Project:スムータ   作:北極鳥ユキ

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フルール・ド・リス/1990

「……空ってさ、広いよね」

 

 私たち飛行学生が初めての単独飛行を終えた日、彼女はそんなことを呟いた。

 

「何もかもがちっぽけで。地上はぜんぶ見えなくなって」

 

「いい事じゃない? 何にも縛られず自由に飛べるなんて、なんだかロマンチック。詩の一つでも書けそうなテーマだよ」

 

 私はくすくすと笑って見せるが、彼女は心配そうな面持ちのままだった。

 

「そうかな。わたしはその自由さが少し怖くなったかも。わたしが、みんなが、どこに居るのか分からなくなるみたいで……」

 

「レーダーを見れば、敵の位置も、味方の位置も全部分かるでしょ? それに目視でも機影とかで識別できるし」

 

「レーダーが使えなかったら? 敵も味方も同じ機体に乗っていたら? わたしは目視だけでイヴァナのことが分かると思う?」

 

「考えすぎだと思うけどなぁ。あっ……そうだ、いいこと思いついた!」

 

 頭の中にすごく良いアイデアが浮かんできて、私は椅子からばっと立ち上がる。そのまま鞄の中に手を突っ込むと、ノートを取り出した。

 

 空が閃光と轟音に切り裂かれる。

 青色を背景に、弧を描くような白煙が靡いている。

 ドッグファイト。

 広い世界に機影が二つ。MIG-21とJ-22。クロアチア空軍とスルプスカ空軍。私と彼女。

 

 操縦桿を引いて、一気に縦旋回。エンジンの唸り声が聞こえる。

 機体の限界を知らせるアラートがうるさいぐらいに響いている。

 

 ここで翼がもげてもいい。エンジンが爆発してもいい。

 彼女を……親友を落とせるなら。それ以上は何も望まない。

 

「ノーズアートみたいにさ、愛機のどこかに分かりやすい自分だけのマークを書けばいいんだよ。そうすれば、すぐに分かるでしょ?」

 

 その飛行機に、私が乗ってるって──。

 

 ボスニア紛争が始まってから半年が経った1990年の初頭。戦況は悪化の一途を辿っていた。

 前年の11月からアメリカ軍を中心としたNATO軍が紛争に介入して、セルビア人勢力に対して大規模な空爆を開始したのだ。

 最新鋭機揃いのアメリカ軍を撃退できるような兵装は、私たちスルプスカ共和国軍はおろか、ユーゴスラヴィア軍だって持っておらず、兵力は地上ですりつぶされていった。

 

 NATOによる空爆は、このボスニア航空兵学校にも小規模だが及んでいた。

 攻撃は巡航ミサイルによって行われたようで、迎撃する間もなく滑走路は破壊され、輸送ヘリコプターも全機喪失した。

 

 幸い学校にある唯一の戦力であるJ-22B攻撃機が無事で、私自身も無傷だった。でも、火災が起きたことで学生隊のパイロットや、整備士に多くの死傷者が出ていた。

 

 なぜNATOやアメリカの奴らは、向こう側に肩入れするのだろうか? 奴らに一体何の権利があって、私を攻撃しているのだろうか? ボスニアからセルビア人を追い出す戦争に、なぜ加担しているの? 私達セルビア人だって、このボスニアで生まれ育ったのに……。

 

 私は怒りを募らせる。

 

 奴らはセルビア人を悪だと言った。民族浄化(ジェノサイド)を行っている戦争犯罪者たちだと。じゃあ、他の奴らはどうなんだ。私から家族を、故郷を奪ったクロアチア人は? セルビア人の集落を攻撃し続けているボシュニャク人は? そこに何の違いがある? 

 

 気が付くと、ガタガタと脚を鳴らしていた。最近、貧乏ゆすりが癖になっている。

 タバコを吸う量も増えた。紛争が始まる前は──もちろん、年齢の都合もあったけど──酒もタバコも一切やらなかったのに、今では灰皿が山のようになっている。

 地上での戦闘のことを思い出しては吸い、死んだ家族のことを思い出しては吸い。ここには物資が潤沢にあってタバコに困らなかったのが、せめてもの救いだろう。

 

 ブリーフィングルームにいるのは私だけ。学生隊の面々は地上戦に派遣されている。

 私だけがここに残されたのは、空爆で死んだ前任者に代わってJ-22B"オラオⅡ"のパイロットに選ばれたからだった。

 

「イヴァナ・レゾヴィッチ軍曹」

 

 校長が入ってきたので、私は立ち上がって敬礼する。

 

「休め。知っての通り、クロアチア軍とクロアチア人武装勢力はクロアチアとボスニアのセルビア人居住地区全域に対して大規模な攻勢を開始した。スルプスカ共和国軍とユーゴスラヴィア軍は、これを全力で撃退しなければならない」

 

「それで、私はJ-22で何をすればよいのでしょうか」

 

「君には単機でクロアチア軍への爆撃を行ってもらう。現在、ボスニア上空は国連によって飛行禁止空域に設定されている。ユーゴスラヴィア空軍がクロアチアに空爆を行おうとしたら、NATO軍がやって来るだろう。そこで君が先鋒を……」

 

「つまり囮になれと」

 

「そうは言ってない。単機で行動する方が有利ということだ。スルプスカ共和国の首都バニャ・ルカは陥落の危機にある。そこで、君にはバニャ・ルカへの攻勢を準備している敵部隊を爆撃してもらう。位置はここだ。爆撃後は速やかに帰投する」

 

 帰投……か。その一言はひどく空虚に聞こえた。どう考えても片道のカミカゼ作戦だ。

 そもそも、J-22B攻撃機の爆弾搭載量はそれほど多くない。単機で爆撃しても大した戦果にはならないだろう。

 バニャ・ルカに向かう際には、クロアチア空軍かNATO軍の迎撃(インターセプト)を受けることになる。敵機が私に食いつくことで、前線に出てくる戦闘機が二機でも三機でも減れば御の字というわけだ。

 

 不満はあるが、仕方ないことかもしれない。

 連日の空爆で既にユーゴスラヴィア空軍はボロボロ。スルプスカ空軍はとっくに壊滅しており、編隊飛行すらできない有様だ。残された攻撃機に出来る仕事は、これぐらいなのだろう。

 

 格納庫に向かい、これから運命を共にするJ-22Bを見上げた。

 ユーゴスラヴィアとルーマニアで共同開発した国産のジェット攻撃機。アフターバーナー搭載で、最高速度はマッハ1。ただ、こいつはあくまでも近接攻撃機。速度こそ出るが、エンジンの出力不足で上昇力には難がある。その上、機体が小柄なので武器搭載量と航続距離にも制約がある。

 

「来たか、レゾヴィッチ」

 

「整備長、お願いしてたアレ、出来てますか」

 

「あぁ……」

 

 整備長にお願いしたことは二つある。

 一つは、武装を空対空用に換装して対地兵器を全て外すこと。ユーゴスラヴィア唯一の対空仕様J-22Bというわけだ。爆撃命令なんて知ったこっちゃない。どうせ爆弾なんて積んでも意味ないので、迎撃に来る奴を叩き落としてやろうという魂胆だ。

 

 しかし、正直言ってこれでも生きて帰れるかは運次第。J-22Bの空対空能力は限定的で、機体自体にはロックオン機能が無い。本格的な対空戦闘を想定したクロアチア空軍のMIG-21や、NATO軍のF-16や、トーネードなどの戦闘機に比べれば見劣りする。

 

 二つ目に頼んだのは、尾翼に描いたペイント。

 フランスなどでよく使われているシンボル、花の紋章(フルール・ド・リス)を二つ逆さにしたマークだ。

 この紋章のモデルとなった花には諸説あって、アイリスを様式化した意匠であるとか、あるいは黄金の花ボスニア・リリーの様式化ともいわれている。

 

 なぜ逆さなのかと言われれば、現在、ボスニア・リリーは敵であるボシュニャク人の象徴として使われているから。私はこのマークが昔から好きで、戦闘機につけるならこれと決めていた。

 本当ならそのまま尾翼に書きたかったのだが、流石に敵のマークはまずいということで上下を反転させたのだ。まあ反転させてもオシャレではあるので、納得はしているつもり。

 

 それに、空中なら上下が入れ替わる事だって珍しくない。

 もしも、あの子が空に居るなら、きっと気が付いてくれるはずだ。

 

 敵が、私であることに。

 

「このマーク、すごく可愛い。じゃあ……わたしも、おんなじマークにしようかな。そうすれば、イヴァナもわたしのことが分かるでしょ?」

 

「いいね、それ! 同じマークなら、いかにも僚機(ウィングマン)って感じがするもんね。卒業したら愛機に同じマークを付けて一緒に飛ぼう。約束だよ」

 

「うん、約束」

 

 "……もう、約束は果たせそうになかった。"

 

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