それは、とある秋の出来事。
トゥーリスとオーガの争う防衛線に、1つのテントが広がっていた。
本来救護用として使われるその中には、ベットの代わりに簡易的な机と椅子が置かれ、そこに数名の女性が座っている。
彼女達は若く、皆十代中頃と言った所だろうか。
その中で1人、一際若くて目を引く少女が居た。
透き通るような白い肌
肌と同じく、雪の様に白い銀髪。
ルビーの様に煌めく真っ赤な瞳。
彼女の名前はナナシ・エルフィー二等兵。希少魔法、索敵魔法を操る
そんな彼女は、机に突っ伏しながら浮かない表情をしていた。
「どーしたのナナシ、元気無いね」
すかさず隣に座っている少女がナナシへ声を掛ける。
ポニーテールに纏めた腰辺りまで伸びた鮮やかな金髪に、幼さが残る顔立ちながらも恵まれた体格と凹凸。
そして、見ている者を自然と惹きつける優しい笑顔。
彼女の名前はアルマ・ワイズ二等兵。
ナナシとは同じ村で育った幼馴染で、大の親友である。
だがしかし、そんな親友を見るナナシの瞳は少々冷ややかであった。
「アルちゃん絶対分かって言ってるでしょ?」
「あはは……でもちゃんと来たんだね、偉いぞナナシ」
「……むぅ」
ジト目でアルマを睨むナナシを、宥める様に撫でるアルマ。
何故ナナシはこれ程までに落ち込んでいるのか。
それは、ここに集められた目的にあった。
彼女達トゥーリス兵は、侵略者であるオーガ兵を迎え撃つため日夜激しい戦いを繰り返している。
塹壕を掘り、敵に備えるのが主な任務であり、本来ならばこの様な場所で談笑している暇など無い。
しかし現在、オーガとの戦いは小康状態になりつつあった。
理由は恐らく、ここから先に控える冬の存在。
トゥーリスの冬はとにかく寒く、季節はまだ秋だというのに外では雪が降り積もり始めている。
この寒さはオーガ兵や彼らの扱う機器に悪影響を及ぼしているのではないかというのが、トゥーリス側の推測だった。
実際今まで2日に1回程度のペースで侵攻してきたオーガ軍は、現在そのペースを1週間に1度程度に減らしており、その結果生まれた猶予をトゥーリス軍は来る冬への備えや、徴兵によっていきなり戦地へ送られることになってしまった新兵達の教育へ充てていた。
ここに居る少女達もそういった経緯で入隊した新兵であり、今回は座学を受ける為集められたのだ。
ならばナナシが落ち込んでいる原因は、座学が苦手だからであろうか。
否。ナナシはとても真面目な性格をしており、事勉強となれば人一倍頑張る気質を持っている。
そんなナナシが落ち込む理由、それはここで行われる座学の内容にあった。
「はーい、皆よく集まってくれたわね」
少しして一人の女性がテントの中へと入ってくる。
歳は二十代前半程、軍服を着ながらも彼女の優しさが伝わってくる柔らかな雰囲気を持つ美女。
彼女の名前は、エリカ・ヘーベル伍長。
ナナシとアルマが所属するガルド小隊の副小隊長であり、2人にとって姉の様な存在である。
「今回参加してくれたのは、ラッセ小隊所属のリリヤちゃんとパウラちゃん、ルーク小隊のセラフィナちゃんとカレンちゃん、クラン小隊のハンナちゃん、ガルド小隊のアルマちゃんとナナシちゃん! 今日は折角の機会なので、色々と勉強して貰おうと思っています。内容は事前に通達しておいた通り、こちらです」
エリカが示したホワイトボードには、大きく見出しでこう書かれていた。
《戦場乙女の心得》トゥーリス軍特別保健授業
切欠は、ナナシの起こしたとある事件であった。
小隊の仲間達ともっと打ち解けたい。
そう考えて行動していたナナシは、ある時閃いた。
「人間仲良くなるには、裸の付き合いが一番」
恐らくこの言葉を聞いたのは前世での事であったが、幸いか災いかこのトゥーリスでも裸の付き合いという文化は根付いていたのである。
トゥーリスでの裸の付き合いとは、基本サウナで一緒に過ごす事を指す。
サウナはコミュニケーションの場であり、公衆サウナ等でも男女混浴になっている所も珍しくない。
一緒に汗を流しながら普段口に出来ないような事を腹を割って話し合う、そんな場所がサウナなのだ。
そこに思い至ったナナシは早速小隊の皆と親睦を深める為、サウナ突撃を敢行したのである。
確かにトゥーリスではそういった裸の付き合い文化が根付いている。
しかしだからと言って、明日命が消えるとも知れぬ兵士達の中に年若い少女が入っていけばどうなるか。
それは火を見るより明らかである。
幸いナナシが発育不足という事もあり、隊員達は冷静な対応でもってナナシに退室を促した。
だがこの事を知ったエリカとアルマは激怒し、ナナシには今後一切1人でサウナに入室する事が禁止され、入る場合はエリカかアルマと同室する事という命令が下された。
後に【サウナ突撃事件】として語り継がれることになるこの事件によってエリカはナナシの貞操観念の低さを危険視する様になり、こうして保険の特別授業を開くこととなったのである。
もっとも、ナナシのそうした貞操観念の低さは前世が男だった事も要因の1つなのだが、エリカがそれを知る由もなかった。
これがナナシの落ち込んでいる理由の1つであり、11年の生活によって自身が女性であることに慣れてきたナナシだが、男としての意識が完全に消えているわけでは無く、女性の保険授業等どうすれば良いのか分からないのだ。
そして落ち込んでいる理由のもう1つ。
それは、自分の所為で皆にこの様な時間を取らせてしまったという罪悪感である。
「せめて、しっかり勉強は聞かないと」
折角エリカさんが作ってくれた機会、無駄にするようなことはあってはならない。
そう心に思い直し、ナナシは授業へ挑む決意を固める。
「私達はトゥーリス兵、戦うのがお仕事です。けど、だからと言って自分を疎かにして良い訳ではありません。今日は皆に、この授業を通して自分の在り方を見つめ直して頂けたらと思います。では、早速授業を始めていきますね。よろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
エリカの挨拶に対し、生徒である少女達も返事を返していく。
そうしてエリカの保険授業はスタートした。
1限目:身だしなみと衛生編
「じゃあまずは身だしなみと衛生面についてだけど、何故こういった事を気にしないといけないのでしょうか。そうね……じゃあセラフィナさん答えて貰えるかしら?」
「はい、分かりましたわ」
エリカに指名された少女、セラフィナ・フォス・フェイザは立ち上がり答えていく。
「衛生面の低下は、病気の蔓延や士気低下を引き起こす可能性があります。よってそれを防ぐため、常日頃兵士は身だしなみにも気を付ける必要があると思います」
「はい、バッチリな回答ね。実際問題これはすごく重要なお話で、仮に前線で病気になってしまう事は私達の死活問題に直結します。それに一緒に塹壕に居る相手が酷い見た目だと、気分が滅入っちゃうものね」
エリカの言葉に、周囲の少女達からは笑い声が飛び交う。
しかし、ナナシだけは暗い顔のままである。
それもそのはず、この時のナナシは『質問されたらどうしよう』という不安で心が一杯なのだ。
「いざ戦いが始まっちゃったらどうしようもない事も多いけど、それでも日頃出来る事はやっておきましょう。具体的に上げると、これかしら」
エリカはホワイトボードに気を付けるべき内容を纏めていく。
1. 靴下、ストッキング、下着等は出来るだけ毎日変える。
2. 洗顔、就寝前の汗拭き、髪のケア サウナを活用できればなお良し
3. 常日頃の生理用品の携帯
これらを纏めた後で、エリカは真剣な表情でナナシを見る。
目が合う二人、明らかに動揺しているナナシに対し、エリカはニッコリと笑いかけながら、
「じゃあここで質問です。下着の交換や汗拭きは出来るだけ毎日する事が好ましいですが、その時に注意するべき事はなんでしょう。ナナシちゃん、答えれるかしら?」
ナナシにとって最も恐れていた言葉を投げかける。
「っ!? あ、はっ……はい!」
突如指名されたナナシは、焦りながらも何とか立ち上がる。
同時に助けを求めるような瞳でアルマを見るが、アルマは「頑張って」とエール送るだけで助けてくれる様子は無い。
救援の見込めなくなったナナシはしどろもどろになりながらも、何とか答えを考える。
着替える時や、汗を拭く時に気を付ける事。
少し考えてふと、ナナシはよくアルマに注意されていた事を思い出す。
『ナナシはもっと、人の目を気にしなきゃダメだよ! 女の子なんだから』
戦場で気にする人の目って言ったら、それしかないよね!
導き出した答えを胸に、ナナシは答えを口にした。
「えっと……えっと……! て、敵の存在です! 周囲をよく観察し、オーガ兵が攻めてくる様子が無いか、しっかり確認するべきだと思います!!」
目を瞑り、周りの反応を待つナナシ。
しかし、一向に反応が返ってくる様子は無い。
恐る恐る目を開け周りを確認すると、不思議な顔をしてナナシを見つめる生徒達、そして正面に居るエリカは、少し困った顔でナナシを見つめていた。
「そうねナナシちゃん。戦場で敵に警戒するのはもっとも大事な事ね。けど着替える時まで敵の事考えてちゃ身が持たなくなっちゃうわね」
「っ……はい」
「でも周りに目を向けるというのはとても良い答えよ。その通り、着替える時には周りの目をきにしなければなりません。でもそれは敵の目じゃなくて味方、周りの男性兵士からの視線を気にする様にしましょう」
「味方……?」
エリカの言葉にキョトンとした表情で返すナナシ。
その表情を見て、エリカは小さく溜息をついた。
「ナナシちゃん、貴女は女の子よね?」
「は、はい! 女の子です」
思わず少し声の裏返るナナシ、しかしエリカは特に気にする事無く続けていく。
「覚えておきなさい、ナナシちゃん。女の子は何時だって、男の人からの視線を気を付けなきゃいけないの。間違いが起らない様にね」
「間違い……えっと、それは例えばどんなまち――――」
「ナ、ナナシ! 続きは後で私が教えてあげるから、今は授業続けて貰お! ね?」
突如、焦った様子で話に割り込むアルマ。そのままナナシの手を引いて席へと座らせる。
話を遮られた事に納得いかなそうなナナシであったが、顔を真っ赤にしているアルマの表情を見てしまい、それ以上追求する事は出来なかった。
暫く周囲に流れる微妙な空気。
その空気を払拭すべく、エリカはコホンと咳払いすると授業を続けていった。
2限目:緊急時の自己防衛術
「はい、じゃあ次はもし危険な状況になってしまった時。もしくはそうなりそうな時に乗り切る方法を勉強していきます。これは実践も交えた方が分かりやすいわね、えっと……リリヤさん?」
エリカが名前を呼ぶも返事は無い。
それもその筈、今名前を呼ばれた張本人、リリヤは気持ち良さそうに机を枕に眠っていた。
気づいた隣の少女がリリヤに詰め寄る。
「コラ、リリヤ! 勉強中に居眠りなんて何考えてるのよ!」
「……ん~? ……寝てないよパウラ。目を瞑ってただけ」
「どっちも一緒よ!」
パウラと呼ばれた少女に叱られ、『仕方が無い』といった様子で起き上がるリリヤ。
彼女達はラッセ小隊に所属する、パウラ・カヤヌスとリリヤ・バルケス。
責任感が強く真面目なパウラとサボり癖のあるリリヤのコンビは小隊外でも知れ渡っており、特に小隊長であるラッセとナナシの所属する小隊の小隊長であるガルドは親友同士な為、ナナシもこの二人に何度か会う機会があった。
もっとも、大抵はリリヤが怠けている所をパウラが説教しているので、ナナシ自身が交流した事は殆ど無い。
そもそも元来人見知りなナナシからすれば、最近やっと同じ部隊の人間となんとか話せるようになった段階であり、他所の人間と交流できる余裕などあるはずもなかった。
更に言えば、何時も気だるげにしていて周囲に近寄るなオーラを放っているリリヤはナナシの【トゥーリス軍近づいてはいけない人ランキング】の中でもトップ10に入っている。
「まあまあ、それぐらいにしてあげてパウラちゃん。じゃあ、リリヤちゃんこっちに来てくれるかしら?それと、ナナシちゃんもこっちへ来て頂戴」
「ふえ……?」
だと言うのに、まさかのエリカからの指名に、ナナシはつい素っ頓狂な声を上げてしまう。
「どうしたのナナシちゃん、早くこっちにいらっしゃい」
「……あ、は、はい!!」
暫く思考停止していたナナシだが、エリカの声にすぐさま立ち上がり、エリカの前へと歩いていく。
なんで自分が呼ばれたんだろうと不安になるナナシだったが、ふと何かの視線を感じ隣を確認する。
すると、
「……」
隣に立っているリリヤが、じぃーっとナナシの事を睨んでいたのだ。
思わずビクッと身体の跳ねるナナシ。
何故睨まれているのかが分からず、何か悪い事をしてしまったのかと考えたが、リリヤの不機嫌な理由はすぐに検討がついた。
(きっと私の所為でこの授業が行われたからだ。リリヤさんはこういうあんまり好きじゃなくて、でも参加しなきゃいけなくなったから怒ってるんだ)
理由に気づいたナナシはすぐに謝ろうと考えたが、緊張で上手く声が出せず、只オドオドするばかりである。
その後2人を交えてエリカによる自己防衛術の授業は続いていく。
ナナシはどさくさに紛れてリリヤに殴られる事を覚悟していたが、特にその様な事は無く授業は恙無く終了し、お昼休憩となった。
「はぁ……」
「ほらほら、元気出しなよナナシ。お昼ご飯の時間だよっ」
「いい、今食欲無いもん……」
「ふむぅ……これは重症だね」
授業開始前よりも更に項垂れているナナシを見て溜息を付くアルマ。
「さっきリリヤと一緒に前に出てから特にだよね。何かあったの?」
「! ……別に何もないよ」
図星を付かれ、つい目を逸らしてしまうナナシ。
しかしアルマはその様子を見逃さなかった。
「ほんとにー?」
ジト目でナナシを見つめるアルマ。
元々アルマに頭が上がらないナナシにとってこれ以上隠す事は不可能であり、仕方なく先程の事を告げる。
「私の所為でリリヤさんにも迷惑掛けちゃったから、謝らないとなんだけど……中々言い出せなくて」
「んー……それはどうかな。別にリリヤはナナシの事怒って無いと思うけど」
「でも、すっごい睨んでたし……」
「……よし、そういう事なら直接話してみよう」
「え?」
困惑するナナシを他所に、アルマはナナシの手を引き立ち上がらせると、そのままリリヤとパウラがご飯を食べている方へ引っ張っていくと、そのまま2人に声を掛けた。
「ねえねえパウラさん、リリヤ、私達も一緒にご飯食べて良い?」
「ええ、良いわよ。リリヤも構わないでしょ?」
「別に良いけど」
「ありがとー!」
許可を貰い2人の前でご飯を広げるアルマ。
しかしナナシは、アルマの後ろでオドオドしたままである。
「ほら、ナナシもこっちで一緒に食べようよ。リリヤに言いたい事あるんでしょ?」
「あ、アルちゃん!?」
「ふーん……私に言いことがあるんだ。丁度いいや、私もアンタに言いたい事あったし」
「いっ……言いたい事、ですか?」
リリヤに怯えながらも聞き返すナナシ。
その心境は、何を言われれるのか不安で仕方ないといった所であろう。
(やっぱり怒られるんだろうな。けど迷惑を掛けたんだし、ちゃんと聞かないと)
ギュッと目を瞑り、覚悟を決めるナナシ。
しかしリリヤの言葉は、ナナシが想像していた物とは少し違っていた。
「アンタ、ホントに1人で男だらけのサウナに突撃したの? とてもそんな度胸あるように見えないんだけど」
「……え?」
「だから、アンタなんでしょ? 突然サウナに乱入して大騒ぎにさせたって子」
「えっ……あ、はい。そうです……」
萎縮しながら答えるナナシに、リリヤはどうにも信じられないといった感じでナナシを見つめている。
「ねえアルマ、私にはどうしてもコイツにそんな度胸があるとは思えないんだけど。
「確かに普段のナナシは大人しめだけど、ナナシはやる時はやる子だよー」
「……ふーん。で、私に言いたい事って何?」
「ひゃぃ!?えっと……えっと……」
「ほらほら、ナナシ落ち着いて」
アルマに支えられ、一度深呼吸を行うナナシ。
それによって少し落ち着くと、俯きながらもリリヤに話しだした。
「……ごめんなさい。私の所為でリリヤさん達にまで迷惑かけちゃって」
「ん、迷惑って何?」
「だって、リリヤさん凄く退屈そうだったから……今日の授業」
「あー……そういうこと、別に気にしてないよ。確かに退屈だけど塹壕掘るより楽だし、居眠りも出来るしね」
「リリヤ、貴女ねぇ……」
堂々サボり宣言をするリリヤに対して、隣のパウラが苦言を呈す。しかしリリヤは何時もの事なので、軽く受け流している。その様子に呆れながら、パウラは溜息を付いた。
「本当に気にする必要無いわよナナシちゃん。寧ろリリヤにはこういう勉強こそ必要な事なんだから」
「そ、そうなんですか?」
「見ての通り、サボり癖の怠け者だもの。面倒見る私の身にもなって欲しいわ」
「あはは……パウラさん見てると、まるでリリヤのお姉ちゃんみたいですよね」
「ホント、手のかかる妹よ。どうせなら、ナナシちゃんやアルマちゃんみたいな素直な良い子の妹が欲しかったわ」
「別に、私パウラの妹じゃないし」
ジト目で睨むリリヤに笑い合うパウラとアルマ。最初はどうなるかと思っていたが思ったより和やかな雰囲気に、ナナシも段々と警戒心を緩めていく。
最初は罪悪感と緊張でガチガチだったナナシであったが、最大の懸念点であったリリヤが別に怒って無さそうな事と、3人が楽しそうに喋っているのを見ているだけで、どんどん気分は軽くなっていた。
本当ならここで話に混ざれれば一番なのだが、生粋の引っ込み思案なナナシにとってそれはエベレストよりも高いハードルである。時折アルマが投げてくれる会話のパスをぎこちない笑顔とたどたどしい相槌で何とか躱していく。
周りからはとてもそうは見えないだろうが、これでもナナシはこの空気を彼女なりに楽しんでいるのである。
(この調子で、午後の勉強も頑張ろう)
そう決意したナナシであったが、その決意がすぐさま崩れ去ってしまう事をこの時はまだ知る由も無かったのである。