Project:スムータ   作:北極鳥ユキ

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ボスニア紛争/1989

 ボスニアで紛争が始まったのは1989年6月のこと。

 ことの始まりはボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言と、欧州共同体による独立の承認、そして国際連合への加盟だった。

 

 独立に反対の立場を貫いていたセルビア人はこれに対抗して独自に「スルプスカ共和国」の建国を宣言し、軍事行動を開始。これがきっかけとなり、ボスニアに住むセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人の民族対立が頂点に達し、武器を持って殺し合いを始めたのだ。

 

 誰が始めたとか、誰が悪いとかは分からないけど、前年にスロベニアとクロアチアが独立宣言を発してから各地で紛争が始まっていたので、ある意味必然だったのかもしれない。

 

「こんなことなら、兵士になるんじゃなかった」と私、イヴァナ・レゾヴィッチは後悔していた。

 私はほんの少しだけ他の人よりも飛行機に興味のあった女の子だ。戦闘機に乗りたいという希望はあったけれど、積極的に人を殺したいなんて思ったことは無かった。

 

 でも、紛争が始まった以上は兵士として戦わなくてはならない。

 命令の下で敵を、殺さなくてはいけない。

 

 ユーゴスラヴィア人民軍ボスニア航空兵学校に所属する学生である私は、現在「スルプスカ共和国」なる国の空軍に属している。

 私はユーゴスラヴィア国籍を持つボスニア生まれのセルビア人だったはずなのだが、いつの間にかボスニアは独立していて、いつの間にか知らない国の兵士になっていた。

 

 そもそもスルプスカ共和国って何? と聞かれて答えられる人間はそう多くなかった。

 ユーゴスラヴィアから独立を宣言したボスニアから独立を宣言したセルビア人国家らしい。そもそも、スルプスカとはセルビア人の意味。

 つまりセルビア人共和国となるが、セルビア共和国とは別国家である。

 

 まったく、ややこしいったらありゃしない。

 

 紛争が始まってすぐ、ボスニア航空兵学校は校長がセルビア人かつ生徒も大半がセルビア人だったので、スルプスカ共和国軍の指揮下に入った。

 戦力としての学生隊が編成され、地上戦に参加できるようにアサルトライフルが配備されるなど学生の武装化が進む中、学校にはセルビア人学生のみが残り、クロアチア人とボシュニャク人の学生は離脱していった。その中には私の親友もいた。

 

 ユーゴスラヴィアでは全民衆防衛(トータル・ナショナル・ディフェンス)ドクトリンに基づいて、軍への女性進出が他国より進んでいたが、それでも女性パイロットは少数派。この学校にいる女子学生は二人だけだったので、入学からすぐに仲良くなって、いつも一緒にいた。でも、彼女はクロアチア人だった。

 

「また会おうね」

 

 そう言うと、彼女は首を振った。

 

「次に会うことがあったら、きっと戦うことになる。だから……もう、会いたくない」

 

 彼女は目を伏せ、他のクロアチア人学生たちと共に航空兵学校を後にした。

 私は民族なんていう目には見えない線で、親友を失ったのだ。

 

 紛争開始から数週間が経ち、私たち学生隊は戦闘機には乗らず、アサルトライフルで武装して地上戦に派遣された。敵は町のご近所さんや、学校の同級生、そして航空学校の同期生を含むクロアチア人と、ボシュニャク人。

 

 私は初めて人を殺した。

 

 そこは航空兵学校にほど近い村で、ボシュニャク人の集落だった。

 そこを守っていたのもボシュニャク人の民兵。二日間にわたる戦闘の末、村を占領した。学生隊の司令官である航空兵学校の校長は逃がせばゲリラになるかもしれないという理由で村にいる民間人、女子供すらも殺すように命令していた。

 

 つまりは虐殺しろということだ。

 

 でも、命令されたからって、そんな簡単に出来ることじゃない。実際、私は兵士以外は殺してないし、学生隊のみんなも民間人を撃てなかった。

 私たちの部隊は命令に背いて民間人を南に逃がすことにした。南はまだボシュニャク人の支配地域だと聞く。そこまで逃げられれば安全だろう。

 

 その翌日、村でスルプスカ共和国の兵士たちと合流した。

 彼らは誇らしげに武勇伝を語っていた。

 

「南に逃げていたボシュニャク人を捕まえた」「女はレイプした」「男は全員殺した」

 

 それが、逃がした村の人間だったのかは分からないけれど、ただ恐ろしさを感じていた。

 どうして、つい数週間前まで一緒に笑い合っていた人間を、民族という区分だけでこんなにも残虐に扱えるのだろうか。彼らは戦闘で気が狂ってしまったのだろうか。

 

 ……あるいは、戦場では彼らの方が正常で、私が異常者なのか。

 

 紛争開始から一か月が経った頃、学生隊は再び地上戦に派遣されることになった。

 今度はセルビア人の町に向かい、そこを防衛しろという命令だった。その町は現在クロアチア人勢力によって攻撃を受けているのだという。

 出発前のブリーフィングでその町の名前を知った時、血の気が引いた。

 

 私の故郷だった。

 

 ツァスタバのアサルトライフルを握りしめ、トラックに揺られる。

 私の中に焦りと恐怖が渦巻いていた。故郷には父がいる。母がいる。妹がいる。友達だってたくさんいる。不意に、スルプスカ共和国の兵士たちが語っていた武勇伝が頭をよぎった。もしも、クロアチア人の武装勢力が私の町で同じことをしていたら? 

 

 ガコン、と鈍い音がしてトラックが急停車する。体が揺さぶられて軽くめまいがした。

 下車の号令がかかり慌てて降りる。それからすぐに銃声が鳴った。

 

 見渡してみれば、そこは町の入り口にほど近い川にかかる橋だった。橋にクロアチア人兵士が検問を敷いており、それで戦闘が始まったのだ。

 パチパチと銃弾が辺りではじける。木陰に隠れて、敵を撃ちまくる。ばらまかれた弾丸はすぐに敵をハチの巣にして、コンクリートの道を赤に染めた。

 

 橋を突破して市街地に向かう。気が付けば誰よりも早く走っていた。私は銃を握りしめると仲間の静止を振り切って一人で走り抜け、町を一望できる丘にたどり着いた。

 

 立ち上る黒煙。聞こえるのは銃声。道には死体が散乱している。

 

 パララッと規則正しい銃声が響く。慌てて身を伏せ、双眼鏡を向ける。

 スーパーマーケットの裏手にある広場では、兵士が五、六人ほど立っていた。彼らはスーパーの壁に向かって銃を向けおり、その先には死体が並んでいた。広場には、大量の死体が山のように積み重なっている。大人も、子供も。男も、女も。等しく、そこで殺されていた。

 

 子供の頃、よく遊んでいた広場が今は処刑場になっていた。

 

 おかしい。絶対に……こんなのは……。

 

 こんなものは戦争と言えない。ただの虐殺だ。

 こんなことがまかり通っているのは異常だ。みんな狂っている。

 なのになんで、誰も止めないんだ。

 

 "地獄は大地の上にある。"

 

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