戦場駆ける白き野兎   作:バサル

38 / 53
第三十六話

 結局1時間ほど森の入り口で待っていましたがラウル兵長は森から出てくることは無く、私は村へ戻って物資整理のお手伝いをしていました。

 

 そして日も暮れた頃にハンナ伍長の元へ向かおうとすると、

 

「ナナシ二等兵、ちょっといいかね?」

 

 タクマ中尉に声を掛けられたのです。

 

「はい、中尉殿。何か御用でしょうか」

「…なに、昨日は少しやり過ぎてしまったと思ってね。キミが大丈夫か心配で様子を見に来たのさ」

 

 顔を背け、申し訳なさそうに呟くタクマ中尉。

 

 昨日の事を気にしていらっしゃるのでしょうか。

 

 実際昨日の事は全て私の責任なので何も思う所はありませんが、ラウル兵長に対しての暴力は良くないと思います。

 

「私はハンナ伍長に治療して頂いたので問題ありません」

「どうやらその様だね、彼女は優秀な衛生兵(メディック)の様だ」

「はい、ですので中尉殿もどうかお気になさらず。これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」

「ああ。勿論だとも、こちらこそよろしく頼むよ」

 

 何でしょう、今日のタクマ中尉は何時もと何処か違う気がします。

 

 いつもはもっとピリピリした空気を持った方ですが、今日はとても穏やかな感じがします。

 

 これならラウル兵長の事を進言しても大丈夫かもしれませんね。

 

 そっと顔色を窺うと、タクマ中尉はニコニコとした笑顔を返してくれます。

 

 

 でも何故か、

 

 

 何故かその笑顔を見た瞬間、何故か身体が強張ってしまいます。

 

 理由の分からない状態に戸惑っていると、中尉が私に話しかけます。

 

「どうかしたかね、ナナシ二等兵」

「っ!? あっ……えっと……その……」

「こらこら、落ち着き給えよ。私に何か聞きたい事でもあるのかな?」

 

 そう言って私のすぐ目の前まで近づいてくるタクマ中尉。

 

 

 優しい声色に笑顔。

 

 

 何時もの怒っている姿に比べたらとても話しやすい筈なのに、どうして私はこんなにも恐怖を感じてしまっているのでしょう。

 

 

 こんな私に優しく接してくれてるのに、怖がるなんて絶対駄目。

 

 

 恐怖を振り払うように顔を振ります。

 

「申し訳ありませんタクマ中尉殿。特に質問はありません」

「それなら良いのだが……しかしナナシ二等兵、随分疲れた顔をしていないかね?」

「そう、でしょうか? 自分ではよく分かりません」

 

 実際昨日はしっかり眠れたし傷もしっかり治して貰ったので、ここ最近の中ではかなり調子の良い状態だと思うのですが。

 

「それは良くないな、体調管理は兵士の基本だよ。身体を疎かにしてはいざという時満足に戦えないだろう」

「っ……あっ……も、申し訳ありません」

「謝る必要は無いが、ね。これは由々しき問題だな」

 

 そう言って私に手を伸ばすタクマ中尉。

 

 きっとまた指導される。

 

 そう思って私はギュッと目を瞑って痛みに耐える準備をします。

 

 しかし私の想像とは裏腹に、伸ばされた手はそっと私の頭に添えられると、そのままゆっくりと撫でていきます。

 

「中尉…殿?」

「む? どうしたナナシ二等兵、もしやまた指導されると思ったのかな?」

「い、いえ……そういう訳では……」

「怯える必要は無いよ、この程度の事でキミを指導するつもりは無いからね。しかしキミの体調管理は早急に何とかする必要があるな」

 

 タクマ中尉は少し考え込んだ後、ポンと手を叩きます。

 

「ナナシ二等兵、今晩から私の使っている家に来なさい。あそこなら上質なベッドもあるし、ゆっくり休める筈だ。どうかね?」

 

 タクマ中尉が使っている家は、昨日のあの大きな家でしょう。

 

 確かに快適そうな場所でしたが、タクマ中尉にご迷惑を掛ける訳にはいかないため私はすぐに遠慮します。

 

「い、いえ! 私は雪さえ凌げれば何処でも大丈夫ですから、ご心配には及びません」

「そんな筈は無いだろう。唯でさえキミはまだ幼いのに、風邪でも引いたらどうする気かね?」

「ですが……タクマ中尉に迷惑を掛けてしまうかもしれませんので」

「気にすることは無い、キミを迷惑と思うならそもそもこんな提案をしたりせんよ。私はキミの体調が心配なんだ。私の心労を思うなら、素直に受けて欲しいがね」

「……分かりました」

 

 今までいっぱいご迷惑を掛けてきたのに、これ以上掛ける訳にはいきません。

 

 私はタクマ中尉の提案を受ける事にしました。

 

「ありがとう、素直に受けて貰えて嬉しいよ。そういえばキミはあのガルド小隊の生き残りという話だったね。ガルド曹長の噂は私も耳にしている、良ければ今晩は彼の武勇等も聞かせてくれたまえ」

 

 そういってタクマ中尉は楽しそうに去っていきました。

 

 何はともあれ、喜んでいただけたなら何よりと思う事にしましょう。

 

 では夜までに残りの作業を済ませてしまおうと思っていると、

 

「…ナナシちゃん、またタクマ中尉に何かされたのかい?」

 

 またもや誰かに声を掛けられます。

 

 振り返ると、そこに立っていたのはラウル兵長でした。

 

 ずっと待っていても現れなかった兵長の登場に、私は思わず傍まで駆け寄ります。

 

「ラウル兵長殿! 今まで何処に行っていたんですか?」

「ん? あ、ああ……ちょっと特別な作業をね。もしかしてナナシちゃん、オレを探してくれてたの?」

「……昨日はいっぱいご迷惑を掛けてしまいましたので、その事を謝りたかったんです。でも見つからなくて、見張りの人が兵長殿が森に入るのを見たとの事でしたので森の入り口で待っていたんです。でも結局会えなかったので……」

「っ! ……そうだったのか。ごめんなナナシちゃん、ずっと待ってて寒かっただろう」

 

 そう言ってライル兵長は私の頭を優しく撫でます。

 

 兵長の温かい手が触れるごとに、ポカポカと心まで暖まる様です。

 

 さっきタクマ中尉に撫でられた時には感じなかったポカポカ。

 

 何故同じなでなでなのにこうも違うんだろう。

 

 少し疑問に思いましたが、でも心地良いポカポカのお陰かすぐに気にならなくなります。

 

「いえ、私にはこのマフラーがありますので多少の寒さはへっちゃらです」

 

 私は胸を張って大切なマフラーをラウル兵長に見せます。

 

 ですが兵長は、少し呆れた様子で私を見ていました。

 

「ああ……そういえばこのマフラーって魔法繊維の特別製だったな。けど幾ら魔法の力でも限度ってものがある、あまり無茶しちゃダメだ。もしナナシちゃんが風邪でも引いたらオレがハンナ伍長にドヤされる事になる」

「? ハンナ伍長殿はそのぐらいで怒る様な方では無いと思いますが」

 

 確かに体調管理が出来ていなかった私を窘めてくれるとは思いますが、その矛先がラウル兵長に向くとは思いません。

 

 兵長はそんな私を見てため息を付きます。

 

「いやいやそれぐらいの事なんだよ、ナナシちゃんが風邪を引くって事は。ともかく体調には気を付けるんだ」

 

 正直よく分かりませんが、私を心配して言ってくれているのは間違いありません。

 

 ここは素直に受けておくべきでしょう。

 

 しかしその寒い思いをしたのは兵長の所為なのですが。

 

 ちょっと感じたモヤモヤを込めて、私は返事します。

 

「分かりました。でもそれでしたら、次からはもっとすぐ会える所に居てください」

 

 私が少し頬を膨らませながら答えると、ラウル兵長は笑いながら先程とは違い少し乱雑に私の頭を撫でます。

 

「悪かったって、だからそんな顔するなよナナシちゃん」

「むぅ、そう思うならもっと優しく撫でてください。髪がグシャグシャになってしまいます」

「おっと、ごめんごめん。嫌だったかい?」

「……別に嫌ではありませんが」

 

 ラウル兵長の手は暖かいので、撫でられるのは全然嫌じゃありません。

 

 けど何だかモヤモヤするので、思わずトゲトゲした言葉を言ってしまったのです。

 

 怒らせてしまったかと思いそっと顔色を窺うと、兵長は少しバツが悪そうな表情をしていました。

 

「本当にごめんな。けどオレにも色々と事情があったのさ」

 

 事情。という事はやはり、何かタクマ中尉に命令を受けているのでしょう。

 

 そしてその内容はきっと、昨日の様にとても困難な事。

 

「あの、ラウル兵長殿。少しお聞きしても良いでしょうかっ」

「なんだい?」

「その事情って、もしかして昨日みたいな内容なのではないですか?」

 

 私の問いにタクマ中尉の表情が曇ります。

 

 これは間違い無いでしょう。

 

「兵長殿、何か困っていることがあるなら私手伝います。昨日はいっぱいご迷惑を掛けてしまいましたが、今度はちゃんと」

 

 昨日の事があって言い出すのは少し怖かったです。

 

 でも、それでもラウル兵長をお助けしたいという気持ちの方が強かったから、勇気を出して言葉にしました。

 

 しかし、

 

 

「絶対駄目だッ!!!」

 

 

 辺りに響くラウル兵長の大声で、私の言葉は遮られます。

 

 今までずっと優しく接してくれたラウル兵長から初めて感じる怒りの感情。

 

 私の身体は大きく跳ね、それ以上何も言えなくなってしまいます。

 

 

 ラウル兵長を怒らせてしまった。

 

 今まであんなに良くしてくれたのに。

 

 どうしよう、どうしよう!!

 

 

「あっ……ご、ごめ……」

 

 

『ごめんなさい』

 

 

 すぐに謝ろうとしたのに、上手く声が出てくれません。

 

 身体は大きく震え続け、どうして良いか分からなくなっていきます。

 

 こんなに優しい人を怒らせてしまったという事実が、私の心を暗い色に染めていくのを感じます。

 

 ですが、

 

「っ……ごめんなナナシちゃん、いきなり大きな声を出してビックリさせちゃったな」

 

 ラウル兵長から感じた怒気は一瞬で、すぐに何時もの優しい声色へと戻りました。

 

 兵長の右手が、震える私の頭を優しく撫でてくれます。

 

 もしかして、怒ってないのかな?

 

 そう思う事で、少しだけ落ち着くことが出来ました。

 

「い、いえ……私こそ無理を言ってしまって本当に申し訳ありません」

 

 私はすぐさまラウル兵長に謝罪します。

 

「無理なんかじゃないよ。けど、この案件はオレ一人で解決しなきゃいけない事だからさ。でもナナシちゃんがオレを助けようとしてくれるのは本当に嬉しいんだ」

 

 そう言って笑うラウル兵長を見て、やっと私は心から安心する事が出来ました。

 

 お手伝いしたいという気持ちは変わりませんが、それで兵長を困らせてしまうのは本末転倒。

 

 ここは素直にいう事を聞くべきですね。

 

「分かりました。でも、私に何かできる事があれば何時でも声を掛けてください」

「ありがとう、ナナシちゃん。所でさっきの話の続きだけど、さっきここでタクマ中尉と話していたよね?」

「は、はい」

「何かされたりしなかったかい?」

「いえ……特には。タクマ中尉殿は私の身体を気遣ってくれて、疲れが取れないと良くないから、今晩から中尉殿の使っている家で休むようにと提案して頂きました」

 

 私は先程タクマ中尉と話した事をラウル兵長に伝えます。

 

 すると兵長は、とても真剣な顔で私を見てきます。

 

「ナナシちゃん、もしかしてその提案を受けたのかい?」

「はい。折角の私を気遣って頂いての提案でしたので、今晩からお世話になる事にしました」

 

 ラウル兵長の問いに私が答えると、兵長はその場で頭を抱えてしまいます。

 

「なんてことだ……良いかいナナシちゃん、前にも言ったけどキミはあの人と出来るだけ関わらない方が良い。その話も、すぐ今からタクマ中尉に話して断るべきだ」

「? で、ですが折角のご厚意を無碍にする訳にはいきません」

「っ……どうしてもかい?」

 

 辛そうなラウル兵長の声に心が揺らぎます。

 

 兵長が何の理由も無しにこんな事を言うとは思えません。きっと何か、私の事を想って言ってくれているのでしょう。

 

 ですが、タクマ中尉のご厚意を無碍にするのもよくありません。

 

 暫く考えて私は、

 

「ごめんなさいラウル兵長殿、ですがタクマ中尉も私を為に言ってくれてると思いますので」

 

 やはり、タクマ中尉の所に行くことへ決めました。

 

 それを聞いたラウル兵長は少しの間俯いていましたが、不意に顔を上げて、

 

「分かった。じゃあせめて、今日行くのは止めて明日からにしたらどうだい?」

 

 行くのは明日からにしてはどうかと提案してきます。

 

「明日からですか? しかしタクマ中尉殿には既に今日からとお話していますし」

「けど、いきなりだとタクマ中尉も準備が大変だろう? 明日からにした方が余裕を持って準備出来るから中尉の負担も軽くなるんじゃないかな」

「確かに……」

「決まりだね。この事はオレから中尉に話しておくからナナシちゃんはもう気にしなくて良いよ。じゃあまたね、ナナシちゃん」

 

 ラウル兵長はそう言うと、踵を返して行ってしまいました。

 

 突然の事に困惑しましたが、本当はラウル兵長の提案に少しホッとしていたのです。

 

 原因きっと、さっきタクマ中尉から感じた恐怖。

 

 中尉から感じる恐怖の理由が分からないまま、私は作業へと戻りました。

 

 

 

 

 何とか日が落ちる前に物資整理の目処が付いたため、私は約束通りハンナ伍長の元へ顔を出します。

 

「ナナシちゃん、ちゃんと来てくれたんだね。あれから体調に変化は無いかな?」

「はい、もう身体も痛くありませんし絶好調です」

 

 経過を報告して怪我をしていた左肩等を診てもらいますが、バッチリ治っている様でハンナ伍長も安心していました。

 

「うん、これならもう心配無いかな。所でナナシちゃん、今晩は何処で休む予定?」

 

 そういえば今晩の寝床をまだ決めていませんでしたね。

 

 タクマ中尉の所へは明日からですし、今晩は別で寝床を見つける必要があります。

 

「もしかしてまだ決まってない?」

 

 ハンナ伍長の問いに私は頷きます。

 

「明日からの場所は決まっているのですが、今晩は今から探す必要がありますね」

「そっか、ナナシちゃんが良ければ今晩もここに泊まって良いんだよ。今は怪我人も少なくて今朝使ったベッドも空いてるから」

 

 とても魅力的な提案。

 

 正直受けてしまおうと思ったのですが、でもやはり今更とはいえ人の家のベッドを勝手に使ってしまうのは気が引けます。

 

 せめて今晩ぐらいは、遠慮するべきでしょう。

 

「ありがとうございます。でも他に候補がありますので、今晩は大丈夫です」

「分かった。でもベッドが空いてる時なら何時でも泊りに来て良いからね。私もナナシちゃんと一緒に寝た方が寝つきが良い位だし」

 

 そう言って笑うハンナ伍長。

 

 どうやらエリカさんと同じく、私を抱き枕にする気の様です。

 

 ハンナ伍長はエリカさんの様に寝床へ忍び込んでくることは無いとは思いますが、これから要警戒対象ですね。

 

 

 

 それからハンナ伍長と少し話して家を後にする時、ハンナ伍長とのもう一つの約束を思い出します。

 

 

『ナナシちゃん、今度から中尉の所に行く時は私にも絶対教えてね』

 

 

 約束を守るのならば、明日から中尉の元でお世話になる事をハンナ伍長に伝えるべきです。

 

 伝えるべき、なのですが思い出されるのは今朝のハンナ伍長の怒った様子。

 

 多分伍長は、私がタクマ中尉の所に行くと言ったらまた怒って止めてくる気がします。

 

 今度は本当に中尉の所へ殴り込みに行ってしまうかもしれません。

 

 そうなったらきっと皆にとって良くない事になる。

 

「どうかしたの、ナナシちゃん?」

 

 話すべきか迷っている私にハンナ伍長が声を掛けてくれます。

 

「っ…なんでもありません。今日はありがとうございました」

 

 結局私は言い出す事が出来ず、そのままお礼を言って家を後にしました。

 

 

 ――ハンナ伍長との約束を破ってしまった――

 

 

 その事実がズキンと胸に痛みを走らせます。

 

 でも、ハンナ伍長に辛い目に遭って欲しくない。

 

 ハンナ伍長がタクマ中尉に指導される所を想像し、やはりこれで良かったのだと自分に言い聞かせます。

 

「……早く今晩の寝床を決めないと」

 

 そう呟いて、私は暗い村の中を駆けていきました。

 

 

 そして私がやってきたのは、村の外れにあった小屋。

 

 今晩の寝床の候補が他にあるというのは嘘ではありません。

 

 ラウル兵長を探して村の中を見て回っていた時、ここを寝床候補として目を付けていたのです。

 

 小屋の中に入ると、そこには牛や馬等の動物達が居ます。

 

 そして小屋の中には、恐らく餌用に置いてある干し草の束。

 

 服を着た状態でこの中に潜り込めば、何とか寒さを凌ぐ事が出来るでしょう。

 

「ごめんね、牛さんお馬さん。今晩は私もここで休ませて貰うね」

 

 私は動物達に頭を下げると、エーロ上等兵から貰った睡眠薬を飲んで干し草の中に潜り込みます。

 

 ニルバ村でよく嗅いだ懐かしい匂いに囲まれつつ、薬のお陰か私の意識はすぐに闇へと落ちていきました。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。