ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエボが包囲されてから数か月。この街で銃声や砲音を聞かぬ日はただの一日もなかった。
市街地に立てこもるボシュニャク人と、市街地を完全封鎖したセルビア人。
無人地帯を挟んでにらみ合いが続き、食品や医療品の物流は元より電気も水道も封鎖されたことで、籠城するボシュニャク人側には軍民問わず多くの死者が出た。
飢えと病。それと同じぐらいの死者を出したセルビア人による無差別狙撃。
廃墟と化した市街地外縁に陣取ったセルビア人の狙撃手たちは、そこから市街地に向かって狙いを定め、動く標的に対して無差別に射撃を行っていた。
標的には兵士も、民間人も、大人も、子供も関係なく、スコープに越しに見えたもの全て攻撃の対象だった。
武器を密輸しようとする闇商人も、命からがら脱出しようとする家族も、何も知らない子供や、狙撃手を排除しようとする兵士、人道支援に向かった国連軍の兵士だって関係ない。
狙撃手の視界に入ったというだけで、死に至るのだ。
通りに残っているのは、穴の開いた車と、腐った骸、そして乾いた血痕。地獄さながらの光景だが、それでもここを通ろうする人は止まず、銃声も止むことは無い。
俺も市街地へ続く大通りの一つに配置され、市街地に狙いを定める狙撃手の一人だった。
俺は内戦が始まるまではごく普通の工場労働者であり、ごく普通の父親だった。
しかし、今や廃墟に身を潜めて四六時中狙撃銃を握りしめている。
少しだけ目が良くて、兵役で狙撃銃を握っていただけなのに。
少しだけスポーツハンティングが趣味なだけなのに。
今では朝から晩までスコープをのぞき込み、見えたものに銃撃を加えるのが日課だった。
飯を食い、引き金を引き、移動し、眠り、また引き金を引く。
史上最悪のルーティンワーク。
地獄行のバスがあるのなら、俺は間違いなくその最前列に座っているだろう。
ある時から何人殺したか数えるのをやめた。標的の「正体」だって詳しくは見ないようにしている。見るだけ無駄なのだ。「ソレ」が何であろうと、結果は変わらない。いまさら罪を悔いたって、背負った重さは変わらない。
俺の中にあるのは、ただ家族のことだった。
妻のために、息子のために、戦争を早く終わらせる。
そのために沢山殺す。罪を重ねる。
自分の家族のために、誰かの家族を殺す。
自分の子供のために、誰かの子供を殺す。
機械的に引き金を引き続ける。
子のためなら、親は悪魔にだってなれる。
血まみれの咎人になろうとも俺は親だった。
息子に会いたい。家族のところに行きたい。
眠りにつくと、いつも飛び散った血のイメージが脳裏によぎる。
目を閉じるまでの間には、できるだけ息子と一緒にいた時のことを考えていた。
なぜ? なぜ? どうして?
うちの息子は「なぜなぜ期」の真っ只中だった。
どんなことも目新しくて、どんなことにも「答え」を求めたがる。
そして、考えても分からないことは俺に答えを尋ねてくるのが日課だった。
大人が当たり前だと思っていることに疑問を持って、答えを求めてくる。
それが可愛くて仕方なくて、俺は出来る限り答えていた。
飛行機はどうして空を飛べるの? なぜ海の水はしょっぱいの? 太陽はどうして沈むの?
知っていることは全部答えてやった。
でも答えられないことだってある。大人になれば分かることだ。世の中の全てに答えがあるわけじゃないと。でも、息子はそれを知らないから、問いかけてくるのだ。
どうして戦争は無くならないの? どうして人は死ぬの?
そういう問いに対して、俺はこう返すしかなかった。
「それは"そうあるべき"だからだよ」
『そうあるべき』とは、つまり『そうならざるを得なかった』ということ。
抗いようのない歴史と環境が、今の俺たちを半ば強制しているのだ。それは『真理』あるいは『運命』とでも言えるもので──呼び方はどうでもいいが──それが俺の答えだった。
歴史と環境が生んだ抗いようのない『真理』のようなものが俺たちを導いて、それが「そうあるべし」と決めたからそうなったのだ。
俺や妻や息子がこの呪われたボスニアの地で生まれてしまったことも、生きている間に地獄のような経験してしまったのも、ぜんぶ『そうあるべき』だから『そうなった』のだ。
なぜ、なぜ、どうして。
なぜ人は争うの? なぜ人は死ぬの?
なぜ、隣人と殺し合わないといけないの。
それは、向こう側にいるのがムスリムのボシュニャク人で、こちら側に居るのがクリスチャンのセルビア人だから。
なぜ、同じ見た目なのに別々に分けられているの。
それは、15世紀にオスマン帝国がボスニアを征服してイスラム教に改宗させたから。
どうして、キリスト教徒があっさりムスリムになったの。
それは、11世紀のボシュニャク人がボスニア教会を信奉して、他のクリスチャンたちから異端視され迫害されていたから。
これもぜんぶ『そうあるべき』だから『そうなった』のだ。
そこには、ただ結果だけがあって、紡がれてきた糸が絡まり千年後の俺たちを縛り付けている。
千年越しの憎しみが、現代の俺たちに牙をむいている。
目の前にある現実というのは、定められた必然の帰結なのだ。だから、敵を殺すのも、罪を背負うのも、地獄に行くことも、『そうあるべき』結果でしかない。
道を通ったり横切ったりする奴を判別もせず片っ端から殺さなくてはいけないのも、全部そういうことなんだ。
なぜ、なぜ、どうして。
どうしてパパは人を殺すの? どうしてパパは血まみれなの? どうして僕はしんだの?
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして──
頭に穴の開いた息子が問いかけてくる。
俺は血まみれの体で、冷たい体を抱きしめながら答える。
「それは"そうあるべき"だからだよ」
"地獄に神はいない"