これは、トゥーリス防衛線が崩壊する少し前の話。
――ミッケリーデ祭――
それはトゥーリスに古くから伝わる秋の収穫祭。
厳しい冬が訪れる前に収穫の感謝や皆の平穏を祈る大切なお祭りで、毎年大々的に祝うのがトゥーリスの習わしである。
例年ならば丁度今の時期に開催されるのだが、現在トゥーリスはオーガとの戦闘の真っただ中。
とてもではないが祭りを楽しむ余裕など無かった。
しかし、冬に近づくにつれて前線ではとある変化が生じ始める。
それはオーガの侵攻頻度の低下。
普段ならば2日に1回侵攻していたオーガのペースが段々と落ち始め、3日に1回、1週間に1回、そして今では2週間経っても敵が侵攻してくる予兆は無い。
トゥーリス軍はこれをオーガが冬に向けた越冬準備を始めたものと解釈し、与えられた時間で急遽前線送りになった兵士達の教育や、他国への外交に力を入れ始める。
そういった経緯もあり、最前線を戦う兵士達にはとても戦争中とは思えない程の余裕が生まれ始めた。
流石に前線から離れる許可は下りなかったものの、塹壕堀や越冬準備以外の時間は比較的自由に動く事が可能となったのだ。
ともすればその空いた時間で何をするか。
サウナ、読書、トランプ。
戦場の中、彼らは少ない娯楽で突如与えられた一時の休息を満喫する。
そんな中、ある兵士が提案した。
『なあ、これだけ余裕があるならミッケリーデ祭もここで出来るんじゃないか?』
トゥーリス人にとってミッケリーデはとても大切な祭り。
戦時中と諦めていたものの、本心では祭りをしたいと誰もが思っていた。
そんな中での提案である。
すぐに大勢が集い、念密な計画が立てられた。
そして、ミッケリーデ祭当日の朝――――
「わぁー、すごいすごい!! 塹壕もテントもいっぱい飾りつけされてて、まるでほんとのミッケリーデみたいっ」
鮮やかに彩られた防衛線の中を、一人の少女がはしゃぎながら歩いていた。
透き通るような白い肌
肌と同じく、雪の様に白い銀髪。
ルビーの様に煌めく真っ赤な瞳。
彼女の名前はナナシ・エルフィー二等兵。
希少魔法、索敵魔法を操る
彼女を少し知る者ならば、その変わり様にさぞ驚く事だろう。
いつも控えめで、人と話すのは苦手。
感情をあまり出さないが、とても丁寧な喋り方をする子供らしくない子供。
それがぱっと見のナナシの印象。
しかしナナシは何時も感情を抑えているだけで、本来はとても感情豊かなのだ。
故郷のニルバ村で過ごす彼女は少々引っ込み思案な所があったものの、村の友達と元気に遊ぶごく一般的な女の子だった。
しかしオーガによって故郷を追われ、生きて行く為に兵士として前線で戦うという波乱万丈な人生を歩んだ結果、そういった無邪気さを外に出す事は殆ど無くなってしまう。
周りの兵士達も彼女の詳細な事情は知らずとも、若干11歳で兵士として戦場に出ている彼女の苦労を察してか、珍しくはしゃいでいるナナシの姿を微笑ましく眺めていた。
もっとも彼女が少々大人びた性格をしているのは前世の記憶を持つが故なのだが、それを知る者は誰も居ない。
「ナナシちゃん、ムースが良い感じに焼けたから1つ食べていきな!」
「良いんですか? ありがとうございます!」
テントをまるで屋台の様に改造して祭用の串焼きを作っていた兵士の一人が、ナナシに焼き立ての串を差し出す。
ナナシは瞳を輝かせながらお礼を言うと、串を受け取って豪快に齧り付いた。
すると途端に口の中一杯に広がる肉汁がナナシを至福の時間へと誘う。
「はふぅ……美味しい」
何とも幸せそうに串焼きを食べるその姿は周りの兵士達の食欲を大いに駆り立て、串焼きの前にはいつの間にか大勢の人だかりが出来ていた。
「おい、俺にも串焼き一本くれ!」
「あいよー、一本700マルカね」
「はぁ!? ナナシちゃんにはタダであげてたじゃねーかっ! ケチケチすんなっ」
「バッカ野郎! こっちだって仕入れにも調理にも労力かけてんだよ。それにホレ、あんな幸せそうな子に金寄越せなんて言えんのか?」
そう言って男が指す先には、満面の笑みで串焼きを頬張るナナシの姿。
流石にそんな姿を見てしまうと、抗議をしていた兵士もそれ以上何も言えず、渋々700マルカを支払って串焼きを堪能した。
ちなみにマルカというのはトゥーリスで扱われている基本通貨であり、1円=1マルカ程である。
そんないざこざが起きているとは露知らず、ナナシは貰った串焼きを堪能しながら改めて辺りを見渡す。
先程の様な屋台モドキはあちこちに出来ており、何とも香しい匂いがナナシの気分を更に高揚させていく。
「よし、折角だし出来るだけ一杯のお店を周っちゃおう! いっくぞー」
空に向かって右手を突き出し『おー!』と一声叫ぶと、次なる店へと歩き出す。
しかしいくら祭りだからと言えど、何故ナナシはここまでハイテンションなのか。
単にお祭りが大好きだからだろうか?
それとも折角の祭りを盛り上げようと、無理をして明るく振舞っているのだろうか?
否。
彼女が異常にハイテンションな理由、それは現実逃避の結果である。
そして幾ら逃げようと、非情な現実は決して彼女を放したりはしない。
現にその現実は、すぐ傍まで迫っており――――
「あー、ナナシこんな所に居た! 準備するから起きてすぐ医療テントに来てって言ってたでしょ?」
突如背後から伸びた手が、ナナシの襟袖を掴んでグっと引き寄せる。
つんのめりそうになりながらもナナシが後ろを振り向くと、そこには彼女の大親友であるアルマがニコニコしながら立っていた。
「あ……アル……ちゃん」
アルマを見た途端、ナナシの顔からすーっと感情が抜けていく。
先程までキラキラと輝かせていた瞳から光が消えていき、その奥には確かな絶望が宿っていた。
その姿を見れば、ナナシがハイテンションになってしまう程の現実逃避をしてしまった原因の一端がアルマにあるのは明らかだった。
ナナシが絶望する理由。
それは、今夜催されるミッケリーデのイベントにあった。
ガルド小隊、ラッセ小隊合同で行われるこのイベントの中で、ナナシは所謂バニーガールの恰好で出席する事を命じられていたのである。
普段よりウサギと比喩される事に強い抵抗感を持っているナナシは当然拒否しようとしたが、何時もお世話になっているエリカと大親友であるアルマの強い勧めに抗う事が出来ず、結局承諾してしまった。
しかし一時は諦めていたものの、日を追う事にその小さな身体にストレスが溜まっていき、遂に当日朝になって逃走に至ってしまったのだ。
普段から誰かに迷惑を掛けてしまう事を嫌がるナナシが決意した事からも、彼女にとってバニーガール衣装を着る事がどれだけ嫌なのかがよく分かるであろう。
しかしアルマはそんなナナシの変化を気にすることなく、持ち前の怪力を駆使してナナシを引っ張っていく。
「ほら、皆待ってるから行くよ?」
「っ……ま、待って!?」
何とか振りほどこうと藻掻くナナシであったが非力なナナシの抵抗が通じる筈も無く、そのままズルズルと引きずられ、エリカの待つ医療テントへと連行されるのであった。
「なるほど、それでナナシちゃんこんなに膨れ顔になっちゃったのね」
頬を目一杯膨らませて無言の抗議を敢行するナナシの頭を撫でつつ、エリカが呟く。
横では早速今夜着る予定の衣装を試着して楽しそうにポーズを取るアルマの姿があった。
本来バニーガールの衣装は身体の凹凸が大きくないと着こなすのは難しいが、身長も高く胸も大きいアルマは完璧に着こなしており、その姿を兵士達が見れば士気高揚に大きな効果が見込めるだろう。
「そうなんです。遊びたい気持ちは分かるけど、ちゃんと準備終わらせてからじゃないと駄目だよナナシ」
「……別に遊びたかった訳じゃないもんっ」
「じゃあ何で約束すっぽかしたりしたの?」
『どうして?』と顔を覗き込んでくるアルマに対して、ナナシは何も言い返さずじーっとその瞳を見つめ返す。
本当は衣装を着るのがどうしても嫌だったからと口にしたいが、一度了承してしまった手前断る事が出来ず、かと言ってこのまま衣装を着るのも嫌だというナナシの複雑な心境が籠った視線を受け、アルマは溜息を付く。
伊達に十年近くナナシの幼馴染をしているだけあり、アルマは凡そナナシの心情を掴んでいた。
本当なら助け舟を出してあげたい気持ちを、しかし今はグッと抑えている。
何故ならば、今回の催しは普段引っ込み思案のナナシが一皮剝ける為の荒療治でもあるのだ。
最近小隊内の仲間達とは打ち解けて来たナナシだが、これが小隊外となると途端に人見知りを発動してしまう。
普段からナナシのそういった部分を心配しているアルマは、度々小隊外の人と交流出来る機会を作ってきたのだが、どうしても後ろに隠れて交流したがらない。
これは何かしら別のアプローチが必要だと考えていた矢先に、エリカからこの話が上がったのである。
今回交流するのはガルド小隊ととても馴染み深いラッセ小隊。
ラッセ小隊長とガルド小隊長は旧知の中であり、二つの部隊はこれまでも何度か交流を行う機会があった。
そうした中でラッセ小隊のメンバーがとても良い人達だと知っていたアルマは、この機会にナナシが少しでも他の人達との交流を増やせればと思ったのである。
そう、全てはナナシの為。
例えアルマの心の奥底に、可愛い衣装を着たナナシを見たいという不純な気持ちがあったとしても、それは些細な事なのだ。
どうしても着たくないナナシとどうしても着せたいアルマの静かな見つめ合い。
永遠と続くかと思われた膠着は、事を見守っていたエリカの介入で大きく動き出す。
「もしかしてナナシちゃん、この服着るのが嫌なのかしら?」
「! えっと……あの……やっぱりウサギさんの服はちょっと……」
エリカの呟きにナナシが素早く反応する。
煮え切らない言い方ではあるが、その表情から着たくないという意思はアリアリと読み取ることが出来た。
そんなナナシの姿にウンウンと頷くエリカ。
そして、
「そっか。ナナシちゃんがどうしても嫌なら、私も無理強いは良くないと思うの」
「えっ!? ちょ、ちょっとエリカさん!?」
エリカのまさかの発言に激しく狼狽するアルマ。
対照的にナナシの表情がぱぁっと明るくなった。
――――エリカさんは私の味方をしてくれる――――
孤独な闘いの中唯一見つかった友軍の存在に、ナナシは歓喜した。
しかし、
「でも残念ね。ナナシちゃんがこの衣装を着てくれたら、きっと皆喜ぶと思うんだけど」
エリカの言葉に、ピクンとナナシが反応する。
誰かの為に、出来る限りの事をしてあげたい。
ナナシが常日頃抱いている想い。
しかし非力が故に、中々結果を出せない事をナナシはいつも悩んでいた。
もっと皆の役に立ちたい、もっともっと皆に喜んで貰いたい。
そんな中、この衣装を着れば皆は喜んでくれるのだとエリカは言うのだ。
(ウサギさんの格好をするなんて絶対嫌、またヘルシェさんからかわれちゃう。でも……)
それでも誰かが喜んでくれるのならば、我慢して着るだけの意味があるとナナシの心は大きく揺れ動く。
そして、
「ホントに…?」
「ん、どうしたのナナシちゃん?」
「ホントに皆さん喜んでくれますか? 私がウサギさんの格好をすれば、皆笑顔になってくれますか?」
先程とは違う、何か決意を秘めた瞳でエリカを真っすぐ見つめるナナシ。
その姿に、エリカは笑顔で頷く。
「勿論よ。ナナシちゃんの可愛い姿を見れば、みーんな普段の疲れなんて吹き飛んで笑顔になっちゃうわ。ね、アルマちゃん」
「!! そ、そーだよナナシ! だから一緒に頑張ろう、ね?」
二人の言葉にナナシは暫し目を瞑ると、
「……分かった、私ウサギさんになるっ!」
覚悟を決め、衣装を着る事を承諾したのだった。
やる気になっている傍ら、密かに笑みを浮かべるエリカとアルマの姿に、ナナシは最後まで気づくことは無かった。
「ど、どう……かな?」
「すっごく良い! めちゃくちゃ可愛いよ、ナナシ!!」
「うんうん、やっぱりナナシちゃんにお願いして正解だったわね」
その後恥ずかしそうにモジモジしながら衣装を試着したナナシに、アルマとエリカは感嘆の声をあげる。
幼児体系のナナシにバニーガールは一見合わなそうに見えたが、その雪の様に白い髪と肌に衣装がバッチリフィットし、更には少々恥ずかしそうなナナシの仕草が、より可愛らしさを引き立たせていた。
これなら大成功間違い無しだと期待が膨らんでいたが、とある大きな問題がここで浮上する。
それは、
「……あれ?」
胸に引っかかる事無く、ストンと落ちてしまう胸当て。
再度引き上げてみても結果は変わらず、トップレス状態で固まってしまうナナシ。
「えっと、これすぐにズリ落ちちゃうけどこのままで良いの……かな?」
「そんな訳無いでしょナナシ! ちょっと貸してみて、ぺったんこのナナシでも少し寄せてあげれば……」
「にゃっ……くすぐったいよアルちゃん!!」
「我慢してーっ」
抵抗するナナシを抑えつけながら何とか胸当てを引っかけようとするアルマだったが、そんな努力も空しくまたもや胸当てはストンと地面へ落ちる。
何故ならばバニー衣装の胸当て部分は肩紐等が無いため、女性の胸で固定する仕組みになっているのである。
13歳にしては非常に発育の良いアルマは全く問題無いのだが、同年代と比べても若干発育が遅く、胸も地平線を描いてしまうナナシには無理な話であった。
「うー……駄目だぁ。すぐにズリ落ちちゃう」
「ごめんねアルちゃん、私が小っちゃいから……」
その場に項垂れるアルマと、申し訳なさそうに謝るナナシ。
普段自分の胸の大きさ等気にした事も無かったのだが、折角用意して貰ったのに、自分が至らない所為で台無しにしてしまった。
そんな自責の念がナナシにどんどん圧し掛かってくる。
(私の胸がもっとアルちゃんみたいにポヨンポヨンだったら、2人に迷惑を掛ける事も無かったのに)
深いため息と共に縮こまって落ち込むナナシ。
そこへ、
「大丈夫よナナシちゃん、私に良い考えがあるわ」
今まで推移を見守っていたエリカが、落ち込むナナシの手をそっと握った。
「エリカさん……」
今にも泣きそうな顔を上げるナナシをエリカは優しく抱きしめる。
そして子供をあやす母親の様に、優しく語り掛けた。
「だから何も心配は無いわ。私に任せて」
ニッコリと微笑むエリカに、先程まで落ち込んでいたナナシも安堵の表情を浮かべた。
そこへ項垂れていたアルマも起き上がって寄ってくる。
「けどエリカさん、ナナシの胸ホントにぺったんこですよ。どうするんです?」
「それはね……これを使うのよ!」
自信満々に秘密兵器を取り出すエリカ。
しかしそれを見た二人は、思わず首を傾げてしまう。
「これ……でどうやって胸を大きくするんですか?」
「……ごめんなさい、どう使うのか分からないです」
さっきまでの光明は一転、不安げな表情を浮かべる二人を宥めつつ、エリカは問題を解決すべく動き出すのであった。