夜など知った事かと言わんばかりに、研究に没頭していた超をエヴァンジェリンと茶々丸が訪ねてきたのは珍しい事だった。協力関係にあるため交流自体はあるが、それはもっぱら昼間が多かった。その為、一体何の用かと疑問に思いながら二人へ目を向けると仰天した。茶々丸の右腕が無いのだ。損傷部から電流がバチバチとスパークしているのが痛々しい。
「茶々丸! 一体どうした!? 今ハカセも呼んでくるから横になってるネ!」
共同研究をしている同級生、「葉加瀬聡美」は仮眠をとっていたが要件を伝えると飛び起き、ツールを持って茶々丸の元に駆け付けた。
「嘘でしょ!? 茶々丸の腕部の硬度って大型トラックと正面衝突してもへっちゃらな程だった筈なのに……何があったの?」
「間薙シンだ。ヤツが……何かをした」
「随分と曖昧ネ、見当もつかない手段だったのカ?」
「いや、見えなかったが予想はつくな。信じられんことだが。私が認識できない速度で茶々丸の腕を捥ぎ取った。状況から見てそれしか考えられん」
沈黙が研究室を支配する。時を止める、不可視の攻撃などの固有能力ならば驚きはするが納得は出来た。だが、単純なフィジカルでこの世界では最強の存在と言っていい真祖の吸血鬼の知覚を潜り抜ける。それは、彼女らにとって理解が難しい、或いは認め難いことだった。明晰な頭脳を持つ超、葉加瀬ら……ではなくても考えられる予想、基本スペックでエヴァンジェリンを凌駕している可能性があるかもしれないからだ。超の計画にもし立ちはだかるならば、厄介どころの話ではない。味方につける、又は排除する手段を脳内で演算していくが動揺で乱れた今はとりとめないことしか浮かばなかった。とりあえず、茶々丸の応急処置をしてから、茶々丸の記憶領域のメモリーを解析する。
小さなモニターに茶々丸の見ていたものが映し出される。エヴァンジェリンの指示があり、茶々丸が殴りかかり、当たった、そう全員が感じた時には腕を飛ばされていた。スロー再生、まだ見えない。もっとスロー再生、まだ見えない。最大までスロー再生。ようやく何をしたか全貌が見えた。シンは茶々丸の拳をそっと受け止め、事も有ろうに握られた拳を一指ずつ開いていき機構を確かめ弄んでいた。そして、ガチャガチャしているうちに高速であったのもあり腕が捥げた。――あっ、やってしまった、と言わんばかりに口元を押さえて治そうと四苦八苦するがどうにもできず、諦め、腕を放り投げた。それが全容だった。あんまりな映像に葉加瀬は、額を押さえてふらついた。
「ば、馬鹿すぎる……やんちゃな子どもでもしないよ、こんなこと。自分の動くスピード分かってんの? この人……あと誰も見えてないからって無かったことにするなー! ちゃんと謝ってよ!!」
「軽くマッハは出てるネ。加速系の魔法カ?」
「魔力の残滓は感じられなかったが……く、屈辱だ! こんな間抜けに尻尾巻いて逃げ出したのか私は!」
今まで研究室に充満していた得体の知れなさから来る暗雲はシンの阿呆な行動で晴れてしまった。
〇
真祖の吸血鬼と対峙した恐ろしい夜が明け、翌日。登校中シンは千雨に昨日何があったかを語って聞かせていた。話のクライマックスで、茶々丸が攻撃してきたシーンには千雨も手に汗握る熱中具合だった。特に余裕を持って受け、後学の為に腕を触っていたら取れてしまった件には鬼気迫る様子で聞いていた。
「は!? 絡繰の腕を引きちぎったぁ!?」
「違う、何もしていないのに壊れた」
「PC初心者がよくほざく戯言を今、言うか!」
「やめろ、ネクタイが解ける」
千雨に詰め寄られ首元を締め上げられているシンという、A組ではよく見られる光景に特に誰も反応なしで歩き去っていく。今日も仲がよろしいようでといった風だった。逆に注目を浴びたのがネギである。いつもは明日菜たちと一緒に居るのが多いが、今日は一目散にシンの元に向かってきた。そこで、千雨の姿を見てやりにくそうにしているのを見たシンは察して告げる。
「少年、千雨も魔法絡みのことは知っている。当然ながら戦う力は持っていないがな。昨日のことも話した」
「えっ、そうだったんですね……あの、昨日の夜から今まで考えたんです。やっぱりこの件は僕ひとっ!!」
やはり抱え込もうとするネギの額をシンのデコピンが弾く。
「少年、10歳でそこまで責務を全うしようとするのは良い事なんだろう。素直に尊敬する。だが、お前は教師である前に子どもなんだ。キツい時は助けてと叫べ、義務なんて放り捨てろ。お前はもっと自由になっていいんだ」
「あー……私も同感だし珍しく良い事言ってると思うけど、先生悶絶して聞こえてないぞ」
「……さっきのもう一度、言わなきゃ駄目か?」
「駄目」
〇
放課後、ネギと明日菜、シンと千雨が空き教室に集まった。
「あれ? なんでここに千雨ちゃんが?」
「実はですね魔法のこと知っていたみたいなんです」
「そーなの!? じゃ魔法使えるの?」
「いや、事情知っているだけの一般人だよ。でだ、私は何故呼ばれたんだ?」
「少年たちとの顔合わせと、ご意見番だな」
「は? お前が居て何か考えることあんのか。右ストレートでぶっ飛ばせば万事解決だろ」
「そんな肉体言語でどうにかするのは、スマートじゃない。俺たちはクラスメイトなんだし、友好的に行くべきだ。威圧的に行くのは飽きたしな」
「絶対最後のが本音だろ」
「あ、あの! エヴァンジェリンさんは小柄な女の子に見えますが……真祖の吸血鬼なんですよ。だから、まともに戦闘になれば敗北は必至です」
ネギの必死の訴えは、しかし届かない。千雨は片眉を上げて何かを思案している様子だが、シンは普段と同じ無表情だ。ネギが言葉を重ねようとした時、突如一同の足元から声が聞こえてきた。
「どうも困っているようだな大将、助けがいるかい?」
現れたのは白い小動物、オコジョだった。人語を操り、ネギに親しく声をかけている様子から旧知の仲であるようだ。一人と一匹で手を取り合い、何やら会話をしている。聞こえてくる会話によると、ネギのパートナーとなる人物を探すことや助言などのサポートの為、ネギの姉に遣わされたらしい。
「仮契約?」
「おうさ! 仮契約ってのは魔法使いのパートナーになるって言う契約の儀式で、このオコジョ妖精のアルベール・カモミールはそれのエキスパートさ。ネギの兄貴、あんたの教え子たちを観察していたが皆粒ぞろいで良いパートナーになりそうだぜ!」
「ええっ! カモくん、生徒を巻き込むのは……」
「そんなこと言ってる場合かよ! 真祖と戦うには、兄貴一人じゃ無理だ。だから……」
「話しているところ済まないが、その仮契約? とやらは必要ない。平和的に解決するつもりだからな」
「あんたは、間薙シンとか言ったな。甘いぜ、相手は裏の者。話し合いで何とかなる手合いじゃない。戦力の増強は必須だ」
「必要ない。俺がいるからな」
「いやいや、確かに腕に覚えはありそうだが……向こうは強力な魔法使いだぜ、魔力も桁違いだ。あんたも一般人にしては多い方だけど勝てないぜ」
「魔力、ね」
シンがそう呟くと、赤い奔流に教室が揺れた。突然の衝撃でカモは吹っ飛び窓ガラスに張り付いている。千雨と明日菜は立っているのがやっとの様子で、ネギは尻もちをついて呆気に取られている。その混乱を起こした当人は涼しい顔だ。
シンは平和に学生生活を送るために、本来の力を抑えている。身体能力は緩くだが、魔力については零に近い程だ。ただ、一つの
今回は魔力を少し解き放った。どの程度かと言うと、ネギの5倍ほどを目安にだ。シンからすればネギは見習い魔法使いだから、その数倍の力を見せれば戦いを任せてくれるだろうという魂胆だった。誤算だったのは、この世界では魔力は生まれて死ぬまで変わらない才能の様なものだという事とネギは世界でも屈指の魔力量を持っているという事だ。つまり、シンはやり過ぎたのだ。
「あ、ありえねぇ!! 兄貴以上の魔力を持った奴なんて見た事ねぇぞ!?」
「えっ」
「う、うん。しかもただの魔力放出があれだけの圧を持っているなんて……」
「えっ」
「間薙の旦那、アンタは一体何者だ!?」
「…………俺の事は置いておこう。今はエヴァンジェリン優先だ。なあ少年、昨日の夜あいつが言っていたことを覚えているか?」
「ええと、呪いを解くために僕の血が必要だって……」
「そうだ、俺たちとエヴァンジェリンが争う理由はそこにある。なら、それをなんとかすれば良いという訳だ」
「シン、簡単に言うがお前解呪なんて繊細なことできるのか?」
「できる、と思う」
「不安ね……あ! もし間薙くんが呪いをなんとかしたとして、力を取り戻したエヴァンジェリンが暴れだしたりしたらどうするの?」
「いい意見だ。それに関しては、俺が何とかする」
〇
一行はまだ校舎内に居るかもしれないエヴァンジェリンを探すことにした。夕暮れの学舎を彷徨って、数分で目的の吸血鬼と従者を発見するに至る。
「む、やはり貴様らか……学園の結界を侵入した者も一緒だな」
「結界?」
「私の呪いは学園結界とリンクしている。だから、分かるのさ忌々しいことにな」
「難儀な事だな、エヴァンジェリン」
「間薙、シンッ! よくも私達に舐めた真似をしてくれたな」
怒髪天を衝くとは、正にこういう事なのだなと故事成語のイラストとして載りそうな様子のエヴァンジェリン。余りの迫力にネギなどは震えている。明日菜は向こうもそれなりの事をしてきたのだから、お互い様というか怒りたいのはこっちの方だと顔を険しくしている。そして、千雨は馬鹿が馬鹿したのがバレたんだなと納得していた。シンは十中八九、自らの行動が透けたのを理解しながらすっとぼける覚悟を決めた。
「我が従者の腕をふざけ半分で飛ばしおって……覚悟はできているんだろうな?」
「ふざけ半分? 心外だな。絡繰が攻撃してきたんだ、腕の一本くらいは払ってもらわないと割に合わない」
「茶々丸」
エヴァンジェリンの命令を受け、茶々丸は自らの機能を使用した。電子音が鳴り、翡翠色の眼から昨夜の問題の場面が投影される。そして、再生が終わった。事情を聞かされていた千雨はともかく、他の面々のシンを見る目が変わる。無論、悪い方にだ。
「間薙くん……」 「シンさん、さすがにこれはどうかと」
「で? 申し開きがあるなら聞くぞ、シン」
「正直に言うと、俺は悪い事をしたという意識を持てない。生きていれば良いだろ。強いて言うなら、男心をくすぐるロボットの絡繰に責任があると思っている。もっと言えば人類の文明とかが悪い」
「縊り殺すぞ貴様! 責任転嫁の末に主語をデカくして誤魔化すな!」
「あのマスター私は気にしておりませんので、あまり興奮なさらないでください」
「メンツの問題だ。従者のお前をコケにされたという事は私をコケにしたに等しい!」
「落ち着けエヴァンジェリン、俺たちはお前に交渉しに来たんだ。お前の望み叶えてやろう」
「望み? お前が情けなく屈服する姿はまだ見えていないが?」
「自由の身にしてやると言っている」
「ふざけるな! お前如きがナギの呪いを解けるものか、仮にできるとしても私はそれを受け入れん!」
激高するエヴァンジェリンの顔は夕日で照らされるよりも遥かに紅潮していた。それは、彼女のネギの父親ナギ・スプリングフィールドへの強い思いの表れだ。ただの10歳の少女だった筈が目を覚ますと人外の吸血鬼にされていたエヴァンジェリンは、辛いという言葉で表せない程の道を歩んできた。そんな彼女に吹いた光る風こそがナギだったのだ。ナギを付きまとい、結局は
エヴァンジェリンにとって登校地獄は自らの力を封印する忌まわしきものであると同時に最後に残ったナギとの繋がりだったのだ。
シンの交渉は決裂することが決まっていた。
「受け入れてはくれないか……少年の血を狙って襲撃する事やA組の奴らへの吸血をやめてほしかったが」
「ふん、貴様のできもしない大言壮語にはあきれ果てたが……要求は飲んでやらんこともない」
「条件は?」
「少ししたら学園が停電するな? その夜に世界樹広場前へそこの坊やを連れてこい。長年の呪縛を解いてやる。決闘ってやつさ負けたら血をいただく。ああ、無論抵抗してもいいぞ? どうだ」
「いいぞ、停電後世界樹広場前に集合だな」
「待ち合わせの様な言い方をするな! 間抜けに聞こえるだろうが!! いいな、必ず来い」
くるりと後ろを向き、黄金の髪をなびかせ去っていくエヴァンジェリンと丁寧にお辞儀をして去る茶々丸が対照的だった。