北部同盟の集会を狙った爆弾テロ。通称「パターニア事件」
結果だけ言えば死者は0人。重傷者が6人出ただけで済んだが、これは不安定なイタリア政界を揺るがすには十分すぎる爆弾であった。
事件以来ウンベルト・ボッシの主張は日を増すごとに過激になっており、公然とベルルスコーニ政権によるテロであると非難して、北部各州による独立を訴えるようになっていた。
この状況に油を注ぐことになったのが、これに対するベルルスコーニ首相の対応である。
彼はこのテロ事件に一切関わっていなかったのだが、過激な主張を続ける「北部同盟」やウンベルト・ボッシの支持を失わせるチャンスだと考え、自らの配下にあるマスメディアを使って攻撃を仕掛けたのだ。
ベルルスコーニ首相はメディア王である。全国ネットのテレビ放送のほとんどは彼の支配下にあったし、大手ラジオ局や新聞社も同様だ。
そうして、配下のメディアは一斉に掻き立てた。
「テロ事件は北部同盟の自作自演である」
「ウンベルト・ボッシ書記長、一世一代の演説で大恥」
「連邦制移行? 党員は困惑して皆ダンマリ」
このメディア攻勢は中部や南部では面白おかしく扱われたが、ベルルスコーニの戦略は余りにも露骨過ぎた。メディアを操作していることは誰の目にも明白で、北部住民の過激派を焚きつけた上に、穏健派すらも中央政府には失望させることに繋がったのだ。
首相がメディアを操れる国家に未来はない……。そう考えた住人たちは北部同盟の支持者以外でも、反ベルルスコーニ運動に加わった。
ミラノやヴェネチアでは連日にわたり北部同盟を支持する大規模なデモが起き、党員数も激増。ミラノ勧告の時点では冷笑と困惑を持って受け止められていた連邦制移行や、独立国家樹立なども、市民たちの間では現実感を持って受け入れられることになった。
そうして北部と中央、南部との対立が深まる中、1996年の12月には新たな事件が起こった。首相府キージ宮殿に面したコロンナ広場が爆破されたのである。
キージ宮殿の爆発は、人気のない深夜帯に行われた物であり、負傷者はおらず軽いボヤが起きた程度であった。
警察や
それから間を置かず、翌日にはリーチオ・ジェッリという男の私邸正門が爆破された。
相変わらず深夜帯の犯行かつ、爆破されたのは門だけということもあり、負傷者はおらず家主リーチオ・ジェッリも無事であった。
リーチオ・ジェッリといえば数年前に『ロッジP2』の陰謀事件でイタリアを騒がせた男であり、この時は国家機密漏洩などの罪で自宅軟禁の中にあった。
彼は教皇ヨハネ・パウロの暗殺や、ボローニャ駅爆破事件に関わったとされているが、それについては罪に問われておらず、これに不満を持つ者による犯行ではないかとされた。
捜査機関は一連の爆弾テロが、極左や極右による政治的テロ……すなわち「鉛の時代」の再来であると考え、通りには国家憲兵の車両を、駅という駅には武装した憲兵を配備した。
そうしてイタリア全土が緊張に包まれる中でも、マスメディアは騒ぎ立てた。
「これは北部同盟による反政府的な破壊活動である──」
混乱が混乱を招き、まだ1人の死者も出ていないにも関わらず国内の分断は頂点に達した。
1997年3月、ウンベルト・ボッシに率いられた北部同盟はヴェネチアにて独立宣言を発表した。北部諸州による「パダーニア連邦」の建国である。
当然ながらローマ政府は正統性も合法性もないと反発し、国家警察や国家憲兵に対してウンベルト・ボッシの逮捕を命令。これに対してヴェネチアやミラノでは市民による暴動が起き、警官隊と衝突。発砲騒ぎとなり双方に多数の死者を出す大惨事となった。
更に1997年の8月、『ロッジP2』事件に関わっていたとされるジュリオ・アンドレオッティ元首相が極左テロ集団『新・赤い旅団』を名乗る組織に暗殺。翌9月にはベルルスコーニ首相の乗る車が爆破され、重傷を負った末に間もなく死亡した。
既にイタリア情勢は収拾がつかないレベルの混沌と化しており、
それから間もなくイタリア軍が出動し、全土が戒厳令下に置かれることになった。
1998年には国民投票が行われ憲法改正が成立。ほとんどの点において北部同盟の望み通りの形で、イタリア"連邦"共和国が成立したのだった。
そうしてパターニア事件に端を発するイタリアの混乱は事実上、北部同盟の勝利という形で幕を閉じた。しかし、まだ疑問は残されている。一体誰が爆弾を爆発させたのであろうか?
犯人についての憶測は多数あったものの、イタリア連邦が成立した1998年になっても尚、捜査機関は犯人を掴めずにいた。
事態が動いたのは、1998年の暮れのことである。
一人の女性が警察署に出頭して、警察官に対して連続爆弾テロ犯であると言い、イタリア共和国を崩壊させたのだと語った。
一連の事件により『イタリア共和国を崩壊させた』史上稀にみる大犯罪者の正体は、ローマ近郊にある小さな高校で化学教師をしている中年女性であった。
彼女はこれと言って特筆すべき点のないごく普通の市民であり、青年期に非行に走った経験も、犯罪歴も、税金の滞納すら一度もない真っ白な人物。
捜査当局はこの自首を狂言ではないかと怪しんだが、自白によって捜査が進展していくと、彼女が犯人であると認めざるを得なくなっていった。
彼女が関与を認めたのは、「パダーニア事件」での爆破と、首相府コロンナ広場の爆破、そしてリーチオ・ジェッリの私邸爆破の三件。
一方でアンドレオッティ元首相とベルルスコーニ元首相の暗殺、そして後に遺体として見つかったリーチオ・ジェッリの誘拐事件については容疑を否認した。
後の捜査により、彼女は約十年に亘って爆薬の材料になる物質を少量ずつ買っており、なおかつ三つの事件現場にもその姿が確認され、容疑が固まった。
彼女が三度にわたる大胆な爆弾テロを起こしながらも、捜査当局に最後まで気が付かれなかったのには二つの理由がある。
第一に、彼女はこれまで一度も政治団体に属しておらず、過激な言動も一切ない無党派であり、地域主義対国家主義や左派対右派という構図に縛られていた捜査当局の完全な盲点となっていた。
第二に、彼女はボローニャ駅の爆破テロ事件で夫と娘を無くしたテロ被害者であった。
まさかテロの被害者がテロを起こそうなどは、捜査当局の誰もが思わなかったのである。
このため、容疑者リストからはいつも真っ先に外されていたのだった。
彼女の動機は「復讐」であった。
テロは最初のパダーニアを除き、ボローニャ駅での事件に裏で関わっていた人物に向けたものであった。つまり『ロッジP2』事件の関係者だ。
パダーニアでのテロは国内を分断し、混乱を招くことが目的であったという。
彼女のテロはパダーニアにて6人の重傷者を生んだが1人の犠牲者も出すことはなかった。
にもかかわらず、アンドレオッティ、ベルルスコーニ、リーチオ・ジェッリという政治的な大物を間接的に3人葬った上に、暴動では数百人の市民と警官が死傷、更に1946年から続いたイタリア共和国という国家体制自体すらも打破してしまった。
カエサルのような権力者ではなく、ガリバルディのような英雄でもなく、ましてムッソリーニのような扇動者でもない、ごく一般的な市民が「家族の復讐」という非常にシンプルな動機でこれだけの事件を起こしたことは、イタリアのみならず世界中に衝撃を持って報じられた。
「政治や法というのは、人々のためにあるはずです。しかし、この国ではどちらも権力者の道具であり、人々はそのための犠牲になった。私の夫も、娘も、その犠牲になり、加害者である権力者どもは裁かれることもなかった。だから私が代わりに裁きを下すことにしたのです。もしも、これだけのことをしても国が変わらないのならば、いずれイタリアは滅ぶでしょう。自らの膿を出すことのできない国は、内側から腐り果てるのですから」
そう語った彼女は1998年の12月、判決が下るよりも前に獄中で自殺した。
彼女の残した遺書にはこう綴られていた。
「私は愛する人を奪った人間に、国家に、深く失望しました。主よ、罪なき隣人を傷つけた私を罰してください。そしてどうか、私の愛する者を死に追いやった奴らと同じ場所に送ってください。いかなる罰もそこで受けましょう……」
後の時代、多くの歴史学者が21世紀前半に起こる「イタリア内戦」の遠因がこのパターニア事件に始まるイタリア国家の連邦化であると結論付けている。
一人の女性が起こした復讐劇が、やがて1871年の
軍事クーデターに始まるイタリア国家の崩壊は、彼女の死から十五年後のことである。
"母の憎しみが、国を焼き尽くす。"
脚注
ジュリオ・アンドレオッティ(1919年~2013年)とシルヴィオ・ベルルスコーニ(1936年~2023)はイタリアの元首相。リーチオ・ジェッリ(1919年~2015)はイタリアの人物であり、秘密組織ロッジP2の代表を務めていた。
史実において彼らはテロで死亡していない。ただし「ロッジP2」や「グラディオ作戦」なる政治的な陰謀を用いて「鉛の時代」における複数のテロ事件に関与していながら、その全てにおいて無罪判決を受けていることは歴史的な事実である。