戦場駆ける白き野兎   作:バサル

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幕間「戦場のミッケリーデ」後編

 そしてその日の夜。

 

 

 

 ラッセ小隊とガルド小隊合同のミッケリーデ祭は、最高潮の盛り上がりを見せていた。

 

 

 

 トゥーリスでは近代まで禁酒法が存在した事で、今でもアルコール類の取り扱いや販売を国が厳しく管理している。

 

 

 

 また兵士の飲酒も基本禁止であり、見つかれば軍法会議で処罰される事となる。

 

 

 

 その理由は軍規を重んじるトゥーリス軍が規律の乱れを恐れた事と、アルコールは一時的に体が温まったように感じても、実際には血管を拡張させ体温を奪いやすくするため、極寒の環境では凍傷のリスクを高める危険性があるという体調面を気遣った配慮だったのだが、生と死の狭間で戦う兵士達の中では酒を求める声も決して小さくなかった。

 

 

 

 故に今宵だけは兵士達に何とか酒を工面してやりたいと二人の小隊長主導の元、大量の酒が確保されたのだ。

 

 

 

 酒の出所はこの日の為後方の街から買い付けた物から、オーガ兵士から鹵獲した物、中には出所不明の所謂密造酒的な物まであったのだが、全ては暗黙の了解で見逃される事となる。

 

 

 

 もっとも飲酒が見つかった時点で軍法会議なので、そんな些事を気にする者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 皆が酒と料理を楽しむ中、宴会の中央には、兵士達が芸を披露するちょっとした催し台が設置されており、 酒も入り気を良くした兵士達が盛り上がる中、催し台の上に頭から毛布を被った二人の少女が立つ。

 

 

 

 アレは一体なんだと興味の視線を集めはじる中、二人の少女の内の一人、アルマが声を上げる。

 

 

 

「皆さーん! 楽しんでますかー? 今日は、私とナナシでこのミッケリーデをもっと盛り上げる為にサプライズをしたいと思います」

 

 

 

 元気良く響くアルマの声に集まる周りの視線。

 

 

 

 それを感じたナナシは小さく悲鳴をあげてアルマの後ろに隠れようとするが、ニッコリと笑うアルマに掴まれ、逃げられない。

 

 

 

「ほらナナシ、準備は良い?」

 

「っ!? えっ……あっ……えっと……えっと……」

 

「もー、そんなに緊張しなくても大丈夫だって! じゃあ行くよー」

 

「にゃっ…待ってアルちゃん!?」

 

 

 

 被った毛布に手を掛けるアルマに抵抗の意思をみせるナナシだったが、抵抗空しく彼女を包んでいた毛布は宙を舞い、そして催し台の上には、かなり際どい格好のバニー少女が二人姿を現す事となった。

 

 

 

 

 

「いえーい!!」

 

 

 

 

 

 兵士達にアルマが笑顔で手を振ると、周りから響く歓声の声。

 

 

 

 元々アルマは誰でも気兼ねなく接する明るい性格と、とても13歳とは思えない抜群のプロ―ポーション故に兵士達の中でもかなり人気が高い。

 

 

 

 日頃華やかさの欠片も無い戦場を生きる彼らにとって、まさに心の清涼剤そのものであった。

 

 

 

 そんなアルマが露出の高い衣装を身に纏い、笑顔で手を振っている。

 

 

 

 兵士達のテンションは今日一番の盛り上がりを見せていた。

 

 

 

 しかしその歓声は、同じく催し台の上に立つもう一人の少女に強い衝撃を与えてしまう。

 

 

 

 

 

「あわわわ……あわわわわわ!?」

 

 

 

 

 

 凄まじい歓声に呑まれ、ナナシは催し台の上で縮こまってしまった。

 

 

 

 そもそも人見知りの彼女にとって、こんな大勢の前に立つこと自体があまりにもハードルが高すぎる行為。

 

 

 

 皆の為にと何とかここまで踏ん張っていた心も、遂にここで折れてしまう。

 

 

 

 そんなナナシの様子に気づいたアルマは、急いでナナシの元に駆け寄ると声を掛ける。

 

 

 

「大丈夫、ナナシ?」

 

「ふえっ?…あ、アルちゃん……ごめんね、やっぱり私には無理だよ……」

 

 

 

 涙目で訴えるナナシを見て、アルマは申し訳なさそうに彼女の顔を撫でた。

 

 

 

 そっと触れる大好きなアルマの手に、不安で一杯な表情をしていたナナシの表情が僅かに緩む。

 

 

 

「ちょっと無理させすぎちゃったか……私の方こそごめん、ナナシ」

 

「……アルちゃんは悪くないよ。私が駄目なだけだもん」

 

「ううん、ナナシが駄目なんてことないよ。今日だって頑張ってここに立ってるじゃない」

 

「けど……」

 

「皆に注目されるのが…怖い?」

 

 

 

 

 

 アルマの問いに、ナナシは小さく頷く。

 

 

 

 

 

 ナナシが人に注目される事を怖がる理由。

 

 

 

 それは本人の人見知りな性格も影響しているが、もっとも大きな理由は生前の記憶にあった。

 

 

 

 

 

 ナナシが死ぬ前に受けた強い衝撃。

 

 

 

 無実の罪によって裁かれ、数多くの人から受けた怨嗟の数々。

 

 

 

 その記憶が彼女の心には深く刻み込まれており、新たな人生を得た今でもそれが強いトラウマとなってしまっていた。

 

 

 

 

 

 プルプルと震える小さな身体。

 

 

 

 アルマはそんなナナシの身体をギュッと抱きしめた。

 

 

 

 

 

「えっ……あ、アルちゃん? 急にどうしたの!?」

 

 

 

 

 

 当然の抱擁に顔を赤らめるナナシ。

 

 

 

 対してアルマは、そんなナナシにニッコリと微笑んだ。

 

 

 

 

 

「ねえナナシ、ここにはナナシを怖がらせるような人なんて、誰も居ないんだよ。ほら、皆の事見てみなよ」

 

 

 

 

 

 アルマの言葉に恐る恐る顔を上げて周りを見るナナシ。

 

 

 

 そこには、

 

 

 

 

 

「へぇー、似合ってるじゃんナナシー!」

 

「可愛いわよ、ナナシちゃーん!」

 

 

 

 

 

 楽しそうに笑って、二人へ手を振るリリヤとパウラ。

 

 

 

 

 

「フフン、私の見立てに間違いなかったわね。二人とも最高よ!」

 

「……エリカ、少しは自重してやれ」

 

 

 

 

 

 二人の姿を誇らしそうに見ているエリカと、そんなエリカに呆れながらも僅かに笑みを浮かべているガルド。

 

 

 

 

 

「やっぱりウサギにはウサギの格好が良く似合うな、うん」

 

「そんな事言ってるとまたナナシちゃんに蹴られるよ? まあでも、似合ってるとは思うけどね」

 

 

 

 

 

 納得した様子でうんうんと頷くトニーと、窘めながらも同意するミカ。

 

 

 

 

 

 

 

 ナナシ達に向けられる視線は様々だったが、それらには決して負の感情は無く、皆壇上の2人を見て楽しんでいるのは明らかであった。

 

 

 

 その姿を見てナナシは、ふっと今まで自分に纏わりついていた物が消え、身体がとても軽くなった様に感じた。

 

 

 

 

 

 何故自分はこんなに怖がっていたんだろう。

 

 

 

 皆がとても優しい人達だという事は、もう知っていた筈なのに。

 

 

 

 

 

「……そうだね、アルちゃん。ここには怖い人なんて誰も居ない、怖い事なんて全然無いんだね!」

 

 

 

 

 

 それなのに一人で怖がっていた自分が可笑しくて、ナナシはいつの間にか笑っていた。

 

 

 

 アルマと比べると控えめで小さなものであったが、普段は彼女が殆ど見せない年相応な屈託の無い笑顔は、見ている者の心を確かに癒していた。

 

 

 

 そして隣でその様子を見ていたアルマはホッと肩を撫でおろし、気を取り直してナナシに声を掛ける。

 

 

 

「でしょ? じゃあ元気も出てきた所でさっき練習したポーズもしっかり決めちゃおう!」

 

 

 

 ポーズと聞いて一瞬ビクッと反応するナナシだったが、覚悟を決めた様に深呼吸してアルマに向き直る。

 

 

 

「分かった、行くよアルちゃん!」

 

「おっけーだよ、ナナシ!」

 

 

 

 お互いに頷くと、二人は観客の方へ向き直る。

 

 

 

 そして両手を頭の上に乗せ、両足を揃えると一歩前へと飛び出した。

 

 

 

「ぴょんっ!」

 

「ぴょんっ!」

 

 

 

 二人が飛び上がる毎に胸に備わる小さな山と大きな山がたゆんたゆんと弾んでいく。

 

 

 

 そう、驚くべき事に先程まで絶壁だったナナシの胸には小さな膨らみが現れていたのだ。

 

 

 

 そして二人は催し台の端まで来ると、集まっている全員に向けて高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

「「ウサギさんだぴょんっ!!」」

 

 

 

 

 

 綺麗にハモった二人の声。

 

 

 

 暫くの間静寂に包まれるが、

 

 

 

 

 

 ――――ウオォォォォォォォォォォ――――

 

 

 

 

 

 すぐに大きな歓声が二人を包み込んだ。

 

 

 

 ちゃんと楽しんで貰えたか心配そうにしていたナナシも、その声を聴いてすぐに笑顔を取り戻す。

 

 

 

「やったねアルちゃん! 皆いっぱい喜んでくれたよ!!」

 

「ナナシがいっぱい頑張ったからだよ! 凄いぞ、ナナシ」

 

 

 

 嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるナナシの頭を優しく撫でるアルマ。

 

 

 

 もっとも歓声があがった理由は大きく弾んでいたアルマの胸による所が大きく、ナナシに関して向けられた声は大ウケしていたリリヤやトニーによるものが殆どだった。

 

 

 

 しかし二人が場を大きく盛り上げたのは事実。

 

 

 

 催しは大成功に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後何時までも笑っていたトニーにナナシキックが炸裂する等ハプニングがあったものの、二つの部隊によるミッケリーデの夜は和やかに更けていく。

 

 

 

 しかし皆が笑顔の中、ナナシは一人浮かない顔をしていた。

 

 

 

 時折辺りをキョロキョロと見渡し、誰かを探している様である。

 

 

 

「ナナシちゃん、何だか元気が無いみたいだけどどうかしたの?」

 

 

 

 その様子を気にしたエリカがナナシに声を掛ける。

 

 

 

 ナナシはそんな事無いと弁解するが、少しして意を決したようにエリカへ問いかける。

 

 

 

「あ、あの……ヘルシェさんが何処に居るかご存じですか?」

 

「ヘルシェ君? 彼なら歩哨任務に立ってるわ。幾ら襲撃頻度が減ったって言っても警戒は必要だから、数名には交代で任務に就いて貰っているの。その代わり、歩哨に立った皆は明日丸1日お休みです」

 

「そう……だったんですね」

 

 

 

 エリカの説明を聞いて納得したナナシであったが、その顔は暗い。

 

 

 

 その様子に首を傾げるエリカであったが、すぐに何かを察した様だ。

 

 

 

 ナナシにちょっと待っててと告げると何処かへ走っていき、暫くすると一本の酒瓶を持って戻ってくる。

 

 

 

 

 

「ナナシちゃん、悪いんだけどヘルシェ君に差し入れを持って行ってあげてくれないかしら」

 

「! は、はい……良いですけど、これお酒じゃないですか!? 流石にそれは……」

 

 

 

 

 

 ヘルシェへのおつかいと聞きぱぁっと表情の明るくなったナナシだったが、酒瓶を見てすぐ険しい表情に戻ってしまう。

 

 

 

 歩哨は敵の接近を警戒する為の非常に重要な任務、それ故に酒を入れて行う等言語道断である。

 

 

 

 幾らミッケリーデだからと言って流石にこれは不味い事を、ナナシはよく理解していた。

 

 

 

 しかしそんなナナシとは対照的に、エリカは大丈夫と気軽に言ってのけた。

 

 

 

「ヘルシェ君の当番はもう少しで終わりだし、勿論酔うまで飲んじゃ駄目だけど少しぐらいわね」

 

「な、なるほど…でも……」

 

 

 

 未だ不安げなナナシであったが、そこでエリカが閃いたと手を大きく叩く。

 

 

 

「そうだ! 心配ならナナシちゃんがヘルシェ君が酔ったりしない様に見てあげてたら?」

 

「わ、私がですか??」

 

「そう、ナナシちゃんはしっかりしてるし、そうしてくれれば私としても凄く安心であるわ。勿論ナナシちゃんが良かったらだけど」

 

 

 

 どうかしら、とナナシの返答を待つエリカ。

 

 

 

 対してナナシは少し考えると首を縦に振り、ピシッと姿勢を正して敬礼の姿勢を取る。

 

 

 

「確かに、ヘルシェさんは少々だらしない所がありますのでしっかり監督する必要があると思います。分かりました、この任務私にお任せください」

 

「ありがとうナナシちゃん。じゃあこれをヘルシェ君に渡してね」

 

 

 

 エリカから渡された品はコルヴァという近年出回り始めた主に若者から人気のある酒だ。

 

 

 

 これにサルミアッキと呼ばれる塩味のリコリスキャンディを砕いて混ぜた物が特に人気で、あまりの売れ行きからアルコール中毒者増加を懸念したトゥーリス国が製造禁止にしようとした曰くつきの酒である。

 

 

 

 しかし酒に関しての知識を殆ど持ち合わせていないナナシに分かる筈も無く、手渡された瓶を大事そうに抱える。

 

 

 

「では行ってきます」

 

「はい、お願いします。でも、そのまま行くのは流石に不味いわね」

 

「? 何か他に準備が必要でしょうか」

 

「服、上に一枚羽織っていきなさい。流石にそのままじゃ寒いわよ」

 

「……あ」

 

 

 

 エリカに指摘されナナシははっと我に返る。

 

 

 

 何故ならナナシの格好は、未だバニー姿のままなのだ。

 

 

 

 エリカに上着を一枚貸して貰うと、今度こそヘルシェの元へと駆けていくナナシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間達の騒ぐ声が遠くに響く中、一人の青年は静かに敵陣地を眺めていた。

 

 

 

 その目は真剣そのもので、敵の痕跡を一切見逃すまいと全神経を集中させている。

 

 

 

 彼の名前はヘルシェ。

 

 

 

 ガルド小隊の中でも古株の兵士であり、魔法の才は無いものの索敵能力と銃の扱いに長けた優秀な兵士である。

 

 

 

 そんな彼の索敵網に、一つの存在が引っかかる。

 

 

 

 

 

「……後方から誰か来てるな。交代の時間はまだ先の筈」

 

 

 

 

 

 一瞬サイドアームの小銃に手を伸ばすも、すぐに緊張を緩める。

 

 

 

 何故ならば歩いてくる気配と足音から、相手がかなり小柄だと理解したからだ。

 

 

 

 小柄で何の警戒も無くこちらへ歩いてくる人物。

 

 

 

 彼の中でそんな人物は一人しか心当たりが無かった。

 

 

 

 そして暫くすると、背後の茂みから長いウサ耳がひょっこり顔を出す。

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 

 思わず声をあげるヘルシェを他所に、ウサ耳をピョコピョコさせた謎の人物は茂みから姿を現した。

 

 

 

 無論、ナナシである。

 

 

 

「えっと……こんばんは、ヘルシェさん。任務ご苦労様です」

 

「あ……ああ、こんばんはナナシちゃん。どうしたの、こんな所へ」

 

「エリカさんのおつかいです。一人で頑張ってるヘルシェさんに差し入れを持ってきました」

 

「な、なるほど……そういうことか。態々ごめんね、ナナシちゃんもお祭り楽しみたかっただろうに」

 

「いえ、私騒がしいのは得意ではありませんので。隣に行ってもよろしいですか?」

 

「……ああ、良いよ」

 

 

 

 許可を貰い、ヘルシェの隣にちょこんと座るナナシ。

 

 

 

 対してヘルシェは明らかに動揺している。

 

 

 

(ウサ耳…だよな? 何でナナシちゃんがそんなものを。そもそもコートを羽織ってるけど、かなり薄着じゃないか??)

 

 

 

 あれだけ嫌がっていた、ウサギを模した長い耳。

 

 

 

 コートの隙間から覗く肌にピッタリ貼りついた衣装と、露わになった白い肌。

 

 

 

 あまりに普段から乖離しすぎたナナシの姿に、ヘルシェは自分の正気を疑っていた。

 

 

 

 しかし彼は酒も薬もやった覚えが無い。

 

 

 

 トゥーリスでも北部に位置するヤルヴ地方生まれの為、この程度の寒さで幻覚を見る筈も無い。

 

 

 

 つまりこれは間違い無く現実だと再確認した上で、ヘルシェはもう一度ナナシの姿を確認した。

 

 

 

 

 

「……どうかしましたか、ヘルシェさん?」

 

 

 

 

 

 キョトンとした表情で首を傾げるナナシ。

 

 

 

 無論その姿は先程と同じである。

 

 

 

 どうしたものかとヘルシェが悩んでいると、何故かナナシはヘルシェと目と鼻の距離まで寄ってきた。

 

 

 

「ヘルシェさん、何だか元気ありませんね。もしかして調子が悪いのですか?」

 

 

 

 心配そうに、じぃーっとヘルシェの顔を覗き込むナナシ。

 

 

 

 どうやら様子がおかしいヘルシェを気にしている様だ。

 

 

 

 このまま心配させてしまうのも悪いと感じ、ヘルシェは一時的にナナシの格好の事を頭の隅へと追いやった。

 

 

 

「いや、大丈夫だよ。自分の体調管理ぐらいできなきゃ兵士は務まらないさ」

 

「それなら良いのですが……」

 

「心配してくれてありがとう、ナナシちゃん」

 

「いえ……所でヘルシェさん、今日の私は何時もと違うと思いませんか?」

 

 

 

 主張するには些か控えめ過ぎる胸を張り、どこか自信たっぷりなナナシの言葉に思わず違いすぎだとツッコミそうになるヘルシェだったが、その気持ちをグッと抑える。

 

 

 

「そう……だね、言われてみるといつもより元気そうかな。何か良い事でもあったのかい?」

 

「わかりますか? 実はですね、先程皆さんの前でウサギさんを披露して、一杯褒めて貰ったんですよ」

 

 

 

 

 

 ナナシは先程の事をヘルシェに話す。

 

 

 

 その顔はとても嬉しそうで、彼女が皆を楽しませる事が出来たことを本当に喜んでいるのがひしひしと伝わってくる。

 

 

 

 そして同時に、ナナシがおかしくなってこんな格好をしている訳ではないと分かり、ヘルシェは心底ホッとしていた。

 

 

 

「なるほどね。けどナナシちゃん、あんなにウサギ扱いされるの嫌がってたのに、よくその恰好出来たね」

 

「そう思うようになったのは100%ヘルシェさんの所為ですけどね」

 

「っ……いや、ホントにごめんね」

 

「別にもう……いえ、良くないですけどっ!」

 

 

 

 プンプンと頬を膨らませながら怒るナナシ。

 

 

 

 宥める為に頭を撫でるヘルシェに一睨みするも、それが思いの外心地良かった様で何とか怒りを収めた。

 

 

 

「……ウサギさん扱いされるのは今でも嫌です。でも、皆が凄く楽しそうにしてくれたから……私がしたことで皆が楽しんでくれるなら、これも良いかなって思ったんです」

 

 

 

 笑顔でそう語るナナシ。

 

 

 

 その顔は喜びに溢れており、それを見たヘルシェもまた顔を綻ばせながら、ナナシと最初に会った頃の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 殆ど感情を表す事が無くただ淡々と命令を受け入れる、瞳に絶望を宿した少女。

 

 

 

 その姿にヘルシェは、彼女のこれまでの人生を想って一種の憐れみを感じていた。

 

 

 

 

 

(きっとこの子も、そう遠くない未来に戦場で命を落とす事になる。)

 

 

 

 

 

 今まで同じ目をして戦場に散っていった兵士達を多く見ていた彼は、それを憐れと思いつつも戦争の常だと諦めていた。

 

 

 

 その気持ちに変化が起きたのは、彼女が同時期に配属されたもう一人の少女と話しているのを見た時だった。

 

 

 

 

 

 親友のアルマと話す彼女の姿は何処までも年相応の少女で、それは彼女の心が完全に凍り付いてしまっているのではなく、ただ内に抑え込んでしまっているだけなのだと気づく。

 

 

 

 その日からヘルシェは彼女、ナナシに事ある毎にちょっかいを掛けるようになった。

 

 

 

 最初は困惑していたナナシも、日を重ねる毎に小さくではあるが感情を見せる様になり、今ではもう前の様な絶望を秘めた目を見せる様な事は無くなった。

 

 

 

 そんなナナシを見る度にヘルシェは想うのだ。

 

 

 

 

 

『ああ、本当に良かった』 と。

 

 

 

 

 

 事態は好転せず、自分たちは未だ地獄の淵から抜け出せずに居る。

 

 

 

 そんな中でこの状況に絶望せず笑顔を見せるナナシは、ヘルシェにとって確かな希望だった。

 

 

 

 それ故にヘルシェは決意する。

 

 

 

 この小さな希望を必ず守り通して見せると。

 

 

 

 

 

「そっか、実際凄く似合ってるからね。とっても可愛いよ、ウサギちゃん」

 

「にゃっ!? うぅ……またウサギって呼びましたねヘルシェさんっ! もう絶対呼ばないって言ったのにっ!!」

 

「そうだっけ? そんな事言った覚え無いな」

 

 

 

 ヘルシェが惚けると、ナナシは顔を真っ赤にして怒りを露にする。

 

 

 

「言いましたっ!! この前呼んだ時に私が怒ったら、もう絶対言わないって約束して指切りまでしたじゃないですかっ」

 

「あー、そんな事もあったね。けど今のナナシちゃん何時も以上にウサギちゃんだし、これは言われても仕方ないんじゃないかな」

 

「それは……っ」

 

「それにオレは、ナナシちゃんの可愛いウサギ姿を見れて嬉しいよ」

 

「ぐ……ぐぬぬっ」

 

 

 

 嬉しいと言われてはこれ以上怒れず、怒りの矛先を失ってしまうナナシ。

 

 

 

 対してヘルシェは、コロコロ変わるナナシの表情を見るのが楽しくてついつい笑みを浮かべてしまう。

 

 

 

 その態度が火に油を注いで渾身のナナシキックを喰らうヘルシェであったが、その顔は何時までも楽しそうであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫く二人は静かに警戒を続けていたのだが、ふと思い出したようにナナシは懐からエリカから預かっていた酒を取り出してヘルシェに差し出す。

 

 

 

 

 

「所でヘルシェさん、差し入れのお酒飲みますか? エリカさんは少しぐらいなら大丈夫と言っていましたけど」

 

「酒かー……確かに飲みたくはあるけど、まだ任務中だからね。これは終わった後に飲むとしようかな」

 

「そうですよね……」

 

 

 

 ヘルシェの返答で明らかに気落ちするナナシ。

 

 

 

「それに今はどっちかと言うと腹の方が減ってるかな。空きっ腹に酒は毒だ」

 

 

 

 しかし次のヘルシェの言葉にぱぁっと顔を輝かせる。

 

 

 

 

 

「ヘルシェさんお腹空いてるんですか!?」

 

「あ、ああ……少しだけどね」

 

 

 

 

 

 かなり食いつき気味なナナシの圧に若干圧されつつ、ヘルシェは頷いた。

 

 

 

 するとナナシは得意げにフフン鼻を鳴らす。

 

 

 

「そうですか、なら仕方ないですね。今日のヘルシェさんは頑張り屋さんなので、これをあげましょう」

 

 

 

 そう言ってナナシは上着を脱ぐと、あろう事か衣装の胸部分に手を突っ込んで――――

 

 

 

 

 

「はい、ヘルシェさん! 美味しいプッラですよっ」

 

 

 

 

 

 仕込んであった物をヘルシェの前に差し出した。

 

 

 

 

 

 そう、これがナナシの絶壁にほのかな膨らみを与えていたエリカの最終兵器である。

 

 

 

 プッラとはトゥーリスに伝わる丸い山の様な形が特徴の菓子パンの一種だ。

 

 

 

 エリカはこの形に目を付けて、ナナシの胸へパットの代わりとして仕込んでいたのである。

 

 

 

 『いざという時には非常食にもなるから』と冗談交じりに話していたエリカであったが、その言葉を真に受けていたナナシは迷う事無く実行に移してしまった。

 

 

 

 確かにプッラはほのかに甘く、保存にも適しているので非常食としては最適であろう。

 

 

 

 しかし思い出して欲しい、何故ナナシはプッラを胸に仕込む必要があったのかを。

 

 

 

 パットを失った衣装がどうなってしまうか。

 

 

 

 支えを失った胸当ては重力に負けペロンと捲れてしまい、ナナシの絶壁はヘルシェの前で完全に露わになってしまった。

 

 

 

「ちょっ……ナナシちゃん、服! 服!」

 

「服? ……あ!」

 

 

 

 その事に全く気付いてないナナシであったが、ヘルシェの指摘によりようやく気付く。

 

 

 

 しかし別に隠そうとする事も無く平然としていた。

 

 

 

「これ無いとズリ落ちちゃうの忘れてました。もうちょっとお胸が大きくなってくれると良いんですけどね」

 

 

 

 困ったように笑うナナシの姿に、流石のヘルシェも呆れてしまう。

 

 

 

「……分かった、それは分かったからナナシちゃん、とりあえず上着を着ようか」

 

「えっ? ……ああ、そうですね。このままじゃ風邪引いちゃいますよね」

 

「はぁ……」

 

 

 

 

 

 その後上着を着たナナシはヘルシェから女の子の慎みについて長々とお説教を受ける事になったのだが、最後までキョトンとした表情のナナシに、ヘルシェは深いため息を付くのであった。

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