Project:スムータ   作:北極鳥ユキ

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第三章/ポスト冷戦
砂漠にて/1990


 中東、メソポタミアの砂漠。

 クリーム色の大地がどこまでも続くこの地はとにかく暑かった。

 飛行機から一歩外に出ただけで、その照り付ける熱にやられてしまいそうになり、正直言って既にロシアに帰りたくなってきている。

 まさかシベリアの凍える大地が恋しくなる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

 

「イヴァンコフ少佐、お待ちしていました!」

 

 空港を出ると、軽やかな声に呼びかけられる。そこにいたのはイラクでは似つかわしくないブロンド髪をポニーテールにした小柄な女性。

 やっぱり暑いのか、着ているつなぎ型の飛行服(パイロットスーツ)を半脱ぎにして、袖を腰のところで縛っている。上はぴっちりとした黒色のタンクトップで、その女性らしい体つきを強調していた。

 

 おっと、いかんかん。つい変なところに目が行ってしまった。

 

 ごほん、とユーリは咳払いしてから彼女に声を掛けた。

 

「フィオドラ中尉。久しぶりだな」

 

 ユーリ・イヴァンコフ少佐はかつてソビエト連邦防空軍に所属していた軍人だ。冷戦の緊張状態が最も高まった80年代には偵察に飛来するアメリカ空軍やCIAの偵察機を何度もインターセプトした歴戦の戦闘機乗りで、もうすぐ三十になる。

 

 フィオドラ・アンドロスカヤ中尉はソビエト連邦空軍に所属していた若き戦闘機乗りであり、その歳は記憶によれば四つか五つ下である。

 

 ユーリと彼女はさして仲が良いという訳でもない。一度だけシベリア管区の軍事演習で会ったことがあるが、それきりである。

 それでもユーリはフィオドラという女性のことをよく知っていた。何せ、数少ないソ連軍女性兵士の中でも、更に少ない女性パイロットである。話というのは嫌でも流れてくるものだ。

 

 まあ、男社会の軍隊において、流れてくる話というのは総じて下世話なものであったが。

 

「確かにデカいな……」

 

「へ? 何がですか?」

 

「ごほっ! ごほっ! ああ、いや、この空港がだな、その、随分立派だなぁ~と」

 

 危ない危ない。噂になるだけはあるサイズ感だったから、つい口に出てしまった。

 

 さて、ソ連軍は現在……いや、正確にはロシア軍というべきか……とにかく、ひどい混乱の中にある。新生ロシア連邦政府は冷戦が終わったために真っ先に軍の縮小を決めて、次々と兵士たちは解雇されていった。ただでさえ、ソ連崩壊のごたごたが残っているというのに管理すべき軍人が居なくなったのだから、その組織はめちゃくちゃな状態なのだ。

 

 そんな中でもユーリは実戦経験と、軍に残れるだけのまあまあな技能を持っていたのだが、所属が悪かった。

 ソビエト連邦防空軍はソ連末期に起きた8月クーデターの際に、クーデター側に与したのだがそれが見事に大失敗。防空軍は権力を喪失して空軍に統合されることになり、士官は大量解雇。彼も巻き添えを食らって退役を余儀なくされたのだ。

 

 それでも元ベテランパイロットであるユーリが食うに困ることは無く、最近はもっぱら航空ショーに参加することで賃金を得ていた。

 ロシア本土が経済的な混乱に襲われ、それと共にルーブル価値が下落する中で、国際的な航空ショーはドルで稼げるのだ。

 

 航空ショーでは軍人時代以上には稼げているし、名声だって申し分ない。

 特にソ連空軍の編み出したコブラ飛行をやってやると、西側の人間には大層喜ばれる。

 一つ気に食わない点があるとすれば、アレは誰の物でもない「ソ連のコブラ飛行」にもかかわらず西側では「プガチョフ・コブラ」と呼ばれている点。これは退役したパイロットたちよりも一足早く89年のパリ航空ショーでプガチョフの奴がコブラ飛行をお披露目したからだ。

 

 俺が先にやってれば、今頃「イヴァンコフ・コブラ」なんて呼ばれていたはずなのに……。

 

 そんな風にソ連崩壊後の世界をのらりくらりと生き抜いて来たユーリだったが、ついに悪運が尽きた。航空ショーで乗っていた戦闘機を二機連続で落として失職した挙句、損害賠償諸々で多額の借金を抱える羽目になったのだ。

 

 嫌なことを思い出して落ち込んでいると、フィオドラ中尉がポニーテールを揺らしながら近寄ってくる。その手にはサングラスが握られていた。

 

「これどうぞ。中東は日差しが強いですから」

 

「おう、悪いな」

 

 そんなわけで、ユーリは稼げる仕事をするためにイラクに居る。

 イラクはオイルマネーと軍拡の国。ベテランの戦闘機乗りは引く手数多だ。

 

 サングラスをかけると、照り付けるあの太陽の熱も、幾分かマシになったような気がした。

 そのままフィオドラ中尉に連れられて古いジープに乗る。クリーム色車体には砂漠用の迷彩柄が施され、識別用のイラク国旗があしらわれていた。イラク軍の車両らしい。

 

 彼女が運転するジープに揺られ、砂漠のど真ん中に建設されたコンクリートの道を進む。

 まるでこの世の終わりかと錯覚してしまうほどに、空港の周りにはこれといった建物が存在しておらず、その舗装路だけが不自然な人工物として蜃気楼に歪む地平の先まで伸びていた。

 

 "なんで中東にロシア人がいるんだ?"

 

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