戦場駆ける白き野兎   作:バサル

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第三十三話

「ラウル兵長殿、少しお腹が空きませんか?」

「ん? ああ、そうだね。最近は支給の食料も減って来たし、常に腹ペコだよ……ってナナシちゃん、随分酷い格好だね」

「? そんなに酷いですか」

 

 周囲を見張っていたラウル兵長は、私の姿を見て怪訝な顔になります。

 

 それ程なのかと改めて自分の状態を確認してみると、

 

 

 あちこち泥だらけに加え、満遍なくこびり付いたムースの血で赤黒くなった軍服。

 

 同じく返り血を浴びて白と黒の斑になってしまった銀髪。

 

 手に握られた新鮮なムースのハツ。

 

 そして全身血だらけなのにも関わらず、魔法繊維の効果によって汚れる事無く真っ白に輝き続けるマフラー。

 

 

 確かに前線帰りでもここまで酷い有様には中々なるものではありません。

 

 有事という事もあり私は気にしませんが、一緒に居るラウル兵長は気が滅入ってしまう事でしょう。

 

「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません兵長殿。先程近くに池がありましたので、すぐに飛び込んで汚れを落としてきます」

 

 善は急げ。私が池の方へ向かおうとすると、ラウル兵長の焦った声が消えてきます。

 

「待った待った! サウナも無しにこの時期の池に飛び込んだら風邪を引いちゃうよ。オレは全然気にしないから、大丈夫。でも拠点に帰ったらちゃんとサウナに入るんだよ?」

「……お気遣いありがとうございます、兵長殿」

「どういたしまして、それで確かお腹空いてるかって話だっけ」

「はい。兵長殿も空腹という事でしたら、この前頂いたクリスプ・ブレッドのお返しをしようかと思いまして」

「お返しって……まさかキミが手に握ってるそれかい?」

「その通りですが……兵長殿はハツをご存じありませんか?」

 

 ラウル兵長のハツへ向ける視線は、とても食べ物へ向けるものではありませんでした。

 

 確かに見てくれは悪いですが、調理するととっても美味しいんですけどね。

 

「ハツってあれだろ、確か動物の心臓の部位。肉屋で見たことはあるけど、こんなグロテクスじゃなかったよ」

「お肉屋さんの物は一般家庭でも調理し易い様に処理されていますからね。ですが新鮮さが段違いですので、味は保証しますよ」

「ホントかなぁ……」

 

 疑いの眼差しに、ちょっとだけムっとしてしまいます。

 

 良いでしょう、なら新鮮なハツの美味しさを兵長殿に堪能して頂こうではありませんか。

 

 私は穴の中から出ると雪をシャベルでどけてスペースを確保し、近くに落ちていた石を並べて即席のかまどを作ります。

 

 次に前もって用意していた薪をかまどにくべて火種から火を起こし、調理の前準備が完了。

 

 次にナイフでハツを食べやすい大きさに切り分けるのですが、この時血塊等が無いかしっかり確認する必要があります。

 

 もしあるなら水でしっかり洗う必要があるのですが、血抜きをノドでしたのでハツはとても綺麗な状態でした。これなら貴重な真水を使わなくても済みそうです。

 

 そして近くの木から手頃な枝を幾つか拝借すると、それにハツを突き刺して準備完了です。

 

 終わった頃に火の方も良い感じになってきたのでかまどにハツを並べて焼いていくのですが、ここが一番注意するべき場面です。

 

 ハツは焼き過ぎると歯切れが悪くなってしまう為、焼き加減には細心の注意が必要。

 

 断面にハツのピンク色が残ってるぐらいがベストな焼き加減なので、その瞬間を見極めるべく真剣にハツと向き合います。

 

「おお、香ばしい良い匂い。ナナシちゃん、これもう良いんじゃない?」

「まだです、兵長殿」

「でももう良い感じに……」

「まだです!」

「……はい」

 

 新鮮なハツは生でとても美味しく頂けますが、それでも食中毒のリスクは一定であります。

 

 そしてそれは平時ならともかく戦場では致命的。

 

 安全で尚且つ、美味しく食べて貰える一瞬を見逃さぬ様に私の全神経はハツへと向けられています。

 

 ハツから垂れる肉汁が濁った色から段々と透明に変わっていき、表面に少し焦げ目が付いてきます。

 

 断面は薄いピンク色……今です!

 

 私はハツ串の一本を手に取ると、ポシェットから取り出した塩を振りかけてラウル兵長に手渡します。

 

「どうぞ兵長殿、熱いので気を付けて食べてくださいね」

「! ありがとう。じゃあ早速食べるけど、良いかな?」

「はい、新鮮なハツをご賞味ください」

 

 よほどお腹が空いていたのか、そのままハツに齧り付きます。

 

 暫く目を瞑って咀嚼しているラウル兵長。

 

 もし舌に合わなかったらどうしようと不安が過りますが、目を開けた兵長は満面の笑みを見せてくれました。

 

「うわっなにこれ滅茶苦茶美味しいよ! これが本当にあのグロテクスな肉塊なのかい?」

 

 どうやら喜んで貰えた様で何よりです。

 

「生ならこれよりもっと美味しいのですが、流石に戦場でお腹を壊してしまうと大変ですので」

「これよりもっと……」

 

 ラウル兵長がゴクリと生唾を飲む音がこちらまで聞こえてきます。

 

 ですが本当に危険なので、しっかりと釘を刺しておく必要がありますね。

 

「駄目ですよ、兵長殿? こんな場所でお腹を壊してしまったら、皆さんに迷惑が掛かるばかりか最悪捨て置かれても文句は言えません」

「わ、分かってるよ。この串で十分美味しいし、大満足さ。ありがとうナナシちゃん」

「……恐縮です。ですが、唯食材を切って焼いただけですので」

 

 このくらいの事は誰でも出来る事。

 

 本当ならもっと私にしか出来ない形で皆さんの手助けをしたいのですが、今の私では難しいのが現状です。

 

 ですがラウル兵長は『それは違う』と反論します。

 

「ナナシちゃんのお陰でオレは凄く助かったんだよ」

「ですが、この前は私の方が助けて頂きましたし……それに兵士としての私は役立たずですから」

「だから違うって! …良いかいナナシちゃん、そもそもこのムースを仕留めることが出来たのだってキミのお陰じゃないか」

「それは偶々狩り方を知っていただけです」

「いいや違うね、これはキミの力による結果だ。少なくともオレはこの方法を知ってたっていざ狩れと言われたら尻込みしてしまうよ。それなのにこんな小さな身体で大きなムースに挑むなんて、大人顔負けの凄い事だ」

 

『だからキミはとっても凄い子なんだよ』

 

 そう言ってラウル兵長は、私の頭を撫でてくれます。

 

 でも私には、どうしてもその言葉が信じられません。

 

 

 私が凄い? そんな事無い、私は全然凄くない。

 

 

 だって私は駄目な子で……皆さんにいっぱい迷惑を掛けてる。

 

 タクマ中尉にもいっぱい怒られた。

 

 いっぱい指導して貰ったのに何度も期待を裏切った。

 

 前世でのお父さんとお母さんが私に暴力を振るっていたのは、きっと私がこんな駄目な子だったから。

 

 きっとお父さんもお母さんも、タクマ中尉と同じで駄目な私を何とかしようとしていっぱい指導してたんだ。

 

 それでも私は駄目なまま。

 

 いっぱい期待を貰っても、なにも返す事の出来ない。

 

 今までも、これからもずっと、私は駄目な子なのだから。

 

 

 そう思うと、心の中にずっと押し止めていた感情が溢れ出しそうになってしまいます。

 

 駄目、口にしたらまた迷惑を掛けてしまう。

 

 分かってるのに、どうしても抑えられそうも無くて。

 

 だから一言だけ、

 

 

「私は、全然凄く無いです」

 

 

 絞り出すように、口にしました。

 

 これでいい。

 

 私は褒めて貰えるような凄い子じゃない。

 

 駄目な子なんだから、せめてこれ以上誰にも迷惑を掛けない様にしないと。

 

 そう、心に言い聞かせ続けます。

 

 きっとラウル兵長も私にガッカリしたことでしょう。

 

 折角褒めてくれたのに、申し訳ない。

 

 そう思いつつ兵長の顔を伺うと、

 

 

「何でキミは、そう思うんだい?」

 

 

 とても真剣な目で、私を見つめていました。

 

「キミがなんでそう思うようになったのか、良ければ話して欲しいな。オレから見たナナシちゃんは、とっても頑張り屋さんな凄い子だと思うよ。だから、どうしてそんな風に思うようになってしまったのか、オレは知りたい」

「っ……それ、は……」

 

 駄目ですライル兵長、もう止めてください。

 

 そんな風に言われたら、優しく声掛けられたら、もう抑えられない。

 

 誰かに迷惑を掛けるのは、嫌われるのは嫌なのにっ。

 

「ほら、言ってごらん? 本当は言いたい事、辛い事がいっぱいあるんだろう。幾らでも聞いてあげるから、安心してくれ」

 

 その言葉がトリガーとなって、私の気持ちはとうとう溢れてしまいます。

 

 涙で顔をグシャグシャにしながらタクマ中隊に入ってからの事、悩んでいる事を全てラウル兵長に話します。

 

 兵長は要領の得ない私の話を唯真剣に、最後まで聞いてくれました。

 

 

 

「グズッ……だからっ……私は駄目な子なんですっ! このままじゃ、タクマ中隊の皆さんにも、折角誘ってくれたクラン小隊長達にも……迷惑を掛けてしまいますっ」

「そうか…話してくれてありがとうナナシちゃん。辛い思いをさせてごめんよ」

「兵長殿はっ…全然悪くないです! 悪いのは、全部私だからっ」

「そんな事無い、ナナシちゃんはこれっぽっちだって悪くないさ」

 

 全部を話し終えて、ラウル兵長は私をギュッと抱きしめてくれます。

 

 直に伝わってくる兵長の温もりが、まるで私の身体に沁み込む様。

 

 その感覚が心地良くて、もう少しこのままで居たいと思ってしまいました。

 

 暫くそのまま抱きしめて貰った後、ラウル兵長は続けます。

 

「良いかいナナシちゃん。あまり上官の事は悪く言いたくは無いけれど、タクマ中尉とはあまり関わらない方が良い。言われた事もすぐに忘れるべきだ」

「……どうしてそんな事言うのですか? タクマ中尉は私が立派になれる様、いっぱい指導をしてくれたのに」

「いいや、あんなの指導でも何でもない。唯の憂さ晴らしだ。あの人は自分の責任を棚に上げて部下に暴力を振るう、そういう人なんだよ。それに……」

「それに…?」

 

 何故か突如言い淀んだのが気になって聞き返してしまいましたが、ラウル兵長はそれ以上答えてはくれませんでした。

 

「とにかく、幾らタクマ中尉がナナシちゃんの事を駄目と言おうと、オレは凄い子だと思い続けるよ。そしてそれはオレだけじゃない、他の皆だって同じさ。そう思ったから、クラン准尉もキミを部隊へ誘ったんだよ」

「でも……」

「でもも何も無い! そもそも、オレ達がキミの事をどう思うとそれはオレ達の勝手だろう! 違うかな?」

「えっ…あ、はい……その通りですっ!」

 

 突然のラウル兵長の大声に、ビクンと身体が震えて反射的に答えてしまいます。

 

 そして私の答えに満足したのか、兵長はうんうんと首を頷かせながら続けます。

 

「だからオレ達はキミがどう思ってようと変わりなく、キミを凄い子だと思い続ける。だがこれはオレ達が勝手に思っている事だ。勿論キミがその事で悩んだり、落ち込んだりする必要は全くない。そうだろう?」

「そう…なのでしょうか?」

「そうなんだよ。だからナナシちゃん、キミはもっと気楽に行けばいいんだ。そもそもキミはまだ11歳なんだろ? 少しぐらい、誰かに甘えるぐらいで丁度良いんだよ」

「ぜ、善処します」

 

 私の返事に『固すぎる!もっと気楽に』と駄目出しするラウル兵長。

 

 気楽……気楽ってどうすれば良いんでしょう。

 

 

 

 その後流石に二人で運ぶには多すぎるという事で応援を呼び、ムースのお肉は無事拠点へと運び込まれました。

 

 尚戻って来た私の姿を見てハンナ伍長は、

 

 

「ナナシちゃん、ちょっと私と一緒にサウナに行こうか」

 

 

 ものすごい迫力のある笑顔で有無を言わさず私を村の共同サウナへと引っ張っていきました。

 

 シャワーでこれでもかという程もみくちゃにされた後、サウナに放り込まれます。

 

 勝手にサウナを使うというのは非常に抵抗がありましたが、一度中に入ってしまえばこの極楽から逃れる事は出来ません。

 

 先程ロウリュして生まれた水蒸気がゆっくりと身体を包んでいき、私の肌にじんわりと汗をかかせます。

 

 しかしその汗は全然不快ではなく、身体の中に溜まった疲れや良くないものを一緒に外へ出してくれるのです。

 

「はふぅー……気持ち良い」

 

 思えばこんなちゃんとしたサウナに入るのは何時ぶりでしょうか。

 

 防衛戦の時にあった簡易サウナも素晴らしかったのですが、如何せん急ごしらえという事もあり痒い所に手が届かなかったのも事実。

 

 しかも今は一人で貸し切り状態。

 

 久しぶりのゆったりとした時間に、思わず気が緩んでしまいますね。

 

 私は念のため辺りを確認し、本当に誰も居ないかを確認します。

 

「……誰も居ない。寝サウナするなら今の内……」

 

 以前気持ち良すぎてサウナの中で寝てしまい、お母さんに一人の時は絶対やっちゃ駄目と封印された一人寝サウナ。

 

 でもこのくつろぎ空間でゴロゴロ出来ればどれだけの至福か、考えるまでもありません。

 

「ちょっとだけなら……良いよね? ちょっとだけ……」

 

 結局誘惑に勝てずその場に寝転ぼうとした瞬間、突如扉が開いてハンナ伍長が中へ入ってきます。

 

「ナナシちゃん、サウナ楽しんでる? 向こうにアロマ水があったからこれ使ってみようよ」

「にゃぁ!?」

「わっ!? ナ、ナナシちゃん!?」

 

 ビックリしすぎて思わず下へ転げ落ちそうになりますが、慌てて駆け寄ってくれたハンナ伍長のお陰で事なきを得ました。

 

「ごめんね、そういえばナナシちゃん他の人とサウナ入るの苦手だったよね」

「あ、いえ……そんな事は…私の方こそ驚かせてしまって申し訳ありません」

 

 謝りつつ、さりげなくハンナ伍長から視線を外します。

 

 理由は恥ずかしさもあったのですが、何よりハンナ伍長の様な美人さんと二人っきりでサウナなんて、緊張で頭がぐるぐるしてしまうからです。

 

 それ故に出た咄嗟の行動だったのですが、何故かハンナ伍長はそんな私を見てクスクスと笑い始めました。

 

「……ハンナ伍長殿? わ、私何処か変ですか??」

「っ……ご、ごめんね違うの。何だかナナシちゃんが私の弟とソックリだったからつい」

「弟さんですか…?」

「そう、丁度ナナシちゃんと同じぐらいかなぁ。昔はよく一緒にサウナに入ってたんだけど、今は照れちゃって中々一緒に入ってくれないんだ。入ってもさっきのナナシちゃんみたいに、ぷいって顔を背けちゃって。でもそんな所が可愛くて、ついつい一緒に入ろうって誘っちゃうの。けど最近は会えてないから……元気にしてると良いな」

 

 ああ……その弟さんの気持ち、私にはよく分かります。

 

 というか、今の私の心境がまるっきり一緒です。

 

 このままハンナ伍長と一緒に居たら、逆上せる前に倒れてしまいます。

 

「だからナナシちゃんを見てたら弟の事思い出しちゃって、それで笑っちゃったの。ナナシちゃんを笑った訳じゃないんだよ」

「いえ、大丈夫です。それではハンナ伍長殿、私はそろそろサウナを出ようと思います。伍長殿はこのままごゆっくりお寛ぎください」

 

 このままでは緊張で倒れてしまいそうなので一言断ってサウナを出ようとしますが、

 

 

 ――ガシッ――

 

 

 何故か私の手をハンナ伍長の手が握って放してくれません。

 

「あの、伍長殿?」

「駄目だよナナシちゃん、折角のサウナなんだからもう少し堪能しとかなきゃ」

「で、ですがまだ任務がありますのでっ」

「…さっき、タクマ中尉が今日はゆっくり休めって言ってたよね?」

 

 ニッコリと笑うハンナ伍長。

 

 対して私の額には大粒の汗がダラダラと流れ始めます。

 

「という訳で今日残り半日のナナシちゃんの任務は、私とサウナを堪能しようだよ」

「あ、あの……伍長殿、一つお伺いしても良いでしょうか?」

「うん、何でも聞いて良いよ」

「伍長殿……私を弟さんの代わりにしようと思っていませんか?」

「……」

 

 返事は返ってきません。

 

 その代わり、私の手を握る力が少し強まります。

 

 これ間違いなく図星ですね。

 

 気まずい沈黙がしばし流れ、突然ハンナ伍長が笑い始めます。

 

「……ふっふっふ、よく分かったねナナシちゃん。だけど既に囚われの身のナナシちゃんにはどうしようも出来ないよね」

「ご、ご容赦を伍長殿……この手を放してください」

「んー……」

 

 少し考える素振りを見せたハンナ伍長は、私に向かってニッコリと微笑みます。そして、

 

 

 ――――だ、め、だ、よ――――

 

 

「にゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

 村のサウナに、私の悲鳴が響き渡りました。

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