戦場駆ける白き野兎   作:バサル

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第四十三話

 その後私達は敵に遭遇すること無く、数時間程歩き続けます。

 

 雪の降り積もる中、森を抜けた先に聳える標高180M程の丘。

 

 ここまでの疲れもあって登るのを少し躊躇してしまいますが、この丘を越えなければ目的地にはたどり着けません。

 

 重い身体に鞭を打ちながら私は一歩、また一歩と足を進めていき、皆さんに少し遅れながらも何とか丘を登りきる事が出来ました。

 

 丘の頂上に辿り着くと、その先にはとても大きな湖が広がっています。

 

 

 この湖の名前はラート湖。

 

 トゥーリス最大の湖で、その広さは海と見間違うほどです。

 

 しかしこれ程大きな湖でもトゥーリスの真冬では凍り付いてしまうのですから、この国の寒さが異常なのがよく分かりますね。

 

 

 その壮大な光景に見惚れて足を止めていると、前方からアーノルド中尉の声が響きます。

 

 

「ここまで来れば拠点まで後少しだ。もうすぐ温かい飯にあり付けるぞ!」

 

 

 アーノルド中尉の励ましへ呼応するように、皆さんの足も速くなっていきます。

 

 私も遅れない様、頑張らないといけませんね。

 

 そう思って身体に力を入れようとした時、

 

「おーい、お嬢ちゃん」

 

 聞き覚えのある声に呼び止められます。

 

 振り向くと、そこに立っていたのはエーロ上等兵でした。

 

「はい、なんでしょうかエーロ上等兵殿」

「おいおい、その呼び方そろそろ辞めてくれよ。クラン小隊長達は普通に呼んでるんだろ?」

 

 む……? もしやエーロ上等兵も普通に呼んで欲しかったのでしょうか。

 

 しかしエーロ上等兵とクランさんやハンナさんでは状況が少し違います。

 

 まずはそこを指摘しておきましょう。

 

「でしたら、私の事もちゃんと名前で呼んで欲しいのですが」

 

 思えばエーロ上等兵からはまだ一度も名前で呼んで貰った覚えがありません。

 

 お嬢ちゃんと呼ばれる事に嫌悪感を持っている訳ではありませんが、子供扱いされている気がして、ほんの少し……ほんの少しだけムッとしてしまうのです。

 

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、エーロ上等兵は豪快に笑いながら『悪い悪い』と謝ります。

 

 

「そういやそうだったな。んじゃ改めてナナシ嬢ちゃん、これでいいか?」

 

 

 絶対悪いと思ってないですね、この人。

 

 なので私も、ほんの少しだけ意地悪してしまいましょう。

 

 

「はい、それで構いませんよ。エーロ上等兵さん」

「っ……お前さんも中々やるようになったじゃねえか」

 

 

 呼ばれたエーロ上等兵の渋い顔、少しは効果があったようですね。

 

 内心してやったりと思いつつ、日頃お世話になっているエーロさんをこれ以上困らせるのは本意ではありません。

 

 意地悪はこのくらいにしておきましょう。

 

「それでエーロさん、私に何かご用事でしょうか?」

「ん? ああ、そうだな。今の感じなら話しても大丈夫か……お前さんに渡してた薬の話をちょっとな」

 

 薬というのは、今も私が寝る前に飲んでいる睡眠薬の事でしょう。

 

 夜殆ど眠れなくなっていた私があれを飲み始めてからしっかり眠れるようになっているので、相当効果の高い薬なのでしょう。

 

 もしかしたら、私が何度も頼んでしまったので薬の在庫が無くなってしまったのかもしれません。

 

 唯でさえ貴重な物資を使い潰してしまった。

 

 私はすぐにエーロさんに謝ります。

 

「あ、あの…エーロさん、もしかして私の所為であのお薬が無くなってしまったのでしょうか!? ごめんなさいっ!」

「は? あ、いやいや違う違う。そうじゃなくてだな……」

 

 なんとも歯切れの悪い返事をするエーロさん。

 

 はて、お薬が切れたので無ければ他にどういったお話なのでしょう。

 

 私が首を傾げていると、エーロさんはポリポリと頭を掻きながら話します。

 

「実はな、お前に渡してた薬……ありゃ睡眠薬じゃねえんだ」

「……はい?」

 

 思わず聞き返してしまいました。

 

 睡眠薬では…無い?

 

 ですがあのお薬の効き目はバッチリでしたし、だとしたらあのお薬は一体なんだったのでしょう。

 

「あの薬の正体は……唯のビタミン剤だったんだよ」

「……え?」

「だから、ビタミン剤だよ。しょうがねえだろ! お前さんみたいなちびっ子に睡眠薬なんて、身体にどんな害があるか分かりゃしねえんだ。オレはこれでも医者の端くれだからな、そんなもん処方できるかっ!」

「え、え……でもお薬ちゃんと効き目ありましたよ?? あれから毎晩ちゃんと眠れてますし……」

「眠れなくなる原因ってのは大抵心的ストレスだからな。お前さんの場合、本物じゃなくても睡眠薬って信じて安心すりゃ少しは効果があるって踏んだんだが……まさかここまで効果があるとはな」

 

 『予想外だった』と腕を組んでウンウンと頷くエーロさん。

 

 待ってください、いきなりの事に頭が追い付きません。

 

 とりあえず整理しましょう。

 

 まず分かっているのは、エーロさんが嘘を付いていたのは全て私を想っての事だという事。

 

 なのでその事に怒るのは筋違いというものです。

 

 でもかなり深刻に悩んでいた事が、たったその程度の思い込みで解決してしまったというのはちょっとモヤモヤします。

 

 というか、これでは私が何でもホイホイ信じてしまう単純なお馬鹿さんの様ではありませんか!

 

 エーロさんを怒るのは違う。

 

 でも心はモヤモヤモヤモヤ。

 

 恥ずかしさと怒りを抱きつつもぶつける相手は無し。

 

 私は只頬を膨らませて堪える事しかできませんでした。

 

 

「お、おい大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ」

「いえっ 大丈夫です! お気になさらずっ」

 

 

 大丈夫ですのでこれ以上声を掛けないでください、というか一人にしてくださいっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道中ちょっとしたトラブルがありましたが、私達は無事目的地の拠点にたどり着くことができました。

 

 ラート湖の畔に建てられた仮説拠点。

 

 元々は近くの橋を管理する人達の住んでた小屋だったそうですが、今では大量の物資が運び込まれた上、大量の兵士が寝泊まりできる様にあちこち増改築されていて、もはや小屋というよりちょっとした要塞の様になっています。

 

 しかし秋らならいざ知らず、冬になってしまえば塹壕で寝泊まり等すれば凍死者が出るのは明らか。

 

 こうして寝る時だけでも屋根のある場所に居られるのは、非常にありがたいです。

 

 

 更に驚いたのはこの拠点にはなんと寝泊まりする場所が男女で分かれている他、女性用のサウナまで完備されているそうです。

 

 何故ここまで至れり尽くせりなのかと言いますと、

 

 

「オレが直談判して用意させたに決まってるだろ! 何で男共の顔色窺いながらコソコソサウナに入らなきゃいけねえんだよ」

 

 

 との事でした。

 

 ですが兵士というものは基本男性が殆どです。

 

 実際聞いてみると、アーノルド中隊の総数は200人ほどでその9割が男性との事。

 

 つまり20人程の為にあれこれ特別待遇をしている訳で、周りの方達からの心象があまりよろしくないのではないかと不安になりますね。

 

 

 そんな事を考えつつ、クランさんに女性用の部屋へと案内して頂きました。

 

 部屋の大きさは中々の物で、20人で暮らすには十分すぎるほどですね。

 

 家具も最低限の物が揃っていて、各所には大型ストーブも完備されています。

 

 寝泊まりする分には十分過ぎるほどの環境なのです、ですが……

 

「その……なんというか、散らかっていますね」

 

 そうなのです、折角の部屋は軍服やら何やらがあちこちに散らばっていて、お世辞にも綺麗な環境とは言えません。

 

 挙句中には下着まで無造作に放り投げられてる始末。

 

 正直目のやり場に困ってしまいます。

 

 私が指摘すると、クランさんはバツが悪そうに頭を掻きながら答えてくれました。

 

 

「あー……まあしゃーねだろ、こっちは敵の襲撃が日常茶飯事だからな。片付ける暇なんてねーよ」

 

 

 なるほど、それなら確かに仕方ないです……ん?

 

 ちょっと待ってください、今クランさんは妙な事を言いませんでしたか??

 

「……襲撃が日常茶飯事? ここはそんなに激戦区なのですか??」

「ああ、ここはラート湖に面してるし東には大きな川があっただろ? オーガ方面から首都ヘルキュアに向かおうとすると、少数ならともかく大人数で攻め込もうとしたらどうしても橋を越えなきゃいけねえんだ。んでオレ達はその橋を封鎖して、首都に向かう敵を食い止めてるって訳だな」

「滅茶苦茶重要拠点じゃないですか……」

「だからそう言ってるだろっ」

 

 クランさんはムッとし顔で私に言いますが、ちょっと待って欲しいのです。

 

 私はてっきり、ここはタクマ中隊がやっていたような前線部隊をサポートする場所だと思っていました。

 

 ここが重要拠点で激戦区だというのであれば、何故アーノルド中尉は散歩と称して拠点を抜け出したりしてるんですか。

 

「……もしかして、アーノルド中尉殿は少し変わった人なのでしょうか」

 

 私はここに来てから度々思っていた言葉を遂に言葉にします。

 

「少しな、けどお前もすぐ慣れると思うぜ」

 

 しかし涼しい顔で返すクランさん。

 

 なるほどよく分かりました、変わってるのはクランさんもですね。

 

「クランさん、私はこの後作業任務があるんでしょうか」

「とりあえずオレ達はもう休んで良いって言われてるぜ」

「そうですか、では丁度良いですね」

 

 ともかく私はこれからここでお世話になる身。

 

 ならば新参者として皆さんに貢献しなければなりません。

 

 時間もあるようですし、手始めにこのお部屋をピカピカにしてしまいましょうか。

 

「お前も疲れてるだろうし、この後はサウナにでも入ってゆっくり……っておいナナシ、何を始める気だ?」

「無論お部屋のお片付けです。この程度なら私一人で何とかなりますので、クランさんはサウナでゆっくりしてきてください」

「おいおい、これを一人で片付けるって今からじゃ今日中に終わる訳ねえだろ」

 

 確かに時刻は夕刻過ぎ、完全に日が落ちれば他の皆さんも帰ってくるでしょうしあまり時間は無いでしょう。

 

 ですがだからと言って、放っておけば散らかってしまう一方。

 

 せめてこの積み重なった毛布の束だけでも何とかしておきたい所です。

 

 そう思って私が毛布に手を掛けると、

 

 

「ひっ!?」

 

 

 突如毛布の中から響く女性の悲鳴。

 

 

「え……わわわっ!?」

 

 

 毛布が喋った!?

 

 思わず毛布から飛び引いて尻持ちを付いてしまいます。

 

 打ち付けたお尻を抑えつつ、よくよく毛布を観察してみると小刻みに揺れているのが分かります。

 

 これはつまり、毛布の中に何かが居るという事でしょう。

 

 正体を確かめようと私が近づくと、クランさんが制します。

 

「すまねえナナシ、コイツの事伝えるのを忘れてた。ここはオレに任せてくれ」

「クランさん? ……はい、分かりました」

 

 私が頷くと、クランさんは毛布の元に近づいて語りかけます。

 

「驚かせて悪かった、オレだセラフィナ。ここには男は居ねえから安心しろ」

「……クラン……さん?」

 

 クランさんの言葉に毛布がもぞもぞと動き出し、中から1人の女性が出てきます。

 

 それは以前エリカさんが行った保険授業の時に顔を合わせた事がある女性、セラフィナ上等兵でした。

 

 ウェーブの掛かった長い金髪がとても美しい人で、お父さんがお菓子会社の社長をしているお嬢様。

 

 とても温和な性格で、話し方から品の良さが伝わってくるような方でした。

 

 私は緊張していてあまり喋る事が出来ませんでしたが、それでも私の事を色々気遣ってくれた優しい人だったのを覚えています。

 

 ですが今のセラフィナ上等兵は綺麗だった金髪も酷く乱れており、その目の下には大きな隈が出来てしまっていました。

 

 あまりの変わり様に、一瞬別人だと思ってしまった程です。

 

「ご、ごめんなさいクランさん。私……頑張ったんですっ! でも駄目で……どうしても一人で外に出れなくて……ごめんなさい、ごめんなさい……」

「ばーか、そんな事気にしてんじゃねえよ。暫く留守にしてたけど、今日からまたここで世話になるからよ。ゆっくり慣れて行こうぜ」

 

 身体を震わせながら怯えた目で何度も謝るセラフィナ上等兵。

 

 クランさんは優しく撫でながら、落ち着くまで優しく語り掛け続けます。

 

 すると次第に落ち着いてきたのか、セラフィナ上等兵の震えが段々収まってきました。

 

 そのタイミングでクランさんは私にこっちへ来る様促します。

 

「んで今日から新入りが一人増えたんだ。ナナシって言うんだけど知ってるか?」

「ナナシ……ちゃん?」

「はい、セラフィナ上等兵殿……お久しぶりです。以前保険事業の時にお会いした事がありましたね」

「……うん、覚えてるわ。ごめんなさい、驚かせてしまって」

「っ……」

 

 そう言って笑うセラフィナ上等兵でしたが、その笑顔はあまりに痛々しくて私は返事を返すことが出来ませんでした。

 

 どうしてセラフィナ上等兵はこんなに変わってしまったのでしょう。

 

 ですがとてもそれを聞ける雰囲気では無く、辺りに嫌な沈黙が流れます。

 

「……うっし! じゃあ交流も兼ねてサウナにでも行くか! 途中でハンナも引っ張っていこうぜ」

 

 その沈黙を吹き飛ばしたのは、クランさんの一言でした。

 

「サウナ…ですか? でも私は……」

「ずっとここに籠ってたら気が滅入っちまうだろ? オレが一緒なんだから心配ねえよ。ナナシも勿論来るよな?」

「私ですか? でもお部屋の片づけを……」

「……来るよな?」

 

 私が断ろうとすると、クランさんはまるで猛獣の様な目で私を見てきます。

 

 こ、このままじゃ食べられちゃう!?

 

 

「っ!? は、はい、ご一緒させて頂きましゅっ!」

 

 

 こうなってしまえば私はクランさんに逆らうことなど出来るはずがありません。

 

 私が壊れたおもちゃの様にブンブンと首を縦に振ると、クランさんは実に嬉しそうな笑みを浮かべました。

 

「つー訳だ。ナナシも顔見知りみたいだし、ハンナとはよく話してたよな。オレ達4人と一緒なら、大丈夫だろ?」

「……はい、分かりました」

 

 少し難色を示していたセラフィナ上等兵でしたが、クランさんの押しに折れる形で一緒に行くことを承諾します。

 

 こうして私達は、ハンナさんを巻き込みつつアーノルド中隊のサウナを堪能する事となったのです。

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