貞操逆転世界の女子校で教師やってます   作:空想の墓場

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ボディタッチはご法度で

 キーボードを叩く音とメモの上にペンを走らせる音が重なって響く。僕のデスクのすぐとなりで、教頭が何やらとうとうと語っている。今日の目当てやら、教師のあり方やら御大層な話は結構だが、その合間合間にこちらに向けられる視線。

 

 アピールしても無駄ですよー。教頭権限を濫用して、僕のデスクを自分に一番近いところに誘導したの、知ってるんですからね。まぁ、そうでなくてもそういう対象にはならないのだけれど。

 

 私立台東羽(だいとうばね)女子高校の朝は早い。校庭や体育館では今も多くの生徒たちが朝練に励んでいるし、授業開始よりも先に僕たちの仕事は始まっている。

 

 偏差値50前後の、女子校である以外はありふれた学校。だが、部活動にだけはそれなりに力を入れているらしい。

 

 一応僕もバドミントン部の顧問を任されてはいるが、あいにくウチの部は弱小で。体育館の縄張り争いは、残酷なほどに実力主義だ。

 

 結果、朝練で体育館を使えるのは月曜の朝だけ。大外れもいいところだ。肝心の放課後練も、壇上を使って細々とやらされている。

 

 僕が顧問になってから、部員数が3倍以上に跳ね上がった驚異的な実績はあるものの、僕自身はバドミントンなんて体育の授業でかじった程度しかやったことないし、運動が得意なわけでもなかったので。最低限の管理だけしながらたまに顔を見せる程度で放任していたら、1人と1人と抜けていき。ひと月ほど経った今では、元の1.3倍程度の人数に落ち着いた。

 

 ハッとして、拡散的思考から現実に帰還する。いけない。教頭の話があまりにもつまらなさ過ぎて、つい余計なことを考えてしまった。偉い人の話がつまらないのは、今も昔も前世も今世も同じだなとか思いながら。

 

「――で、もう間もなく新学期に入って最初の中間試験期間に入ります。生徒一人一人に自覚をもってもらえるよう、先生方からも声をかけてあげてください。それでは、私からは以上になります」

 

 ブルドッグのようにたるんだ頬をぶるんぶるん揺らしながら、教頭が言葉を締める。言うまでもないが、教頭もまた女性だ。

 

 お互いに周囲を確認する時間が数秒続き、改めてこれ以上は何もなさそうだということが明らかになった時、幾人かの先生が席を立つ。各々教室へ向かったり、自分の作業を進めに戻ったり。僕もまた席を立つ。

 

 来たばかりなのに、もう帰りたい。あくびを噛み殺しながら給湯室へ向かう。

 

「今野先生。コーヒーですか」

「……えぇ、まぁ」

 

 給湯室に足を踏み入れようとしたところで、声を掛けられる。声の主は、先ほど話していた人物と同じ。すなわち、教頭先生。

 

「ついでに私の分もお願いしますよ。今野先生のコーヒーは一段と美味しい」

「はは、光栄でーす……」

 

 ヘタクソな誉め言葉が空を切る。インスタントだっつーの。誰が入れても変わんねぇから。おそらく、適度にドブを混ぜ込んでも深みのある味だとか言って飲むに違いない。

 

 お茶くみが男性の仕事、というわけではないが。この世界のほとんどの出来事は、女性が主体となって進められている。したがって、それ以外の雑事は手の空いている人間――すなわち男に任せようという発想に至るのだろう。あーはいはい。合理的なこって。

 

 不満は見せないように、うつむいて。教頭の分は気持ち薄めに入れてやる。どうせならクッソ熱々に沸かして火傷するさまを拝んでみたくもあるが、それは他の先生方にも迷惑になるのでやめておいた。

 

 すぐそばから、何かをねだるような視線を感じる。今日も相変わらずグラマラスな、同僚の伊藤先生。僕は上司に頼まれたから仕方なくやってるのであって、善意じゃない。お前らはお前らで勝手にやれ、子どもじゃあるまいし。両手にマグカップを持ち、慎重に運ぶ。

 

 やたらと上機嫌な教頭の顔が近づくたび、僕の気持ちは反比例的に萎えていく。そんな内心はおくびにも出さず、努めて友好的に。笑顔は社会人の必須コミュニケーションスキルだと言い聞かせながら、教頭のデスクにカップを置く。

 

「お砂糖は入れませんでしたよね」

「おや覚えていてくれたんですか。うれしいですね」

 

 ニコニコ顔の上司に合わせて僕も愛想笑い。最近は職場でのコミュニケーションをとりたがらない人間もいるが、むしろそれが居場所をなくしている原因ではないのかと、僕は思う。どうせ働くのなら、少しでも人間関係を良好にしたいと思うのは当然だろう。別に何か損するわけでも――いやまぁ、あまり好かれ過ぎても厄介なことになるのは、これまでの二十数年で身に染みて痛感しているのだが。

 

「うーん。いい香りだ。熱いコーヒーはやはり目が覚めますね」

「そうですね」

「コーヒーと言えば。コーヒー豆とは言いますが、実は豆ではないのを知ってますか?」

「そうなんですか?」

「コーヒー豆というのはコーヒーの木になる実から取り出される、いわば種子の部分であって、実際にマメ科ではないんですよ」

「流石ですね。知りませんでした」

 

 そうですね。流石ですね。知りませんでした。『モテる女のさしすせそ』を考えた人間は、メンタリストか高名な心理学者か、そうでなければ人心掌握のスペシャリストか。この世界でも、というかこの世界でこそ、このロジックは猛威を振るっている。

 

 満足げにコーヒーを口に含む教頭。今カップの底をグイっと突き上げてやったら、どんなことが起こるだろうと思う。

 

 こいつは教頭の癖に目の前の教員の担当科目を知らないのか?僕は生物教師だぞ。そんなの、大学1年の半ばになるころには、擦られ過ぎて誰も見向きもしなくなった豆知識だ。

 

 もういいだろう。これ以上は過重労働だ。身を翻しかけたところで、「あぁ」と。またしても呼び止められる。なんだ、まだ何かあるのか。

 

「今野先生どうですか。この学校にはなれましたか?」

「えぇ、おかげさまで」

「それはよかった」

 

 ……沈黙。話すことがないなら、もう帰っていいですか?世間話なら乗ってやらないこともないが、話題はそちらが出してほしい。感情労働は、そう得意ではない。

 

「いやぁ、先生が来てくれたおかげで、女ばかりでむさくるしかった学校に花が咲いたようです」

「いえいえ、そんな」

「謙遜することはありませんよ。事実ですから」

 

 口では否定してみるものの、内心では同意していた。職員室を見回す。女子高生はともかく、オバハンだらけの部屋というのは相応にむさくるしい。

 

「もし困ったことがあったら、遠慮なく私に相談してくださいね」

「はい。それはもう」

「この学校に若い男性はあなたしかいないんですから。不便なことも多いでしょう。私もできる限り力になりますから。どうです?今夜あたり相談にでも乗りましょうか」

「すみません。今はテストの準備で忙しくて」

 

 カップを持っていない方の手へと重ねるように、音もなく伸びてきた指先をあくまで自然な形で制する。全く、油断も隙もない。テスト期間だからという理由で断ってしまったからには、テストが開けたらまた始まるんだろうなという憂鬱な考えは振り払って。「そうですか。残念です」と不機嫌さを隠そうともしない教頭を後にして、ようやく自分のデスクへ。

 

 ふと時計を見れば、8時20分過ぎ。会議が終わったのがだいたい10分頃だったので、教頭の無駄話に10分以上取られている計算になる。

 

 誰にも聞こえないよう小さく舌打ちして、手荷物をまとめる。この後は担任のクラスに向かい、そのまま続けて一限の授業になる。僕の場合、生物は生物室で行うこともあるので、その場合はまた移動しなくてはならない。

 

 その前に一度トイレにも行きたかったのだが女子校なだけあって、使えるトイレは賓用トイレのみ。それも自分のクラスとは真逆に位置する。

 

 荷物の整理やら今日の内容の整理やらのための時間を奪われたことに憤りを感じつつ、手の中のコーヒーを一気に飲み干して、僕は職員室を後にした。

 

 唯一良かったことと言えば、コーヒーがいい具合に冷めていたことくらいか。

 

 

 

 

 トイレから出た僕は、二階へと続く階段を上っていた。僕の担当する2年2組は、階段を上がって1組を通り過ぎたところにある教室。この学校に赴任してきて初年度ではあるが、なぜか1クラスを任されてしまった。対外的な理由もあるのだろう。この世界には男性が少なく、男性教師なんて輪をかけて少ない。ウチの生徒たちがこっそり持ち込んでいるアレな本に登場するだけの、空想上の存在だと思われていたらしい。あれか、僕は幻のモンスターかなんかか。

 

 それもあって、おそらくは来年度以降の客寄せパンダとして。4月中は嫌というほどパンフレットの資料作りに協力させられた。

 

 一般的に、教師はある程度の年月同一校に勤めると、強制的に異動の対象になる。住んでいる県にもよるが、だいたい6、7年で、メンバーの固定化防止、指導力向上の名目のもと他校に異動となる。特に初任者――僕のような人間は、それよりも短い期間での異動が定められている。それにしたって、最初の赴任先を2年で移動になるのは、かなり速いほうだとは思うが。

 

 そうしてやってきたこの学校。教師3年目にして、僕は初の担当学級を受け持つことになる。それも、女子校の。なんでだよ。ちょっとハードスケジュールじゃありませんか。

 

 ぼんやりとしながら歩いていると、背後からこそこそと誰かの忍び寄る気配。軽く階段を蹴り跳ねるようにして、忍び寄る魔の手をかわす。

 

「おはようございます。宮武さん」

英人(えいと)くん、ガード固すぎ~。ちょっとくらい触ってもいいじゃん、減るもんじゃないし」

「神経がすり減ります。それと、英人くんではなく今野先生と」

「英人くんが千明って呼んでくれたら、考えなくもないかも?」

 

 へらへらとした調子で、癖のある髪を弄ぶ。転げ落ちないか少し心配になるが、彼女に限ってそんなことは起こらないだろう。どことなく猫を思わせる少女は、宮武千明。我がバドミントン部から体育館使用の権利をはく奪した、バレー部のエースであり、2-2の生徒。一応補足しておくと、英人とは僕の下の名前である。

 

 宮武さんが階段を駆け上がり、僕の隣に並ぶ。朝練終わりにそのまま来たのだろう、薄く汗をにじませた彼女。消臭スプレーと汗の混じった独特な臭いが鼻を刺す。無意識のうちに一歩後ずさりしていた。

 

 この世界の平均身長は前世とそう大差ない。男性にしては少し背の低い僕と、女性にしては背の高い宮武さんが並ぶと、あちらの方が少し大きいくらいだ。ほぼ同じ高さに視線を合わせた彼女は、人懐っこい笑みを浮かべて。

 

「教室、一緒にいこうよ」

「……それは、構いませんが」

「イェス!どうする!?手とか繋ぐ!?」

「繋ぎません。僕は教師で……。ちょっ、危ない!階段で暴れないで!マジでこける!」

 

 僕が返事するよりも先に素早く伸びてきた左手を、こちらは右手をひっこめることで逃れる。鍛え上げられた反射神経を存分に発揮し猛攻を仕掛ける彼女に、僕は防戦一方で。

 

 幾度かの攻防の後、「ちぇっ」と唇を尖らせた彼女が前へ向き直る。ようやく諦めてくれたか。気を緩めた瞬間、凄まじい速度で飛来する左手。人生経験が違うんだよ。それすらも予測していた僕は紙一重でかわす。

 

「ケチ、いけず、クソ真面目、貞操観念がしっかりしてて好き!」

「それは、けなされているのでしょうか、それとも褒められているのでしょうか」

「褒めてんの!」

 

 貞操観念、ねぇ。そちらからそんな言葉が出るのには、まだ少し違和感があるが。

 

「そろそろ教室に向かわないと、ホームルームに間に合いませんよ」

「へ?うわマジじゃん!英人くん、早く行こ!」

「だから英人くんではなく……。あぁ、階段を走らないで!もう、ツッコミが多い!」

 

 とはいえ、急がなければホームルームに間に合わないのもまた事実。彼女ほどではないにしろ、僕も気持ち駆け足で、2-2の教室へ向かった。

 

 

 

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