貞操逆転世界の女子校で教師やってます   作:空想の墓場

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運命はこのように扉をたたく

 女子校に赴任してきてから、初めて気付いたことがある。

 

 それは――果物系フレグランス配合の消臭スプレーはクソだということ。

 

 部活も終わり、生徒たちが帰り支度を始める。更衣室があるにもかかわらず、放っておくと生徒たちはその辺で着替え始めるので、一度やんわりとたしなめてみたものの、改善するどころか見せつけることに興奮を覚え始めるものまで出てきた始末。

 

 とはいえ、たった一人の男性教師のために狭苦しい更衣室を使わせるというのも、それはそれで合理的ではない。ならばどうするか。答えは単純。僕が出ていけばいい。

 

 早々に帰りの挨拶を済ませた僕は、異臭漂うあの空間から一足先に逃げ出していた。多種多様な芳香成分が複雑に絡み合うことで、全く別の化学物質が出来ているのではないか、と常々疑っている。それも人体に害のある類の。

 

 痛むこめかみを押さえながら、外の空気を目いっぱい吸い込む。ようやく部活動が終わったと思っても、この後も仕事は山積みだ。保護者宛の資料作成、部のスケジュール調整に授業内容に関する報告書、まだテスト範囲が終わっていないクラスのための授業準備。赤点をとりそうな――特に2-1の生徒たちのための、テスト対策プリント。これなら自慢話を聞いていた方がマシだったかも。

 

 体育館から教室棟までは渡り廊下になっており、少し顔を横に向ければ校庭の様子がうかがえる。グラウンドを整備する者、練習を続ける者、帰り支度は整っているのに喋っている者。

 

 こちらに気付いた数人の生徒が手を振ってきたので、軽く手を振り返してやると甲高い声をあげてさらに勢いよく振り返してくる。何がそんなに嬉しいのか分からないけれど、喜んでくれたなら幸いだ。

 

 ただ、僕にとってはたわいもないことでも、機嫌よさそうに校門へ駆けていく彼女たちにとっては、ああいう一瞬が大切な思い出になるのかな、なんて。

 

 あの子たちが日常を謳歌しているのを見ていると、たまに思うことがある。

 

 ――僕は教師として、生徒たちの人生にどれくらい影響を与えられているんだろうか。

 

 もちろん、影響を与えるだけならば何でもいい。それこそ暴力でも。けれど、言いたいのはそういうことじゃなくて。

 

 誰もが一度は思ったことがあるはずだ。数学、古典、生物化学。『こんなの、大人になったらいつ使うんだ』と。

 

 僕は少しでも生徒たちの理解を助けられるよう、教材や資料の作成にはこだわっているつもりだ。成績を上げるためには、できることは何でもしてあげたい。

 

 ただ、それも結局相手次第で。自分の授業が素晴らしいモノだとは言わないが、仮に完璧な授業ができたとして、目と耳を塞いだ人間に何が伝わるだろう。

 

 目の前の彼女たちは、自分で考え、自分だけの思い出を胸に成長していく。授業から学べることは、実のところそう多くなくて。日常生活こそが最も意味のある勉強なのではないかとも思う。ただ、以前の僕は勉強をサボったばかりに憧れに手が届かなかった。だから、今世ではこの職業を選んだ。自分と同じ道をたどる子どもを減らすために。

 

 なのにまだ。僕は彼女たちを導いているという実感を掴めずにいた。

 

 僕の背後を幾人かの生徒たちが通り抜けていく。さよならを告げる声に、僕も返しながら。体育館の中を覗き込むとまだそれなりに生徒たちが残っている。テスト期間中も部活はあるが、居残り練習は全面禁止になる。濱野(はまの)先生が怒号を飛ばして生徒たちを帰らせようとしているものの、思春期真っただ中の彼女たちが素直に答えるはずもなく。

 

 体育館の施錠は、基本的に教師陣が行うことになっている。最後に出る生徒に任せる学校もあるが、ウチの場合安全管理上の問題で、体育館を利用した部活の顧問が最後の戸締りを行うことが義務付けられていた。そこで、僕は最近部活に出れていなかったことに加え、少しでも業務から離れる口実を作るため、最後まで残ることを申し出た。

 

 そんなことをしても仕事が無くなるわけではないので、先延ばしにすぎないのだけれど。

 

 ようやく最後の生徒が体育館から出てきたかと思えば、それは見慣れた顔で。

 

「英人くん、さよーならー!」

「ならー」

「はい。さようなら」

 

 宮武さんと、金城さん。それと数人、みんな2-2のバレー部員たち。彼女たちが口々に別れの挨拶を言うので、どれに返すべきかと苦笑する。

 

 そのまま通り過ぎるのかと思い廊下の端に寄ったものの、そういうわけでもないようだった。宮武さんはピタリと足を止めると、僕の目の前で立ちつくし、口をもごもごさせている。普段とは少し様子の違う彼女に戸惑いを覚えたのもつかの間、金城さんに「はーやーくー」とせっつかれて、ようやく口を開いた。

 

「あ、あのさ、英人くん。明日って空いてる?分かんないとこがあるんだけど、質問しにいっていい?」

 

 そう聞かれて、僕は拍子抜けする。そんなの、別に言いづらそうにするほどのことでもない。

 

「昼休みなら時間があります。生物準備室にいると思うので、いつでも声をかけてください」

「やったー!じゃあ明日、お宅にお邪魔しちゃいます!」

 

 両手を高く挙げて快哉を叫ぶ。大袈裟な気もするが、喜ぶのはむしろこちらの方だ。教師にとって、生徒から質問されるというのは、生徒たちが思っているよりずっと嬉しいことで。僕も思わず笑みがこぼれる。そんな僕たちの様子を見つめる、バレー部の生徒たち。そのうちの一人、ひときわ背の高いポニーテールの少女が、悪いことを思いついたような表情で言った。

 

「いいなー千明。ねー英人先生、あたしにも教えてよー」

「もちろんいいですよ。それなら一緒に――」

「せんせー、分かってないなー。分かってないぜー」

 

 金城さんがわざとらしく肩をすくめながらチラリと目だけで僕に合図を送る。彼女の眠たげな視線を追ってみると、破裂寸前まで頬を膨らませた宮武さんの顔があった。こちらを半目でにらみつけた後、無言でポニーテールの少女のすねに蹴りを入れる。

 

「ちょっ!?痛いって!あたしが悪かったからローキックで着実にダメージを蓄積させるのはやめて!」

「ほらほらー、それくらいにしとけー?明日一日(いちんち)は千明っちに譲ろうぜいー」

 

 いさめられて、ようやく蹴るのをやめる。ポニーテールの少女の目は若干潤んでいて、宮武さんに恨めし気な視線を向けるが、彼女はそれに対して舌を突き出すことで応える。

 

 杞憂だとは思いつつも、こんなことで彼女たちの関係が崩れませんようにと願いながら。改めてみんなに別れを告げて、体育館の施錠に向かった。

 

 僕がバレー部の面々と話している間に、いつの間にか先生方もすり抜けてったらしく中には誰もいない。ボールやシャトルが落ちていないかを念入りに確認した後、窓ガラスがすべてきちんと締まっているかを確認。

 

 最後に、外へと通じる扉に鍵を掛けにいく。

 

 外に通じる扉は3つ。正面入り口と、舞台裏に隠された非常用の扉と、体育館後方に備え付けられた防火扉。そのうち、後ろ二つは基本的に締まっていて、避難訓練のような有事の際にしか開かれない。

 

 一応3つ全部確認してみる。軽く押したり引いたりしたが、びくともしない。これでチェック完了だ。

 

 明日、どんなことを聞かれてもいいように教科書を読みなおしておかないとな、と。

 

 仕事が一つ増えたにもかかわらず、なぜか気分は晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 翌日の昼休み。僕は約束通り生物準備室にいた。

 

 プリントを作りながら、もう一度くらい教科書を読んでおこうかと若干ソワソワしながら待っていたとき。コンコンとドアがノックされる。時計を見れば、針は一時を指していて。「どうぞ」と返事すると、時間通りに彼女はやってきた。

 

「やっほー!待った?」

「作業をしていただけですから、別に待ってはいませんよ」

「そこは、『僕も今来たとこ』でしょ?やり直しまーす!」

 

 巻き戻しのような動作で生物準備室から出ていく少女。ばたん、かちゃり。

 

 数秒後、またコンコンと叩く音。なんだこれ。はたから見れば僕の頭上にはクエスチョンマークが大量に浮かんでいたかもしれない。対応に戸惑っていると、コンコンではなくゴンゴンと。先ほどよりも気持ち強めにドアが叩かれる。少々あっけにとられつつも、「どうぞ」と同じ言葉を繰り返す。

 

「やっほー!待った?」

「……僕も、今来たところです」

「さっすが!ノリがいいとこも高評価!好きポイント追加!」

「そのポイントは何に使えるんですか?」

「なんでもいいよ!私?私と交換しちゃう!?」

「『今野先生』と呼んでもらう権利は、何ポイントでしょうか」

「ひゃくおくちょうまん点!!!」

 

 今何ポイントなのかは分からないが、一生かかっても稼げなそうだ。

 

 宮武さんは部屋に入ってきた後もすぐに質問することはなく、しばらくの間「教師と生徒、男女二人きり、何も起きないはずがなく……」とうわごとのように呟きながら普段は入れない準備室を興味深げに眺めていた。何も起きないから安心してほしい。それと、それなりに高い機材や割れ物もあるので、ぼんやりしたままその辺を歩き回るのもやめてください。

 

 本棚には教材や資料がまとめきれないまま押し込まれ、机の上もコピーに失敗したプリントやらが積まれているのを見て、何かに勘づいたように言う。

 

「英人くんて、意外と片付けできないタイプ?」

「僕が片付けていないのではなく、片付けるより早く部屋のエントロピーが増大しているだけです」

「えん……?」

 

 痛いところを突かれそうになるのをうやむやにしながら、咳ばらいを一つして彼女を現実に引き戻す。ようやく本来の目的を思い出したのか、ハッとしたように真剣な顔つきへと変わり、こちらと目を合わせてきた。ここまで真面目そうな雰囲気の彼女は初めて見る。人知れず、その意欲に感心した。

 

「……で、何を聞きたいんですか?」

「じゃあ、先生の好きな人のタイプ!」

「真面目に勉強してくれる人です」

 

 ――風が吹いた。瞬間、目にも止まらぬ速さで近場の椅子を引っ張り出し腰を下ろす。背筋はピンと伸びきっていて、手に持った教科書はすでにテスト範囲に該当するページが開かれている。

 

 こんなところでフィジカルエリートの実力を見せつけられても。変わり身の早さに嘆息しつつも、やる気を出してくれたのは良いことかと自分を納得させて、再び質問の内容を確認する。

 

「では改めて、()()()()()()()()()()()()()聞きたいんですか?」

「そんなに強調しなくても……。えっとね、ここ。代謝の何とか系?ってやつなんだけど」

「何とか系……。あぁ、筋肉内のエネルギー供給系ですね。ATP-CP系、解糖系、有酸素系」

「そうそう。これって何が違うの?」

「簡潔に言えば、エネルギーを生み出す速さとエネルギーの量ですね。最初から順に反応が早く、逆順にエネルギー量は多くなります」

「なんでいくつもあるの?」

「運動の種類によって求められるものが違うからです。バレーと持久走では、全然違う運動でしょう?」

「あー」

「バレーは瞬間的なパワーが必要になるので、主に反応が早く爆発力のあるATP-CP系が使われます。対して、長距離走では力はいらない代わりに持続的なエネルギーを必要とするので、有酸素系を使います」

 

「ちなみに、解糖系は乳酸系とも呼ばれますが、乳酸って聞いたことありませんか?」

「乳酸が溜まってきた、みたいな?」

「その乳酸です。エネルギーを取り出すときの副産物として乳酸が生まれます。少し前はこれが疲労の原因とされてましたが、実は誤りなんです」

 

「エネルギー供給系はトレーニングで鍛えることができ、使うほど効率が良くなっていきます。ATPはタンパク質の合成にも使われますから、一般に運動していて代謝がいい人は怪我の治りが早いと言われるのも、こういった要因があります」

「はえー」

 

 こちらをしげしげと眺める彼女。なんだか照れくさくなって視線を外した。

 

 ふと、昨日のことを思い出す。こうして聞いてくれるというだけでもありがたいことだ。2-1で授業した時のことを思い返すと、それもまたひとしお。まぁでも、今は豆知識程度に聞いてもらえているかもしれないが、いずれ忘れられてしまうんだろうなと思うと少しセンチメンタルな気分になる。

 

 そんな気持ちを知ってか知らずか。宮武さんはしきりに頷いたり、教科書のあちこちを見て「あー」と1人で納得したような声を漏らす。

 

「やっぱり、先生っていいなぁ」

「え?」

「私さ、先生になりたかったんだよね」

 

 唐突な告白。僕にとってそれは、全く想定していなかったもの。少なくとも僕の知る限り、そんなそぶりを見せたことは一度もなかった。まだ1か月と少しの付き合いなので、たまたま今初めて聞いたということもあり得るが。

 

 あごを上げて空中に視線を向ける。焦点はぼやけていて、何かを見つめるというより思い出しているような様子だった。わずかに顔をほころばせると、ゆっくりと語り始めた。

 

「小学校の頃の先生が、すごくいい先生でね」

 

 彼女の記憶。大切な想い出のひとかけら。いつくしむように、かみしめるように吐き出す。

 

「私が勉強で分からないことがあれば、付きっ切りで教えてくれて。だけど私が危ないことをしたときはすっごい怒ってね。ホント鬼みたいだった」

 

 僕の頭の中に、消えかけていた記憶が蘇る。ずっとずっと昔、瞳の奥に焼き付いた憧れの原点。核であり原動力で、自分にとって当たり前になったがために、もはや意識することもなくなっていた想い。

 

「でもお説教が終わったら、頭を撫でてくれて。泣き止むまでも、泣き止んでからも一緒に遊んでくれた」

 

 思い出の中の恩師と彼女の言う先生がどうしようもなく重なって。無意識に言葉が溢れ出た。

 

「そんな先生になりたかったんだけど、私の成績じゃ」

「――なれますよ。絶対」

「え」

 

 気付いた時にはもう遅かった。無責任な言葉を発してしまったことを謝罪し訂正しようとして。それでも理性とは裏腹に、ただ自分の思いを伝えるためだけに。自分の意思を離れて口だけが勝手に動いているみたいだった。

 

「まだ高2の春です。まだまだ間に合います。今から進路を決めて遅いなんてことはありません。それに、大学に入った後だって――」

「ス、ストップ!先生落ち着いて!」

「――あ」

 

 そう言われてようやく我に返る。次の瞬間、滝のような後悔と羞恥が襲い掛かる。やってしまった。僕は頭を抱える。相手がどう思うかなんて顧みずに自分の言いたいことばかりまくしたてて、これじゃ僕が嫌っていた自慢話と一緒じゃないかと思って。きっと彼女を不快にさせた。

 

「すみません」

「へ?」

 

 開口一番に謝罪の言葉を発するも、帰ってきたのは気の抜けた素っ頓狂な返事。顔を上げると、まん丸に開いた目が『何言ってるんだこいつ』とばかりにこちらを見つめている。拒絶の言葉を浴びせられると思っていた僕の頭には、一切予想できなかった表情。

 

 「えーと」と。困ったように笑いながら、彼女は言った。

 

「なんで先生が謝るのか、よくわからないんだけど」

「それは……。あなたの気持ちを無視して、好き勝手言ってしまったので」

「別に、怒ってないよ。むしろ嬉しかった。私のこと本気で考えてくれる先生が、ここにもいたんだなって」

 

 そんな、そんな風に言われるほど崇高なものじゃない。僕が勝手に、自分と重ねてしまっただけで。罪悪感に犯されていく心とは対照的に、彼女はどこか期待に満ちた笑顔を作ると、気合を入れるように「むん」と拳を固める。

 

「進路、悩んでたけど……。先生がそう言うなら、ちょっと頑張ってみようかな」

 

 彼女ほどのアスリートなら、スポーツ推薦で大学選びに困ることなんてないはずなのに。そんなことを言う彼女に、ふと思いついたアイデアを持ちかけてみる。

 

「なら、生物教師はどうですか?」

「え、なんで?」

「人間も一種の生物ですから。先ほどの代謝の例のように、自分たちの体を知ることは、アスリートにとって最も重要なことの一つです」

「あ、そっか」

「正式には、運動生理学とかそういった分野になると思いますが。学部レベルなら、高校の生物の知識でも十分やっていけます」

 

 僕としては、何気ない提案のつもりだった。けれど彼女にとっては、また違った意味を持っていたようで。

 

 口元に手を当てたまま、固まってしまった。「宮武さん?」と呼びかけても、何かを考え込んでいる様子で反応は薄い。流石に自分と同じ科目を薦めるのはキモかったかと不安になりながらしばらく様子をうかがっていると、彼女は突然はじかれたように顔を上げた。覗き込もうとしていた頭がぶつかりそうになり、慌てて引っ込める。

 

「いいかも。だけど」

 

 イタズラっぽい笑みを浮かべて。挑発的に言う。

 

「分かんない時は遠慮なく聞きに来ちゃうけど、それでもいいの?」

 

 一瞬面くらって、思わず吹き出してしまった。それこそ、言うまでもない。

 

「もちろん。それが仕事ですから」

 

 ちょっとだけナイーブになって、自分の価値を疑った瞬間もあったけれど。

 

 一人の人間の運命を変えてしまったことに、心臓が張り裂けそうなほどの拍動を感じながら。

 

 導く者の責任感を確かに感じた。

 

 

 

 

 

 

「……ところで、宮武さん」

「ん?なーに?」

「先ほどから『先生』と呼んでいますが。いつの間にポイントがたまっていたんでしょうか」

「へ?……あ」

 

 その後、自分のミスを帳消しにするため『英人くん』を連呼する機械になった彼女。どうにか追いだすのに、解説の倍は時間を使った。

 





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