戦場駆ける白き野兎   作:バサル

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お待たせしてしまい申し訳ありません。
戦場駆ける白き野兎 第二章 スタートします。


第二章 冬戦争 前編
第二十六話


 暗くて寒い闇の中に、私は一人で浮かんでいる。

 

 それが最初に思ったこの状況の感想でした。

 

 周りは何も見えなくて、身体の感覚も全くない。只意識だけがある状態。

 

 それが酷く気持ち悪く感じます。

 

 ここは一体何処なのでしょう。

 

「誰か……誰か居ませんか!?」

 

 叫んでみますが返事は返ってこず、そもそもちゃんと声が出ているのかどうかも分かりません。

 

 確か私は街が燃えているのを見て、背後から迫っている敵から逃げる為、アルちゃんと一緒に川に飛び込んだ。そこまでは覚えています。

 

 私に残っている最後の記憶は、川の水の冷たさと思う様に動かない身体。

 

 となれば私は、あのまま力尽きて川底に沈んでしまったのでしょう。

 

 人は息が出来なければ生きてはいけません。川底では勿論呼吸が出来ない為、私が向かう先は――――死。

 

 想像して、背筋が凍り付く様な感覚に襲われます。

 

 前世で感じた最後の感覚。

 

 殺意 憎悪 敵意 様々な負の感情がごちゃまぜになった様な深い闇が、私に絡みついてきてジワジワと喰われていく感覚。

 

 私の持つ死のイメージ、もう二度と味わいたくない絶望の象徴。

 

 あれをまた味わう事になるかと思うと、今にも恐怖で気が狂ってしまいそうになります。

 

 私はこうなる事も覚悟の上で、私は川に飛び込んだ筈だったのに。

 

 でもそんな私のちっぽけな覚悟は、いざ目の前に死がやってくるとこうも容易く崩れてしまう。

 

 死の恐怖の前では、私は唯震えて耐える事しか出来ないのです。

 

 

 おねがい、おねがいします。

 

 もうあんな思いはしたくないんです。

 

 誰か、私を……助けて。

 

 

 しかし、私の懇願に誰かが答えてくれることはありません。

 

 そんな事、とうの昔に分かっていた筈なのに。

 

 だってあの時泣き叫んで命乞いする私を、誰も助けてはくれなかったのですから。

 

 

 でも、もしかしたら

 

「……アルちゃん」

 

 アルちゃんならそれでも、私を助けてくれるかもしれない。

 

「助けて……アルちゃんっ」

 

 そんな願いを込めて、私はアルちゃんの名前を呼びます。

 

 私の呼びかけに帰ってくる言葉はありません。

 

 でもその代わりに、ちょっとした変化が起こったのです。

 

「? ……なんだろう、あの光」

 

 それは、暗い闇の底に輝く一筋の光。

 

 さっきまで辺り一面真っ暗だったはずなのに、ある一点だけが強く光を放っていたのです。

 

 そしてなぜか私には、それがアルちゃんの光に思えてなりませんでした。

 

「アルちゃん……そこに居るの?」

 

 光に照らされて、私を包んでいた闇が少しだけ晴れていきます。

 

 さっきまで全身の感覚が無かったのに、今は鉛の様に重いながらも身体を動かすことが出来るようです。

 

 私は光の方向へ歩きはじめました。

 

 一歩歩くごとに、身体の感覚がより鮮明になっていきます。

 

 ジワジワと痛みだす左肩、酷い頭痛と吐き気、さっきまでは何ともなかった私の身体が急に騒がしくなってきます。

 

 正直辛いです。今すぐ倒れてしまいたい程に。

 

 でも何故か私には、こんな痛み達が少しだけ愛おしく感じました。

 

「痛いよ……辛いよ……でも、何だか……生きてるって感じがする」

 

 さっきまでの無感覚に比べれば、こっちの方が遥かにマシですね。

 

 光は私が近づくごとに、どんどんと輝きを増していく様に感じます。

 

 あの光は一体何なのでしょう、本当にあの先にアルちゃんが居るのでしょうか?

 

 全く分かりませんが、今の私にとって希望な事は間違いないでしょう。

 

「もう少し……もう少しで手が……届く」

 

 私は重い身体に鞭を打って、光に向かって右手を伸ばします。

 

「アルちゃん……そこに居るなら……手をっ」

 

 遂に光へ届く私の右手。

 

 そして、私の右手に感じる確かな感触。

 

 この温もり、忘れるはずがありません。

 

 間違いなく、アルちゃんの手の温もりです。

 

 

「アルちゃん!!」

 

 

 私は叫びます、大好きな人の名前を。

 

 返事は返ってくる事はありませんでした。

 

 でも光は更に強さを増し、

 

 遂にすべての闇を晴らしたのです。

 

 

 

 あまりの眩さに目を閉じていた私は、そっと目を開けます。

 

 そこはもう闇は無く、光り輝く世界が広がっています。

 

 そして私の目の前には、アルちゃんが立っていました。

 

 

「アルちゃん、やっぱり居たんだ! 会いたかったんだよっ」

 

 

 つい嬉しくて、私はアルちゃんに飛びついてしまいます。

 

 ギュっと抱きしめる私の頭を、そっと撫でてくれるアルちゃん。

 

 けど、少しだけ変だなと思いました。

 

 それは、アルちゃんがさっきから一度も声を発していない事です。

 

「……アルちゃん、どうして返事してくれないの?」

 

 私はアルちゃんに埋めた顔を上げ、アルちゃんの表情を伺いします。

 

 やはりアルちゃんは何も答えません。唯笑顔で、私の頭を撫でるだけです。

 

 その時私は気づきました。

 

 アルちゃんの何時も太陽の様に明るい笑顔に、少しだけ憂いの様なものがある事を。

 

「……アルちゃん、何で悲しそうな顔するの?」

 

 私が聞くと、アルちゃんは困った様に笑います。

 

 そんなアルちゃんの態度に、私の中には段々と不安が込みあげてきます。

 

「ねえアルちゃん、何か喋ってよ! 私アルちゃんとお話ししたいよっ」

 

 アルちゃんは何時も私のお願いを「しょうがないなぁ」と言いつつ聞いてくれます。

 

 だから今回もきっと聞いてくれる。

 

「お願いアルちゃん……じゃないと私、不安で押しつぶされそうになる……っ」

 

 私は必死にアルちゃんにお願いしました。

 

 でもアルちゃんは、喋ってくれません。

 

 

 何でアルちゃんは喋ってくれないんだろう。

 

 私が何か悪い事をしちゃったの?

 

 だったら幾らでも謝るから、だからお願い。

 

 

 俯く私の首筋に、何か温かい物が触れます。

 

「……え?」

 

 何だろうと顔を上げると、それはアルちゃんとエリカさんから貰ったマフラーでした。

 

 私とアルちゃんが離れない様にとお互いの手に結んでいたマフラーを、アルちゃんが私の首に巻いてくれたのです。

 

 首に巻かれたマフラーは不思議な温もりを発して、私の全身をポカポカと温めてくれます。

 

「……温かい」

 

 それはまるでアルちゃんに撫でて貰っている時の様な、私に幸せを感じさせてくれる温もりでした。

 

「とっても温かいよ。ありがとう、アルちゃん」

 

 私がお礼を言うと、アルちゃんは返事をする代わりにギュッと私を抱きしめます。

 

 まるでアルちゃんの優しさが、身体を通して伝わってくる様。

 

 でもやっぱり感じるよ、アルちゃん。

 

 アルちゃんから悲しさが、寂しさが。

 

 アルちゃんが悲しむと、私も悲しくなっちゃうよ。

 

 

 少ししてアルちゃんは私から離れると、スッと私の後ろを指さします。

 

 指された先を見てみると、いつの間にかそこには扉が1つありました。

 

 どうやらアルちゃんは、私にこの先に行くようにと伝えたいようです。

 

「……分かった。でもアルちゃんも一緒にいこ?」

 

 私はアルちゃんの手を引いて一緒に行こうとします。

 

 アルちゃんを置いていくなんて出来る訳がありません。

 

 

 ずっと一緒に居たい。

 

 

 ただその想いで、あの冷たい川にだって飛び込んだのですから。

 

 だけどアルちゃんは俯くと、静かに首を横に振ります。

 

「なんでっ……ヤダよアルちゃん! 私一人でなんて行きたくないっ!! 行くならアルちゃんと一緒、ずっと一緒が良いのっ!!」

 

 まるで駄々をこねる子供の様に、私は叫んでアルちゃんを説得しようとします。

 

 アルちゃんを困らせるのは嫌ですが、私にはアルちゃんと離れる方がもっと耐えられないから。だから我儘を言ってでもアルちゃんに折れて欲しい。

 

 その気持ちを込めて、アルちゃんを呼び続けます。

 

 

 ――――いっしょにいこう!――――

 

 

 私の叫びが通じたのか、遂にアルちゃんは顔を上げてくれました。

 

 でもその顔はどこまでも悲しそうで、

 

 悲しそうな顔のままアルちゃんは、口を動かします。

 

 声は一切出てませんした。でも私には、アルちゃんが何と言っているか分かってしまいました。

 

 

『お願い、ナナシ』

 

 

 悲痛な表情でアルちゃんは、私にお願いをしているのです。

 

 アルちゃんは普段、私にお願いをすることはあまりありません。

 

 いつも私がお願いばかりしているからでしょう。

 

 だからこそ、私は出来るだけアルちゃんのお願いには応えてあげたいと思っています。

 

 だけど、決まってアルちゃんのお願いは何時も……私にとって応えづらい物ばかりなのです。

 

「……どうしてもなの、アルちゃん?」

 

 私はまっすぐアルちゃんを見て問い掛けます。

 

 そしてアルちゃんは私の問いに、ゆっくりと頷きます。

 

 

 何故アルちゃんは私に一人で行くように言うのか、理由は私には分かりません。

 

 でもアルちゃんは私にそうして欲しいと強く願っているのはよく分かりました。

 

 だから私は、

 

「……分かったよ、アルちゃん。だからもう、そんな悲しい顔しないで」

 

 アルちゃんのお願いを、聞き届ける事にしました。

 

 

 

 私が一人で行くと伝えると、アルちゃんは笑ってくれました。

 

 先程と同じ、とても寂しそうな笑顔です。

 

 アルちゃんがずっと寂しそうにしているというのに、私にはその寂しさを和らげてあげる事は出来ないのでしょうか。

 

 私に出来そうな事、そう考えて思い当たる事が一つ。

 

 それは私にとって、少々リスクのある行動です。だけど、それでアルちゃんがまた笑ってくれるなら、それぐらいのリスクは背負ってみせましょう。

 

「ねえ、アルちゃん」

 

 ドアの元へ行く前に、もう一度アルちゃんに声を掛けます。

 

 わたしにもできること、それは――――

 

「……ア、アルちゃん……私のお腹、触る?」

 

 右手で軍服とシャツを捲って、アルちゃんの前にお腹を差し出す事。

 

 以前アルちゃんが元気が出る言ってくれた、私のお腹を触ってもらう事でした。

 

 キョトンとした顔で私を見るアルちゃん。

 

 お願いアルちゃん、そんな目で見ないで。

 

 これ、思ったより恥ずかしい。

 

「……うーっ、だって前元気出るって言ってたでしょ? だからアルちゃん、また元気に笑ってくれるかなって……」

 

 どんどん恥ずかしさが込みあげてきて、私の声は小さく、顔はどんどん俯いてしまいます。

 

 やっぱりこれじゃ元気出ないのかな。

 

 そう思ってお腹をしまおうとした矢先、服を捲っていた右手がぐっと掴まれます。

 

「ふぇ?」

 

 何事かと顔を上げると、そこにはいつの間にか目の前まで移動して、お腹を終おうとする右手を止めるアルちゃんの姿が。というか、今加速魔法使った!?

 

「あっ……え、えっと……アルちゃっ……ひゃぁ!?」

 

 突如お腹に走るくすぐったさに、思わず変な声が出てしまいます。

 

 理由は言うまでも無く、アルちゃんです。

 

 アルちゃんが何とも楽しそうに私のお腹をモミモミしているのです!

 

「ちょっ……ちょっと待ってアルちゃん!? いきなりはくすぐっ……にゃぁぁ!?」

 

 慌ててアルちゃんを止めようとするも、アルちゃんのパワーに敵う筈も無く。

 

 結局私のお腹は、アルちゃんが満足するまでモミモミされ続けるのでした。

 

 

 

「うぅ……酷いよアルちゃん。待ってって言ったのに……」

 

 私は恨めしそうにアルちゃんを見ますが、アルちゃんは素知らぬ顔で笑っています。

 

 その笑顔は、私の良く知っている笑顔。

 

 いつも元気一杯な、私の大好きなアルちゃんの笑顔でした。

 

 大分酷い目に遭いましたが、この笑顔を見れたのですから良しとしましょうか。

 

 まだちょっと名残惜しそうにしているアルちゃんにメッしつつ、私はお腹をしまってドアの方へ歩いていきます。

 

 丁度ドアの前まで着くと、後ろを振り向いてアルちゃんの方を見ました。

 

「またすぐ会えるよね? アルちゃん」

 

 アルちゃんは頷くと、私に向かって手を振ってくれます。

 

 私も手を振り返すと、意を決してドアを開けました。

 

 ドアの向こうは一際光り輝いていて、一切先が見通せません。

 

 少し怖いですが、でもアルちゃんが言うのですからきっと大丈夫な筈です。

 

 そして私がドアの向こうへ一歩踏み出した瞬間、

 

 

 ――――バイバイ、ナナシ――――

 

 

 確かに聞こえた、アルちゃんの声。

 

 アルちゃんからの、お別れの言葉。

 

 慌てて振り向こうとしますが、私の身体はドアの向こうに吸い込まれていき、もうアルちゃんの姿を見る事は出来ませんでした。

 

 そして眩い光に包まれた私の意識は、スーッと途切れていったのです。

 

 

 

 

 

 

 私が目を覚ますとそこは、川の中ではなくちゃんとした地面の上の様でした。

 

 どうやら先程の光景は、私の見ていた夢だったようです。

 

 視線の先に青空が浮かんでいる所を見ると、どうやら既に日は登っているみたいですね。

 

 相も変わらず身体は鉛の様に重くて、肩は痛みを訴え続けています。しかし少し休んだおかげか、頭痛と吐き気は治まっていますね。

 

 そして不思議な事に、私の身体は何故かポカポカ温かいのです。

 

 日の光のお陰? それにしたって川に飛び込んだのですから、下手をすれば凍傷になっていてもおかしくない筈なのに。

 

 その理由は、私の首に巻かれたマフラーでした。

 

 マフラーが淡い光を帯びつつ、優しい温もりを発して私を温めてくれていたようです。

 

 このマフラーにこんな機能があったなんて知りませんでした。

 

 優しい温もりのマフラーをギュッと握りしめて、私は現状を把握する為頭を働かせます。

 

 頭の中で色んな事がぐるぐると駆け巡っていきますが、私はその中でも一番重要な事を思い出しました。

 

「アルちゃん! アルちゃんは何処!?」

 

 一緒に川に飛び込んだ大切な人、そしてさっきの夢でアルちゃんが最後に言った言葉。

 

 私はすぐに起き上がると、アルちゃんを探す為辺りを見回します。

 

 すると幸いな事に、アルちゃんは私のすぐ近くで、仰向けに倒れていました。

 

 良かった、アルちゃんはここに居る。まだ一緒に居られるんだ。

 

 アルちゃんが居なくなって無い事に安堵しつつ、私はすぐにアルちゃんの元へ駆け寄ります。

 

 

「アルちゃん! 起きて、アルちゃん!!」

 

 

 しかしアルちゃんは、夢と同じで返事をしてくれません。

 

 

「ねえアルちゃん! こんな所で寝ちゃったら風邪引くよっ」

 

 

 身体を揺すってみても、一切反応はありません。

 

 

「……アルちゃん?」

 

 

 それ所か、その身体は冷え切っていて氷のように冷たくて。

 

 

「ねえ、アルちゃん……起きようよ!」

 

 

 幾ら呼び掛けても、その瞼を開いてはくれないのです。

 

 

「アルちゃん……お願いっ……目を開けて」

 

 

 何故ならば、アルちゃんは――――

 

 

「そんなっ……そんなのって無いよ……」

 

 

 眠るように、息を引き取っていたのですから。

 

 

「アルちゃぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 

 

 私はそんなアルちゃんを抱きしめて、唯々叫ぶことしか出来ませんでした。

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