私が中尉の居る簡易キャンプまでやってくると、中から大きな怒鳴り声が聞こえてきます。
声の主はタクマ中尉でしょう。一緒に何かが壊れる音と悲鳴が聞こえ、テントの中から顔が腫れあがった兵士が出てきます。
「あ……あの、その怪我大丈夫ですか?」
「……」
私は声を掛けますが、兵士の方は何も言わず去っていきます。
どうやらこの人も中尉の
「ナナシ二等兵です、入室の許可を願いします」
テントの前で待っていると少しして中から入れと声が聞こえ、私は中へと入ります。
中に居たタクマ中尉は少しやつれた様子で、薄っすらとクマの出来た目で私の方を見ます。
「よく来たナナシ二等兵。今出ていった兵士は見たかね?」
「……はい」
「全く無能な奴だよ、ガキの使い程度の事も出来はしない。そんな部下を持った私の疲労も溜まる一方だ。君は、そうでないと信じて良いだろうか」
「はい、中尉殿のご期待に沿える様尽力いたします」
「なるほど、それを聞いて安心したよ。さあこちらに掛けたまえ」
ニコリと笑うタクマ中尉に勧められ椅子に座ると椅子の淵に血が付いています。
恐らく、先程の方の物でしょう。
この後の事を考えると身体に震えが走ります。
「さてナナシ二等兵、今回来て貰ったのは君が優秀な索敵魔法の使い手と見込んでのことだ。忌憚のない意見を聞かせて欲しい」
「了解致しました、中尉殿」
「よろしい。ではまず現状の再確認からだ。君は我々の状況をどのくらいまで理解しているかな?」
タクマ中隊の現状、それは控えめに言っても良いものとは言えないでしょう。
相次ぐ戦闘による被害、優秀な兵士の方々の戦死によって最初からこの中隊に所属していた方は3割も残っていないそうです。元々この中隊の中隊長も他の方が指揮していてタクマ中尉は補佐役をされていた所、中隊長が戦死され、タクマ中尉が臨時で引き継いでいる状態だとか。
補充や再編成で人数を揃えても、兵士一人一人が連携し戦うためには訓練が必要不可欠。
しかしそんな時間は取れる訳もなく、結果タクマ中隊はまともに戦える部隊では無くなってしまっているのです。
今辛うじで戦線を持ちこたえているのは別の隊から臨時で借り受けているクラン小隊のお陰であり、もしクラン小隊が全滅するような事があればこの中隊も運命を共にすることとなるでしょう。
それに加え、日に日に増えていくオーガの数。
既に私達だけでどうこうできる状況では無いというのが私の考えです。
この絶望的な状況をそのまま口にしても良いものか悩みますが、先程忌憚のない意見をと言われた手前、ちゃんと考えを言うべきでしょう。
「現状の中隊戦力では、正直これ以上オーガの侵攻を食い止めることは難しいと思われます」
「ほぅ……」
その瞬間、先程まで笑顔だったタクマ中尉の顔が曇ります。
「つまりナナシ二等兵、君は我が弱いと言いたいのかな?」
「ッ……そ、そういう訳では」
「ではどうして敵の侵攻を食い止めることが出来ない。理由を述べたまえ」
「それは……敵の数があまりにも多すぎて」
「いいや違うな。理由を言ってあげよう、それは兵士達の怠慢故だ」
タクマ中尉は座っていた椅子から立ち上がると、ゆっくりこちらへ歩いてきます。
そして目の前まで来ると、私の襟首を掴んでグイっと引き寄せます。
「君の索敵魔法なら敵の位置を察知し、常に先手を打てるはずだろう。奇襲なりなんなりやりようはある筈だ、何故それをしてオーガを追い返さない!?」
「っ……も、申し訳……ありません」
「謝罪? 私はそんな物求めたつもりは無いのだがね、何故かと聞いているのにどうして謝罪が出てくる? それとも君は私が言ってる事すら理解できない無能なのか!?」
「んぐっ……そ、そんな事は……」
「ッ――――!!」
次の瞬間、お腹に強い衝撃を受けて私は地面へと倒れこみました。
原因は、タクマ中尉による腹部の殴打。
すぐに立ち上がらなければと思うものの、上手く息をする事が出来ずお腹を押さえて蹲ってしまいます。
「っは……はっ……はっ……」
「どうしたナナシ二等兵、早く立て」
「うっ……ぐっ……」
蹲る私に向けられる、冷たく無機質な声。
早く立ち上がらなければ、タクマ中尉をもっと怒らせてしまいます。
私は何とか呼吸を落ち着かせて立ち上がりますが、そこにさっきよりも強い一撃が私のお腹を襲い、床に倒れ込んでしまいます。
「がはっ!?」
「立てというのが聞けんのか、やはり君は無能な兵士の様だな」
「あっ……ぐっ……ごめん、なさい……」
「どいつもこいつも私の命令を何故守ることが出来ない!? まったくもって嘆かわしいよ。……仕方あるまい。私としてもこんな事はあまりしたくないのだが、無能な兵士にはきっちり
「は……い……」
私がこの中隊に入ってから、タクマ中尉からこういった指導を何度も受けています。
そして殴られるのは大抵お腹の為、ご飯を食べてしまうと吐き出してしまいます。
なので最近は、出来るだけご飯を食べない様にしていました。
今日もそのつもりでご飯をあの人にあげたのですが、さっきご飯を食べてしまいました。
どうしよう、このままじゃまた床を汚してしまう。
そうしたらきっと、もっともっと怒られる。
何とか我慢しないと。
痛いお腹を抑えつつ、私は立ち上がって姿勢を正します。
「申し訳……ありません、中尉殿。ご指導、ありがとうございます……」
「ああ……先程無能と言ったのは訂正しよう。君はまだ未熟だが、向上心のある素晴らしい兵士だ。だからこの指導を耐え抜けば、君は立派になれる。いいね?」
先程と違い、優しく掛けられる言葉と労わる様にお腹を撫でる手。
ああ、この人もきっと本当は優しい人なんだ。
でも私が無能だから、役立たずだから、だからこの人を怒らせてしまっているんだ。
ううん、それだけじゃない。
私がもっとしっかりした兵士なら、もっともっと索敵魔法を上手く扱えていたなら、きっと皆死なずにすんだんだ。
ガルド小隊長、ミカさん、トニーさん、エリカさん、ヘルシェさん、そして……アルちゃんも。
こうなってしまったのは全部私の所為。
何時までも未熟で、役立たずな私の所為。
だからせめてちゃんと耐えきって、少しでも立派な兵士にならないと。
その為にこうして指導してくれるタクマ中尉に感謝しなきゃ。
「はい、立派になれる様頑張り……ます!」
私は感謝を込めて、笑顔でタクマ中尉に宣言します。
その顔を見て、満足そうに笑うタクマ中尉。
なんでだろう。
笑って貰えて、私は嬉しい筈なのに。
どうして少しだけ、その笑顔に私は寒気を覚えてしまうんだろう。
きっと私がおかしいからだ。
早く立派な兵士になって、まともにならないと。
「よく言ったぞ、ナナシ二等兵。私は君に期待しているんだ、絶対にその期待を裏切るなよ」
そしてタクマ中尉の指導は再開されました。
苦痛に何度か嗚咽を漏らしてしまいますが、耐えきる為必死に我慢します。
殴られる度に、段々と痛みに慣れてくる身体。昔と同じです。
こうなってしまえば後は嵐が過ぎ去るのを待つように、唯耐えるだけで大丈夫。
暫くして、お腹を殴られるのが止みます。
どうやら、許して頂けたようですね。
今回はちゃんと耐えられた。これで私も少しは立派な兵士に慣れたのかな。
ホッとして、身体の緊張が少し緩みます。
しかしその直後、
油断して力を抜いていた私のお腹に、タクマ中尉の鋭い蹴りが突き刺さりました。
「がっ……!?」
殴られるのを覚悟して受けるのと、まったく予想外のタイミングで受けるのではダメージの度合いは大きく変わります。
内臓がひっくり返るような衝撃はもはや我慢できるどうこうのレベルではなく、床に転げまわって悲鳴をあげる私。
そして直後に喉元からせり上がってくる何かを感じて必死で口元を抑えますが、耐えきれなくて折角貰った食料をその場に吐き出してしまいました。
「ッッッ!? ……はぁ……はぁ……」
上手く空気を吸うことが出来なくて、朦朧とする頭。
そこにタクマ中尉が近寄ってきます。
「おやおや、駄目じゃないかナナシ二等兵。大切な食料を無駄にした上に、私のテントをこんなに汚してしまって。これは指導だけでは済みそうもないなぁ」
「あっ……」
「ナナシ二等兵がこんな悪い子だとは知らなかったよ。悪い子にはお仕置きをしないといけないね?」
しゃがみ込み、私の顔を覗き込む中尉。なんとか空気を吸えるようになった事で、私は自分のしてしまった失態に震えます。
「ご、ごめんなさい! すぐに片づけますから許してくださいっ」
「ああ私は君を許す、許すとも。だけど、してしまった事に対する罰はしっかりと受けなければならない。これは人間として当然の事だ、そうだろう?」
「あ……あぁ……」
タクマ中尉の左手が、ゆっくりと私の左肩に伸びます。
そこは以前、あのルカというオーガ兵に傷つけられた箇所。
あの後メディックの方に治療して頂いたお陰で大分傷は良くなりましたが、未だに治り切ってはいません。
駄目、そこは触らないで。それをされちゃったら私は――――
しかし私の想いは聞き届けられず、タクマ中尉は倒れた私に馬乗りになった状態で左肩に触れると、力いっぱい傷を押し込みます。
「いやぁぁぁぁぁっ!?」
その瞬間、焼けるような痛みと共にあの時の地獄が私の中に流れ込んできて、私は喉が潰れんばかりの悲鳴をあげます。
「こらこら、そんなに叫んでは周りの迷惑になってしまうよ。それにちゃんと耐えなければ罰の意味が無いじゃあないか!」
「あぁっ……痛いっ! 痛いですっ!! ごめんなさいっ! 許してくださいっ!!」
必死に懇願しても、タクマ中尉はニコニコと笑うだけで放してはくれません。
それどころかどんどん左手の力が強くなっていき、私は何とか抜け出すために足をバタつかせて暴れます。
ですがその行動はタクマ中尉の怒りを買ってしまったのでしょう。
タクマ中尉はまだ癒えきっていない傷口を軽くなぞると、その指をゆっくりと傷口へと沈めていきます。
――――ズブズブズブッ――――
「あ―――――ッ!?」
痛みに耐えきれず跳ね回る身体。
目の前に居るのはタクマ中尉の筈なのに、その笑顔が、声が、あの男と重なってしまって、私はもうどうして良いのか分かりません。
なんで、こんな事になってしまったのか。
それもきっと、私が無能だから。
「ふむ。どうやら君は、まだまだ痛みに対する訓練が出来ていないようだね。大丈夫、これからも私がしっかり指導してあげよう。これから毎日、午後はここに来なさい」
「……分かり……ました」
タクマ中尉の言葉に、途切れ途切れになりながらも何とか返事をします。
傷が開いてしまった様で、肩からジワリと血が滲んでいます。
そして血以外の液体が私の下腹部から地面へと溢れて、周囲に小さな水たまりを作ってしまっていました。
ああ、また色んな人に迷惑を掛けてしまう。
自分の不甲斐なさに、瞳から涙が零れました。
「ん? おやおや、嘔吐の次は粗相かね。全く君は仕方のない部下だが、そういった部下を助けてやるのも上官の務めだね」
タクマ中尉が私に近づいてきて、私の下腹部に手を伸ばします。
何故か嫌な感じがしましたが、もう抵抗する気力も体力も残ってません。
そしてタクマ中尉の手が私のズボンに触れようとした瞬間、テントの外から女性の声が聞こえます。
「失礼します、ハンナ・R・ヴィレント伍長です。タクマ中尉はいらっしゃいますでしょうか」
「っ……!」
小さく舌打ちするとタクマ中尉は私のズボンにかけていた手を引っ込め、ハンナ伍長に入る様指示します。
そして中に入ってきたハンナ伍長は、テントの惨状を見て絶句していました。
「……タクマ中尉、これは一体どういうことですか!?」
「いや、よく来てくれたよハンナ伍長。実はナナシ二等兵の傷が開いてしまった様でね。メディックの君なら彼女に迅速な処置が出来るだろう。ここの事はいいから、彼女を医療テントまで連れて行ってあげてくれたまえ」
「……了解しました」
ハンナ伍長はすぐに駆け寄ってくると、私に優しい言葉を掛けてくれます。
「大丈夫、ナナシちゃん? すぐに治療してあげるからね」
「伍長殿……」
そして私を担ぎ上げて、すぐにテントの外まで連れ出してくれました。
けど酷く汚れてる私の所為で、ハンナ伍長の軍服まで汚れてしまいます。
何で私は誰かに迷惑を掛ける事しか出来ないのでしょう。
申し訳なくて、溢れてくる涙が止まりません。
「伍長殿……ごめんなさい」
「ん? 何で謝るのナナシちゃん」
謝る私に、ハンナ伍長はキョトンとした顔で返します。
「私の所為で服、汚れちゃいました……それに、余計な仕事まで増やしてしまって」
「ああ、そういう事かぁ……全然気にしなくて良いんだよナナシちゃん。服なんて着替えちゃえばすぐにスッキリだし、こうやってナナシちゃんを運ぶのも普段筋トレ怠っちゃってるから丁度良いぐらい。寧ろナナシちゃん軽すぎて訓練にならないかも。ちゃんとご飯食べてる?」
「っ……」
そうだ、私がご飯を食べてしまったからテントの中を汚してしまったんだ。
水だって飲まなければ、こうやってハンナ伍長の軍服を汚すことも……
もう私は何も食べちゃいけない、何も飲んじゃいけない。
役立たずな私は、もっともっと我慢しないといけないんだ。
「ナナシちゃん? おーい、聞いてるー? むぅー……てぃ!」
「にゃっ!?」
突如頭を揺らす衝撃に、思わず変な声をあげてしまいます。
何事かとハンナ伍長を見ると、頬を膨らませて怒っているご様子。
「ナナシちゃん、ちゃんと私の話聞いてたかな?」
「えっ……あっ、ご、ごめんなさい! 考え事をしていましたので……」
「うん、素直に謝れる事はとても良いことだと思います。でもちゃんと私のお話を聞いて貰えないと悲しいなぁ」
悲しそうに俯くハンナ伍長。
私は慌ててもう一度きちんと謝罪します。
「本当に申し訳ありませんでした、伍長殿。以後気を付けます」
「……ホントにごめんなさいって思ってる?」
「勿論です!」
「そっかぁー、じゃあ私のお願い聞いて貰えるかな?」
「はい、何なりとご命令ください」
……あれ? 気づけばハンナ伍長は満面の笑みで私の方を見ています。
さっきまでの悲しそうな顔は何処へ? そもそもこの笑顔、何処かで見覚えが――――
「よし、じゃあ今晩からナナシちゃんは医療テントで緊急入院です。暫くは私と一緒に寝て、湯たんぽ代わりになる事を命令しちゃいます!」
「えっ……ええ!?」
まさかの命令に、私はビックリしてつい大声を出してしまいます。
そして思い出しました。
あの笑顔は、エリカさんやアルちゃんが私に悪い事をしようとしている時の笑顔にそっくりな事を。
「……何でも命令してくださいって言ったよね、ナナシちゃん。嫌なのかな?」
笑顔から一転、不機嫌そうに私を見つめるハンナ伍長に思わず怯んでしまいます。
確かに私は言いました、何でもご命令くださいと。
でも私は覚えているのです。エリカさんに毎夜湯たんぽ代わりにされて、眠れぬ夜を過ごした日々を。
ハンナ伍長はエリカさんより小柄ですがそのお胸には立派な物をお持ちなので、圧死や窒息死の可能性は十分考えられます。
出来ればお断りしたいです。
でも上官の命令には絶対。そもそも私が何でもと言ったのですから、これでお断りするなんて失礼極まりない話でもあります。
私はしばし悩んだ末――――
「了解致しました。存分に湯たんぽとしてお使いください」
身の安全より、軍規を優先しました。
「嬉しいなぁ、私冷え性だから。エリカさんから聞いてたんだよ、ナナシちゃんを抱いて寝るとポカポカでよく眠れるって」
「その……お手柔らかにお願いします」
この決断にちょっと後悔しましたが、ハンナ伍長の嬉しそうな顔を見るとこれで良かったと思えたのです。
私の胸に灯った微かななポカポカ。
それがそう思わせてくれたのです。