家の裏手を出て、森を進む。
そこを超えると目の前にバルト海の深い青が飛び出した。
穏やかな波が風に揺られて、わずかに動いている。
視界いっぱいに広がるその光景は、まるで一枚の壮大な絵画のようだった。
白い砂浜の上に居るのは愛しい人。
砂浜は森から見ると小高い崖の下にある。ここから飛び降りるのは毎度少しばかり勇気がいる。
元空挺兵だというのに、我ながら恥ずかしい話だ。
「アンゼリカ!」
崖の上から声を掛けると、彼女は振り返って小さく手を振っている。
足元にはレジャーシートと、サンドイッチとワインの入ったバスケット。
そして、小さな女の子。
「……い」
声が聞こえてくる。
「大尉!」
耳元でつんざくような声で飛び起きた。
「うわっ、な、なんだ……?」
「お休みのところすいません。ユルゲン大尉」
弾薬箱の上で寝ていたせいで、体が全部痛かった。
目を擦ってぼやけた視界をクリアにする。
辺りに広がっているのは美しいバルト海ではなく、泥と廃墟まみれの戦場だ。
美しきバルト海も、綺麗なベルリンの市街地も、もう記憶の中にしか存在していない。
嗚呼、無常。
「何かあったのか」
「出頭命令です。連隊本部に来るようにと」
「分かった。ああ、ええと、君はベンノ一等兵だったか」
「自分はベルノルトであります」
「そうだった。ベルノルト、悪いが中隊のところまで行ってクルツ軍曹を呼んできてくれないか」
そう声を掛けると、ベルノルトは目を丸くした。
「あ、あの……大尉。クルツ軍曹は戦死されました。もう一週間も前のことです……」
はっとした。そうだ、クルツ軍曹は死んでいた。
ベンノも、ゲレオンも、みんなあのアウトバーン防衛線で戦死したのだ。
クルツ軍曹……子供が三人いるってのに、勇敢にもソ連軍のT80に対戦車ミサイルをぶち込んで、見事に撃破してからすぐに死んでしまった。
ゲレオンは砲撃で真っ二つ。ベンノは……ええとなんだったか。
「大尉? 大丈夫ですか? あまり気分がすぐれないのであれば先に医療テントに行ったほうが……」
「いやいい。本部に行ってくる。誰でもいいから俺の隊にいる下士官に居場所を伝えといてくれ」
ぴしり、とベルノルトは敬礼すると小走りで去って行った。
重たい体を引きずりながら、連隊本部を目指す。辺りには負傷兵が溢れていて、血と泥の臭いが充満していた。
少し歩いて、自分が連隊本部の場所を知らないことに気が付いた。
ベルリンに進軍を開始した時、連隊本部はポツダムに残ったはずだが……。
通りすがりの兵士に道を聞きながら、なんとかテントに到着した。
「ユルゲン・フィアルスト大尉、出頭しました」
「ユルゲン! すまないな、ベルリンに来るまで随分と待たせてしまった」
待っていたのは連隊長代理を務めているブルクハルト中佐だった。
「中佐、いつベルリンに入られたのですか?」
「君が寝ているときに着いたんだ。起こすのも悪いかと思ってね」
「今さっき起こされましたよ。久しぶりに良い夢だったのに」
「そりゃ悪かったな」
中佐はガハハハッっと豪快に笑う。
「寝かせておく訳にもいかなくなったんだ。この数時間で状況はかなり動いている。さ、奥で説明しよう」
そう言ってテントの中に案内される。
いつの間にかこの仮設基地は随分と賑やかになっており、連隊本部にいる参謀将校の面々や、その上部集団である第1自動車化狙撃兵師団の将校まで駐在していた。
「まずは朗報だ。第40航空突撃連隊が行動を開始した。我らの側だ」
「本当ですか!?」
第40航空突撃連隊は我ら国家人民軍地上軍の保有する空挺部隊であり、最精鋭部隊でもある。
連隊はここからずっと北のリューゲン島に基地を置いており、内戦が始まってからしばらくの間は何も行動を起こしていなかった。
てっきりソ連側に付いたか、日和見主義に汚染されたかと思っていたが……。
「きっと君の要請に答えてくれたんだ、ユルゲン。あの部隊は君の古巣だろう?」
「忘れられたのかと思っていました」
「彼らは仲間想いだからな、そう簡単に忘れんさ」
「えぇ。とにかくこれで、シュタージを叩けます」
数週間前、アウトバーン一号線で命からがらソ連軍機甲師団の第一波を退けたユルゲン・フィアルストに率いられた歩兵中隊が転戦し、苦戦していたのは東ベルリンの中心部にあるシュタージ本部ビルの制圧作戦だった。
シュタージは秘密警察組織だが、フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊という実働部隊を所有している。同衛兵連隊はシュタージ本部ビルを中心とした数ブロックを占領して防衛線を展開しており、それを突破しようとする地上軍部隊と数日間に渡って激しい戦闘を行っていたのだ。
机の上にはベルリン市街地の地図が広げられている。そこには点々と第2自動車化狙撃兵連隊の兵員と、第40航空突撃連隊の兵員を表す凸型の積み木が載せられていた。
「
"敬礼で返した。”