1985年。ポーランド共和国、ワルシャワ。
レフ・ワレサの人生は、あのストライキの日から目まぐるしく変化を続けてきた。
今日までに辛いことが沢山あった。
沢山のものが失われた。救えなかった者や、死んでいった者も、沢山いた。
人生というのは、そういう積み上げられた沢山のモノの上に成り立っているのだと、彼はひしひしと実感している。
特に、ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ将軍。彼のことを想わずにはいられない。
「救国軍事会議」の指導者としてポーランドに軍事政権を作り上げ、市民を弾圧したヤルゼルスキ将軍の行いは、今でも決して肯定はできない。
しかしながら、彼が円卓会議の時に言っていた「戒厳令を布告し治安を回復しなければ、ソ連の介入を招くと考えていた」という文言に決して偽りでは無かった。
そのため、彼のことを完全に否定することもできずにいた。
1981年の12月。
政府の発した戒厳令に対して、当時のポーランドの市民や労働者はストライキで抵抗した。
その時、ワレサを始めとした「連帯」は行き過ぎた抵抗運動に危機感を覚え、労働者にはストライキの中止を、政府側には交渉を呼びかけ、なんとか仲裁を図ろうとした。
結局、怒り狂う労働者たちがストライキを停止することは無く、政府との交渉も失敗。
そして、軍事政権がこの騒動を抑えられないと知るや否や、ソ連軍は侵攻してきたのだ。
我々は間違いを起こした。ヤルゼルスキ将軍の危惧は正しかった。
あの時、あの運動はあまりにも急進的で過激過ぎたのだ。
ソ連からすれば、東ドイツでの内乱に対処している時に、ポーランドで更なる内乱が起これば背後を脅かされることになる。故に1983年初頭、ソ連軍は先手を打って侵攻してきたのだ。
もしもあの時、もっと穏健的な手段で抵抗していれば。
もしもあの時、政府との交渉が成功していれば。
そう思わずにはいられない。
ヤルゼルスキ将軍は即座にポーランド正規軍に対してソ連軍との戦闘を命じた。
それはポーランドの主権と国民を守るためだった。
ソ連の侵攻直後、この事態に対処すべく政府と反体制派の間で開催された『ワルシャワ円卓会議』では、我々「連帯」を含む多くの反体制派メンバーが彼の判断を高く評価していた。
彼は我々にとって政治的な敵であったが、同時に祖国を想う仲間でもあり、同じくポーランド国民に奉仕する愛国者の一人だったのだ。
ヤルゼルスキ将軍は円卓会議の後、「連帯」と「救国軍事会議」の面々から成る臨時政府を組織してワルシャワから逃がした。
その一方で彼自身はソ連軍がワルシャワに殺到してもなお首都に残り続け、軍の総司令官としてポーランド軍の戦闘を指揮し、その職務を全うした。
数日にわたる激しい戦闘の後、ワルシャワは陥落した。
それから現在まで、ヤルゼルスキ将軍は行方不明である。
一説にはどこかに逃亡した後に病に倒れたとも、ソ連軍に処刑されたとも言われている。
諸説あるが、彼がもう生きていないことだけは確かだった。
もしも生きているならば、この場に現れるはずだ。
だがついに彼は現れなかった。
多くのポーランド国民が彼に哀悼をささげていた。
もしも……もしも、ソ連軍の侵攻が無ければ、彼は英雄ではなかったのかもしれない。
もしも、平和的に民主化が達成されていれば、彼は圧制者として、独裁者として、後世まで語り継がれたのかもしれない。
しかし、そんな可能性は考えるだけバカらしい。事実として彼はこの国を救ったのだから。
「救国軍事会議」は国家存亡の危機においてその役割を全うし、指導者であるヤルゼルスキ将軍は、その名に恥じぬ「救国の英雄」になったのだ。
そうして、レフ・ワレサの意識は過去に想いを馳せた後、現在に戻って来た。
彼は鏡を見つめネクタイをしっかりを締め直した後、仲間たちに囲まれて歩き出す。
ワレサの周りに居るのは、新政権の大臣、「連帯」のメンバー、民主派指導者、労働組合の長、「救国軍事会議」に参加していた軍人、帰国したポーランド亡命政府の閣僚。
そして、全てのポーランド国民。
長きにわたる苦難を乗り越え、我々は真の独立と自由を手に入れた。
これまでの全ての思いが、全ての犠牲が、今日という日を照らす眩い光となっている。
ポーランド共和国初代大統領レフ・ワレサは、明るい舞台に一歩、また一歩と踏み出していく。
"ポーランドの夜明けだ。"
脚注
レフ・ワレサ/レフ・ヴァウェンサ(1943年~)は実在するポーランドの政治家。実際に民主化後のポーランド共和国において大統領に就任したが、彼は第二代大統領である。
ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ(1923年~2014年)は実在するポーランドの軍人、政治家。彼もまた実際に「救国軍事会議」を率いて軍事政権を作り上げた。冷戦が終結する中で彼は反体制側と円卓会議を行い、平和的な民主化に合意。新生ポーランド共和国の初代大統領に就任した。彼の評価は現在に至るまで議論の対象となっている。しかし、レフ・ワレサとはかつての宿敵でありながらも、その晩年まで友人として交流があったことが知られている。