Project:スムータ   作:北極鳥ユキ

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戦争の王/1989

 ヴィクトール・ミハイロビッチ・アヴィフという平凡な青年の人生は、ソビエト連邦の崩壊という出来事を経て、彼が予想する方向とは全く違う方向へと進んで行くことになる。

 

 ロシア系イギリス人である彼は一般的なホワイトカラーであり、ロンドンにある小さな貿易会社「ハムス・ブリッジ&ヨース(HABY(ハービィ))」に営業として勤める普通の労働者だった。

 

 そんなヴィクトールは、家族とクリスマスをすごしている中でソビエト連邦の崩壊と遭遇した。

 

 祖国の崩壊……といってもロンドン生まれロンドン育ちである彼からすれば、ソ連崩壊など父の祖国が消し飛んだだけで自分とは対して関係のない話だと思っていた。そんな状況が変わるのは、ソ連の崩壊から一年が経とうとしている1989年の11月のことだった。

 

「ビクターよぉ、ちょっと社長室まできてくれや」

 

 事務所で煙草をふかしていると、強いロンドン訛りのある英語で呼び止められる。

 でっぷりと腹が出ており肥満体型の中年男性、社長のミスター・クリントだ。

 近頃、さっぱり成績を出せていないヴィクトールはそろそろクビだろうか、なんて思いながら彼に続いて事務所の一角にある社長室に入った。

 

「お前、ロシア人だろ?」

 

 恐る恐る様子を伺っていると、彼からそんなぶっきらぼうな声が飛んでくる。

 

「は、はぁ。いちおうは……」

 

「ロシア語は話せるか」

 

「一通りは。たぶんあっちの人からすればカタコトですけど」

 

「なんだっていいさ。話せるんだったら、行ってこい」

 

「……は? どこに?」

 

「んだから、ロシアに行くんだよ。うちもそろそろ進出しないとな」

 

「えっ、本気ですか?」

 

「安心しろ、コーラぐらいは飲める。ペプシがソ連で人気だったのは、有名な話だろ?」

 

「いや、そういうことを行ってるんじゃないですけど……」

 

「言っておくがな、ビクター。向こうで成績が残せなかったらお前クビだからな」

 

「そんなぁ」

 

 それから一週間後、ヴィクトールは事務所から蹴飛ばされるような勢いでロシアへと派遣された。スーツケースいっぱいの試供品を片手にバスに乗ってヒースロー空港。そこからエアロフロートに乗って向かった先は冬のレニングラード。

 

 帝政時代のエキゾチックな建物に、共産主義のリアリズム建築。ボルシチ、ピロシキ、ロシアンティー。そしてなにより金髪のロシア美女。

 

 どこかで役得の一つでもないかなぁ、なんて淡い期待しながら向かった初めてのロシア……だったのだが、飛び込んできたのは思い描いていたような光景とはだいぶ違う光景だった。

 

 とんでもなく荒廃していたのだ。

 

 レニングラードはロシア第二の街のはずだが、間違えてシベリアの流刑地にでも来てしまったのだろうか? そう思ったが、看板にはしっかり「レニングラード」とあった。これじゃあ、モスクワで剥製にされているレーニンも泣いていることだろう。

 

 ソ連崩壊の前後で経済が色々ごたごたしているとは聞いていたが、予想以上の有様だった。

 街は浮浪者や失業者が溢れている。空港から少し歩くだけでもあちこちに物乞いが視界から消えることは無く、雪の積もる冬だというのに路上で丸まっている一家すらいる有様。

 

 目に入るコンクリート製の無機質な建物はよく見ればどれもボロボロだし、交通量もロンドンとは比べ物にならないぐらい少ない。

 

 通りがかったスーパーマーケットを覗いてみれば、その棚に品物は一つもなく、店内には粉々になったガラスとひび割れたコンクリート片が散乱しているばかり。

 物流網も止まっているようで、荒れ果てた空っぽの箱だった。

 

 ニュースじゃ、エリツィン大統領が計画経済から市場経済への大転換を行うと発表していたが、それ以前の問題じゃないだろうか。共産主義の末路は悲惨らしい。

 

 ヴィクトールがイギリスから持ってきた物と言えばソ連人が欲しがりそうだと予測していたハイテク製品の試供品とイギリス製雑貨のカタログだったのだが、こんな状況で一体だれが買うというのだろうか。

 食事すらままならない市民が、まさかウォークマンを買う訳もないだろう。

 

 アポを取っておいた商談があるのだが、果たして相手に金があるのやら……。

 そう思いつつ、その日はペトロザボーツクという街に向かう寝台列車で夜を明かした。

 

 翌日、目的地であるベソヴェツ基地でヴィクトールを出迎えてくれたのは、レニングラード軍管区の第一副司令官パーヴェル・ニコラエヴィチ・アヴィフ中将だった。

 

「ヴィクトール!」

 

 屈強な体格であるパーヴェル中将は、近づいて握手しようとしたヴィクトールを抱きしめた。

 

「まさか、生きている内に甥に会えるなんて思わなかったぞ! がっはっは!」

 

「ど、どうも、始めまして。アヴィフ将軍」

 

「将軍なんてよしてくれ。ロンドンに逃げた兄貴の子だとしても、血のつながった家族だからな! ぜひパーヴェルおじさんと呼んでくれたまえ!」

 

「は、はぁ、パーヴェルおじさん」

 

 なぜこんなことになっているかはヴィクトール自身が一番知りたかったのだが、ともかくこの中将は叔父である。そして、今回の商談の相手でもある。

 

 軍人のコネクションというのは、相手が高位の人間である場合は大きな武器になる。将軍クラスともなれば、基地のある地元の政治家や経済界とは密接な関係を持っているのだ。ここで貿易を成功すれば、ペトロザボーツクから基盤を作ってレニングラードまで進出できるかもしれない。

 

「君のような男を探していたんだよ。実にちょうどいいタイミングできてくれた。さ、こっちへ」

 

 案内されるままに、高級車の後部座席に押し込まれる。

 

「さぁ存分に見てくれ、これが商品だ。素晴らしいだろう?」

 

 そう言ってパーヴェルは窓の外を指さす。

 商品っていったい何のことだ? とヴィクトールの頭の中は疑問符だらけだった。そもそも、彼は「売りに来た」のであって、ロシアの物を「買いに来た」わけでは無く、予定もまだない。

 

 何のことだかさっぱり分からなかったが、視線をそちらに向けてみる。

 窓の外に置かれているのは滑走路上にずらりと並んだ戦闘機と、ミサイルの入っていそうな大きな筒やレーダーを乗せたトラックの群れだった。

 

「Su-27なら完成品を三機出せる。目玉商品のS-300Pは分割して何度か輸送すれば四セットまでならバレないはずだ。小火器類については陸軍の友人に話を付けてある。安心してくれ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。一体何の話を……」

 

「何って商売の話だろ。これが欲しくて、わざわざロシアまで『トレード』をしに来たんだろう? まさか甥っ子が武器商人(・・・・)になっているなんて驚きだ。まったく立派になって!」

 

 致命的なことに気が付いたヴィクトールは顔を真っ青にする。

 一方、それにまだ気だ付いていないパーヴェルは上機嫌な様子で彼の肩を強く叩いた。

 

「他の連中が密輸で儲けてると聞いて、俺も参加したいと考えていたところなんだ。せっかくこんなにいい商品があるからな。特にあのS-300Pは他の奴らは売っていないはずだ。なにせ私がかき集めているからな。我々の独占だよ、独占! 資本主義の言葉さ!」

 

 本当にタイミングがいいときに来てくれた! とパーヴェルは高笑い。

 

「あの、えーっと……どうして俺を武器商人だと思ったんですか……? もしかしたら、普通の会社の営業マンかもしれません……よ?」

 

「え? まさか、おまえ………………違うのか?」

 

 お互いに目をぱちくりさせて、車内は気まずい沈黙に包まれた。

 

 この時、ヴィクトールはソ連崩壊直後、1989年のロシア連邦軍の内部において英語の「トレード」が武器売買の隠語として使われていることを知らなかった。

 

 ヴィクトールは叔父であるパーヴェル中将や彼の管理下にあるロシア連邦軍部隊に西側の商品を売れれば良いなと思って「貿易(トレード)」の商談を持ち掛け、パーヴェルは他の将軍たちがしている汚職が羨ましくなり、甥が自分の管理下にある武器をどこかしらの紛争地帯に密輸してくれることを期待して「武器売買(トレード)」の商談を受けたのだ。

 

 つまるところ、完全な勘違いである。

 

「そもそもこれって合法なんですか?」

 

 とんでもないミスをしたことに気が付いたパーヴェルは深く項垂れながら呟いた。

 

 "……ニェット。"

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