その顔は穏やかで、とても死を覚悟した人の顔には思えませんでした。
死ぬのはとても怖い事です。
私は一度それを味わっている分、他の人よりその恐怖が良く分かるのだと思います。
だから私には、トニーさんが何でそんな顔が出来るのか分かりません。
「悪いな。出来ればお前達を守ってやりたかったけど。でも、ミカの仇も取ってやらないとだからな」
トニーさんは申し訳なさそうに私の頭を撫でます。
きっと私が、不安そうな顔をしていたからでしょう。
思えばトニーさんは、何時も私の事を気にかけてくれていました。
もし、今私がトニーさんに一緒に来てほしいと言ったら、トニーさんは来てくれるのでしょうか。
もし、ここで私は大泣きしてトニーさんに縋りついたら、考えを改めてくれるでしょうか。
優しいトニーさんは、きっと困ってしまうでしょうね。
トニーさんには今までもたくさん迷惑を掛けてきたのです。
これ以上、困らせるのは駄目。
私は、引き止めたい気持ちをギュッと抑え込みます。
そんな私を見ていたトニーさんは、何やらポーチの中を焦り始め、中から1枚の紙を出しました。
紙には『なんでも一度だけ言う事を聞く券』と書かれています。
それは、以前トニーさんから貰ったミッケリーデのお返しに私が渡した券。
「そういや、これ結局使ってなかったから最後に使っとくか」
「……良いですよ。トニーさんのお願い、私に出来る事でしたらなんでも叶えます」
「お前なぁ、何でもってほんと……まあいいか。んじゃ、言うぞ?」
トニーさんの真剣な表情に、私も少し気を引き締めます。
一体どんなお願いなのでしょう、私に出来る事なら良いのですが。
そしてトニーさんが言ったお願いは、
「笑ってくれ、ナナシ。最後にお前の笑顔を見ておきたい」
「……ふぇ?」
思っていたより簡単な内容に、つい拍子抜けで変な声を出してしまいます。
「なんだよ、駄目なのか? 何でも言う事聞くんだろ」
「い、いえ……駄目ではありませんが、そんな事で良いのですか?」
「良いんだよ。前にこの紙くれた時、お前笑顔でオレにお礼言っただろ? あの時の笑顔が、もう一度見たいんだ。あの時のお前の笑顔、すげー可愛かったからさ」
「なっ……で、でもあの時トニーさん何も言ってくれなかったじゃないですかっ!」
私はつい、声を荒げてトニーさんに詰め寄ります。
それもその筈。あの時のトニーさんの反応から、私はちゃんと笑顔が出来てなかったと思っていたので少々落ち込んでいたのです。
その事をアルちゃんに相談したら、ミッケリーデまでに特訓という事になり、エリカさんも巻き込んでそれはもう恥ずかしい目に遭いました。
ちゃんとあの時良い笑顔と言ってくれていれば、あんな目に遭わずに済んだのに。
そんな恨めしい感情を視線に込めて、トニーさんを睨みます。
対してトニーさんは涼しい顔。
「いや感想言おうにもお前、凄い勢いで走り去って行ったじゃねえか」
「っ……それは」
更にそこからの鋭い指摘に、私はぐうの音も出ません。
「まあ、あの時オレも不意打ちで固まっちまってたからな。お前普段はムスっとしてる分、ギャップが凄くてビックリしたって言うか……すまん」
「……いえ、こちらこそいきなり怒鳴ってしまってすいません」
「よくよく考えればお前アルマの前では何時もデレデレのポヤポヤだし、そんなに珍しいものでもなかったわ」
「ポ、ポヤポヤ……」
一体トニーさんの中では、私はどんな子だと思われているのでしょう。
とても気になりましたが、今はトニーさんのお願いを聞いてあげるのが先決ですね。
今できる、最高の笑顔をトニーさんに見て貰わなければ。
ちゃんと笑えるかな。
少しだけ不安になります。
でもトニーさんは言ってくれました、あの時の笑顔はとても良かったと。
あの時と同じ気持ちで、トニーさんと向き合えばきっと大丈夫。
私は一度大きく深呼吸し、今の気持ちをトニーさんに伝えます。
「ご武運を祈ります、トニーさん」
「ああ、ありがとう」
チラリとトニーさんの顔を見ますが、特段いつもと変わった様子はありません。
せめて何かしらのアクションを起こしてくれないと、ちゃんと笑顔が出来てるか分からないではないですか。
仕方ありません、ここは単刀直入に聞いてみましょう。
「どうですか、私ちゃんと笑顔出来ていますか?」
「おう、ここだけ見たら超絶完璧美少女だぜ」
「……むぅ」
何やら含みを感じますが、まあ許してあげましょう。
そしてトニーさんは使用した『なんでも一度だけ言う事を聞く券』を渡そうとしますが、私は受け取りを拒否します。
「ん? どうしたナナシ」
「いえ、この程度のお願いでは券を使用した事には含みません。期限は特に設けていませんので、後日改めて使用して下さい」
さっきのトニーさんを許してあげたんです。きっと、これぐらいの私の我儘も許されるでしょう。
トニーさんがどういう覚悟であれ、私は彼との再会を信じ続けたいのです。
券を受け取ってしまえば、それで本当にトニーさんとの縁が切れてしまう気がしたから。
少しの間呆気に取られていたトニーさんでしたが、私の気持ちを察してくれたのか笑みを返してくれます。
「そっか、じゃあお前の言う通り持っとくかな」
「ええ。それに券はあくまで代用品、ちゃんとしたプレゼントも後日ご用意しますので、それまでちゃんと待って頂かないと困ります」
「ナナシのプレゼント……人参とかじゃねえだろうな?」
「また蹴られたいのでしたら、後日と言わず今すぐ実行しますよ」
そいつは勘弁してくれと笑うトニーさん。
暫く二人で笑いあったこの時間は、とても戦場のど真ん中とは思えない程平和な時間でした。
その時私は、とても昔の――――前世の記憶を思い出していたのです。
とても辛い環境で、生きる意味も希望も見いだせない様な酷い場所だったけど。
その中で唯一と言って良い安らげる時間、それはお兄ちゃんと話している時。
私に暴力や罵声を浴びせる人達ばかりの中で、たった一人私に優しくしてくれた人。
そんな前世の記憶に残る暖かな人の面影と、トニーさんの姿が重なって。そして私は気づいたのです。
私はトニーさんを、お兄ちゃんの様に感じていたのだと。
「さて、そろそろ行くとするか」
でも、その時間は長く続いてくれません。
「アルマの事頼んだぜ、ナナシ」
「はい、お任せください。トニーさんも、ガルド小隊長達とちゃんと帰ってきてくださいね」
「おう、オーガの奴ら全滅させて戻ってくるから安心しとけ!」
最後に握手を交わし、トニーさんはガルド小隊長達の元へと走っていきます。
大丈夫、トニーさん達は絶対帰ってくる。
そう信じていないと、私はきっと―――
張り裂けそうになる胸をギュッと抑えつけ、私も移動する為の準備を始めました。
イフメヤルヴィまではそう遠い距離ではありませんが、雪の積もった山道に加え辺りは依然真っ暗。
傷ついたアルちゃんを連れて歩き切るのは中々難しいでしょう。
それにここは洞穴なので風や雪を凌げる分暖かいですが、外に出ればそれらは容赦なく私達を襲ってくるでしょう。そうなれば怪我をしているアルちゃんは凍死してしまう危険も出てきます。
少し考えた結果、アルちゃんを起こす事に決めました。
ボロボロのアルちゃんにこれ以上無理をさせるのは辛いですが、二人で生き残るにはこの方法しかありません。
「アルちゃん、アルちゃん起きて」
身体を揺すりながら声を掛けると、アルちゃんはゆっくりと目を覚まします。
「ナ……ナナシ?」
「うん、おはようアルちゃん。具合はどう?」
「平気っ……それよりナナシの方は大丈夫なの? いっぱい血が出てたよ」
自分の方が酷い怪我なのに、そっちのけで私を心配そうに見るアルちゃん。
アルちゃんの不安を取り除くため、私は出来るだけ明るく振舞います。
「私も平気だよ。応急処置も出来てるし、アルちゃんが寝てる間にお菓子いっぱい食べたから」
「……ナナシの食いしん坊」
「ずっと寝てるアルちゃんが悪いんだよーっ。でもアルちゃんの分もちゃんと取ってあるから安心して」
そう言って私は、非常用に取っておいたチョコバーをポシェットから取り出してアルちゃんに手渡しました。
勿論お菓子をいっぱい食べたなんて嘘、お腹もそれなりに空いています。
けれど今は自分より、アルちゃんに元気になって欲しいのです。
「1個だけ……?ナナシはいっぱい食べたのに」
「アルちゃん、働からざる者食うべからずだよ。私はアルちゃんが寝てる間にいっぱい頑張ったんだもん」
「うー……ナナシにそんなこと言われる日が来るなんて」
恨めしそうにしながらも、チョコバーの包み紙を開けていくアルちゃん。でも、思ったより元気そうで安心しました。アルちゃんは放っておくとどんどん無理をしてしまいますので、私がサポートしてあげないとですね。
せめてこのチョコバーで、アルちゃんがもっと元気を取り戻してくれると良いのですが。
しかしアルちゃんは、包み紙を取ったチョコバーを食べようとしません。
どうしたのだろうと思っていると、アルちゃんはチョコバーを半分に折って、私に差し出します。
「半分こして食べよう、ナナシ」
「良いよ、私はお菓子いっぱい食べたもん。もうお腹いっぱいだよ」
「……噓でしょ? だってナナシから、お菓子の匂いしないもん」
「っ! ……ホント、アルちゃんには敵わないな」
「フフン、そもそもナナシ嘘が下手だもん。私を騙そうなんて、100年早いよ」
やはりアルちゃんの鼻は恐るべし。
私は敗北を認め、チョコバーをアルちゃんと半分こして食べます。
「……美味しいね、ナナシ」
「うん、やっぱり疲れた時には甘い物だね」
チョコバーの甘みが身体中に広がって、少しだけ元気が取り戻せた気がします。
そしてチョコバーを食べ終わった後、私はアルちゃんに現状の事を話しました。
今の状況、ガルド小隊の皆の事、そしてこれからの事。
ガルド小隊の皆さんの話をした時、アルちゃんはとても辛そうにしていましたが、最後に一言『分かった』と言うだけでした。
多分、心の中では皆と一緒に戦えなかったことを責めているのだと思います。
「ごめんアルちゃん。だからアルちゃんにはもう少しだけ頑張って貰わないといけないんだ」
「……ううん、大丈夫。少し休めたから元気出たよ。すぐにイフメヤルヴィに行こう――」
そう言って立ち上がろうとするアルちゃんでしたが、身体が大きくフラついて倒れそうになってしまい、慌てて私が身体を支えます。
「無理しちゃダメだよアルちゃん!」
「ははっ……みたいだね。ごめん……」
「謝らないで。イフメヤルヴィまで私が支えるから大丈夫だよ、一緒に生き残ろう」
「……そうだね。ナナシも頼もしくなったなぁ」
「フフン、そうでしょ? 私だって、何時までもアルちゃんに守られてばかりじゃないんだよ」
アルちゃんが私を頼りにしてくれる。嬉しくて、思わず笑顔になってしまいます。
そして絶対にアルちゃんを守るんだと、硬く心に決意したのでした。
二人でイフメヤルヴィに向かって歩き出して2時間程。
洞穴の外は案の定中々の寒さでしたが、お互い身を寄せ合いながら歩けば何とか耐える事が出来ました。
問題はイフメヤルヴィにたどり着くまでの時間。
トニーさんは向こうでは既に撤退の準備が行われていると言っていました。
ならば早く辿り着かなければ、友軍の撤退に間に合わなくなってしまいます。
そしてもう一つ、懸念すべき理由がありました。
空を見上げると、今まで漆黒だった夜空が薄く白んで来ているのが分かります。
つまりもうすぐ夜が明け、朝が来るという事です。
朝になれば、周りもよく見えて動きやすくはなるでしょう。
しかし、それは私達の存在が周りにもよく見えてしまうということです。
今周囲に敵の様子はありませんが、ライドに索敵魔法が効かなかった以上、確実な安全とは言い切れません。
今敵に見つかってしまえば、抵抗する余力のない私達には万事休す。
つまり今の私達は、二重の意味で時間に追われている状況なのです。
「……はぁ……はぁ……」
「アルちゃん大丈夫、少し休憩しようか?」
「……平気だよ」
息を切らせているアルちゃん。平気と言っていますが、無理をしているのは明らかです。
そして、私達に休んでいる時間等無い事も事実。
何とかアルちゃんの体力が持ってくれることを祈るしかありません。
対して私は体力はまだ何とか持ちそうですが、鈍い頭痛に悩まされ始めていました。
原因は、索敵魔法の連続使用。
ライドに効果が無かったとはいえ、あれは恐らく奴が例外なだけで他の兵士には有効の筈なので、安全を確保する為に私は索敵魔法を何度も単発で使用していました。
その回数は既に50を超え、安全と引き換えに私の身体をジワジワと蝕んでいたのです。
そして多少マシになったとはいえ、依然痛み続ける肩の怪我。
私自身も、あまり長くは持ちそうにありませんね。
考えれば考える程ネガティブな要素しかありませんが、それでも私達はまだ希望が残されていました。
それは、ここまで迷う事無く山道を進めているという事。
地図も無い暗闇の中で山道を歩き回れば、普通は迷子になってしまいます。しかしそれを見事に解決してくれるのがアルちゃんなのでした。
「ナナシ、このまま真っすぐ行けばもうすぐ森を抜けれるよ。水の匂いがする」
「良かった……これなら何とか間に合いそうだね」
「うん、あともう少し頑張ろう」
アルちゃんの勘と嗅覚は凄まじく、はじめてくる場所の筈なのに正しい道をすぐに把握して私に教えてくれるのです。
イフメヤルヴィの近くには大きな川が流れていると、以前エリカさんから教えて貰ったことがあります。
アルちゃんが感じた水の匂いは、恐らくその川の匂いでしょう。
あともう少しで助かる。
その事実に私達の足取りも軽くなります。
しかしそれと同時に、私は背筋に寒気を覚えます。
この感覚……すごくヤな予感がする。
「アルちゃん、止まって」
「え……どうしたのナナシ?」
私はすぐさま索敵魔法を使用します。
範囲は少し広めの300M程。
直後頭痛は激しさを増しますが、今はそんなことを気にしている余裕はありません。
そして、
索敵魔法が捉える敵意の反応。
その数は索敵出来た数だけでも数百を超えており、私達が来た道の方からゆっくりとこちらに向かってきています。
私達の事に気づいている? それとも向かう先は私達と同じイフメヤルヴィ?
「……ッ!」
思考している間にも頭痛は激しさを増していくため、すぐさま索敵魔法を解除します。
解除する事で頭痛は多少収まってくれましたが、追ってやってくる疲労感と吐き気。
今にも意識を失いそうになってしまいますが、今意識を失えば終わりです。
仕方ありません、こうなったら――――
「……っ、ぅ……ぐ……ッ!!」
咄嗟に私は肩の傷口を右手でわざと押し込む事で、激しい痛みと引き換えに何とか意識を失わずに済みました。
「ナナシ!? 一体どうし――」
「……駄目、アルちゃん……大きな声出さないで。後方に敵が来てる……」
「! でもなんでこんな事……」
「ちょっと、眠っちゃいそうだったから……気付けに使っただけ。それより先を急がないと、見つかっちゃう」
気分は最悪ですが、痛みのお陰で意識ははっきりしてくれています。
疲労はありますが、歩くのには支障無し。先を急がないと。
「もうすぐ森を抜けるんでしょ? そうすれば街はすぐそこだから。もうちょっとだけ頑張ろう」
「……分かった。一緒に頑張ろう、ナナシ」
私達は共に身体を支えあいながら、前進を再開しました。
お互い疲労困憊の為、途中でよろめいてしまって何度も倒れかけてしまいます。
ですがその度にお互いが支えあう事で、私達は確実に前に進むことができました。
恐らく日の出が近づいてきているのでしょう、前方が段々と明るくなってきます。
しかしそれは、前方の木が少なくなってきていて、森をもうすぐ抜けられるという証拠。
あともう少し、あともう少しだけ頑張れば――――
そしてもう少しで森を抜けられそうになった時、
「……煙の臭い?」
アルちゃんが何かを感じて足を止めたのです。
「アル、ちゃん?」
「煙……間違いない、何かが燃えてる!」
せかされる様に歩みを進めるアルちゃん。
私は半ばアルちゃんに引っ張られる形で、一緒に着いていきます。
次第に開けていき、明るくなっていく視界。
そして遂に、私達は森を抜ける事が出来たのです。
「……嘘」
初めに目に入ったのは、赤く燃える炎。
「どうして……」
燃えているのは、川を挟んだ先にある私達が向かおうとしていたイフメヤルヴィの街。
私達が目指していた最後の希望は、既に燃えて崩れ落ちていたのでした。