戦場駆ける白き野兎   作:バサル

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第二十七話

 人はどんなに辛くても、何か一つ希望があれば生きていける。

 

 この言葉を誰が言っていたのかはもう覚えてはいません。でも、本当にその通りだなと今は思います。

 

 前世で私が苦しいながらも生きていたのは、きっと兄の言ったあの言葉のお陰。

 

 そしてこの世界で大切な人を、物を殆ど失って、それでも生きてこれたのはアルちゃんが一緒に居てくれたから。

 

 この世界でアルちゃんは、私にとってたった一つの希望だったのです。

 

 でもそれが失われて、私の中で生きる希望はもう残っていません。

 

 死ぬは今でも怖い筈なのに、それでも生きていくだけの気力が私の中にはもう無いのです。

 

 

 

 

 結局、アルちゃんは私が何度呼び掛けても目を覚ましません。

 

 色んな方法を試しました。

 

 いつもは寝起きの悪いアルちゃんが一発で起きる魔法の呪文も試しました。

 

 でも、それでもアルちゃんは目を覚ましてくれなくて。

 

 だけどアルちゃんがもう目を覚まさないとは信じたくなくて、ずっと私はアルちゃんに呼びかけ続けたのです。

 

 

 それからどれだけの時間が経ったのでしょうか。

 

 叫び疲れた私は、いつの間にかアルちゃんの隣に倒れ込んでいました。

 

 マフラーの不思議な温もりはいつの間にか途切れていて、地面に浅く積もった雪がジワジワと身体を冷やしていくのを感じます。

 

「……このままじゃ、凍死しちゃうかな」

 

 死にたくないのなら、ここからすぐに離れる必要があるでしょう。

 

 川に流されたといっても、あの場所からどれだけ離れることが出来たのかは分かりません。安全を確保する意味でも、この場所に留まるのは危険なのは間違いありません。

 

 だけど、もう私には立ち上がる気力が湧かないのです。

 

 それにもしかしたら、今ここで死んでしまえばアルちゃんとまた会えるかもしれない。

 

 一度死んで女の子に生まれ変わるなんてことがあるぐらいです。もしかしたら、可能性はあるかもしれません。

 

 そう思ってしまえば、もう動けるはずなど無いのでした。

 

 どうせこのまま死んでしまうなら、アルちゃんの隣が良い。

 

 私がそんな事を考えていると突然、

 

 

 ――――ザッザッザッ――――

 

 

 聞こえたのは、雪を踏みしめる人の足音。しかも音が重なって聞こえたことから複数人居る様です。

 

 音はどんどんこちらに近づいてきますが、今の私には確認する気力もありません。

 

 そして遂に足音は、私の目の前まで近づいてきて止まります。

 

 相手がオーガなら、きっとこのまま撃ち殺されて終わりでしょう。

 

 そう思ってキュッと目を閉じその瞬間を待ちますが、幾ら待ってもその瞬間は訪れません。

 

 不思議に思っていると、あろう事か何者かの手が私の首に巻かれたマフラーを引っ張って奪い取ろうとします。

 

 

 ダメ、これはアルちゃんに貰った大切な物なんだから!

 

 

 気づくと私は、その何者かの腕を掴んでいました。

 

「ひっ!? こ、この子まだ生きてる!」

 

 恐らく相手は私がもう死んでると思ったのでしょう。悲鳴と共にマフラーを放してくれます。

 

 良かった、これでマフラーを取られる心配は無さそう。

 

 私がそう安心したのもつかの間、段々と周りが騒がしくなってきます。

 

 

「おいなんだ、どうした?」

「この子まだ生きてるんですよ! おいお嬢ちゃん。大丈夫か?」

 

 この感じ、もしかしてオーガじゃないのでしょうか?

 

 私がトゥーリスの軍人なのは軍服を見ればすぐ分かるでしょうし、それでも声を掛けてくるということは友軍?

 

 ともかく声の主を確認する為、私は目を開けます。するとそこに居たのは十代後半程の男性で、その身に纏っているのは紛れもなくトゥーリスの軍服です。

 

「! 意識があるんだな。良かった……自分の名前は分かるか?」

「……はい。ガルド小隊所属、ナナシ・エルフィー二等兵です」

「ガルド小隊……そうか。ボクはニルス小隊所属のラウル・ヴェロネン兵長だ。悪いがあまり悠長に話してる暇は……」

「ラウル兵長、そっちの女の子は無事だったんだな!」

「はい、この子はガルド小隊所属のナナシ・エルフィー二等兵との事ですニルス曹長」

 

 ニルス曹長と呼ばれた男性は私の元までやってくると、悲しそうに私の顔を覗き込みます。

 

「もう一人倒れていた女の子も、君と同じガルド小隊の子で間違いないね?」

「はい……アルマ・ワイズ二等兵です」

「分かった。これは君が持っていたまえ」

 

 そう言ってニルス曹長が私に差し出したのは、アルちゃんが首から下げていたドッグタグでした。

 

 ドッグタグというのは身に着けている兵士の所属や氏名を記載した認識票の事です。そしてこれを渡されるという意味が、私にアルちゃんが死んでしまったという事実を再認識させます。

 

 何とか受け取ろうとしますが、手が震えてしまい中々受け取ることが出来ません。

 

「ご、ごめんなさい……」

「良いんだよ。誰だって辛い事は受け入れるのに覚悟が必要だ」

 

 ニルス曹長は私がドッグタグを受け取るのを辛抱強く待ってくれた後、立ち上がって他の兵士の方達に指示を飛ばします。

 

「小隊各位、オーガはすぐにここにもやってくるぞ。各自遅滞戦の準備、ラウル兵長はナナシ二等兵を連れて後方へ撤退。タクマ中尉にボク達が遅滞戦を開始する旨を伝えてくれ」

「……了解しました。ご武運を、小隊長」

「え……ちょ、ちょっと待ってくださ――――」

 

 会話の終わりと同時に私の身体はラウル兵長に持ち上げられて浮き上がり、肩へと担がれます。

 

「暫く我慢してくれよ、ナナシ二等兵」

「待って……待ってください! 私はここから離れるつもりはありません。アルちゃんが……っ」

 

 アルちゃんをこんな所に置いて行ける訳がありません。

 

 私は必死にもがいて降りようとしますが、ラウル兵長の両腕はしっかり私を掴んでいて放してくれません。

 

「あの子はもう死んでるんだ、ここに置いていくしかない。さっきも言ったがオーガはすぐそこまで来てるんだ。ここに居たら殺されるんだぞ」

「ッ……でも……」

「あの子は君の友達だったんだろう? だったら、彼女も君がこんな所で死ぬ事は望んでない筈だよ。さあ、舌を嚙むといけないからお喋りはこれでお終いだ」

「ああっ!!」

 

 ラウル兵長は一方的に会話を打ち切ると、そのまま私を担いで走り始めます。

 

「嫌っ放して! アルちゃんと一緒に居させてよ!! いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 無我夢中で叫ぶ私の言葉は結局届くとは無く、私はみるみる小さくなっていくアルちゃんの姿を唯見ていることしか出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 それから私はラウル兵長の手によって前線を離れ、後方に陣取っていたタクマ中尉率いるタクマ中隊へと合流しました。

 

 そこで私が聞かされたのは、ガルド小隊は敵を足止めする為最後の1人まで戦い抜いて全滅した事。

 

 現在オーガは複数のルートから首都ヘルキュアに向けて軍を進めており、トゥーリス兵に甚大な被害が出ているという事。

 

 イフメヤルヴィは完全に敵の手に落ちており、恐らくそこに居たトゥーリス兵達も全滅している事。

 

 タクマ中隊にも大きな被害が出ているという事と、ガルド小隊が全滅していることから私はこのままタクマ中隊へと配属されることとなります。

 

「ほぉ……索敵魔法を使えるとは貴重だな。期待しているぞナナシ二等兵」

「……はい、お役に立てる様尽力いたします。タクマ中隊長殿」

 

 正直私には、もう戦う意思など残っていませんでした。

 

 でも一度軍に入った以上、敵前逃亡も許されません。

 

 それにガルド小隊の皆さんも、アルちゃんも、皆最後まで勇敢に戦っていたのです。

 

 私だけ1人逃げることなんて出来ません。

 

 私も皆と同じく、ちゃんと戦って、戦って、戦い抜かないと。

 

 そして最後は――――

 

 

 

 

 

 

 本来中隊とは、150人から200人程の部隊をそう呼びます。

 

 タクマ中隊は被害が出ていたという事もあり、私が配属した時の人数は130名程。

 

 しかしオーガの侵攻を食い止める為、遅滞戦を繰り返すごとにその人数はどんどん減っていきます。

 

 来る日も来る日もオーガと撃ち合い、押し負けて、ジリジリと後退していく。

 

 気づけば中隊の人数は半数程、もはや小隊規模にまで戦力が落ちてしまっています。

 

 他の部隊から人員を再編成することによって何とか維持は出来ていますが、兵士の方々の士気は低く、連携も難しくなってきています。

 

 その様な事情もあり、現在タクマ中隊は前線より少し後方の位置へ拠点を作って戦線維持を最小限とし、遅滞戦を行う他の隊への支援が主な役割となっています。

 

 私も最初は前線で索敵任務を行っていたのですが、あまりにも敵の数とこちらの戦力に差がありすぎて殆ど役に立つことが出来ず、今はこの拠点で士官の方々のお世話や雑務のお手伝いをする事が主な任務となっていました。

 

 この簡易で作られた拠点もあと数日中には引き払って、更に後方へ移動する必要が出てきてしまうでしょう。

 

 負け続ける戦いの中で、兵士達はどんどん疲弊していきます。

 

 元々オーガの攻勢が始まってから補給が滞りがちだったのを今までは倒したオーガからの物資で補っていましたが、完全に押し負けてしまっている現状ではそれもままなりません。

 

 弾薬等も心許ないですが、何より足りないのは食料でした。

 

 飢えは士気を低下させ、兵士同士の衝突を誘発します。

 

 私は子供で女の子な上に、生前で飢えに対する耐性もある程度持っていましたのでまだ耐えられましたが、明らかに部隊の空気が悪くなってきているのを感じます。

 

 昼食休憩の時間私が食事を受け取っていると、大きな怒鳴り声が聞こえてきます。

 

「た、頼む……勘弁してくれ!」

「煩い! 何で寝てるだけのお前と必死で戦ってる俺の飯が一緒の量なんだよ。こんなの納得できるかッ!!」

 

 声のした方を見ると、一人の兵士が怪我をしている兵士から食事を奪おうとしていました。

 

 最近はこういった口論も非常に増えています。

 

 ですがこのままではお二人にとって良い事になるとは思えません。私は支給された手つかずの食事を持ったまま、二人の元へと近寄って声を掛けます。

 

「その人は怪我をしています、怪我を治すにはご飯を食べなければなりません。だからその人のご飯を取らないであげて下さい」

「あ? 何だテメェ、ガキはすっこんでろ」

 

 私を睨みつけるその目は血走っていて、まるで野生の獣の様です。きっとお腹が空いて仕方がないのでしょう。

 

 ご飯が食べれない悲しさも、空腹の辛さも私はよく分かります。

 

 だから、少しでもこの人を楽にしてあげないと。

 

 

「私のご飯、貴方にあげます。だからその人のご飯を取らないでください」

 

 

 私は、自分のご飯が入ったトレーを差し出しました。

 

 どうやらそんな事をしてくるとは思ってなかった様で、先程まで怒り狂っていた兵士の方は明らかに動揺しています。

 

「お、おい……これはお前の飯だろ」

「大丈夫です、私はあまりお腹空いてませんので」

「でも……流石に」

「それに私は部隊の中でも殆ど仕事が出来ない役立たずです。そちらの方は怪我が治れば、私よりずっと皆さんのお役に立つでしょう。先程の貴方の言い分なら、やはり私がご飯を差し出すべきだと思います」

 

 兵士の方はまだ何かを言いたそうでしたが、私は半ば無理やりトレーを押し付けるとその場を後にしました。

 

 どうせ私が食べても無駄にしてしまうだけなので、寧ろありがたいくらいです。

 

 それにきっとあの方も、普段はあの様な蛮行をする人では無いのでしょう。お腹を満たしたことで、さっきの怪我をしていた人と仲直り出来れば良いのですが。

 

 

 戦争は人を容易に変えてしまいます。

 

 それが敗戦濃厚な戦いなら尚の事。

 

 このまま行けば私達は――――

 

「……? あれ……」

 

 突如私の身体が大きくぐらつきます。

 

 駄目だ、多分このまま地面にぶつかる。

 

 そう思い痛みを覚悟しましたが、地面にぶつかる直前に私の身体を誰かが支えてくれました。

 

「おっと……大丈夫かナナシちゃん?」

「あ……ラウル兵長……殿?」

 

 私を助けてくれたのは、あの時私を連れて後退してくれたラウル兵長でした。

 

 ラウル兵長が所属していたニルス小隊はあの遅滞戦後に連絡が付かなくなり、恐らく全滅したとの事。

 

 よってラウル兵長も現在は私と同じタクマ中隊所属となっています。

 

「フラフラじゃないか。食事はちゃんと取ってる?」

「……はい。問題ありません」

「はぁ……問題なけれりゃ、こんないきなり倒れそうになったりしないだろ」

「ごめんなさい」

「謝る必要な無いけど、君はもう少し自分の身体を心配するべきだ。さっき衛生兵の人にも聞いたよ、最近ずっと調子が悪いんだろう?」

 

 心配そうに私の顔を覗き込んでくるラウル兵長。

 

 この人は度々私の様子を気にしてくれています。私はあの時この人に散々酷い事を言ってしまった筈なのに、何でこんなに私の心配をしてくれるのか分かりません。

 

「皆さんに迷惑を掛けてしまい、申し訳ありません。その分別の形で貢献出来る様尽力させて頂きます」

「いや、別に迷惑なんて言ってないだろ? 折角ここまで生きてこられたんだから、その命は大切にしろってことさ」

「了解しました、兵長殿」

「……やれやれ。とりあえずナナシちゃん、これを食べなよ」

 

 そう言って差し出されたのは、クリスプ・ブレッドと呼ばれるライ麦を使った乾パンでした。

 

 正直先程は強がりましたが、私もお腹が空いているのは事実。しかし食料は現在一番の貴重品、それを易々と頂く訳にはいきません。

 

 それに、今の私が食べても無駄にしてしまうのです。

 

「大丈夫です、先程ご飯を食べましたので。それは兵長殿が食べてください」

 

 私は受け取りたい気持ちを堪えて、受け取りを拒否します。

 

 これで良いのだとラウル兵長の様子を伺うと、予想外な事に何とも言えぬしかめっ面で私を睨んでいました。

 

「……あの、兵長殿?」

「知ってるかいナナシちゃん。大人には面子というものがあってね、こうやって出した物を突き返されるのは、それはもう傷つく行為なんだよ」

 

 そう言って頬を膨らませるラウル兵長。

 

 確かに、よく考えれば相手の好意を無碍にするこの言い方は大変失礼に当たる行動でした。

 

 慌てて私は弁明します。

 

「え……? あ、いや……そんなつもりは! 唯食料は今減る一方ですし、私なんかより兵長殿が食べた方が有意義だとっ」

「はぁ……大分傷ついちゃったな。まさかナナシちゃんにも舐められてるなんて、俺ナナシちゃんより階級上なんだけどなぁー、命令1つ聞いて貰えないか」

「そ、そんな事ありません! 兵長殿のご気分を害してしまい、大変申し訳ありませんっ!」

 

 何とか許して貰えるよう、必死に頭を下げて謝罪します。

 

 私はなんて馬鹿なんでしょう。

 

 軍は階級が全ての上下社会、下の者が上の方の命令を拒否するなど絶対あってはならない事です。

 

 よく分かっていた筈なのに、ああもう私のバカバカバカバカバカッ!

 

 そして私の頭にポンと置かれる手、思わずビクンと身体が跳ねます。

 

 上官の命令に背く事は即懲罰の対象、その場で射殺されても文句は言えません。

 

 どんな沙汰が下るか、私は震えながら待ちます。

 

 すると、

 

「分かれば良い。じゃあナナシちゃん、とりあえず顔上げて、それと口開けて」

「ふえ……? あ、はい!」

 

 私は言われた通り顔を上げ、大きく口を開けます。

 

 するとそこに、半分に割ったクリスプ・ブレッドが放り込まれ、ライ麦特有のナッツの様な風味が口の中に広がりました。

 

「はい、もぐもぐして。味はどうだいナナシちゃん?」

「お、おいひいでふ……」

「それは良かった。ちゃんと食事は取らなきゃダメだよ、君は成長期なんだからね」

 

 そう言ってラウル兵長はニッコリ笑うと、私の頭を優しく撫でてくれました。

 

 状況がよく分かりませんが、どうやら許して貰えたようで何よりです。

 

「所でナナシちゃん、この後どうする予定だい?」

「っ! あ……」

「ああごめん、呑み込んでからで良いからゆっくり味わいな」

 

 モキュモキュモキュ ゴックン

 

「失礼しました。この後はタクマ中尉に呼び出されてますので、そちらに向かいます」

「要件は聞いてる?」

「……いえ、特には」

 

 タクマ中尉に呼び出されている話をすると、急にラウル兵長の顔が曇ります。

 

「……あの、兵長殿。どうかされたのでしょうか?」

「あ、いや……何でもないんだ。呼び止めてしまって悪かった、じゃあまたね」

「え、あ、はい! ご飯ありがとうございました!」

 

 気になって聞いてみましたが、ラウル兵長はそのまま去って行ってしまいました。

 

 去り際にまだお礼を言えてなかったので大きめに叫ぶと、ラウル兵長はヒラヒラと手を振って返してくれます。

 

 ご飯のお陰で少し満たされたお腹。

 

 でもこの後の事を考えたら、きっと無駄にしてしまう。

 

 感謝と申し訳なさを感じつつ、私はタクマ中尉の元へと向かいました。

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