることができる。

 でも、きっと。

 

「行くか。食べたいときに食べるラーメンが一番旨い」

 

 雨が降っていても、何がどうであっても。

 とりあえず、人がそれをするのは「そうしたい」と思ったときだった。

 

 

 

 

 

 

✿ ❀ ✿

 

 

 

 

 

 

 思考というものは、時間経過で身に染みるものだ。

 青嵐はここ最近ずっと悩んでいた。悩みという思考が、じわじわ身体に浸透していく。そしてやがて濾過されて、ほどけていく。

 そしてその後、ほどけた思考がストンと腑に落ちる。

 

 だから、今。

 

 青嵐は自分のやりたいことというものを、きちんと理解していた。

 

「───フゥン!」

 

 そう、すなわち土下座である。

 

「え!? なになになになになになに?! 怖っ!!」

「……」

「え、何か言ってよ怖いよ」

「スパイラルストロングシャイニング土下座だ」

「え、なに?!」

「いや、何? と言われたから名称を……」

「輝いてはないでしょ!!」

 

 青嵐は、顔を上げてギョッとした様子の風鈴と目を合わせる。

 

「とりあえず邪魔だからそこはやめよ? ね?」

 

 そう声をかけられ、青嵐は無言ですくっと立ち上がる。

 朝の教室。

 風鈴は登校して教室に入ったばかりで、つまりは出入口近くでの出来事だった。当然他の人も通る道であるし、周りの目も『何事か』と集中していた。

 しかし彼はそれを気にした様子はなく、視線は風鈴へとまっすぐ向けられていた。

 

「久しぶりにちゃんと顔を見た気がする」

「あっこの流れで普通に会話はじまるんだ……」

「はっきり言ってこのスパイラルストロングシャイニング土下座は会話のきっかけでしかないんだが、実際無視できないだろ?」

 

 目が合わない。

 顔をそむける。

 その上で必要最低限の会話───不自然ではない程度───はあって、必要以上に一緒の空間にいることを避ける。

 そうした言動は想像以上に伝わるもので、徐々に交流をする気力というものを奪っていく。

 だからこその土下座である。凝り固まった状況を破砕するためには、相応の衝撃が必要だった。

 少なくとも彼はそう考えて、結果論としてポカンとはしているものの、彼女の視線は彼に注がれていた。

 

「はぁ……えっと……それで?」

「うむ。まぁ朝礼まで言うほど時間もないし、端的に言うと……まぁどこまで言っていいのかわからんが……」

 

 青嵐は軽く周りに視線を送る。

 教室ゆえにクラスの中には大勢の同級生がいる。

 とはいえ土下座の物音をしていた瞬間はともかく、男子が煩いことなど学校では日常茶飯事。特に気にも留められてはいなかった。

 

「とりあえず友達からやり直さないか?」

「えぇ……?」

 

 困惑している風鈴は言葉に詰まり、そして周りの群衆はようやくそこで『え? あ、この二人ってやっぱり別れてるんだ』ということを改めて認識する。

 それを境に、教室内の空気感がパリッと変わった。周りの興味の質が変わった。興味なさげにしていた人たちも、視線を彼らに送っていた。

 

「ついていけないんだけど、とりあえずなんで?」

「好きだから」

「……?」

 

 青嵐の台詞に、外野は黄色い悲鳴を小さく漏らしていた。

 しかし風鈴は目をぱちくりと瞬き、小首をかしげる。

 

「結論から話しすぎたか? まず思ったのは───」

「待って待って。ステイ。もう一回言って? よく聞こえてなかったから」

「ああ、好きだから」

「うん。……うん? ごめんちょっと待ってね……」

 

 青嵐は淡々と言い、風鈴は小さく顔を覆う。

 彼女は深呼吸をして、少しの間黙る。

 

「……で、なんだっけ? それで? 混乱してきちゃって」

「友達からやり直したい。好きだから」

「……?」

 

 聞き間違えじゃなかった、とでも言うように風鈴は呻き、ふらりと壁に寄りかかる。

 再起動まで、約30秒。

 ただ待っているだけにしては体感として長い待ち時間。

 青嵐はただ黙って見守って、そして風鈴は動き始めたと思えば大きな声で叫んだ。

 

 

「───だ、だめに決まってるでしょーっ!」

 

 

 脱兎の如く。

 風鈴は教室から飛び出していった。

 教室にいる面々は、それを呆然と見送ることしかできなかった。

 当然青嵐も、止める間もなく、声をかける間もなく、見送ることしかできなかった。

 

「…………これが振られるということか……何気に初体験だな……」

 

 自嘲気味に、呟く。

 そして腕を組みつつ、青嵐が誰もいない教室の扉を見つめていると、彼の後頭部がぱしんと(はた)かれる。

 

「なにしてんの! 追いな!」

 

 振り返ると、クラスのギャル担当こと江夏英玲奈(えなつえれな)が真面目な顔で彼を睨んでいた。

 

「しかし駄目らしいが……」

「え、これ後でガチ説教じゃん。いいから行きな。ちゃんと言葉の裏読みなよ」

「……わかった」

 

 青嵐は頷いて、教室を後にする。

 背後からは「レナから言葉の裏なんて単語出てくると思わなくてわろた」とクラスメイトの笑い声が響いてくる。

 朝。

 教室の中は騒がしいというのに、静けさを帯びはじめた廊下をひとり歩むのは少し不思議な気分だった。

 

 

 

 

 

 

✿ ❀ ✿

 

 

 

 

 

 

 まずは廊下、そして屋上。

 校舎裏に、空き教室、保健室。

 女子トイレなど足を踏み入れては倫理的に問題のあるところは探せなかったが、さまざまな場所を探し回った感想は「学校という場所は意外と広い」というものだった。

 

 限定されるようで、自由度が高い。

 そして最後に青嵐が選択肢として思い浮かべたのは、家だった。

 

 学校にいないなら、家にいるんじゃないか。

 そう予想して。

 予想をしたから。

 

 初めて訪れた一軒家の前で、インターホンを鳴らす。

 

 ────……。

 

 応答はなかった。

 けれど、一拍の間をおいて、どたばたという物音と共に玄関が開く。

 制服から着替えていたらしい。

 ラフなパーカーを着た彼女が、慌てた表情でそこにいた。

 

「なんでわたしの家知ってるの?!」

「なんでもなにも……」

 

 第一声がそれか、と青嵐は思いながら、自分のスマートフォンを掲げて揺らす。

 

「だいぶ前に連絡先抜くだの言って住所教えて、そのときそっちも教えてきただろ」

 

 

 ────連絡先の一つや二つ交換しただけだよ

 

 

「あぁ……そっか……そうだっけ……」

 

 いつだったかの彼女の言葉。

 恋愛ごっこを彼らがはじめた当初、連絡先を交換した際の出来事。

 彼のスマートフォンには彼女の家の住所が入っているし、彼女のスマートフォンにも入っている。お互いに、家に行こうと思えば訪れることができた。

 

「えっと……じゃあ上がってく……? 立ち話もなんだし」

 

 未だ混乱した様子で、風鈴は玄関を広く開けて、手招きする。

 

「あ、ていうか女の子の家に上がるだけで具合悪くなるとか言わないよね?」

「風鈴のベッドに潜り込んでそこで寝始めなければ大丈夫だな」

 

 青嵐は真顔で、冗談とも本気ともつかないことを口にする。

 しかしそれは冗談だと()()()()ことができるのが風鈴という少女で、唇がほのかに笑みの形に彩られる。

 つまりは、それができるくらいにはようやく彼女も落ち着いてきたことを示している。

 

「じゃあ具合悪くなったら……わたしのベッドに寝かせてあげようかな?」

「そうしてくれ」

 

 関係が変わる前、彼らが一番話していた頃と似た温度の会話が生まれて、青嵐は安堵した。

 会話の呼吸、表情、相手に投げる言葉。

 それは関係値によって変わるものだ。同時に意識的に変えることもできるものだが、青嵐には何となく彼女の無意識が発露した結果のように思えてならなかった。

 そのまま居間に通され、「そこ座って」と案内される。

 やはり他人の家というのは、細かなところで驚きがある。机ひとつでもそうだった。

 5〜6人腰掛けられる大家族用のテーブル。それはこっくりと煮詰めた黒蜜のような深い色合いをしていて、上質な古家具のような重厚な雰囲気があった。

 脚まで太い木製で、引き摺ることでしか動かせなさそうだ。

 

「なにしてるの?」

「高そうな机だなと見ていた」

「これが? そうかなぁ」

「うちのは天板? も3センチくらいの板で、あとは金属脚だからな」

「へー。全部木だと高いの?」

「知らん」

「うーん適当。はい、これお茶ね」

 

 カラン、と音が鳴るグラスがことんと目の前に置かれる。

 

「麦茶か」

「苦手?」

「麦茶が一番旨い」

「それは良かった」

 

 そんなやりとりをしながら、彼女は対面位置にもグラスを置いて椅子に座る。

 

「ところでご家族は?」

「お母さんとお父さんは仕事。おばあちゃんはデイサービス」

「つまり誰もいないと」

「まぁあと5時間以上は……?」

「……うーむ。上がってよかったのか」

「女の子が苦手とか言ってる人相手に貞操の危機なんて感じてないよ」

「ならいい」

 

 麦茶に口をつけ、青嵐はそのまま一息で飲み干す。

 

「おお、いい飲みっぷり」

「最近はもう暑すぎる」

「おかわりいる?」

「もらう」

 

 おかわりをもらい、ふう、と一息吐く青嵐。

 風鈴もそんな彼を見つつ、くぴ、と麦茶に口をつける。

 適度に空調の効いた室温で汗が冷え、茹だった脳にも思考力が戻ってくる。

 

「…………そういえばお昼ごはんって食べた?」

「食べてないな。かばんの中に入ってる」

「そろそろお昼時だよねぇ」

 

 風鈴が学校を飛び出したのは朝一番のことだったが、学内の隅々まで探すのと、学外まで探す過程で数時間が経っていた。

 すでに11時を過ぎており、少し早めの昼食をしても何ら不思議ではない時間帯だった。

 

「ここまで来ると完全にサボりだな」

「ね。……お弁当箱学校に置き去りだなー」

 

 少しぎこちないテンポで、言葉が交わされる。

 何を話せばいいかわからないからというのもあるが、それは少し本質からズレている。正確には、話したくない話題があるから、そこには触れたくない。

 地雷を踏まないようにするような緊張感がそこにはあった。

 だから風鈴は、当たり障りのない言葉を選ぶ。

 

「青嵐くんは食べたら? もったいないでしょ」

「どうするんだ?」

「わたし? 適当になんか食べるよ。今更学校行くのもアレだし、お弁当箱と水筒は明日回収するしかないかなぁ」

「ふうん」

「しかし、100歩譲って逃げるのは理解できるがなんで自宅なんだ。帰るならせめてかばんくらい持って帰ればよかったのに」

「あー……いや、うん。なんでって言われてもねぇ……?」

 

 風鈴もお茶を飲み、唇を湿らせる。

 瞳は思案にふけるように彷徨っていて、言葉に悩んでいるようだった。

 青嵐はそんな彼女を見て、内心思うところはあって。

 後悔はしていないが、困らせたいわけではなかった。

 

「確かに逃げる意味ってあんまりないんだよね。クラスメイトだし、忘れてたけど住所もバレてるし、わたしが卒業を諦めて引きこもるくらいしか逃げる手段ってない気がする」

「これから夏だし家から出たくないのはわかる」

「そうそう。冷房の効いた家から出たくないよね」

「昔は夏休みが長くて冬休みが短いことに疑問を抱いていたものだが、暑い中登校する苦痛を思えば夏休みが長いことへの納得というものが日々増していくよな」

「あー……かも」

 

 確かに、と風鈴は小さく頷く。

 

「て、違くて。え? 青嵐くんわたしと話したくて来たんじゃなかったの? 話題どんどん逸れていくじゃん」

「こうして他愛もない会話ができるようになりたかった。別に、話したくない内容なら、話さなくていい」

 

 青嵐がそう言うと、風鈴は目を瞬いた。

 

「あんまりにも臭い台詞でびっくりしちゃった」

「む」

「……あは。でも()()()ね」

 

 笑い方というものには人それぞれの癖がある。

 大口を開けて笑ったり、逆に口元を抑えて声を漏らさなかったり。そういったボリュームのことを基礎として、無邪気さがそこに滲んだり、軽薄さが滲んだり、あるいは普段笑わない人が浮かべる微笑みなんてのもある。

 

「……懐かしいな」

「あは。話すの確かに久しぶりだよね」

「あぁすまん。そういう意味ではなくて、いやそれもあるんだが、そうやって笑うところを見たのがずいぶん久しぶりな気がして」

「あぁ、この作り笑い? あはー」

「作り笑いだったのか」

「作り笑いって言うとすごい聞こえ悪いよね」

「悪いなんてもんじゃないぞ。衝撃的だ」

 

 確かに風鈴の笑い方は特徴的だ。

 わざとらしさすら感じる「あは」という笑い声。しかし本当に作り笑いだとは思っていなかった。

 青嵐は驚きでぽかんと口を開けてしまう。

 

「……あは」

 

 そんな彼の様子を楽しむように、彼女はまた笑みをこぼす。

 

「まあいいや。なんかお腹空いてきちゃった。お弁当とかレンジする?」

「有難い。じゃあ……あぁ、いやダメだな」

「?」

「いや、せっかくだしお願いしようかとは思ったのだが、そういえばアルミ製の弁当箱だった。レンジ加熱ダメだな」

「あーね」

 

 風鈴は立ち上がりながら、思案する。

 

「じゃあ適当なお皿に移す?」

「そう言ってくれるのは有難いが、洗い物増えるだろ」

「どうせわたしも適当になんか食べるし───……あ、そうだ。適当に全ぶっ込み炒飯とかにしてみる?」

「炒飯……だと?」

「青嵐くんのお弁当っていつもご飯に海苔敷いてある感じだし、普通にいけるって。あとはおかずが驚くほど炒飯にぶっ込むのに向いてないラインナップじゃなければよくない? いいじゃん。今日おかず何? 見せてよ」

「おおぅ……」

 

 急にエンジンがかかってきたな、と青嵐は気圧される。口を挟む間もなく、彼女の中ではもう次の行動が決定されている感覚。

 それ自体は嫌いな感覚ではなくて、むしろ慣れれば考えることが少なく済んで楽だった。つまり、青嵐はこの会話の形をどちらかといえば好んでいて。

 もっといえば、静かな風鈴(ふうりん)よりもチリンと音を奏でている風鈴を眺めて聞く方が好ましい。

 

「昨日の夕飯が豚キムチだったからそれがメインで、あとは───……」

「豚キムチ! いいじゃん。キムチ炒飯だ。あ、じゃあうちにあるキムチも足してもいいかも」

 

 青嵐が昨日の夕飯を思い出しつつ弁当箱を取り出そうとして、風鈴はガタッと立ち上がって冷蔵庫の中を物色しはじめた。

 どうやら目当てのものはあったらしく、「あったー」と赤いキムチを取り出していた。

 青嵐も自身の弁当箱を取り出して、机の上に置いて蓋を開ける。

 

「本当にやるのか?」

「いいじゃん。青嵐くんあったかいご飯のほうが好きでしょ」

「冷めた飯を好きなやつの方が珍しいだろ」

 

 風鈴が青嵐のお弁当を覗き込みにきて、小さく頷く。

 今日のラインナップは豚キムチ、ポテトサラダ、ミニトマト、卵焼きだった。ミニトマト一つあるだけで彩りが大変良くなる。

 

「見たことはないね。んー……ミニトマトとポテサラはさすがに避けて、あとはそのままいっちゃおうか」

「トマトも加熱したら旨いは旨いんだがな」

「え、いっちゃう?」

「そういう意味じゃない頼むやめてくれ」

「味噌汁いる?」

「炒飯に味噌汁つけるのか?」

「あー……言われてみればそっか。うちパスタのときですら味噌汁出てくる異端だから感覚バグってるかも」

「それは結構異端だな……」

 

 和風パスタなら合いそうな気もするが、やはりあまりイメージがわかない。

 青嵐は想像をして、眉間に皺を寄せる。

 

「じゃあ要らないか。わたしのぶんだけ作っちゃお」

「作るならもらう」

「……あは。おっけー」

「何手伝ったらいい?」

「んー……や、いいよ。狭くなるし、お客さまだし」

「そうか」

 

 カチリ、とコンロの火をつける音。

 熱されたフライパンの上でパチパチと奏られる油の音。

 冷えた米を炒めて、カチャカチャと卵をといて、これまたジュウと音が鳴って。

 そんな様を青嵐は眺めていた。

 同級生の、異性の、こういう光景をただ眺めるというのはどこか非日常感があって、むず痒い。

 

「……よーし、できた! いや、豚キムチだったのがよかったね。わたしキムチ炒飯好きなんだ」

「ああ、そういやラーメン食べに行ったときもドカ盛りしてたな」

「ドカ盛りって言うのやめてね」

 

 風鈴の自宅にある冷飯や卵、キムチなどが追加された2人前の炒飯。

 それが適当なお皿に盛り付けられる。

 

「味噌汁わかめだけだけどいいよね」

「うむ。ありがとう」

「……今更ではあるけど、変に気合入れるのもアレかなと思ってあえて雑にいったけど……うーん……」

 

 そして味噌汁をお椀に注ぐタイミングで、風鈴は液面を眺めつつ、悩まし気に言葉を漏らす。

 きちんと言葉に起こされてはいないが、何が言いたいのかは理解できる。理解できるがゆえに、何言ってるんだコイツ、と青嵐は首をかしげる。

 

「わかめが入ってる時点で天才だし、そもそも味噌汁をわざわざつけるところに意識の高さを感じる。もっと言えば弁当をそのまま食わせておけば済む話をわざわざ炒飯に加工するところに懐の深さを感じるな」

「おお……なんか言わせたみたいになっちゃった」

「誘導尋問というものは賢く生きるために必要なスキルだとおれは思う」

「あは。言わんとすることはわからなくはないけど、相手の言葉をコントロールするのってあんまり趣味じゃないんだよね」

「まあそれはそうだな」

 

 そして炒飯が二皿、味噌汁が二椀がテーブルの上に並んだ。

 

「……学校のある時間帯にこうして過ごすのは不思議な気分だな」

「ね。スプーンでいい?」

「ありがとう」

「じゃあ食べて食べて。あったかいうちに」

「……いただきます」

「いただきまーす」

 

 青嵐はなんとも言えない表情をしながら、風鈴は笑みを浮かべながら手を合わせる。

 普段は一言軽く口にするだけであるのに、わざわざしっかり手を合わせるのは緊張の証だった。

 緊張は緊張でも、気恥ずかしさのある緊張感。どこか照れが滲む淡いやりとりだった。

 そんな心持ちの中、青嵐は誤魔化すようにスプーンを口に運ぶ。

 

「あ、うまい」

「ほんと?!」

 

 思わずこぼれた感想に、風鈴は喜びの声をあげる。

 

「こんなの失敗するわけないとは思いつつ、やっぱり緊張するね。人に食べさせるの」

「すごく旨い。キムチもシャキシャキでいいし、パラっと仕上がってるし……いや旨いな……」

 

 その後は黙々と大口を開けて青嵐は食べ進めた。キムチ、米、豚。それらが入っていて不味いわけがないというのもあるし、彼は掘り下げはしなかったが、やはり「あったかいご飯のほうが好きでしょ」という心遣いも相まって沁み入るものがあった。

 何事においてもそうだが、気分というものは大事で。

 「不味そうだな……」と強く思った後に食べるものは不味いし、逆に「旨そう!」とわくわくして食べて実際においしいと補正がかかる。

 馳走という言葉は『準備に奔走する』という意味を持ち合わせるが、そういう意味で彼女の手作り料理はとても美味しいご馳走だった。

 

「……ふぅ。ご馳走様でした」

「はやっ」

「腹が空いてたんだ。というかやっぱり旨かった。いやまぁ両方か」

「いいじゃん」

「味噌汁も旨かったな。我が家のとはそもそも味噌の種類が違って新鮮だった」

「ふーん。何味噌?」

「うちは赤だな」

「へー! 赤とか旅館でしか飲まないかも」

「旅館……?」

「家族旅行とかで温泉行ったら割と旅館で出るお味噌汁って赤味噌じゃない?」

「確かに赤出汁以外に巡り合ったことないかもな」

「毎日旅行気分で最高じゃない? いいなぁ」

「さもありなん」

「さもありなん?」

「サーモンも有りという意味だな」

「鮭の入った味噌汁は実際有りだよね」

「鮭とキャベツの味噌汁」

「おいしそう……って、ご飯食べてるときに他のご飯の話してるの食い意地張りすぎ? 恥ずかしくなってきた」

「いいだろ。絶対旨いぞ」

 

 あは、と笑いつつ風鈴も食べ進める。

 

「確かに我ながらおいしいね、これ」

「だろう」

「なんでそっちが威張ってるの」

 

 食事中ということもあり、彼女の口数は普段よりも控えめだった。雑談も鳴りを潜めて、食事に集中している。

 青嵐もそれを察して、静かに麦茶を口に運ぶ。

 どこか、和やかな時間がそこにはあった。

 白いレースのカーテン越しに、外から光が差し込んでいて。

 まぶしい夏の日差しは柔らかくなって、穏やかな輝きを部屋に運んでいる。賑やかな空間ではないが、だからこそ落ち着きのある居心地の良い空間だった。

 

「ごちそーさまでした」

「ありがとう。うまかった」

「いえいえ。お粗末様です」

「皿洗いくらいはやらせてくれ」

「……あは。じゃあそれは甘えちゃおうかな。ついでにお弁当箱も洗っちゃう?」

「む。そうだな。そうさせてもらうか」

 

 キッチンの蛇口からジャー、と水を流す音が部屋に響く。

 青嵐は泡まみれの手でスポンジを握り、皿を擦っている。そしてその横では「さすがにうちの家だし」と風鈴が皿を濯いでいる。

 水しぶきが時たま飛ぶが、それも含めてどこか楽しげな雰囲気だった。

 

「こうしてると夫婦っていうか同棲してるみたいっていうか恋人みたいだね」

「……まぁ。まぁそうだな」

 

 逸らしてきた会話が、何気なく放り込まれて、青嵐は少し口ごもる。

 けれど風鈴はなんてことはないように淡々と言葉を続ける。

 

「ところでなんだっけ。また付き合ってほしいって話だっけ?」

「いや、一旦友達からやり直せないかと」

「……ん?」

 

 元々洗い物は大してなかった。

 会話をしている間にそれらは終わって、きゅ、と水道が締められる。

 水の音が止んで、沈黙が降りて、部屋が静まる。

 

「え待って。友達って言ってたっけ。付き合ってほしいって聞こえたのわたしの幻聴?」

「一般論として人目があるところでの告白は愚策と言わないか?」

「ああうん……なんか断りづらい空気できるしね……そういう告白の仕方する男は嫌だね……」

「ああ、やっぱりそうなのか」

 

 彼としてはテレビや本、あるいは妹の普段話す内容から摂取する情報ゆえに信憑性には懐疑的ではあったのだが、恋愛的な意味での告白をしないことは正解であったらしい。

 ひとりで頷いていると、それとは対照的に風鈴は呻いていた。

 

「あー……まぁ別に女の子苦手なのが急に治ったわけでもないもんね」

「一応言っとくと、別に苦手なわけじゃないからな」

「……?」

「風鈴のことは嫌いじゃないし苦手じゃない」

「あぁ、そっちね」

「どっちだと────、あぁいやなんだっていいが、友達からって言うのは純粋にちゃんと嘘とかなくちゃんと関係を作り直したいという意味で……」

「ふうん……」

 

 青嵐が悩みながら言葉を選んで喋っていると、風鈴は思案顔で口元に手を当てる。

 

「でも友達かぁ。わたし友達になろうって言われて友達になるのはじめてだな」

「おれも言ったことないな。漫画の中でしか見たことがない」

「わたしもー」

「……ところで」

「うん?」

「『友達になるのはじめて』ってことは友達になるのはいいのか?」

「えー……?」

 

 彼の表情は平静で、けれど心臓の鼓動は緊張で高鳴っていた。

 一番最初に「だめにきまってる」という明確な否定があったのもあって、余裕なんてものは存在しない。

 

「うーん……」

 

 彼女は明後日の方向を向きながら、熟考していた。いつもの軽薄な揶揄いの雰囲気ではなく、真剣に困った顔で悩んでいるようだった。

 

「でも友達か。いいかもね。なんか」

「!」

「付き合ったふりとかはもうやめて、周りのみんなにも『別れた』って素直に言って、恋人っぽくないこととか、そのへんも自由にやって……」

「……実は普通の友達になったらやりたかったことが一つあるんだが」

「え、何?」

「仲良い奴ら全員集めてみんなで飯を食おう。変にバレるのもって理由で複数人で集まるのは避けてただろ」

「いいじゃん。え、楽しそう」

「だろう」

 

 ぱぁ、と風鈴の顔が明るくなる。

 

 

「明日のお弁当気合い入れちゃおっかな」

 

 

 こうして、青嵐と風鈴は。

 遠足の計画を立てるような心持ちで、ウキウキした様子で。

 恋人をやめて、友達になった。

 

 

 

 

 

 

✿ ❀ ✿

 

 

 

 

 

 

 昼休み。

 風鈴が高らかに宣誓する。声は明るく、表情は笑顔。小さく手を上げてみたりもして、楽しげに。

 

「えー、それではみなさまにご報告があります!」

 

 翌日、校舎裏にレジャーシートを敷いて、みんなで集まっていた。

 風鈴、青嵐は当然として小和、朝春、豊、英玲奈の計6人が集まっていた。普段青嵐が持ち込んでいたシートだけでは面積が足りず、風鈴も今日は持参してきたがかなり詰め詰めである。

 そして、報告。

 何を言われるのかの見当がついていない者はここには来ていない。朝春や豊は青嵐経由で───、いや経由せずともクラスメイトとして空気を感じ取っていたし、英玲奈も昨日「追いな!」と発破をかけたくらいであるし、なんとなく理解をしてくれている。

 小和については青嵐のほうではあまり把握はしているのだろう。

 

 そう、つまり周知の事実として別れていた二人がよりを戻したのだろうと。

 満面の笑みを浮かべている風鈴の表情も相まって、周りは当然そう捉えていて、だからこそ彼女の次の発言に目を剥いた。

 

「わたしたち、正式に別れました! きゃー、おめでとうございます!」

 

 きゃっきゃする風鈴の発言に対して、周りのリアクションは困惑一色だった。「え?」という反応や無言から滲み出る疑問が場を支配し、シン、と一瞬静まり返る。

 

「……あは。予想してたけどみんなの反応すごい面白い」

「そりゃこうなるだろ」

 

 軽やかな笑みをこぼす風鈴と、それに突っ込みを入れる青嵐。

 二人の距離感はとても近くて。

 物理的なそれよりも、精神的な距離が近いように感じるのはきっと、そこに心の底からにじみでた感情が付随するからなのだろう。

 

 だからこそ不可解が加速して、「え、つまりどういうこと?」という困惑の声が上がるのは自然な流れだった。疑問の声をあげたのは小和だったが、きっと小和が口にしなくても誰かが同じことを聞いただろう。

 それに対して、風鈴はとろけるような笑みで、

 

 

「あのね、」

 

 

 と青嵐と別れた話(友達になった話)を楽し気に語り始めた。

 

 

 

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